100 / 101
外伝 孤城の敵 A start of the Legend
下 孤城の敵
しおりを挟む
那古野城。
城主・今川氏豊は退屈していた。
特に何もすることが無い。
居ることだけが、今川那古野氏としての氏豊の仕事である。
「ふあ……」
欠伸をしても、誰も咎める者はいない。
海道の覇者たる父・今川氏親の威光のゆえか、それとも、尾張国内において――守護・斯波家と守護代・織田家という海において、その中で佇立する孤城・那古野城にかかわりを持とうなどという面倒を起こしたくないのであろう。
「誰ぞ……」
近侍たちが面を伏せる。
重臣たちも何か用事を思い出したとばかりに、城主の間から出て行く。
「……まだ、麿はまだ何も言うてないというに」
これだ。
いつも、これだ。
氏豊は慨歎した。
氏豊は連歌狂である。
今川という名門に生まれたがゆえに、幼い頃から、和歌に連歌と興じてきた。
これには、母・寿桂尼の存在も大きい。
今川氏親の正室・寿桂尼は、京・中御門家の出身である。
氏豊は末っ子ということもあり、寿桂尼から可愛がられ、連歌もその流れで教えられた。
今となってはその寿桂尼も、父・氏親亡き後の今川家の運営、またこれから自ら政にあたる長兄・氏輝の補佐と、やることが目白押しで余裕がなかったのか、交流が途絶えている。
「致し方ない」
それでは、父・氏親から教えてもらった百舌鳥狩にでも行くか、と腰を上げた時だった。
「織田信秀さま、いらっしゃいました」
「何と」
これには近侍たちも浮足立った。
織田信秀は自身の居城で蹴鞠会を催すほどの、雅の理解者である。
少なくとも、氏豊の認識では、そうだ。
それは氏豊の近侍や家臣たちにも共有されており、信秀の訪いがあると、氏豊は喜び、では蹴鞠なぞしようと城の庭へ誘うのである。
これで、暇を持て余している氏豊の、いつ果てるともない連歌に付き合わなくて済む。
ある重臣などは、口に出して言っていたぐらいだが、そこで、あろうことか、天から雨が降り出してきた。
「嗚呼」
これでは蹴鞠ができない。
せっかくの信秀の訪問も、あえなく終わる。
皆、そう思った。
何しろ、信秀は、蹴鞠はできるが、実は連歌はさほどでもない。
そこが玉に瑕である。
尾張の支配層の代表格、織田家。
その一門に庶流に連なる織田信秀は、斯波家や織田家の本家からすると、「ほど良い距離」にあり、今川那古野氏と接近しても、特に目くじらを立てられることはなかった。
また、駿河の今川本家にしても、尾張の現地とのつながりはある程度保って欲しいという思惑も有り、織田信秀のたびたびの訪問については、特に何も言ってこない。
「尾張と駿河、双方の面目のために……か、そこが付け目よ」
その呟きは誰にも聞かれることはなかった。
氏豊は庭に出て、片手の手のひらを天に向けて、雨滴を受けて、「やんぬるかな」と残念がっている。
その氏豊に、信秀は拝礼しながら言上した。
「こたび、この信秀が参ったのは他でもありません。実は……連歌についてでござる」
*
今川氏豊は狂喜した。
自分が連歌狂であることは知っている。
周囲が、いや誰もがその連歌狂の自分に付き合いたくない、そこまで連歌にのめり込めない、ということも知っている。
それを。
「信秀どの……さ、早よう、早よう」
「は。さすれば……」
もう、何日連歌をしているか分からない。
最初は、さすがにそこまではやらなかった。
けれども、信秀が「今度こそ」と言いつつ、何度も何度もやって来るので、氏豊はついに「互いに音を上げるまでやろう」として、今は限界近くまで歌をひねり出している。
信秀も信秀で、重臣である平手政秀に、「自分が呼ぶまで来るな」と言い置いている。
さすがに信秀を何日も放っておくこともできず、那古野の城外、志賀・田幡のあたりに手勢と共に待機している。
「危険ではありませぬか」
危惧を口にする氏豊の家臣もいた。が、氏豊も信秀に付き合ってもらっているという引け目もあるし、大多数の家臣はせっかく氏豊の相手をしないですむのに、という気持ちなのだ。
