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クリスマス編

89 誰もが願う幸せな日常~前編~

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 クリスマスの後は、どこの店もセール期間が始まる。
 リジーの勤める<フォレスト>もセール品を求めに来る客で賑わっていた。
 仕事に慣れてきたリジーも少しずつ接客を行うようになっていた。

「こんにちは! どのような絵を探していらっしゃるのですか?」

 年配の母親と娘らしいふたり連れが店内に展示してある絵を眺めていたので、頃合いを見計らってリジーは声を掛けた。

「明るい感じの綺麗な花の絵を探してるの」

 母親の方が返事をしてくれた。
 振り向いた顔を見て驚いた。

「え? ウエンディさん!?」
「リジーちゃん、しばらくぶりね。最近うちの前を通らなかったけど、お元気だった?」

 そこにいたのは、リジーがいつも出勤前の散歩コースでよく出会い、言葉を交わしていた近所に住む女性ウエンディだった。

「すみません、ご心配をおかけして。クリスマス休暇だったのと、別の道を開拓したりしてました」
「変わりがないならいいの。良かったわ。こっちは私の娘のシャロンよ」

「こんにちは。リジーです」
「こんにちは。いつも母が話してたのよ。可愛いリスみたいな女の子がうちの前を通るって。本当ね」

 シャロンににっこりと笑いかけられる。
 ウエンディに似た柔らかな物腰の女性だった。

「リス……」

(うわ、私ってやっぱりリスっぽいんだ。チョロチョロ落ち着きがないとか、食べ物で簡単につられる所とか?)

「今日はね、うちのリビングの絵をそろそろ交換しようかと思って見に来たの。明るいお花の絵はあるかしら」
「はい! お花の絵ですね」

 リジーはすぐに頭を切り替えた。

「明るいお花の絵かお花のある庭の絵がいいかなと思ってるの。若々しい感じのね。リビングの壁は白なのよ。今までは抽象画だったんだけど、少し雰囲気を変えたくて……」

 リジーは頷きながら、頭の中である絵を思い浮かべた。

「ご予算が合えば、レスリーの絵はおすすめです。明るくて発色が綺麗な絵で、白い壁にも映えると思います。シルクスクリーンという技法の版画なんですけど、こちらの絵です。サイズはいかがですか? もう少し小さいサイズの作品もあります」

 リジーは、明るいテラスのテーブルの上に色とりどりの花が入った大きな籠が置いてある、鮮やかな色彩の絵を見せた。

「あら、素敵ねえ! でも確かに、壁に合うサイズは調べてこなかったわ。あなたわかる?」

 ウエンディはシャロンに尋ねたが、シャロンが頭を横に振ってみせる。

「う~ん、と、わからないわ」

 よく似た親子は困ったように顔を見合わせた。

「目安になりますので、この絵のサイズを測りましょうか?」
「そうね、それじゃあ、お願いするわ!」

 リジーは、エプロンのポケットからメジャーを取り出すと、手早く絵のサイズを測り、同じようにポケットから出したメモ帳にそれを書いた。

「どうぞ。このサイズですので、おうちの壁でイメージしてみてくださいね」

 作家と作品名とサイズを書いたメモを、リジーはウエンディに手渡した。

「ありがとう、うちに帰って検討してみるわ。また明日来るわね、リジー」
「はい、お待ちしています!」

 リジーはウエンディ親子を笑顔で見送った。



「リジー! ピカソの<鳩>のポスターの箱を持ってきて!」

 すぐにスーザンの声が飛んできた。

「あ、はい!!」

 接客が済んでほっとしてる暇は無かった。
 足早に倉庫へ行く。倉庫に入るとカイルがいた。

「カイルさん、ピカソの<鳩>のポスターの箱を取りに来ました」
「確か右奥あたりだろう」
「はい!」

 リジーは箱置き場の右奥に進んだ。

「何か心配事でもあるのか?」

 カイルが自然に声をかけて来た。

「え? 何もないですけど……」

 リジーは少しドキッとする。

「休み明けからおまえが妙にテキパキしてるから、何かあったかと思った」

 カイルは持っている書類から、目を離さずに無表情で喋っている。

「……っ、勝手に分析しないでください。何もないですよ」

 確かにジョンの事が気になっている。でも、心配事ではない。
 父親の話をするだけだ。今までと接し方が変わるわけでもない、何も変わらないはず。
 何も……。

 リジーはつま先立ちで、箱に手を伸ばしたまま止まった。

(あれ? 手が届かない……踏み台、踏み台と)

