上 下
1 / 37

1. 悲劇からの旅立ち

しおりを挟む
「うひゃー! 大漁! 大漁!」

 台風一過の青空の下、伊豆の磯で小学校四年生の和真かずまは潮風を浴びながら網を振り回し、絶好調で魚をすくっていた。

「あっ! パパ! そっちデカいの行った!」

「よし来た! 任せろ!」

 和真のパパもノリノリで思いっきり網を水面に叩きつける。

「ヨシ!」「ヤッター!」

 台風直後は水がにごり、酸欠で魚がプカプカ浮いてくる。カラフルな熱帯魚からアジやイワシまで、すくい放題だった。

「ここで、こんなに獲れるなら、突端の向こうまで行ったらもっと大物が獲れるよ!」

 和真はウキウキしながら言う。

「和ちゃん、そりゃ断崖絶壁の向こうじゃないか、落ちたら死んじゃうからダメダメ!」

 パパは渋い顔で首を振る。

「え――――っ! すごく大きいお魚獲ってママをびっくりさせようよ」

「いやいやいや、あんな崖、無理だよ」

「パパなら行けるって! お願い!」

 和真は手を合わせてパパを見る。

 パパは和真の顔をじーっと眺め、ふぅと大きく息をつくと言った。

「じゃあ、行けそうか様子を見るだけ見てみるか」

「やったぁ!」

 和真は両手を振り上げてピョンと飛ぶ。凄い大物が獲れたらどうしようと、わくわくで胸がいっぱいだった。

 パパはじっと断崖絶壁の岩を見つめ、しばらくルートを確認すると、軽くジャンプしてでっぱりに取り付いた。そして、ヒョイヒョイとボルダリングをやるように登っていく。パパの黄色い上着が、まるで断崖絶壁の上をうクモのように、するすると突端へ向かって動いていった。

「すごい、すごーい! 頑張れー!」

 和真はノリノリで応援する。

 しばらく上って和真の方を振り返ったパパは、

「いや、これ、怖いんだけど……」

 と、渋い顔を見せた。

「大丈夫、大丈夫!」

 適当なことを言う和真にパパは、

「おまえなぁ……」

 と、いいながら足場を確保し、また奥の出っ張りへと腕を伸ばした。



 やがて突端にまで到達したパパは向こうの入り江をのぞき込む。

 和真は手に汗を握りながらそんなパパをじっと見守っていた。



 その時だった。

 ぐはぁ!

 パパは変な声を上げるとバランスを崩す。

「パパぁ!」

 和真は焦り、叫ぶ。

 果たして、パパはそのまま真っ逆さまに落ち、

 ザバーン!

 と、激しい水音を立てながら岩場の向こうの海へと消えていく。それはまだ幼い少年の和真の心をえぐるには十分すぎる絶望的な悲劇だった。

「パ、パパ――――ッ!」

 和真は急いで崖に飛びついた。パパを助けないと、ただその一心で必死に登っていく。

 しかし、小学生の和真にはどうしても手が届かない段差に阻まれる。

 くぅ……!

 和真は覚悟を決め、全ての力をこめてジャンプする。なんとしてでもパパのところへ行かねばならない。

 しかし、指先は空を切り、願いむなしくそのまま磯へと落ちていく。

 ぐはぁ!

 全身をしたたかに打ち付け、ゴロゴロと転がる和真。

 口中に血の味が広がっていく。

「うわぁぁぁ! パパ――――ッ!」

 磯にはただ、血まみれの和真の悲痛な叫びだけが響いていた。



        ◇



 ――――それから六年。



「パパぁ!」

 和真はガバっと起き上がり、辺りを見回す。そこはいつもの自分の部屋だった。

 ふぅと息をついて布団をパンと叩く。

「またあの夢か……」

 高校生になった和真は、いまだにパパを殺してしまったことにさいなまれていた。

 パパの遺体は原形をとどめていなかったが、その破れた上着の黄色に和真は現実を突き付けられたのだった。

 泣き崩れるママに、和真は自分がパパを煽ったことを言い出せず、それがまた心の重しとなって和真の人生に影を落としていた。

 危険行為上の死亡となって生命保険は下りず、ママはシングルマザーとして朝から晩まで忙しく働くはめとなり、笑い声の消えた家は寂しく、味気のない空間となってしまった。そんな暮らしの中、和真はちょっとしたイジメで心の糸が切れ、不登校になってしまっていた。



