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30. 違う、僕じゃない

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 えっ!? まさか……。

 二人に緊張が走る。

 ムーシュを呼んだのも正体を暴くためだったのだろうか? 蒼はゲルフリックに意識の照準を合わせ、罠があるのではないかとあちこちキョロキョロと見まわす。攻撃してくるようなことがあるなら殺す以外ないのだ。

 ゲルフリックは得意げに話し始める。

「Sランク冒険者さ。王国に十数年ぶりに誕生したブラウンの髪をした小娘……。コイツが今、次々と王国に忍ばせたわが軍の工作員を殺している。【蒼き死神】はコイツに違いない」

「えっ? そ、そのSランク冒険者というのは……」

 ムーシュの鼓動が早鐘のように鳴り響き、蒼はそれを感じながらかすかに震える手でムーシュの腕をつかんだ。

「トールハンマーが炸裂した周辺の田舎に暮らしていたあか抜けない田舎娘。名は『ムース』というらしい」

 ん……?

 蒼は首をひねった。どうもゲルフリックは勘違いをしている?

「『ムーシュ』です!」

 田舎娘だの、名前を間違うだの、散々な言われようにムーシュはついカッとなる。

 蒼はムーシュのバカっぷりに慌ててムーシュの脇腹をつねった。

 顔を歪ませるムーシュに、ゲルフリックはバカにしたように言う。

「バカか? お前の名前じゃない。Sランク冒険者の名前が『ムース』なの! 落ちこぼれのお前がSランク冒険者な訳がねーだろ!」

「そ、そうでした……」

 ムーシュはつねられたところをさすりながら頭を下げる。

 やはり情報が間違って伝わっているらしい。Sランク冒険者が【蒼き死神】だという推測は当たらずとも遠からずだったが、それをムーシュだとは見破られていなかった。

「それでお前を呼び出したのは他でもない、お前、このムースを見なかったか?」

「『見なかったか?』って、私はムーシュですよ?」

 頓珍漢トンチンカンな答えをするムーシュに、蒼は頭にきてまたわき腹をつねる。

『バカ! 【ブラウン髪の娘がルシファーを倒したのを見た】って言うんだよ!』

「バカ! お前のことは聞いてねーよ!」

 ゲルフリックもハモった。

 二人にバカ呼ばわりされて一瞬しょぼくれたムーシュだったが、何かを閃いてポンと手を叩いた。

「そうそう! 居ましたよ居ました! ブラウンの髪の美しい乙女がバッサバッサとルシファー様たちをあっという間になぎ倒していったんです!」

「美しい……?」

 ゲルフリックはけげんそうにくびを傾げる。

「それで、私が『やめてくださいぃ』ってみんなをかばったんです」

「お前が……?」

「そうしたら、『お前、いい度胸だな。その度胸に免じてお前だけは生かしておいてやろう。魔王城のアホどもにがこの世界を統一するのだと伝えておけ! ハッハッハ』って笑ってました」

「嘘くせぇな……。お前のことだ『奴隷になりますから命ばかりはお助けをぉぉぉ』って泣いて土下座したんじゃねーの?」

 ついクスッと笑ってしまう蒼。

 ムーシュは真っ赤になって口を尖らせた。

「まあいい。ブラウンの髪の女が【蒼き死神】なのは間違いなさそうだな」

 ゲルフリックは満足げにうなずいた。

 本物を目の前にして偽情報に踊らされるなど、やはり魔王の器には足りないようである。

『コイツが魔王で良かった……』

 蒼はホッと胸をなでおろした。

「用が終わったならムーシュは帰りますよ」

 ムーシュは仏頂面ぶっちょうづらでくるりときびすを返す。

「待て待て待て! これからが本題だ」

 ゲルフリックは咳ばらいをしながらムーシュに向けて手を伸ばした。

「まだ何か……?」

 ムーシュはけげんそうに振り返る。

 ゲルフリックはムーシュの豊満な胸を見つめながら、「いや、そのー。なんだ」と言いよどむ。

 ムーシュはさりげなく蒼の抱き方を変えて胸が見えないようにする。

「なんですか? 早く言ってください」

「今、【蒼き死神】と暴れ龍の対応で忙しいが、落ち着いたら……そのぉ……」

 目を泳がせるゲルフリック。

「落ち着いたら?」

「お前、俺の側室になれ」

 ゲルフリックは顔を赤らめながらムーシュを見つめた。

「は、はぁ!? な、なんで私が!?」

「な、何でだっていいだろ! ぺーぺーのお前が魔王の側室なんて大出世じゃないか! 何が不満なんだ?」

「胸ね……。あなたこの胸を揉みたいだけなんだわ」

 ムーシュはゲルフリックをギロッとにらんだ。

「な、何を言うんだ! ともかく、これは魔王命令だ! 魔王の命令を拒否したら死刑だからな!」

 ゲルフリックはバン! とこぶしで机を叩きつけるとムーシュを指さし、叫んだ。

 ムーシュは驚きのあまり息をのみ、後ずさる。女になることを拒んだだけで殺される、そんな理不尽は魔界でもそうはない。

「し、死刑!? ほ、本気なの……?」

「お前だけじゃない、お前の親族、全員死刑にしてやろう! どうだ? それでもまだ拒むか? くっくっく……」

 ゲルフリックの目は闇に燃え、嗜虐しぎゃく的な笑みをゆっくりとその顔に広げた。彼の舌がゆっくりと唇を這い、その動きは、獲物を前にした肉食獣のように欲望が滲み出ていた。

「くぅぅぅ……。卑怯者!」

 ムーシュは涙を浮かべ、声を震わせながらののしった。

「クハハハ。卑怯者の頂点がこの魔王だからな! 誉め言葉だよ! はは……」

 その時、ゲルフリックの身体がいきなり紫色の光に包まれる。

「えっ!?」

 それはゾッとするほどに熟知している、【即死】​の光。ゲルフリックは力尽きるようにガックリと魔王の重厚な椅子に身を沈め、静かに消失していく。

『ぬ、主様! ありがとうございますぅ』

 ムーシュはキュッと蒼を抱きしめた。

『ち、違う僕じゃない……』

 え……?

 ムーシュは慌てて蒼を見たが、蒼は唇を震わせながら顔が青白く凍りつき、転がり落ちる魔石をただ茫然ぼうぜんと見つめていた。

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