「まあ、頑張れ」

 横から腕が伸び、カイルが箱を取り出した。

「ほらよ、箱」

 カイルから箱を渡される。

「あ、ありがとうございます」

 リジーはカイルに礼を言うと売り場に戻った。


♢♢♢


 カイルは背後に視線を感じて振り返る。
 マリサが微妙な表情でカイルを見ている。

「止めろ、俺を憐れむような目で見るな!」
「なんで私たち、なかなかうまく行かないのかしらね」
「おまえと一緒にするな。新しい男はどうした?」
「すでに二股疑惑が……」

 マリサの沈んだ声に、カイルは絶句するしかなかった。

(まあ俺はいいとして、そろそろマリサにも、良い相手が現れても良いんだがな? 運命の相手はまだなのか? 遅れて訪れるなら、その分極上の幸せを頼む。そうでないと、俺の心の平穏が訪れない)

 カイルは姉と自分のため、それとなく運命の神に祈っていた。


♢♢♢


 <フォレスト>の今日の営業は終わった。
 帰ってもひとりだと言うと、リジーはスーザンに食事に誘われた。

 ふたりは駅の近くのカフェに来た。

「リジー、何かあった? 少し様子が変だから」
「ううん、何もないよ。全然、何も」

 自分はよほど顔に出やすいのだろうか。<フォレスト>の人たちが鋭いだけなのか。

「ふ~ん。じゃあ、その後、ジョンとはどうなの?」
「え? どうって……」

 リジーは平静を装おうとした。

「進展はあった? 報告の義務があると思うけど? 色々お手伝いしてあげたでしょ?」
「……母にはジョンの事、認めてもらったよ。クリスマスは一緒にサムの家やうちの実家でも過ごしたし」
「親公認になったんだ。なるほど……で?」
「で?」
「もう、とぼけちゃって。キスの先は?」
「え? な、何も……」

 リジーの平静さはここまでで限界だった。

(なんだか危ない方向へ誘導されてるような……)

「キスだけ?」
「うん……」

 落ち着かなくなって来た。
 スーザンは、身を乗り出すようにしてリジーに接近してくる。

「こういう話は恥ずかしいから内緒だよぉ」

 動揺が隠せない。

「こういう話は女同士だから聞けるのに。応援してるんだよ?」

(応援というか、好奇心? 興味だよね。まだそんなんじゃないのに、もう、帰りたい!)

 リジーは心の中でわめいた。

「じゃあ、彼の<オレンジ>になったら教えてね」
「オレンジ?」
「小学校高学年で見せられた性教育授業の映像、リジーの学校は違った? 覚えてない? 女の人がオレンジを食べるやつだよ。カリフォルニアはみんな同じかと思ってたけど、学年が違うからもう変わってたかな」
「!!!!」

 リジーは自分の口の中が一瞬でカラカラになったのがわかった。

「思い出せたみたいだね。あれはよく考えたよね」

 スーザンに言われ、過去に見た映像を思い出す。冒頭の場面しか覚えていない。
 美しい女性が美味しそうなオレンジを大事そうに手で皮を剥いて、齧り付いて汁をなめたり吸ったり、ただ食べている映像が流れていた。音声も覚えてはいない。
 子供のときは何も思わなかったが、今改めて言われて思い出すと恥ずかしい。

「つまり、彼の恋人になったんだから、彼の<オレンジ>になるのを覚悟しないとね」
「え!? か、か、覚悟って」

(な、な、な、なんてこと言うんだ。スーザンは!!)

「なにを今更そんなに動揺してるのかな? かわいいんだからもう。お姉さんが先に味見してあげる?」

 スーザンはリジーの手をとると、舌を出して舐める仕草をしてみせる。

「…………」

 リジーの思考は完全に停止した。
 その場に固まって、ピクリとも体が動かせなかった。

「冗談よ。しっかり、リジー」

 お姉さんのスーザンはけらけらと笑いながらリジーの手は離したが、成人肉食女子の明け透けな助言はなおも続いた。
 濃厚なアドバイスは毒のようにリジーの脳に浸潤してくる。
 
 それをなんとか受け流し、ぐったりしながらリジーは家路についた。

(もう、無理。お口直しに甘くて軽くてふわふわのハワイアンブレッドが食べたい……)
 