……結局のところ、危惧を発言した家臣も何も言わなくなり、なあなあのまま、平手政秀とその手勢は那古野城外に屯したまま、何日か過ぎた。
そしてある日のこと。
「氏豊どの……も、もう結構……というか、拙者、ちと、気分が」
すぐれぬ、と言おうとした信秀は倒れた。
これにはさすがの氏豊も驚き、すぐに城外の平手政秀を呼ぶように、近侍に命令した。
近侍が政秀のいる陣へ向かって少し経つと、今度は家臣が泡を食ってやって来た。
「じょ、城下に、火が」
「何!」
この今川那古野氏・今川氏豊の城、那古野城の城下に火を放つなど、一体誰か。
氏豊が考えをめぐらす暇もなく、城門の方から、「開門、開門」と平手政秀の声が。
主たる信秀の危篤と、城下の火。
さしもの政秀も心穏やかならずであろうと、氏豊はすぐに開門するように、門番をせかした。
門が開く。
「今川氏豊どの、お覚悟」
その声は、だが背後から聞こえた。
気づくと、織田信秀が脇差を抜いて、氏豊の喉に擬している。
「な、な、何を、信秀どの」
「この城をいただく」
「な、な、何ゆえ」
そこで信秀は目を見開いた。
驚いているらしい。
氏豊の問いに答えられない自分に。
「う~ん……言われてみると、どうして城を盗るのだったか」
「オイ信秀」
城を制圧すべく、兵らに矢継ぎ早に指示を下す政秀が、そこであきれたように声を上げた。
「生まれた子の、吉法師(信長の幼名)のためじゃなかったのか、それ」
「それはまあそうだが……改めて考えてみると、吉法師のためといえばためだが……」
氏豊からすると、脇差が喉に迫る中、そのような会話をするな、何でもいいから脇差を何とかしろと言いたいが、政秀の鋭い目線に、何も言えない。
「お。そうだ」
「何だ」
政秀がもはやうるさそうに応じると、信秀は嬉しそうに笑った。
「あの唄だ、あの唄だ。子のためといえばそのとおりだが、まずはおれ自身が、やりたかったんだ、語り草となる、何かを」
子のために「何か」を残したい、それはある。
それはあるが、その「何か」をしたいというのは、そも、何のためか。
まずは己自身が、語り草となる「何か」をしてみたい、やってみたいという気持ちのためではないか。
信秀は、氏豊の問いから、そう思い至った。
悟りと言っても良いかもしれない。
「やれ、嬉しや。氏豊どの、汝のおかげじゃ」
「は、はあ……」
そんなことよりこの脇差を下ろしてくれと言いたいが、氏豊としては、ここで迂闊な真似はできぬと、うなずくしかない。
*
今川氏豊との問答がよほどうれしかったのか、織田信秀は今川氏豊を追放するにとどめた。
「殺さなくていいのか」
とは、平手政秀の言である。
「いいのさ」
信秀は手をひらひらとさせながら応じた。
「へたに殺すと、あとが怖い。さしもの寿桂尼と今川氏輝とて、この尾張にまで兵を差し向けるやもしれぬ」
「…………」
一理ある、と思いつつも、どこか不満そうな政秀の顔。
信秀は政秀の肩を抱いた。
「あとはのう……そうしておいた方が、いざ今川に争乱が起こっていた時に、利があるからじゃ」
「争乱!?」
政秀が驚愕する。
「そうじゃ。今川氏輝、蒲柳の質と聞く。体が弱い。そんな体で、あの今川家を背負う……長くは保つまい」
まただ。
また、勘の良さを発揮している。
政秀が眉をひそめる中、信秀は楽しそうに話をつづける。
「そこへもって、家督争いの争乱がささやかれる最中、氏豊どのを持って行ったら、どうなるか」
「…………」
「……まあ、ああいうお方だ、氏豊どのは家督に興味など持つまいよ。ゆえに」
「京へ行かせたのか」
「そうよ」
今川氏豊は、妻の縁者を頼って、京へ行った。
そこには織田信秀の長広舌による、「駿府へ戻れば、家督を狙うと思われる」という触れ込みがあった。
「まあたしかに……京へ行ってもらった方がいろいろとやり易くはある」
平手政秀がそう云うのは理由がある。
斯波家や他の織田家に対しては、積年の今川の攻勢への仕返しとして。
