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第七部 相剋の戦(いくさ)

41 津々木蔵人(つづきくらんど)

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 織田弾正忠家おだだんじょうのじょうけの重鎮、叔父・織田信光の殺害は、兄・織田信長の指図によるものだった。
 ……少なくとも、織田信行はそう信じた。
 信じてしまった。
 寵臣・津々木蔵人つづきくらんどの口車によって。

 末森城。
 城主の間。

「先手を打つのです、信行さま」

 蔵人によれば、すでに岩倉織田家にも今川義元は手を回しており、信行がつのであれば、「すぐにも味方させよう」と確約したと言う。

「それだけではありませぬぞ、信行さま」

 蔵人の甘言はつづく。
 それは、ただ聞くだけなら悪くない話であるが、何か大掛かりな罠の存在が、その仕掛けがちらついて仕方ないのだ。

「今の守山城主・織田安房守おだあわのかみどの……これを始末する手はずはついておりまする」

「あ、兄をか」

 織田安房守。
 織田信時あるいは秀俊として伝えられる人物である。
 詳細が知られていないので、兄弟関係はあまりよく分かっていないが、織田信秀の次男として伝えられており、そうすると信長と信行のということになるが、おそらくは庶子であるとされる。
 そして、ここで重要なことは、この織田安房守が、信長派とされていることである。

「安房守の年寄衆の角田新五つのだしんご……こちら、同輩の坂井喜左衛門が……正確には喜左衛門の息子が引き立てられ……えらく恨んでいる様子」

 もしや、と信行は思ったが、蔵人の饒舌を止めることはなく、黙っていた。

「……その角田新五が、このたび、城の塀や柵の普請ふしん(工事)を命じられたとのこと。好機でござる」

「こ、好機、とは」

「簡単なこと。普請に乗じて、こちらの軍勢を入れまする」

「何と」

 段取りが、うますぎる。
 あまりにも巧すぎて、このまま乗ってもいいのかどうか、逆に信行は戸惑った。
 戸惑ったが、次の蔵人の一言が、となった。

「やらなくても良うございますが……後になって悔やまれても知りませぬぞ……信長さまに討たれるその時に。あの時、戦っておけば良かった……と」

 信行の手が、故・織田信光の北の方の書状を持つ手が震えた。
 


 弘治二年六月。
 は実行され、角田新五の手引きにより守山城内に「謎の軍勢」が入り、織田安房守は切腹に追い込まれ、果ててしまう。
 そして新五は守山城に籠城し、自立を目指しているかのように見えた。
 これにより、今や、織田弾正忠家の有力者は、信長と信行、ふたりのみとなった。

「……表面上は、角田新五なる者の恨みを晴らすための行動と見える」

 清洲城。
 城主の間にて、織田信長は、守山城の事件の詳細を謀臣である簗田政綱やなだまさつなから聞き出している最中であった。

「しかし」

 信長の隣の帰蝶は憂えた。
 これでは、信長の戦力減である。いかに角田新五の「暴走」とはいえ、守山城にいた織田安房守が死し、城は新五が占拠しているのだ。
 しかもこのままだと、信行側として守山城とその兵力が信長に敵対するかもしれない。

「濃」

 濃とは濃姫であり、帰蝶の愛称である。信長からの。

「濃……については策がある」

「策、ですか」

 ただし守山城の兵力については、しばらくは諦めざるを得ないだろう、と信長は言って、簗田政綱に目配せした。
 政綱は帰蝶に一礼してから、告げた。

「守山城の……元の城主であった、織田信次さま。この方の行方を、つかんでおりまする」

 織田信次とは、信長の叔父である。かつて、萱津合戦において守護又代・坂井大膳が攻めてきたときに、人質となった人物である。
 その後、信次の兄(信長の叔父)・織田信光が那古野城に移ると、その居城であった守山城に信次が入った。
 そこで信次の家来が、信長と信行の弟・秀孝を諍いを起こし、秀孝を射殺してしまうという事件が起きた。
 ……信次は処罰を恐れて逃走して、今に至る。

「……元々、われは秀孝にも非があるとして、不問に付すと言っていた」

「なるほど。であれば、信次さまをこの機に守山城に戻す、と」

 帰蝶は手を打った。
 信長もうなずく。

「そうよ。角田新五なるもの、元は信次の家臣であったと聞く」

 ただし、新五が信行と裏で手を結んでいるとなれば、いかに旧主・織田信次の到来とはいえ、そう易々やすやすと城を明け渡すことは無いであろう。

「まあせいぜい……守山の城が敵に回らなければ良い、そこが落としどころだろう」

 信長は楽観しない。
 そもそも、岩倉織田家という後背の脅威の存在も忘れてはならない。
 岩倉織田家は、あの長良川の戦いに際して、「待ってました」とばかりに信長に対して敵意を示し、具体的には清州城付近の下之郷へ焼き討ちをおこなっている。

「今川義元の差し金であろうが、何とも小憎らしいことよ」

 しかし、信長は諦めない。
 元々、岩倉織田家の織田信安とは親しい間柄であった。

「もしかして……和解に務めようというのですか?」

「ちがう、ちがう」

 帰蝶の思いもかけない方向からの問いに、信長は片目をつぶって否定する。そして説明する。
 岩倉織田家の内情は察しが付く、と言いたいのだ。

「岩倉織田家の織田信安はな、長男の信賢のぶかたを疎んじ、次男の信家を跡継ぎにしたがっているそうだ」

「まるで……どこかで聞いたような話ですね」

「そうだな」

 帰蝶と信長はそろって苦笑する。
 帰蝶の実家、斎藤家では嫡子・義龍が他の兄弟を殺し、父・道三と合戦になった。
 織田弾正忠家では、現在、信長が弟の信行と対立している。

「ま……その辺に付け込む余地がある、と言いたいのだ」

「……ですね」

 むろん、信長は岩倉織田家の内紛発生に期待するだけでなく、仲違なかたがいをしていた犬山城の織田信清(信長の従兄弟)に、姉・犬山殿を嫁がせて、牽制に手を打った。
 織田信清は、岩倉織田家を補佐していた織田信康(織田信秀の弟)の子であり、犬山は岩倉の近くにある。
 信清が信秀と領地をめぐって争いを起こしたこともあり、仲違いしていたが、そこを信長は歩み寄りを見せ、岩倉織田家への抑止力としたのである。

「これで、岩倉織田家への方は、何とかなろう……だが、信行の方を、どうするか」

 信長は悩む。
 帰蝶も悩む。
 そこで帰蝶は思いついた。
 信長と信行の母である土田御前どたごぜんに仲介を頼み、とりあえず話を、と。

「せめて……その津々木蔵人の暗躍を日の目にさらして、母御前ははごぜからも気をつけるよう言ってもらえれば、重畳かと思います」

「……だな。そうすれば、蔵人の動きをある程度抑えることができよう。よし、母者ははじゃふみを書くか」

 現在、土田御前は信行と共に末森城に住んでいる。
 もしかしたら信行の蠢動に関与しているかもしれないが、信長も母の子として頼めば、少なくとも土田御前は清州に来てくれるかもしれない。

 しかし、信長と帰蝶の読みは、甘かった。
 土田御前についてではない。
 信行と……津々木蔵人の動きについて、読みが甘かったのである。



「……篠木三郷を信行が押領だと?」

 押領とは、他者の領地を侵し、年貢などを奪うことを言う。
 篠木三郷は、信長の直轄地である。

「くそっ、何と言うことだ。信行……これではじゃぞ、判っているのかッ」

 兄弟であるという点でも、弾正忠家の相剋になるという点でも、信長と信行のはは避けたいところである。
 切歯扼腕しながらも、信長は家臣の佐久間盛重に命じて、名塚に砦を築かせた。
 信行が篠木三郷に砦を築かせていたからである。
 時に、弘治二年八月二十二日。
 世にいう「稲生の戦い」の、二日前の出来事であった。



 ……津々木蔵人が、信行の背後からささやく。

「岩倉織田家など、所詮しょせんに過ぎませぬ……信行さま」

 信行と信長の戦いを邪魔しなければ、それでいい。
 そして、信行が信長を追い詰めていくに「壁」としてれば、それでいい。
 蔵人はそう言うのだ。

「そ、そうか」

「安心なさいませ」

 蔵人の貼りついた笑顔が、信行の肩に乗る。
 その妖しさに、信行は抗えない。

「この蔵人……実は義元さま、否、太原雪斎さまよりを受けておりまする……と」

 そして蔵人は、信長打倒の軍略を告げる。
 信行には、判らない。
 それが必勝なのかではない。
 こうして、兄・信長と対決することが、本当に良いのかどうか、が。
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