チアの本懐

名木雪乃

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チアの本懐

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前半は猫視点、後半は飼い主視点になります。
猫の視点は想像で、人間の思考的に書いています。
あくまでフィクションですが、ペットの死について書いていますので、苦手な方はご注意ください。

――――――――――――――――――――――


※チアの本懐(ほんかい)

 今日もオレは、いつも世話になっている飼い主の森さんの庭に、近所のなかまたちを集めて、生き物の死に方について語っていた。

 オレはおそらく近いうちに死ぬだろう。
 腹の中にガチガチの石みたいな物ができていて、それが日増しに大きくなっている。
 最近はそのせいで体も重く感じるし、やたらとだるい。
 どう死ぬべきかなんて、まだ若くて元気なこいつらに語って聞かせるなんて、オレも随分と年をくったものだ。

 オレが10数年前に森さんに拾われた時は、生まれたばっかりで、やたらと小せえ猫だったから【チア】なんて可愛い名前を付けられた。
 だが、ぐんぐんでかくなって、このあたりの頭になっちまったもんだから、森家のこの庭が集会場所になった。
 多くの猫たちが集まって来て、ニャーニャーガヤガヤとうるさくして悪かったと思ってる。
 まあ、森さん一家はそれをむしろ楽しんでいるようだったが。
 とにかく森さんはこんなオレのことを家族の一員として、大切にしてくれた。



 オレは、お世話になった飼い主に死に際を見せるもんじゃないと思っている。
 死期を悟ったら、姿を消してひとりでひっそりと野垂れ死にたいと思う。
 なぜかそれが生き物の本来の死に方だとオレの中に流れる血が告げてくるのだ。

 オレたち猫と違って、近所の犬たちは家の中で飼われていたり外でも繋がれているから、勝手に姿を消すなんてできない。

 そんな中、隣の家の茶色のシゲは、繋がれているなりに意地を見せた。



『チア、おれはもう飯は食わないから、おまえにやるよ』
 
 隣の家の庭で紐に繋がれて横たわるシゲが、通り抜けようとしていたオレに声をかけてきた。

『なんでだ? 少しでも食べなきゃお前死ぬぞ』
『いいんだ。おれはもうじき死ぬ。十分生きたし、これ以上食べてもしかたがない。だから食べてくれないか? 飯を残すとご主人が心配する』
『……本当に、いいのか?』
『いいんだよ』

 シゲはそれから水を少し舐める程度で、出された飯を一切口にしなかった。
 オレはシゲが心配で、それから少しの間、毎日シゲの家の庭に通って飯を食ってやった。
 シゲはさらに衰弱していった。

 それから少しして、シゲは家の中に移された。
 オレは毎日、庭に面した部屋の窓から、家の中にいるシゲを見舞った。
 相変わらず、力なく、くたりと横になっていた。
 たまに頭を起こしたり、目を開けたりして外を見るくらいだった。
 飯は残されたままになった。
 最後は皿の中にシゲの好物だったリンゴが載せられたようだが、それすらシゲは食べなかった。

 そして、看病していた飼い主がちょっと目を離した隙に、シゲは迷わず逝った。
 いさぎよい見事な死に様だった。



 オレもそれを見習おうと思っている。
 オレにもそろそろ最期おわりが近付いている。

 シゲみたいに病院とかいう場所に連れていかれて、何度も切ったり縫ったりはされたくはない。
 最後まで自由にさせてもらう。

 オレは繋がれていないから、死に場所を探して旅に出る。
 そしてどこかで静かに朽ち果てるつもりでいる。
 実行に移す日を心静かにうかがっている日々だ。

 そんなオレの決意を、庭に集まった仲間たちは静かに聞いてくれていた。

「オレが急に姿を消したら、どこかに死にに行ったと思ってくれ。嘆く必要はねえぜ。後のことは、おまえたちが自分たちで決めるんだぞ。それから、カラスのロクは頼りになるから、仲間にしてやってくれ」

 森さんの家のフェンスまで降りて来ていたカラスのロクを猫たちに紹介した。

 ロクはオレより、ちょっとばかし頭のきれる奴で頼りになった。
 体調が悪くて食べられなかった飯を分けてやっていたら、友達になった。
 オレが流れてきた荒くれ猫にやられそうになっていた時、そいつをつついてオレを助けてくれた。
 そんな情の厚い奴だ。
 オレは、ロクに頼み事をしていた。

