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憂喜美波 1

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「オールバックを辞めろと言っているんだ。何度言ったら分かるんだ」
 国語の教師であり、生徒指導の担当でもある、通称〔鬼の渡辺〕の怒鳴り声が廊下から聞こえてきた。渡辺は、坊主頭で口と顎に髭を生やした、昔の極道映画のサブで出てきそうな風貌だ。
 見た目と見た目通り厳しい指導で、生徒達から恐れられ、嫌われている。
「うわ。アイツまた見つかったんじゃねか。見てみようぜ」
「おう。行こうぜ行こうぜ」
「あいつ、本当にに粋がってるよな。かっこいいと思ってんのか」
 クラスの面々を階級別に分けるとすれば中の上。イケてる組に入りたいが入れない、冴えなさを教本通りにカバーしようとしているのが見え見えの男子三人組が、わざとらしく、目立つように声を上げて、教室の窓から廊下を覗き込む。
 サッカー部と野球部のイケてる組がいない今こそ、自分達の存在をクラスの生徒達に誇示しておきたいのだろう。
「美波。またあの子じゃない。見てみようよ」
 そんな三人組の必死のアピールには気付いていないであろう、読者モデルでをやっていてスタイル抜群のお洒落れ番長夏帆と、成績トップで親は実業家のお嬢様結衣が私に声を掛けてきた。興味はなかったが、私も教室の窓から廊下を覗いた。
 二人は、クラスの女子のヒエラルキーのトップに位置する、いわゆる私のいつメンだ。 
 昼休みのお弁当の時間。放課後。トイレまでも、多くの時間を三人で過ごしている。
 窓から廊下を覗くと渡辺が廊下の真ん中で、一人の男子生徒に向かって何やら説教をしていた。男子生徒は、三日前にこのクラスに転校してきた伊勢谷君だ。
「あの子。髪の毛下ろして、マッシュヘアとかにしたら、けっこうイケてると思うのにね~」
「確かに。顔の作りは綺麗だもんね。でもあの性格、直さなきゃでしょ」
「そう?無口な男ってよくない?ミステリアスな感じが惹かれるのよ」
「無口な男は良いけど、あれはただの陰キャでしょ」
 夏帆と結衣の会話に冴えない三人組が平静を装いながらも必死で耳を傾けているのが分かる。「メモでもとれば」と私はノートの切れ端でも渡してあげたい気分になった。
「ねえねえ。美波はどう思う。あの転校生のこと?」
 夏帆が人懐っこい笑顔を私に向けてくる。結衣も私がどんな回答を出すのかとワクワクしながら見つめてくる。
 この回答は重要だ。
 どちらかに偏った答えを出してしまうと、正三角形のようにバランスの取れたこの関係が崩れ去ってしまう。勿論、二人はそんなこと意識してもいないだろうが。
 私達の関係は膨らみ続ける風船のような物だ。何処かから刺激が加わったり、少し空気を入れすぎるとすぐに割れてしまう。そして二度と元には戻らない。
 だが、私は二人の意見どちらにも偏らない、完璧な答えを既に用意していた。
「う~ん。確かにあの子も顔は良いかもしれないけど。やっぱり菅野君には誰も敵わないからな~」
「あ、出たよ。本当に美波、菅野君好きだよね」
「ほんと。何かあれば菅野菅野って、もう付き合っちゃえよ。美波ならいけるでしょ」
「どうやって付き合うのよ。無理に決まってるじゃん」
 私は結衣の肩を軽く叩きながら笑みを浮かべた。
 菅野とは、最近中高生の中で流行りの若手俳優、菅野正樹のことだ。
 本当は対して好きでもなかったが、今のようなタイミングでよく〔菅野君〕にはお世話になっている。菅野君の登場によって、風船は割れずに済んでいるのだ。
「あ。こっちにきたわよ」
 夏帆と結衣、それから冴えない男子三人組も、慌てて自分の席に戻る。説教をくらい終えた伊勢谷君が、教室へ向かって来ていたのだ。
 しばらくして扉がガラリと開き、伊勢谷君が教室に入ってきた。スタスタと自席に向かっていく。伊勢谷君の席は、一番廊下側の列の後ろから三番目。私の前の席だ。ちなみに、私の横は結衣で、後ろが夏帆。
「おはよう」
 自席まで足を運んで、椅子を引いた伊勢谷君に私は挨拶をした。伊勢谷君は少し驚いたようにこちらに顔を向けたが、挨拶は返さず首をコクリと下げただけだった。
 トントンと指で背中を叩かれた感覚がある。何を言われるか、何をしようとしているのか、だいたい察しの着いていた私は気付かないフリをしたかったが、ニヤニヤしたような、ワクワクしたような笑みを作ってから振り返った。
 振り替えると、やはり同じような顔をした夏帆と結衣が身を寄せ合っていた。
「見た!?美波が挨拶してやったのに、なんなのあの態度」
「本当よね。一言挨拶を返すくらい、なんで出来ないんだよ」
 女という生き物はなぜヒソヒソ話や内緒話が出来ないのだろう。
