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クリスマス編
93 ジョンと写真とオルゴール
しおりを挟むジョンは部屋の鍵を開けた。
自分の住処に帰ってきた。
何もない殺風景な部屋でも愛着はある。
締め切ったままだった窓を開け放った。
街は大晦日でざわめいている。
夜になったらリジーを連れて港の方まで行ってみるのも良いか。
花火やカウントダウンパーティがあるはずだ……。普通にそんなことを考える。
リジーが桟橋のほうへ行ってみたいと言っていたのを思い出した。
その前にすべてを話すと決めている。
リジーの部屋はひっそりとしていて、まだ仕事から帰って来ていない様子だった。
シャワーを浴び、髭も剃り、しばらくでゆっくり部屋で食事もした。
落ち着くと、ジョンは<スカラムーシュ>の空気も少し入れ替えようと階下へ向かった。
降ろしていたシャッターを押し上げ、中に入る。
店の中の家具やスタンドや雑貨などに白い布が掛けてあり、中は死んだように暗い。
ジョンは次々と布を取り払い、スタンドやランプの灯りを点け始めた。
ここが自分の虹の都だ。
天井につり下げてあるクリスタルのシャンデリア風の照明器具が七色に煌めいた。
ジョンは温かい光の世界に包まれていた。
どこよりも自分を違和感なく迎えてくれるのはこのアンティークたちなのだ。
そして、いつも作業をするテーブルの引き出しの奥からぼろぼろの封筒を取り出す。
中から色のくすんだ写真を出して眺めた。
毎年年末に帰って来て、この写真を眺めるのが常だったが、いつもと違うのは、この写真の笑顔の少女が実際にここで待っていてくれているということだった。
『待ってるね』
リジーがそう言ってくれてジョンは無性に嬉しかった。
リジーの子どもの頃の写真。自分の生きる支えだった。
<エリーゼ 6歳>
写真の裏の懐かしいかっちりとした文字。
『ジョン。きみは、今日からジョン・ジエル・ランザーだ』
フリードは本当の息子のように自分に接してくれた。
そして愛してくれた。
だから、今までも堂々とラストネームを名乗ってきた。
リジーにも最初にこの名前を、伝えなければならなかったのに。
(僕は……)
「ジョン!? 帰ってたんだ! おかえりなさい!!」
振り返るとそこに成長したリジーがいた。
時の流れが現在まで一瞬で飛ぶ。
少女の頃と変わらないこぼれるような笑顔を向けてくれて、手を伸ばして、抱きついて来る。
ジョンは、持っていた写真を落としたことにも気が付かなかった。
温もりのある自分のかけがえのない確かな存在を両腕で強く抱きしめた。
「リジー……ただいま。遅くなってごめん」
「ジョン、会いたかった! ずっと、待ってた。数日なのにすごく長く感じた!!」
背中に回されたリジーの腕に、さらに力が込められた。
「ごめん……」
今、言わなければならない。
「リジー、話を聞いて欲しい」
「うん」
リジーの腕が離れて、自分を見上げている。
その表情は、真剣でせつなくていつものほんわかとした彼女ではなかった。
「僕は……。僕は、ジョン・ジエル・ランザー」
ジョンは誇りを胸にはっきり名前を口にした。
「僕は、きみのお父さんが再婚した女の息子だ。きみの大切なお父さんときみの家族の幸せを奪ったのは母と僕なんだ。ここで最初に会った時に伝えるべきことだったのに、言えなかった。きみが真実を知ったら、僕を恨んで離れて行ってしまうんじゃないかと……それが怖くて今までずっと言えなかった。僕はずるくて弱くて最低の人間だ。今になってこんな大事なことを言う僕は、卑怯だと思う。リジー、本当にごめん。僕はすべてをかけて、きみにこの罪を償うよ」
ジョンを見つめているリジーの瞳が大きく見開かれ、揺れた。
リジーの真剣な瞳が、真実を見極めようとしている。
また、自分の心は奈落の底に沈むのだろうか。
今度は誰の手も届かない底まで。
ジョンの心の中は、何もなくなった。
あの事故の日のように、からっぽになって俯いてただ立ち尽くしていた。
でも、それは一瞬のことだった。心が自力で浮上しようとするのを感じる。
絶望の沼に引きずり込まれるものかと、あがく自分を感じる。
自分は何か変わったのだろうか。
「償うなんて、そんなこと言って欲しくない。欲しいのはそんな言葉じゃない」
リジーが、自分をじっと見つめて唇をきつく結ぶ。
「……リジー……?」
「私、クリスマスの翌日にお父さんのお墓に行ったの」
「え?」
「ポインセチアの花束とジョンのメッセージカードを見たよ」
「……」
ジョンは突然のリジーの話に、息をすることさえ忘れた。
まさか、リジーがこの時期に墓地に行くとは考えていなかった。
(リジーはすでに、僕が話すより先に知ってしまっていたんだ……)
「驚いたし、混乱した。でも……」
リジーはそこで言葉を詰まらせた。瞳が潤んでいる。
ジョンはその姿を見ると、心に氷の杭が刺さった気がした。
「でも、あなたは私のかけがえのない人には変わりない。あなたの心のすべてが私にあるのがわかる。私もあなたのすべてを受け入れると決めたの。だからあなたが誰であろうと関係ないよ。ジョンは私の大切な愛する人だよ」
硬かったリジーの表情が和らいだ。
ジョンにはリジーの言葉の意味が、まだ理解できていなかった。
「私以外の回りの人たちは、みんな知っていたんだよね。お母さんもシンドバッドおじさんも、イムルおじさんだって。みんなジョンがお父さんの息子だって、知ってたのに誰も教えてくれなかった。みんな口がかたいんだから。こっそり教えてくれたって良かったのに。私がもっと早く知っていたら……ジョンがこんなに長く苦しまなくても良かったのに……」
「……リジー」
(僕は許されたのか?)