♢♢♢♢♢♢


 ジョンは、どこまでも続く道の先にポツンと見えるガソリンスタンドの看板を目指し、車を……、押していた。
 男ふたりで。

「見ず知らずの俺たちに、手を貸してくれて、助かったよ。ガス欠なんて、スゲーかっこ悪いよなあ。ジョンは細っこい割には力あるよな」

 ジョンのとなりで車を押しているのは、レスラー並みにがっちりした男だった。
 小麦色によく焼けた肌、金茶色の髪、顔に短い髭を生やしたその男は、アランと名乗った。

 アランは、サンディエゴから来たとジョンに告げた。
 運転席でハンドルを握っているのは、妻のオリビアだと紹介された。
 オリビアは華奢で清楚な雰囲気の女性で、アランとは手話を使って会話をしていた。

 男はおもむろにジョンの上腕あたりをガッと掴んで来た。

「お~、なかなか良い筋肉してんじゃねーか。何か鍛えてるのか?」
「いえ、今は大して。学生のころは、空手を少し習っていました」
「空手? なるほど、確かに俺に声をかけてきた時点で、タダ者じゃないと思ってたよ。じゃあ、日系の混血か?」
「……はい。母はアメリカ人ですが、父は……日本人です」
「ほう。俺はこんななりだがな、ばあさんは中国人の血が入ってるんだ」
「そうだったんですか」
「いろんなのが生まれた。兄弟でも全く毛色が違う。妹はおまえみたいに黒髪だ。ジョンは兄弟はいないのか?」
「いません」
「そうか。じゃあ、ガールフレンドはいるか?」
「……」
「あ、悪い悪い、何も妹に丁度良い男をみつけたと思ったわけじゃないぞ」

 アランがワハハと豪快に笑った。
 はっきりと目的を意図した言葉を吐いているのに、とぼけている。
 ジョンは呆れたが、アランのざっくばらんな所は嫌ではなかった。

「僕には大切な女性がいます」
「だよな、男前で体つきも良い。それに親切とくりゃ、ほっとかれないだろうな」
「昔、こうやって、この道を車を押して歩いたんですよ。懐かしさもあって、押してみたくなりました。そんなに親切なんかじゃありません」
「そうか? それにしても、車を押して歩いたのは俺だけじゃなかったんだな。ハハハハハ」
「まあ、あの時は車の故障でしたけどね」

 ジョンの発言にアランは口をつぐんだ。


◆◆◆◆◆◆


 家族3人を乗せた車は、軽快なスピードで広い一本道を走っていた。

『グランド・キャニオンの遊覧飛行のツアーを申し込んである。ラスベガスからひとっ飛びだ。アメリカ人なら実際見ておくべきだぞ、ジョン。壮大な渓谷だ。そしてそこを縫うように流れる雄大なコロラド川、人間がどんなにがんばっても作り出せない自然の彫刻、見事なパノラマだ』

 父フリードがハンドルを握り、後部座席の自分をたまに振り返りながら話していた。
 自分は、話しかけてくるフリードを見ずに、窓の外をずっと眺めていた。

 先ほどまで順調だった車が、急に何かこと切れたように減速して止まった。

『あれ? なんで停まる?』
『フリード? あなたが停めたんじゃないの?』

 助手席の母親も意外な顔をしている。

『私が停めたんじゃない、車が、エンジンが勝手に止まったんだ! おい、どうなってるんだ~っ、こんなところで!!』

 後にも先にも、ジョンが取り乱したフリードを見たのはこのときだけだった。
 だが、すぐに父親は気を取り直した。

『まあ、こんなのは、旅の醍醐味だ。あははは、なんとかなるさ』


◆◆◆◆◆◆


 慌てた様子がリジーに似ていたかもしれない。
 自然とジョンの口角があがる。

「で、スタンドまで親父さんと車を押したのか?」
「さすがに、あの時は、ガソリンスタンドも店も見えていませんでしたから、少しは押して動かしたんですが、諦めて、親切な人が停まってくれるのを待ちました。親切な人はやはりいて、先のガソリンスタンドまで僕たちを乗せていってくれました」
「グランド・キャニオンの遊覧飛行は間に合ったのか?」
「はい、翌日の予約でしたし、思ったよりラスベガス寄りで故障したので大丈夫でした」
「良かったな。人生には多少のトラブルはつきものだ。遊覧飛行かあ、フーバーダムのほうは車で周ったことはあるが、グランド・キャニオンの遊覧飛行は経験したことがなかったな。観光客ばかりの気がしてな」
「確かにそうでしたね」

(人生には多少のトラブルか……)

 アランは笑っていたが、ジョンはまだ笑うことができなかった。

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