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クリスマス編
86 どこか甘い心配の種
しおりを挟むリジーはジョンを見送りに外に出た。
「じゃあ、気を付けてね、ジョン。スピードを出し過ぎたり、運転中に居眠りしたりは絶対だめだからね!」
ジョンを見上げて飛び跳ねるように話す自分が、子供みたいだとふと思う。
「わかってる」
でも、ジョンの甘さを含んだ深い眼差しに、彼にはそうは映っていないようなので安心する。
「ほんとは会えない分のキスがしたいけど、離れられなくなるから、今は我慢する。ここでぐったりされても困るしね」
(別れ際、サラッとなんて事言うのよ~。ジョンたら)
「あ、あれはジョンが加減してくれないから……」
大人しくなって熱を持つリジーの頬に、ジョンの掌が触れる。
(ジョンが日増しに加速度上げて甘くなる……)
リジーは目を閉じてその大きく温かい手に自分のを添える。
(お父さんの手みたいで安心するって言ったらジョンは嫌がるかな。ジョン、うちに泊まりもしないで本当に行っちゃうんだね。ただ車を走らせるだけなの?)
「私ね、ジョンがいてくれて、すごく幸せ」
「僕も怖いくらい幸せだよ。僕の幸せもきみのそばにいてきみの幸せを見ることだから」
「ジョン、ずっとそばにいてね」
「ああ。もちろん」
ジョンに優しく抱き寄せられただけで、心臓の鼓動が大きくなる。
「リジー……、その、シンドバッドさんには気を付けて。できればハグはしてほしくない」
「え? だってシンおじさんはお母さんが好きなんだよ?」
「あの人にはそれとは別の感情があるから……」
「?」
「とにかく、きみは僕以外の男とハグしちゃだめだ。オーナーも含めてね」
「わかった……。ていうか、ジョンは心配性だよ?」
「……」
ジョンが照れたように顔を背け、リジーを静かに離した。
「さあ、家へ入って。きみに見送られるのは寂しいから。また年末に<スカラムーシュ>で会おう」
「うん」
リジーはジョンから言われた通り、車を見送らずに家に入った。
後ろのドア越しにエンジン音が響き、車の走り去る音がした。
(ジョン、待ってるから)
リジーがリビングに戻ると、普通にデイビッドとケイトがソファにいる。
そこにいるデイビッドに違和感がない。すっかり馴染んでいる。
「クロウは行ったのか?」
「うん……」
デイビッドの言葉に、リジーはジョンがいない事が無性に寂しくなった。
「じゃあ、ようやくハグできるな」
デイビッドが待ち構えたようにソファから立ち上がった。
「デイビッド!!」
キャシーの迫力ある声にデイビッドは固まる。
「お目付け役がいるのを忘れてた……」
「あなたはリジーにハグ禁止!」
「どうして? 挨拶なのに~。まだしばらくで会って一度もハグできてない」
「あなたには良からぬ下心があるってジョンから聞いたから!」
「え~? あいつ、キャシーに言ったのか……真に受けやがって。冗談なのに」
「デイビッド、あなたは私で我慢しなさい」
「へ? いいの?」
「その代わり、リジーにはむやみに触れないこと。もうジョンのものなんだから」
「わかったよ。じゃあ、きみは私のものということで、遠慮なく」
と、キャシーに手を伸ばすが、またバチンと叩かれた。
「誰があなたのよ!」
「そんな~」
キッチンへ足を向けるキャシーの後を、デイビッドがすぐに追いかけて行った。
そのドタバタの光景に、ジョンの気配がしなくなったという寂しい気持ちが少しは紛れた。
「シンおじさんのイメージが崩れてきた。なんだか疲れるね。おばあちゃん、大丈夫?」
リジーはなんともいえないむずむずした感じに、ため息を吐く。
「う~ん。前言撤回しようかしら。空気か銅像に徹するしかないわね」
ケイトも呆れ顔だった。
「おばあちゃんが心配~」
リジーはケイトに抱きついた。
「まあ、大丈夫よ。私はもう半分天使みたいなものだから」
ケイトは何やら複雑な家系図になりそうだと、リジーには思いもよらないことを考えていた。
その日は遅くまでデイビッドが予想以上に母キャシーにべったりで、リジーは疲れ果てた。
デイビッドが何かにつけてキャシーの肩を抱いたり、腰に手を回したり、髪や頬や手に触れたり、
子供の前なのに、宣言通り、まったく気にしないらしい。
キャシーも迷惑そうな顔はするものの、結局諦めたのか拒絶はせずに好きにさせている。
絶対母はデイビッドにほだされるとリジーはふんでいる。それも近いうちに。
デイビッドがとろけるように幸せそうな顔をしているから。
自分は祖母のように空気にはなれない。
なので、一緒に過ごしているのがもう恥ずかしくてしかたがなかった。
さすがにキャシーも業を煮やしたようだ。
「せっかくリジーが帰ってきたのに、あなたが張り付いてるせいで親子の会話ができないじゃないの! とっとと部屋へ引っ込んで頂戴!!!」
「わかったよ。リジーごめんよ。おじさんは先にひとり寂しく寝るとするか。キャシー、寂しくなったらあとで私の部屋へ来てもいいよ」
「寂しくなったらリジーの部屋へ行くから。おあいにくさま」
「そうか……。じゃあ、お休み。伯母上、リジー、キャシー」