「何かの時は、頼らせてもらうぞ。ロク」
「ああ、任せろよ。チア」

 ロクは艶々した黒い羽根をバタつかせて応えてくれた。



♢♢♢♢♢♢


「チア、最近少し痩せたんじゃないか?」

 飼い主の森さんが、部屋のソファの上でまどろんでいたオレの腹に触ろうと手を伸ばしてくる。

《触んなよ!》
 
 オレがニャー!! と威嚇するような声を出すと、森さんは手を引っ込めた。 

「チア? 最近おなかを触らせてくれないね。いったいどうしたんだ?」
 
 森さんがいぶかしげにオレの方を見ている。

「あら、そう?」
「父さん、何か嫌われるようなことをチアにしたんじゃないの?」

 テレビを観ていた奥さんと坊ちゃんにそう言われた森さんが、顔色を変えている。

「いや、嫌がることなんてしてないぞ!! なあ、チア」

 森さんが奥さんと坊ちゃんに白い目を向けられている。

 悪いな、森さん。

 オレは彼らに悟られないように、腹は触らせなくなっていた。
 硬いのがバレるからだ。
 それから、彼らの前ではだるさや痛みがあっても我慢していつも通り過ごした。


 
 必死で耐えた。限界を迎える日まで。

 

 もうさすがに観念する時が来たようだ。

 その日は、気分が良かった。
 森さん一家のそばにずっといた。
 重く硬くなった腹は見せずに、頭と背中だけ好きなだけ触らせた。

「チアは今日はお出かけしないのね? もうおじいちゃんなんだから、落ち着いて家にいていいのよ」

 奥さん、毎日欠かさず飯をくれてありがとう。

「チア、最近全然布団に来てくれないじゃないか。ちょっと寂しいぞ。また一緒に寝て欲しいな」

 森さん、オレを拾って可愛がってくれてありがとう。

「チア、さっき俺の描いた絵をどこにやったんだ? それから絵の具で遊んだろ? 部屋に絵の具をぶちまけて。部屋を掃除するの大変だったんだぞ。美術部の夏休みの課題を描いてたのに。おまえの絵なのに、一体どこへ持ってったんだ? また描き直しだよ」

 悪かったな、坊ちゃん。ちょっとな。

 さっき、坊ちゃんが部屋で何かしていたから、見に行ったら絵を描いていた。
 
 ふてぶてしい猫がゴロンと寝転んでこちらを見ている絵だった。
 オレを描いていると坊ちゃんは言った。
 
 どぶネズミのような色の短い毛。茶色の細い目、口ひげには白いものが混じっていた。
 すでにボロくはなっていたが、赤い首輪だけがやたらと目立つ絵だった。

 これがオレか。なんとも可愛げのない姿だった。涙が出そうだった。


 坊ちゃんも、もう生まれて長いこと経った。
 小さい頃はオレが尻尾を振り回すとキャッキャと喜んでくれたな。
 坊ちゃんは元気なようで、たまにこっそり部屋で泣く。
 そんな時は決まってオレが呼ばれて、泣き止むまでオレの毛並みを撫でてたな。
 オレがいなくなったら困るだろうが、坊ちゃんならきっと大丈夫。
 ひとりでも乗り越えられるようになる。

 こんなオレにずっと良くしてくれて、ありがとう。
 
 森さん、奥さん、坊ちゃん、元気で。


 ロク、あとは頼んだぞ。
 俺がいなくなったら、おまえに預けた俺のあかしを森さんの家の玄関にでも置いておいてくれ。


 その日の夕方、オレは重い体を足を必死で動かしながら、家を出た。




※飼い主の想い


「チア! ごはんよ~! あら、さっきまでうちにいたのに。どこに行ったのかしら」

 母さんがチアのご飯を持って、家の中をうろうろしている。

「チアいないの?」
 
 俺は少し嫌な予感がしたけど、それほど気にしていなかった。

「そうなのよ」
「可愛い雌猫でも見つけたかな?」
「まあ、お父さんたら……」

 その日、夜遅くになってもチアは帰って来なかった。
 たまにチアは帰って来ない日もあったから、その時は俺たちも気にも留めなかった。



 それが2日目、3日目にもなると、さすがに心配になってくる。
 毎日のように、庭に訪れてたむろしていた他の猫たちも通り過ぎるだけで、立ち止まらない。

「チアは賢いから、大丈夫。じきに帰って来るよ。うちの電話番号が書いてある首輪もつけてるし、何かあれば連絡が来るだろう。もう少し様子を見よう」
「父さん、俺、迷い猫のお知らせのポスター作ろうか?」
「そうだな、準備しておいてくれると助かる」
「うん」