今川家に対しては、氏豊が尾張国内の「孤城の敵」として存立するのが厭になったとして。
城を預かる言い訳ができるからである。
……守護(斯波家)や守護代(織田本家)は、今川へ意趣返ししたいが、だからといってや表には立ちたくないし、いくさなど御免だ。だから氏豊を「追い出した」かたちにすれば――それも、京へ行ってしまったことにすれば――それは「適度な」範囲での復讐である。
……今川家にとしては、現当主・氏輝とその後継と目される彦五郎の対抗馬となりうる氏豊の立場は微妙である。また、下手に尾張国内の火種となられても、現在の今川家では対応できない。よって、今川那古野氏・氏豊は邪魔というか厄介であり、できれば穏便に消えてもらいたい存在である。
「……それが、都合よく京へ行ってしまった……信秀、これお前が最初からそう描いていたことだろう?」
「ちがうな、政秀」
信秀は、笊から胡瓜を二本取り、一本を政秀に放り投げた。
政秀が器用に胡瓜を手で取ったのを見て、信秀は微笑んだ。
「……まあ、城盗りをしたあとは、穏便に済ませられればいいな、とは思うていたが、そこまで明確にハッキリと描いていたわけじゃない」
「……つまり、出たとこ勝負か、わが主、信秀よ」
「……そこで厭味っぽく『わが主』とか云うな、わが友、政秀よ」
信秀は胡瓜を齧った。
政秀も齧った。
そして思った。信秀は、たしかに明確には絵図面を描いていなかったろうが、おそらく、何通りか、うすぼんやりとだが、「こうすると、こうなるだろう」という程度の考えは持っていたのだろう。
そういう「ゆらぎ」の中から、正解をつかみ取るのが得意の男だ。
「……大した玉だ」
「? 何か云ったか?」
「胡瓜が旨いと云ったんだ」
「そうか」
胡瓜を齧り終えた信秀は、頬杖を突いた。
そして何気なくだが、いつも好んで唄う小唄を口ずさみ、政秀もそれに和した。
――死のふは一定 しのび草には何をしよぞ 一定かたりをこすのよ
唄い終えた信秀は、ふと思い出したように云った。
「そういえば」
「何だ。那古野の城は盗ったものの、領地のこととか、いろいろと忙しいんだ」
「そうだが」
「……云ってみろ」
結局のところ、政秀は信秀に弱い。
眉目秀麗な政秀が凄むと結構な迫力なのだが、信秀は怖れず、云った。
「吉法師の奴、何だか将来、大敵だか大難だかに遭うような気がすると云ってきて……」
そして二人が笊の胡瓜を食べつくす頃には、政秀は吉法師の傅役になることを承服させられていた。
「やれやれ。この忙しいのに」
だが悪い気はしなかった。
この悪い気がしなかったことが、この国の運命を変えていくことになるのだが、この時の織田信秀と平手政秀は、それを知る由もなかった。
【「輿乗の敵」外伝「孤城の敵」 A start of the Legend 了】
城主・今川氏豊は退屈していた。
特に何もすることが無い。
居ることだけが、今川那古野氏としての氏豊の仕事である。
「ふあ……」
欠伸をしても、誰も咎める者はいない。
海道の覇者たる父・今川氏親の威光のゆえか、それとも、尾張国内において――守護・斯波家と守護代・織田家という海において、その中で佇立する孤城・那古野城にかかわりを持とうなどという面倒を起こしたくないのであろう。
「誰ぞ……」
近侍たちが面を伏せる。
重臣たちも何か用事を思い出したとばかりに、城主の間から出て行く。
「……まだ、麿はまだ何も言うてないというに」
これだ。
いつも、これだ。
氏豊は慨歎した。
氏豊は連歌狂である。
今川という名門に生まれたがゆえに、幼い頃から、和歌に連歌と興じてきた。
これには、母・寿桂尼の存在も大きい。
今川氏親の正室・寿桂尼は、京・中御門家の出身である。
氏豊は末っ子ということもあり、寿桂尼から可愛がられ、連歌もその流れで教えられた。
今となってはその寿桂尼も、父・氏親亡き後の今川家の運営、またこれから自ら政にあたる長兄・氏輝の補佐と、やることが目白押しで余裕がなかったのか、交流が途絶えている。