「ジョン、座って……」
リジーの手が両肩に置かれ、まだ茫然としているジョンはされるがままに横のソファに座る。
「!」
柔らかい布が顔に当たり、ジョンはそこでようやくそこで我に返った。
目の前に立つリジーに、ジョンは抱きしめられていた。
「ジョンは自分とお母さんが加害者で、私とお母さんが可哀想な被害者だと思ってるでしょう? それは違うと思う。恋愛は一方通行では成り立たない。だから立場は同じ。逆だってあり得たと思うよ。お母さんから、お母さんが知ってるジョンのことは全部聞いた。もう、苦しまないで。全部ひとりで背負わないで。ジョンのせいじゃないんだよ! ずっと辛かったね。子供のころはお母さんをずっとひとりで支えて、お父さんができたと思ったら、今度はふたりとも一緒に失って……ひとりになって。でも今はもう、みんないる。サムだって一生縛り付けるって言ってたじゃない……。一生友達ってことだよね。私だって負けないよ。ジョンが嫌でも磁石みたいにくっついて離れないからね」
リジーの胸にぎゅっと頭を抱えられ、ジョンは心に残っていたしこりや氷の杭がすべて溶け、目から流れ出るのを感じた。
リジーの細い身体に腕を回し、自分のすべての感覚で優しい温もりを確かめた。
「本当にきみの胸で泣くなんて思わなかったよ。情けないな」
「情けないジョンも受け止めてあげる」
「きみだってお父さんがいなくて寂しかっただろう? それなのに、こんな僕を許してくれて、想ってくれてありがとう。リジー、僕は幸せだ」
「良かった。幸せだって言ってくれて。許すも何も……罪なんて無い。償いも必要ないんだよ。ただ、私のこと……好きでいて……」
「リジー、……好きだよ」
「欲しかったのはその言葉だけ」
「ただ、きみを愛している」
ジョンはソファから立ち上がり、頬を染めたリジーを今度は自分の腕の中にゆっくり抱き入れた。
自分はまた救われた。
以前と同じように、この温かい彼女に。
♢♢♢
リジーはようやく迷路から抜け出した。
迷路とは言ってもジョンの腕の中で迷っていただけだった気がする。
しばらくジョンの腕の中にいたが、リジーは静かに離れて、床に落ちていた写真を拾い上げた。
自分の子供の頃の古い写真に驚く。
「この写真、私の……」
「あ、落としていたのか。その写真はいつも父さんが使っていた財布から出てきた」
「お父さんはこの写真をずっと持っていてくれたの?」
「そう、父さんが持っていた唯一の写真だった。そして、この写真を見たときからきみは僕の生きる支えだった……きみの笑顔に救われてた」
「……そんなに前からジョンは私の事知ってて、想っていてくれてたんだね」
「ごめん、重い男だろ?」
「そうだね。でも私が軽はずみだから、ちょうどいいよ」
「きみを重みで潰さないようにしないと、嫌われてしまうな」
「変な心配してるし……。大丈夫、潰されないようにかわすから」
リジーは、写真をジョンに戻した。
「そうだ、ジョンに見せたいものがあるの。部屋から持ってくるから待っていてくれる?」
「わかった」
リジーは急いで部屋へ行くと、机に置いていた白いオルゴールを手にした。
そして、また<スカラムーシュ>に戻った。
「ジョン、これを見て」
「それは、きみの家にあったオルゴールの置物だね」
「うん。そう……」
リジーはオルゴールの台座を回転させた。
そして、テーブルの上に置くと、メリーゴーラウンドの木馬が回りだす。
<見果てぬ夢>の美しい旋律と共に。
ジョンが微動だにせず、それに見入っている。
ふたりの想いを乗せ、木馬は回る。
過去、現在、未来がこれからも繰り返されるように。
音楽がゆっくり静かに止まる。
リジーはオルゴールを持ち上げると、台座の裏をジョンに見せた。
<私の愛する娘エリーゼへ 父より>
それを凝視して息を詰まらせるジョンに、リジーは微笑を向けた。
「私には、これがあるから、こっちはやっぱりジョンが持っていて。これはお父さんがジョンにあげた物なんでしょ?」
そして、リジーは自分のコートのポケットから、懐中時計取り出すと、ジョンの手に渡して握らせた。
「リジー」
「お揃いだね。ふたりで持とうよ」
「……わかった。きみがそれで良いなら」
ジョンは戸惑っていたようだが、リジーの言葉に頷いた。
「僕はきみのお父さんを本当の父のように思っていた。大好きだった。物静かだけど朗らかで、人を否定しない。とても優しい人だった。きみによく似ていて……」
ジョンの温かい掌が、優しくリジーの頬に添えられる。
「うん。お父さんも私も、ジョンが大好きだよ! 強いのにちょっと情けない所も、不器用で融通が利かない所も、黒髪も眉も濃い茶色の瞳も、頬も鼻も口も……」
リジーも指でジョンの顔をなぞりながら大好きを伝えて行く。
自分からジョンの髪や顔に触れるのは初めてだった。
まだ見ていたいのに、触れていたいのに、ジョンの顔が近付いてくる。
お互い瞳の奥の深い場所まで見つめあう。
それから気持ちを重ねるように、口づけを交わした。
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