 この距離ではいくら小声で話そうと伊勢谷君に聞こえている筈だ。「わざと聞こえるように言っているのよ」というがそれなら、はなからヒソヒソ話を装う必要がどこにあるのか。女としてこの世に生まれて、女として生きてきた私にとって、物心ついた時からの疑問だった。ヒソヒソ装い話はまだ続く。
「ねえねえ。夏帆。伊勢谷に聞いてみてよ」
「え!?なんで私が!!」
「だってあんたちょっと気になっているんでしょ?」
「いや。髪型変えたら…ってちょっと思っただけで、気になってなんかいないよ。ねえ、美波。ちょっと聞いてみてくれる?」
 夏帆と結衣が子犬のような目で私を見つめる。
 例えば、カラオケのドリンクバーや研究や観察が必要な課題など。面倒だけど行わなければいけない、行いたい物事を、二人は私に押し付けてくる傾向がある。今回もその分析は当たっていた。
「いいよ。聞いてくるね」
 私は満面な笑みで答えると席を立った。「流石、美波」「ありがとう」とわざとらしく囃し立てる二人の声を後ろ手に聞きながら、まだ空いている伊勢谷君の前の席に腰を下ろした。伊勢谷君の机に両腕をつけ、顔を覗き込むような態勢になる。
 何やら小説を読んでいた伊勢谷君は、露骨に怪訝そうな顔を私に向けた。私は「ごめんね」と言って顔の前で手を合わせる。そしてそのまま続けた。
「その髪型。かっこいいね。誰かの真似しているの?」
 私の問いに伊勢谷君は答えず。小説に目線を戻す。
 夏帆と結衣が「もっと聞いて」という意味を込めて、目の前の蚊を追い払うような動作で手を動かしている。
「転校してきたばかりで、この学校校則を知らないんだよね?」
「……」
「毎日渡辺に説教されているんでしょ?面倒くさくない?」
「……」
「もう転校して来て三日目なんだし、そろそろオールバック辞めた方がいいんじゃない?」
「……」
 キンコーンカーンコーン。
「おはよう。美波。そこ俺の席だぞ。どいたどいた」
 朝チャイムと同じタイミングで、朝練を終えたサッカー部の西田が教室に入って来た。「ごめんごめん」と言って私は席を立った。
「いや、全然いいんだけどな。ほら。チャイムなってるから」
 満更嫌でもないといった西田の心が表情に出てしまっている。男は女に比べれば、何倍も簡単だ。
 席を立った私は、自分の席へ向かって歩き出した。
「俺は…」
 ちょうど、伊勢谷君の隣を通り過ぎようとした時だった。
「オールバックを辞めない」
 他の生徒の誰にも、西田にも聞こえていないだろうが、私の耳には小声だがハッキリと、伊勢谷君がそう言うのが聞こえた。席に着いてから、伊勢谷君にそのことについて尋ねよとしたが、担任が教室に姿を表し、ホームルームが始まったので、尋ねることは出来なかった。


 私は中学生の頃、いじめられっ子だった。
 私は幼い頃から一人でいることが好きだった。独りが好きなのではない。一人が好きだったのだ。人と関わることが嫌という訳でもない。勿論、友達が一人もいなければ寂しい。だが、自分が話したい、仲良くしたいと思った人間以外とは、関わりたくないというのが幼い頃からの私の考えだった。
 幼稚園、小学生の頃は〔関わりたい〕と思う人間がそれなりにいたから、それなりに周囲に馴染んでやっていけていた。しかし、親の仕事の都合で福岡から東京の中学校へ入学してからは〔関わりたい〕と思う人間がいなかった。だから私はその思いのままに、学校生活を過ごしていた。
 だが、学校という世界は独りぼっちな人間は生きていきづらい。周囲から憐みや奇怪な生き物でもあるかのような目を向けられる。周囲から見れば、好んで一人でいる人間も、独りぼっちな人間も、同じように見えるのだろう。
 キッカケはクラスで人気者だった男子が、ある日私に告白してきたことだと思う。
 私は何も話さなくても異性から恋愛対象で見られることが多かった。その男子に好意を寄せていたのであろうクラスメイトの女子が私に目を付けてきた。
 何も話さないのは言語障害があるだとか、大人しく見えて裏では不純異性行為をしているだとか。私が福岡からきたことが何処かから漏れると、東京の人間のことを見下して口を聞かないだとか。根も葉もない噂を立てられあっという間にそれは広がった。
 噂を立てられたり、裏で陰口を言われるくらいなら、小学生の頃でも多少なりともあって、私には気にならなかったし、関わろうとして来ないだけ有り難かった。
 だが、中学では違った。嫉妬ややっかみから発生した噂は、うねりを上げるように私への精神的口撃や肉体的攻撃へと形を変えた。
 トイレで水をかけられたり、机に心無い言葉を書かれたり。およそいじめと言われて想像できる行為は一通り受けたと思う。
 私はただ、一人が好きだっただけなのに。 
 学校という世界では〔一人〕でいては生きていけない。そう悟った私は、自分を変える決断をした。