「致し方ない」
それでは、父・氏親から教えてもらった百舌鳥狩にでも行くか、と腰を上げた時だった。
「織田信秀さま、いらっしゃいました」
「何と」
これには近侍たちも浮足立った。
織田信秀は自身の居城で蹴鞠会を催すほどの、雅の理解者である。
少なくとも、氏豊の認識では、そうだ。
それは氏豊の近侍や家臣たちにも共有されており、信秀の訪いがあると、氏豊は喜び、では蹴鞠なぞしようと城の庭へ誘うのである。
これで、暇を持て余している氏豊の、いつ果てるともない連歌に付き合わなくて済む。
ある重臣などは、口に出して言っていたぐらいだが、そこで、あろうことか、天から雨が降り出してきた。
「嗚呼」
これでは蹴鞠ができない。
せっかくの信秀の訪問も、あえなく終わる。
皆、そう思った。
何しろ、信秀は、蹴鞠はできるが、実は連歌はさほどでもない。
そこが玉に瑕である。
尾張の支配層の代表格、織田家。
その一門に庶流に連なる織田信秀は、斯波家や織田家の本家からすると、「ほど良い距離」にあり、今川那古野氏と接近しても、特に目くじらを立てられることはなかった。
また、駿河の今川本家にしても、尾張の現地とのつながりはある程度保って欲しいという思惑も有り、織田信秀のたびたびの訪問については、特に何も言ってこない。
「尾張と駿河、双方の面目のために……か、そこが付け目よ」
その呟きは誰にも聞かれることはなかった。
氏豊は庭に出て、片手の手のひらを天に向けて、雨滴を受けて、「やんぬるかな」と残念がっている。
その氏豊に、信秀は拝礼しながら言上した。
「こたび、この信秀が参ったのは他でもありません。実は……連歌についてでござる」
*
今川氏豊は狂喜した。
自分が連歌狂であることは知っている。
周囲が、いや誰もがその連歌狂の自分に付き合いたくない、そこまで連歌にのめり込めない、ということも知っている。
それを。
「信秀どの……さ、早よう、早よう」
「は。さすれば……」
もう、何日連歌をしているか分からない。
最初は、さすがにそこまではやらなかった。
けれども、信秀が「今度こそ」と言いつつ、何度も何度もやって来るので、氏豊はついに「互いに音を上げるまでやろう」として、今は限界近くまで歌をひねり出している。
信秀も信秀で、重臣である平手政秀に、「自分が呼ぶまで来るな」と言い置いている。
さすがに信秀を何日も放っておくこともできず、那古野の城外、志賀・田幡のあたりに手勢と共に待機している。
「危険ではありませぬか」
危惧を口にする氏豊の家臣もいた。が、氏豊も信秀に付き合ってもらっているという引け目もあるし、大多数の家臣はせっかく氏豊の相手をしないですむのに、という気持ちなのだ。
……結局のところ、危惧を発言した家臣も何も言わなくなり、なあなあのまま、平手政秀とその手勢は那古野城外に屯したまま、何日か過ぎた。
そしてある日のこと。
「氏豊どの……も、もう結構……というか、拙者、ちと、気分が」
すぐれぬ、と言おうとした信秀は倒れた。
これにはさすがの氏豊も驚き、すぐに城外の平手政秀を呼ぶように、近侍に命令した。
近侍が政秀のいる陣へ向かって少し経つと、今度は家臣が泡を食ってやって来た。
「じょ、城下に、火が」
「何!」
この今川那古野氏・今川氏豊の城、那古野城の城下に火を放つなど、一体誰か。
氏豊が考えをめぐらす暇もなく、城門の方から、「開門、開門」と平手政秀の声が。
主たる信秀の危篤と、城下の火。
さしもの政秀も心穏やかならずであろうと、氏豊はすぐに開門するように、門番をせかした。
門が開く。
「今川氏豊どの、お覚悟」
その声は、だが背後から聞こえた。
気づくと、織田信秀が脇差を抜いて、氏豊の喉に擬している。
「な、な、何を、信秀どの」
「この城をいただく」
「な、な、何ゆえ」
そこで信秀は目を見開いた。
驚いているらしい。
氏豊の問いに答えられない自分に。