 俺はチアの写真を載せた迷い猫のポスターを作り始めた。



 チアがいなくなって1週間目、悠長に構えていた父さんたちもようやく慌て出した。
 
 慌てんのが遅いんだよ! ポスターはもう出来上がってたのに。

 俺たちは、近所の交番やペットショップ、スーパー、コンビニ、郵便局まで迷い猫のポスターを貼ってもらうように頼んで回った。

 チア、帰ってきてくれ!
 チアが見つかりますように。

 俺たちは、チアの毎日の行動を全く把握していなかったことに愕然がくぜんとしていた。
 どこをどう探してよいのか見当もつかなかったのだ。
 やみくもに探してもどうにもならないとわかっていても、俺たちは近所を探し回った。
 途中、犬の散歩で歩いている人たちには必ず声をかけた。
 でも、有力な手掛かりは得られなかった。
 そして、ポスターの効果もないようで、どこからも誰からも何の連絡も無かった。



 いたずらに日数だけが過ぎてゆく。
 あっという間に半年が過ぎていた。

 父さんたちは寂しそうにチアの写真を見たり、ため息を吐いたり、すっかり元気を無くしている。
 
 そんな姿、見てる俺も辛いんだぞ。
 チア、早く帰ってこい!

「チアは自由な猫だったからなあ」
「父さん、なに諦めたようなこと言ってんだよ」

 俺はまだ、諦めちゃいない。
 明日の土曜日には少し遠出をして、チアを探そうと思っていた。



 翌日、俺はバックパックを背負い、リビングにいた両親に声をかけた。

「じゃあ、父さん、母さん、俺、チアを探しにちょっと出掛けてくる!!」
「あまり無理するな。チアはもう見つからない気がする」
「何言ってんだよ、父さん! 俺はまだ探す!!」
「気をつけるのよ」
「わかった」

 父さんと母さんはもう完全に諦めている感じだった。

 絶対探し出してみせる。
 俺は決意を固めて、玄関の扉をガラっと開けた。

「!?」

 え!? なんだ? これは?
 何かぐしゃぐしゃになった紙屑と……赤い、く、首輪!?
 チ、アの……首輪……じゃないか!

 俺は、しゃがんで恐る恐るそれを手に取った。
 それはボロボロになった赤い首輪。
 間違いなくずっとチアがしていた首輪だった。
 爪でひっかいたような傷がいくつもいくつも残っていて、苦労して外した? であろう跡が見える。
 首輪の裏に掠れた文字。
 うちの名前と電話番号がやっとこさ読めた。

 チア、誰かに酷い目にあわされたのか?
 でも、血みたいなものは付着していないし。

 この紙屑はなんだ?

「!!!」

 泥だらけになった紙を開いてみると、そこには……。

 それは……。

 俺が描いたチアの絵だった。
 その紙面には猫の足跡が、黒の絵の具を足の裏に付けて、歩き回ったように、見事に押されていた。

 チア……。おまえ……。

 俺は、その場にひざまずいたまま茫然としていた。


「あれ? 出掛けたんじゃなかったのか?」
「どうしたの? そんな所でうずくまって」

 背後から父さんと母さんの声がした。

「父さん、母さん、チアはきっと、自分から出て行ったんだ……」


 俺は、年甲斐もなく、親の前で泣いた。
 
 チアの残した物を見た父さんたちも、俺以上にボロボロ泣いていた。
 
 チアがいなくなった日、チアの様子がおかしかったことに、気が付くべきだったんだ。
 いつも雨でも外へ出かけるチアが、ずっと朝から家にいて、俺たちのそばにじっとしていた。
 なんとなく違和感があった。その嫌な感は合っていたんだ。

 チアはきっと別れを惜しんでいたんだ。
 チアは……、理由が何かはわからないが、自分の意志で自分から出て行った。
 自分の意志を貫いたんだと思う。


 俺はチアの事を絶対に忘れない。

 
 3人で泣ききると、その日はチアの思い出話をして過ごした。


 そして、チアは俺たちの心の中で、永遠の猫になった。
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