 ドタドタと足音がする。



「おっはよぉ――――!」

 ドアがいきなりバーン! と開き、嬉しそうな顔をして幼馴染の芽依めいが突入してきた。

 白いワンピースにダボっとしたグレーのニットを羽織った芽依は、キラキラした笑顔を振りまきながら和真のベッドにダイブする。

「ドーン!」

 可愛い効果音を叫びながら飛び込み、チラッと和真を見上げる。

 寝ぼけ眼の和真は仏頂面で、

「あのなぁ、入るときはノックしろっていつも言ってんだろ!」

 と、芽依をにらんだ。

「だってもう十時よ? いくら日曜だって寝すぎじゃない?」

 ニコニコしながら答える。

「十時でもノックは要るんだけど?」

「……、あら、すごい寝汗。どうしたの?」

 芽依は起き上がって和真の額に手を伸ばすが、和真ははねのけた。

「あー、何でもない!」

 そんな和真をジッとみつめる芽依。そして、背中から優しく和真をハグした。

「またパパさんのこと思い出してたのね……」

 ふんわりと立ち上る甘酸っぱい優しい香りに包まれ、和真はドキッとする。

 そして目をつぶって大きく息をつくと、

「いや、もう、終わった話だから……」

 そう言いながら芽依の手をポンポンと軽く叩いた。

「辛くなったらいつでも芽依に言ってね?」

「……。大丈夫……、ありがとう」

 和真はお転婆ながら自分のことを考えてくれる芽依の優しさに感謝しながら、軽くうなずく。

 そして、ふぅと息をつくと、聞いた。

「で、メタバース教えに来てくれたんだろ?」

「そうそう、仮想現実が今後の社会を変えるからね。和ちゃんも慣れておかなきゃ!」

 芽依はそう言うが、動かない。

「おい、くっついてちゃできないだろ?」

「あら? 君はJKがこんなにサービスしてるのに嬉しくないの?」

 芽依はちょっと不満そうにぎゅっと胸を押し付けてくる。

「サ、サービスって……」

「可愛い幼馴染がいて良かったわねぇ……」

 そう言って和真の耳たぶにふーっと息を吹きかける。

 からかわれてムッとした和真は言い返す。

「サービスって言うのは、もっとバーンとしたふくらみなんじゃないの?」

「フフーン」

 しかし芽依には謎の余裕がある。

「な、なんだよ?」

「君はツルペタの方が好きだって、芽依は知ってるんだなぁ……」

 ギクリとする和真。

「お、お前まさか……」

 和真はつい本棚の方を見てしまい、芽依は嬉しそうに答える。

「まさか何?」

「……。見たな……」

「何を?」

 ニヤニヤする芽依。

 くっ! 和真は思わず顔を両手で覆った。ロリ系の薄い同人誌を本棚に隠しておいたのが見つかったに違いない。しかし、それを口にするわけにもいかない。

 くぅ……。

 いろいろと言い訳を考えてみるが、どんな言い訳も自爆にしかならなかった。

「君は芽依くらいなのが好みなんでしょ?」

「……。ノーコメント!」

 和真は芽依の手を払いのけ、バッとベッドを下りる。そして、真っ赤な顔で芽依を指さして言った。

「ちょっと準備してくるから動くなよ!」

「アイアイサー!」

「人の物を勝手に見るのはプライバシーの侵害だからな!」

「え? 見られちゃ困る物まだあるの?」

「ま、『まだ』ってなんだよ!」

「分かったわよ。もう見ないわ」

 芽依は布団に潜り込み、顔だけ出してうれしそうに笑った。

「全くもう!」

 和真はドタドタと洗面所へと走った。

しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

蘇生魔法を授かった僕は戦闘不能の前衛(♀)を何度も復活させる

フルーツパフェ
大衆娯楽
 転移した異世界で唯一、蘇生魔法を授かった僕。  一緒にパーティーを組めば絶対に死ぬ(死んだままになる)ことがない。  そんな口コミがいつの間にか広まって、同じく異世界転移した同業者(多くは女子)から引っ張りだこに!  寛容な僕は彼女達の申し出に快諾するが条件が一つだけ。 ――実は僕、他の戦闘スキルは皆無なんです  そういうわけでパーティーメンバーが前衛に立って死ぬ気で僕を守ることになる。  大丈夫、一度死んでも蘇生魔法で復活させてあげるから。  相互利益はあるはずなのに、どこか鬼畜な匂いがするファンタジー、ここに開幕。      

校長室のソファの染みを知っていますか?

フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。 しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。 座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る

魔界最強に転生した社畜は、イケメン王子に奪い合われることになりました

タタミ
BL
ブラック企業に務める社畜・佐藤流嘉。 クリスマスも残業確定の非リア人生は、トラックの激突により突然終了する。 死後目覚めると、目の前で見目麗しい天使が微笑んでいた。 「ここは天国ではなく魔界です」 天使に会えたと喜んだのもつかの間、そこは天国などではなく魔法が当たり前にある世界・魔界だと知らされる。そして流嘉は、魔界に君臨する最強の支配者『至上様』に転生していたのだった。 「至上様、私に接吻を」 「あっ。ああ、接吻か……って、接吻!?なんだそれ、まさかキスですか!?」 何が起こっているのかわからないうちに、流嘉の前に現れたのは美しい4人の王子。この4王子にキスをして、結婚相手を選ばなければならないと言われて──!?

チート薬学で成り上がり! 伯爵家から放逐されたけど優しい子爵家の養子になりました!

芽狐
ファンタジー
⭐️チート薬学3巻発売中⭐️ ブラック企業勤めの37歳の高橋 渉(わたる)は、過労で倒れ会社をクビになる。  嫌なことを忘れようと、異世界のアニメを見ていて、ふと「異世界に行きたい」と口に出したことが、始まりで女神によって死にかけている体に転生させられる! 転生先は、スキルないも魔法も使えないアレクを家族は他人のように扱い、使用人すらも見下した態度で接する伯爵家だった。 新しく生まれ変わったアレク(渉)は、この最悪な現状をどう打破して幸せになっていくのか?? 更新予定:なるべく毎日19時にアップします! アップされなければ、多忙とお考え下さい!

あなたの子ですが、内緒で育てます

椿蛍
恋愛
「本当にあなたの子ですか?」  突然現れた浮気相手、私の夫である国王陛下の子を身籠っているという。  夫、王妃の座、全て奪われ冷遇される日々――王宮から、追われた私のお腹には陛下の子が宿っていた。  私は強くなることを決意する。 「この子は私が育てます!」  お腹にいる子供は王の子。  王の子だけが不思議な力を持つ。  私は育った子供を連れて王宮へ戻る。  ――そして、私を追い出したことを後悔してください。 ※夫の後悔、浮気相手と虐げられからのざまあ ※他サイト様でも掲載しております。 ※hotランキング1位&エールありがとうございます!

唾棄すべき日々(1993年のリアル)

緑旗工房
経済・企業
バブル崩壊で激変した日本経済、ソフトウエア産業もまた例外ではなかった。 不況に苦しめられる中小企業戦士の日々を描きます。

婚約破棄された検品令嬢ですが、冷酷辺境伯の子を身籠りました。 でも本当はお優しい方で毎日幸せです

青空あかな
恋愛
旧題:「荷物検査など誰でもできる」と婚約破棄された検品令嬢ですが、極悪非道な辺境伯の子を身籠りました。でも本当はお優しい方で毎日心が癒されています チェック男爵家長女のキュリティは、貴重な闇魔法の解呪師として王宮で荷物検査の仕事をしていた。 しかし、ある日突然婚約破棄されてしまう。 婚約者である伯爵家嫡男から、キュリティの義妹が好きになったと言われたのだ。 さらには、婚約者の権力によって検査係の仕事まで義妹に奪われる。 失意の中、キュリティは辺境へ向かうと、極悪非道と噂される辺境伯が魔法実験を行っていた。 目立たず通り過ぎようとしたが、魔法事故が起きて辺境伯の子を身ごもってしまう。 二人は形式上の夫婦となるが、辺境伯は存外優しい人でキュリティは温かい日々に心を癒されていく。 一方、義妹は仕事でミスばかり。 闇魔法を解呪することはおろか見破ることさえできない。 挙句の果てには、闇魔法に呪われた荷物を王宮内に入れてしまう――。 ※おかげさまでHOTランキング1位になりました! ありがとうございます! ※ノベマ!様で短編版を掲載中でございます。

私、魔王の会社に入社しました-何者でもなかった僕が自らの城を手に入れる日まで-

ASOBIVA
経済・企業
これは、街の小さな工場で働いていたちっぽけな僕が、魔王様と出会って運命を変える物語。 とんでもなく面白くて、そしてシビアな魔物達のビジネスに魅了され、僕は新入社員として魔王様の会社に飛び込んだ。 魔物達からビジネスの薫陶を受け、ときに吐きそうな思いをしながら 学びを重ねていった僕はやがて、一つの大きな決断を迫られることになる。 魔王様は、笑いながら僕に問う。 「さあ、どうする?」 人生を決める選択。そして僕はーーーーー 魔王様の会社で新入社員時代につけていた日報をもとに書き起こした 「僕」の物語をどうぞ最後までお楽しみ下さい! ※本作品は既に完結済みです。2021年7月に集中連載いたします※

処理中です...