「う~ん……言われてみると、どうして城を盗るのだったか」
「オイ信秀」
城を制圧すべく、兵らに矢継ぎ早に指示を下す政秀が、そこであきれたように声を上げた。
「生まれた子の、吉法師(信長の幼名)のためじゃなかったのか、それ」
「それはまあそうだが……改めて考えてみると、吉法師のためといえばためだが……」
氏豊からすると、脇差が喉に迫る中、そのような会話をするな、何でもいいから脇差を何とかしろと言いたいが、政秀の鋭い目線に、何も言えない。
「お。そうだ」
「何だ」
政秀がもはやうるさそうに応じると、信秀は嬉しそうに笑った。
「あの唄だ、あの唄だ。子のためといえばそのとおりだが、まずはおれ自身が、やりたかったんだ、語り草となる、何かを」
子のために「何か」を残したい、それはある。
それはあるが、その「何か」をしたいというのは、そも、何のためか。
まずは己自身が、語り草となる「何か」をしてみたい、やってみたいという気持ちのためではないか。
信秀は、氏豊の問いから、そう思い至った。
悟りと言っても良いかもしれない。
「やれ、嬉しや。氏豊どの、汝のおかげじゃ」
「は、はあ……」
そんなことよりこの脇差を下ろしてくれと言いたいが、氏豊としては、ここで迂闊な真似はできぬと、うなずくしかない。
*
今川氏豊との問答がよほどうれしかったのか、織田信秀は今川氏豊を追放するにとどめた。
「殺さなくていいのか」
とは、平手政秀の言である。
「いいのさ」
信秀は手をひらひらとさせながら応じた。
「へたに殺すと、あとが怖い。さしもの寿桂尼と今川氏輝とて、この尾張にまで兵を差し向けるやもしれぬ」
「…………」
一理ある、と思いつつも、どこか不満そうな政秀の顔。
信秀は政秀の肩を抱いた。
「あとはのう……そうしておいた方が、いざ今川に争乱が起こっていた時に、利があるからじゃ」
「争乱!?」
政秀が驚愕する。
「そうじゃ。今川氏輝、蒲柳の質と聞く。体が弱い。そんな体で、あの今川家を背負う……長くは保つまい」
まただ。
また、勘の良さを発揮している。
政秀が眉をひそめる中、信秀は楽しそうに話をつづける。
「そこへもって、家督争いの争乱がささやかれる最中、氏豊どのを持って行ったら、どうなるか」
「…………」
「……まあ、ああいうお方だ、氏豊どのは家督に興味など持つまいよ。ゆえに」
「京へ行かせたのか」
「そうよ」
今川氏豊は、妻の縁者を頼って、京へ行った。
そこには織田信秀の長広舌による、「駿府へ戻れば、家督を狙うと思われる」という触れ込みがあった。
「まあたしかに……京へ行ってもらった方がいろいろとやり易くはある」
平手政秀がそう云うのは理由がある。
斯波家や他の織田家に対しては、積年の今川の攻勢への仕返しとして。
今川家に対しては、氏豊が尾張国内の「孤城の敵」として存立するのが厭になったとして。
城を預かる言い訳ができるからである。
……守護(斯波家)や守護代(織田本家)は、今川へ意趣返ししたいが、だからといってや表には立ちたくないし、いくさなど御免だ。だから氏豊を「追い出した」かたちにすれば――それも、京へ行ってしまったことにすれば――それは「適度な」範囲での復讐である。
……今川家にとしては、現当主・氏輝とその後継と目される彦五郎の対抗馬となりうる氏豊の立場は微妙である。また、下手に尾張国内の火種となられても、現在の今川家では対応できない。よって、今川那古野氏・氏豊は邪魔というか厄介であり、できれば穏便に消えてもらいたい存在である。
「……それが、都合よく京へ行ってしまった……信秀、これお前が最初からそう描いていたことだろう?」
「ちがうな、政秀」
信秀は、笊から胡瓜を二本取り、一本を政秀に放り投げた。
政秀が器用に胡瓜を手で取ったのを見て、信秀は微笑んだ。
「……まあ、城盗りをしたあとは、穏便に済ませられればいいな、とは思うていたが、そこまで明確にハッキリと描いていたわけじゃない」
「……つまり、出たとこ勝負か、わが主、信秀よ」