「おやすみ、デイビッド」
「おやすみなさい、シンおじさん」
「おやすみなさい、デイビッド」
「お休みのキスは?」
「は?」
キャシーに睨まれたデイビッドは、「いいです」と手を振ると背中を丸めてリビングから出て行った。
「お母さん、良かったの?」
「いいの。あの人はすぐ復活してくるから」
「ふーん」
デイビッドの扱いには慣れているような母親のきっぱりした態度に、リジーは感心する。
「私も、先に寝ますよ。お休み、キャシー。リジー」
ケイトもソファからゆっくり立ち上がり、ふたりに頬を寄せる。
「おやすみなさい、母さん」
「おやすみなさい、おばあちゃん」
母娘はリビングのソファに肩を寄せ合い座った。
リジーがあの日、ハーバーシティ行きを宣言したソファに、今またふたりで座っている。
リジーには、あの日が何年も前のような気がした。
「なんだか不思議ね。こうしてまたあなたと座ってるのが夢のよう」
「お母さん、好きにさせてくれてありがとう。ハーバーシティで働くこと許してくれてありがとう。おかげで、私、今すごく充実してるし、すごく幸せ」
「そう、良かった。あなたの幸せが私の幸せよ」
キャシーとリジーはのんびりと話をしながら、クリスマスの夜の続きを親子水入らずで過ごす。
「ジョンも泊まればよかったのに。何も言わないで、行ってしまった。ただ車を走らせてくるとしか言ってくれなかった。本当にそれだけなのかな」
「イムル叔父さんも言ってたわ。ジョンはクリスマスはいくら誘っても泊まらないそうよ。家族のところへお祝いしに行ってるんじゃないかって」
「え? 家族って、もう亡くなってるんでしょ!?」
母の言葉の意味がわからず、リジーは仰天した。
「そうね。だからご両親のお墓に……かしらね」
「両親のお墓の前でクリスマスをお祝いしてるの? 毎年ひとりで?」
「おそらくね」
「うそ……。そんな」
(言ってくれれば、一緒に行ってあげたのに。どうしてひとりでなんか……)
「ジョンは大丈夫。毎年お祝いして、ちゃんと戻って来てるみたいだから」
不意にキャシーに頭を抱き寄せられ、リジーは母の温もりと柔らかさが身にしみた。
涙ぐむリジーは、しばらくそのまま、母の温かさに浸っていた。
(ジョンはひとりで、今冷たい墓地にいるの? 本当に?)
♢♢♢♢♢♢
ジョンは夜の道を、目的地に向かってただ一心に車を走らせていた。
自分は狡くて弱い人間だ。
リジーに愛を囁き、確実に彼女の愛を得てから真実の矢を放とうとしている。
彼女なら、彼女の母親のように許してくれるのではないかと期待してしまう。
だが、甘いかもしれない。
彼女はフリードの血が繋がっている娘なのだから。どうしても、最悪の結末を考えてしまう。
彼女を手放したくない。
彼女と過ごしたこの4ヶ月間は夢のように幸せだった。この思い出だけで、残りの人生を生きて行けるだろうか。
彼女からこうして数日でも離れるのは、あまりの幸せに浮かれている自分を戒めるためでもある。
助手席のポインセチアの花束に目を向ける。
忘れてはならないことがある。
(僕の罪深い家族)
ジョンは、ハンドルをきつく握りしめた。
あたりは異様な静まり方だった。
クリスマスのこんな真夜中に霊園に来る者などいない。
堂々とフェンス代わりの生垣を飛び越え、懐中電灯で周りを照らしながら広い敷地を進む。
夜の霊園はお情け程度の外灯があるだけで、薄暗く何の気配もない。
ジョンの歩く足音と、ポインセチアの花束の包装紙のガサガサという音だけがあたりに響く。
同じような白い墓石が整然と並ぶ中に、ジョンの両親の墓もある。
迷わずたどり着くと、ポインセチアの花束を墓前に置く。
そして、ポケットから小さいメッセージカードを出して、花束の中へ添えた。
腕時計を見ると、11時50分を過ぎたあたりだった。
(メリークリスマス! 父さん、母さん、間に合った。今年も言えた)
たまには姿でも見せて、自分を怖がらせてくれたらいいのに。
ふたりの幽霊なら大歓迎する。
毎年、ふたりの思い出が詰まったクリスマスの時期にこの場所にお参りに来ている。
真夜中なら、ふたりも出てきやすいのではと思う自分が子供じみているのはわかっている。
幽霊でも良いから会いたいと何度思ったことか。
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(母さん、幸せだったね。愛した人と一緒に天国へ行けて。永遠に一緒で離れることのない場所へふたりで行けて)
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(それから、父さん、僕はあなたの娘を愛しています。あなたの分まで生涯愛し、守ると誓います。だから、ずっと彼女のそばにいさせてください。お願いします)
来年のクリスマスもまたここに来る。
リジーが来年もそばにいてくれたら、一緒に来られるだろうか。
真夜中はさすがに嫌だと断られるかもしれない。
ジョンはひとり自嘲的な笑みを浮かべた。
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