 学校にはカーストという暗黙の階級がある。下の者は上の者から見下されているが、下の者は下の者同士で傷を舐め合って上手く生きていっている。学校という世界ではこのカーストの何処かに属する必要がある。
 どうせ一人で生きていくことが許されない世界ならば、カーストのテッペンに登ってやろうと決めた私は、どうしたらその目標が達成できるか、観察し、実践した。
 男は単純だ。親から授かった持って生まれた物が大きいだろうが、さりげないボディタッチと柔和な笑顔でこちらから積極的に話しかければ、大抵の男とは仲良くなれたし、好きにもさせることも出来た。
 しかし、女はそう簡単にはいかない。まずは身なりを整えることから始まる。雑誌を読み漁って化粧を覚え、ポーチには流行りのコスメなどを常に入れておく。ファッションも勉強し、首元にはさりげなくブランドのネックレスをつけた。ドラマやSNSなどを見て人気の俳優をチェックし、さらにその俳優の色恋沙汰の最新情報なども、普段の会話に盛り込ませる。
 本来の私は、一人で小説や漫画を読むことが大好きだったが、その時間も、本を買うためのバイト代やお小遣いも、全てカーストのテッペンに立つために消えていった。
 その努力の甲斐あって、高校生になるとあっという間に今の地位を手に入れた。
 だが、外見や言動などはいくらでも変えられるが、本心というものは簡単に変えられる物ではない。高校にも私が〔関わりたい〕と思う人間はいなかった。
 いつも一緒にいる夏帆と結衣も同じだ。せっかく手に入れた今の地位を守るために親友を演じている。

 そんな〔大親友〕の夏帆と結衣の二人から、委員会だか何だかで、放課後残ることになると言われたのは昼休みのことだった。
 帰りのホームルームが終わり、久しぶりの一人での帰路に解放された気持ちで帰りの準備をして、のんびりと教室を出た。
 いつもなら学校帰りには毎日のように飽きもせず、カラオケやショッピングモールへ寄って帰るが、今日はそれもない。時間を持て余しそうだと感じた私は、久しぶりに家で小説を読もうと決めて、帰る前に図書室へ寄ることにした。
 校舎の一階に図書室はある。階段を一番下まで降りて、奥にある図書室へ向かう廊下を歩いていると、途中にある視聴覚室から声が聞こえて立ち止まった。
 開きっぱなしの扉からコッソリ顔だけを出して中を覗き込むと、私達のクラスの担任で、気が弱くなよなよとした吉田と、伊勢谷君が二人で机を挟んで椅子に座っていた。伊勢谷君も帰ろうとしていたところを捕まったのだろうか。鞄を足元に置いていた。
 私は気になって聞き耳を立ててみることにした。
「あの……。あのね、伊勢谷君。髪型を変えられないのには、何か深い事情があるのかな?」
 吉田が恐る恐るといったようすで伊勢谷君に尋ねる。伊勢谷君は机に視線を向けたままなんの反応も示さない。
「いや。ご、ごめんね。深い事情があるなら、僕みたいな先生なんかに話せないよね。でも、その……。一応担任だから。何か事情があるなら、他の先生達に話してみようと思っているんだ」
「……」
「でもね、でももし、事情がないなら、その髪型を辞めてくれないかな……?」
「俺は……!」
 さっきまでなんの反応も示さなかった伊勢谷君が立ち上がった。ガタンと音を立てて椅子が仰向けに倒れた。吉田は暴力でも振るわれると思ったのか、ヒイと声を上げて顔を手で隠した。
「オールバックを、辞めない」
 足元に持っていた鞄を持って、伊勢谷君は扉の方へ向かって来た。
 咄嗟の出来事に、どこかへ隠れないとと思ったが勿論間に合わず、視聴覚室から出て来た伊勢谷君とぶつかりそうになった。伊勢谷君は目を丸くしている。
「ごめん。盗み聞きするつもりはなかったんだけど……」
 私の弁解を聞こうとせず、私を避けて足早に校舎を出ていった。
「ああ。怖かった。あいつ見た目がいかついんだよな~。なんでよりによって僕のクラスに変な奴が転校してくるんだよ」
 さっきまでと違って饒舌に独り言をいう吉田が、視聴覚室から出てきたところで私に気が付いて、うわあと声を上げた。盗み食いが母親にバレた子供のようだ。
「い、いいいい、い、いつからいたの?こ、こんなところで何してるの!」
「あ、えーっと。先生にちょっと、用事があって」
 私は頭を回転させて、あるはずのない〔用事〕を必死に作り出した。


 図書室で好きな作家の小説を借りて、帰路の電車の中にいた。
 私の頭の中は、借りたばかりの好きな作家の小説より、何故かあのオールバックの伊勢谷君のことでいっぱいだった。
 この感覚は小学生以来。久しぶりだ。
 久しぶり過ぎてまだ確実には言えなかったが、私は伊勢谷君と〔関わりたい〕と思っているのかもしれない。
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