「……そこで厭味っぽく『わが主』とか云うな、わが友、政秀よ」
信秀は胡瓜を齧った。
政秀も齧った。
そして思った。信秀は、たしかに明確には絵図面を描いていなかったろうが、おそらく、何通りか、うすぼんやりとだが、「こうすると、こうなるだろう」という程度の考えは持っていたのだろう。
そういう「ゆらぎ」の中から、正解をつかみ取るのが得意の男だ。
「……大した玉だ」
「? 何か云ったか?」
「胡瓜が旨いと云ったんだ」
「そうか」
胡瓜を齧り終えた信秀は、頬杖を突いた。
そして何気なくだが、いつも好んで唄う小唄を口ずさみ、政秀もそれに和した。
――死のふは一定 しのび草には何をしよぞ 一定かたりをこすのよ
唄い終えた信秀は、ふと思い出したように云った。
「そういえば」
「何だ。那古野の城は盗ったものの、領地のこととか、いろいろと忙しいんだ」
「そうだが」
「……云ってみろ」
結局のところ、政秀は信秀に弱い。
眉目秀麗な政秀が凄むと結構な迫力なのだが、信秀は怖れず、云った。
「吉法師の奴、何だか将来、大敵だか大難だかに遭うような気がすると云ってきて……」
そして二人が笊の胡瓜を食べつくす頃には、政秀は吉法師の傅役になることを承服させられていた。
「やれやれ。この忙しいのに」
だが悪い気はしなかった。
この悪い気がしなかったことが、この国の運命を変えていくことになるのだが、この時の織田信秀と平手政秀は、それを知る由もなかった。
【「輿乗の敵」外伝「孤城の敵」 A start of the Legend 了】
0
お気に入りに追加
7
あなたにおすすめの小説
校長室のソファの染みを知っていますか?
フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。
しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。
座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る
【短編】輿上(よじょう)の敵 ~ 私本 桶狭間 ~
四谷軒
歴史・時代
【あらすじ】
今川義元の大軍が尾張に迫る中、織田信長の家臣、簗田政綱は、輿(こし)が来るのを待ち構えていた。幕府により、尾張において輿に乗れるは斯波家の斯波義銀。かつて、信長が傀儡の国主として推戴していた男である。義元は、義銀を御輿にして、尾張の支配を目論んでいた。義銀を討ち、義元を止めるよう策す信長。が、義元が落馬し、義銀の輿に乗って進軍。それを知った信長は、義銀ではなく、輿上の敵・義元を討つべく出陣する。
【表紙画像】
English: Kano Soshu (1551-1601)日本語: 狩野元秀(1551〜1601年), Public domain, ウィキメディア・コモンズ経由で
岩倉具視――その幽棲の日々
四谷軒
歴史・時代
【あらすじ】
幕末のある日、調子に乗り過ぎた岩倉具視は(主に公武合体とか和宮降嫁とか)、洛外へと追放される。
切歯扼腕するも、岩倉の家族は着々と岩倉村に住居を手に入れ、それを岩倉の幽居=「ねぐら」とする。
岩倉は宮中から追われたことを根に持ち……否、悶々とする日々を送り、気晴らしに謡曲を吟じる毎日であった。
ある日、岩倉の子どもたちが、岩倉に魚を供するため(岩倉の好物なので)、川へと釣りへ行く。
そこから――ある浪士との邂逅から、岩倉の幽棲――幽居暮らしが変わっていく。
【表紙画像】
「ぐったりにゃんこのホームページ」様より
前夜 ~敵は本能寺にあり~
四谷軒
歴史・時代
【あらすじ】
織田信忠は、本能寺の変の前夜、父・信長を訪れていた。そして信長から、織田家の――信忠の今後と、明智光秀の今後についての考えを聞く。それを知った光秀は……。
【表紙画像・挿絵画像】
「きまぐれアフター」様より
お鍋の方【11月末まで公開】
国香
歴史・時代
織田信長の妻・濃姫が恋敵?
茜さす紫野ゆき標野ゆき
野守は見ずや君が袖振る
紫草の匂へる妹を憎くあらば
人妻ゆゑにわれ恋ひめやも
出会いは永禄2(1559)年初春。
古歌で知られる蒲生野の。
桜の川のほとり、桜の城。
そこに、一人の少女が住んでいた。
──小倉鍋──
少女のお鍋が出会ったのは、上洛する織田信長。
─────────────
織田信長の側室・お鍋の方の物語。
ヒロインの出自等、諸説あり、考えれば考えるほど、調べれば調べるほど謎なので、作者の妄想で書いて行きます。
通説とは違っていますので、あらかじめご了承頂きたく、お願い申し上げます。
寝室から喘ぎ声が聞こえてきて震える私・・・ベッドの上で激しく絡む浮気女に復讐したい
白崎アイド
大衆娯楽
カチャッ。
私は静かに玄関のドアを開けて、足音を立てずに夫が寝ている寝室に向かって入っていく。
「あの人、私が
新木下藤吉郎伝『出る杭で悪いか』
宇治山 実
歴史・時代
天正十年六月二日未明、京都本能寺で、織田信長が家臣の明智光秀に殺された。このあと素早く行動したのは羽柴秀吉だけだった。備中高松城で、秀吉が使者から信長が殺されたことを聞いたのが、三日の夜だといわれている。堺見物をしていた徳川家康はその日に知り、急いで逃げ、四日には自分の城、岡崎城に入った。秀吉が、自分の城である姫路城に戻ったのは七日だ。家康が電光石火に行動すれば、天下に挑めたのに、家康は旧武田領をかすめ取ることに重点を置いた。この差はなにかー。それは秀吉が機を逃がさず、いつかくる変化に備えていたから、迅速に行動できたのだ。それは秀吉が、他の者より夢を持ち、将来が描かける人物だったからだ。
この夢に向かって、一直線に進んだ男の若い姿を追った。
木曽川で蜂須賀小六が成敗しょうとした、若い盗人を助けた猿男の藤吉郎は、その盗人早足を家来にした。
どうしても侍になりたい藤吉郎は、蜂須賀小六の助言で生駒屋敷に住み着いた。早足と二人、朝早くから夜遅くまで働きながら、侍になる機会を待っていた。藤吉郎の懸命に働く姿が、生駒屋敷の出戻り娘吉野のもとに通っていた清洲城主織田信長の目に止まり、念願だった信長の家来になった。
藤吉郎は清洲城内のうこぎ長屋で小者を勤めながら、信長の考えることを先回りして考えようとした。一番下っ端の小者が、一番上にいる信長の考えを理解するため、尾張、美濃、三河の地ノ図を作った。その地ノ図を上から眺めることで、大国駿河の今川家と、美濃の斎藤家に挟まれた信長の苦しい立場を知った。
藤吉郎の前向きに取り組む姿勢は出る杭と同じで、でしゃばる度に叩かれるのだが、懲りなかった。その藤吉郎に足軽組頭の養女ねねが興味を抱いて、接近してきた。
信長も、藤吉郎の格式にとらわれない発想に気が付くと、色々な任務を与え、能力を試した。その度に藤吉郎は、早足やねね、新しく家来になった弟の小一郎と、悩み考えながら難しい任務をやり遂げていった。
藤吉郎の打たれたも、蹴られても、失敗を恐れず、常識にとらわれず、とにかく前に進もうとする姿に、木曽川を支配する川並衆の頭領蜂須賀小六と前野小右衛門が協力するようになった。
信長は藤吉郎が期待に応えると、信頼して、より困難な仕事を与えた。
その中でも清洲城の塀普請、西美濃の墨俣築城と、稲葉山城の攻略は命懸けの大仕事だった。早足、ねね、小一郎や、蜂須賀小六が率いる川並衆に助けられながら、戦国時代を明るく前向きに乗り切っていった若い日の木下藤吉郎の姿は、現代の私たちも学ぶところが多くあるのではないだろうか。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる