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第六部 梟雄の死
36 長良川の戦い 前編
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帰蝶を抱えた森可成、木綿藤吉、蜂須賀小六が一路、織田信長の軍を目指して疾走している頃。
斎藤道三より京・山崎屋への書状を携えた明智十兵衛が、明智の城に駆けつけるべく、疾駆している頃。
道三は長良川北岸への移動を完了し、南岸に陣を構える一色義龍と対峙した。
あまりにも迅速な移動に、かえって道三の年来の家臣である柴田角内ですら、「もう少々、お待ちになられては」と進言したくらいである。
「不要だ」
道三はにべもなかった。
「さようなことをおっしゃられずに……尾張の織田さまが援軍を……」
「だからだ」
「だから、とは」
「角内よ、長い付き合いのお前だから言うが、今、織田の信長どのを待っていて時間を費やしては、かえって信長どのが進退窮まることになる。わしにはそう思えるのだ」
「…………」
「あの今川義元のこと、きっと何かを策している。尾張に何かが起こる。それでは遅い。今、この時。この時こそ決める。それに信長どのが間に合わなければ、是非もなし。だから……」
角内はあとで思った。
この時の道三は冴えわたっていた、と。
そして覚悟を決めていた、とも。
「だから……われらだけで決めようぞ、このいくさ。何、われらだけで勝てばよいのよ」
*
斎藤道三の進軍のそのあまりの速さに、一色義龍もまたたじろいだ。
しかし、義龍の兵が一万七千五百に比して、道三は二千七百である。
その事実が、義龍に驕りを与える。
「フン、所詮は寡兵よ。小勢よ。竹腰道鎮!」
「はっ!」
「五千の兵を預ける! 先陣を命ずる! 彼奴の首を取れ!」
「先陣、うけたまわって候」
道鎮は麾下五千の兵に円陣を組ませ、そのまま長良川を渡った。
「敵・道三は二千七百! こちらは五千! 倍する兵で押さば勝つ! 押せよ者ども!」
一方、迎え撃つ道三は「こらえよ」と逸《はや》る兵を抑えて、敢えて道鎮の渡河を待った。
「ああいう敵はな」
道三はかたわらに控えた柴田角内に言った。
「ああいう敵はな……やらせるだけやらして……川を渡らせたところを討つのが最上よ」
そのとき、道三はむかし、川を渡ってくる大軍を撃破した戦友の名を思い出したのか、「のう、多治比どの」とつぶやいた。
角内としてはわけがわからないが、古くからの家来としては、厳かに沈黙を守った。
そうこうするうちに、道鎮が渡河を終えて、道三に襲いかかって来た。
「国盗りの奸雄! 覚悟!」
「……角内」
「はい」
道鎮の素槍を、角内の金棒が弾く。
「うぬっ」
「……おおかた、義龍にでも、わしの首を取れと言われたか? そこが浅はかだな」
道三の背後の茂みから、わらわらと将兵が飛び出してくる。
「……こっ、これは」
「あほうが! 狙いが分かっていれば、こういうこともできるわ!」
いつの間にか道三も槍を取ってかまえている。
道三の槍。
それは、遠い間合いの一文銭の穴を狙って穿てるという、驚異の武芸である。
「……参れ!」
「……く、くそっ、こうなったら、囲め、囲めえっ」
道鎮もまた、将兵を呼び寄せて、道三を囲もうとする。
だが、道三の方が素早かった。
「かかれッ! こやつは浮足立っておるッ! 討てッ! 討てッ! 討てえッ!」
道三自らが、槍をしごいて道鎮に突撃する。
それを見た角内らも、喊声を上げて突撃する。
「……ひっ! むっ、迎え撃て、迎え撃て!」
いつの間にか攻守が逆転している。
このあたりの呼吸は、さすがに歴戦の猛者、斎藤道三である。
道三の突撃はすさまじく、竹腰道鎮の兵の円陣を真一文字に切り裂いて、逃げる道鎮に追いすがり、その首を上げることに成功した。
*
「五千の兵が……二千七百の兵に……敗れるだと!?」
一色義龍は動揺した。
こんなことは、今川義元の言葉には無い。
大兵力にて圧し潰せば、勝てる。
義元は、そう言った。
だからこそ、西美濃三人衆をはじめとする、大名小名らを集めた。国人土豪に声をかけた。
「……くそっ、なんだこれは。ちがうぞ。義元どのの言葉に無いッ」
指の爪を噛む義龍を見て、安藤守就あたりは、やはり仕える相手を間違えたか、と思ったぐらいだった。
だが義龍は改めて義元の言葉を反芻する。
「……いや、大兵力にて圧し潰す。これよ、これをまだやり切っておらぬ」
義龍は軍配を掲げ、全軍を進めるよう命じた。
「全軍、渡河せよ! 五千などと出し惜しみしたのが間違いだった! 全軍を以て、彼奴を討つ!」
竹腰道鎮の五千は敗れたが、まだ一万二千余の兵力が控えている。
義龍は自ら陣頭に立ち、その全軍を渡河させた。
渡河を終えると、すぐに襲いかかろうとする道三軍を警戒したのか、義龍はひとりの武者を進み出させた。
武者は叫んだ。
「われこそは一色義龍が臣、長屋甚右衛門! いくさの作法により、一騎打ちを所望!」
「……義龍め、味な真似を」
道三は「時間稼ぎか」とつぶやき、「それも、今川義元の入れ知恵か」と微苦笑した。
そして隣に立つ柴田角内に言った。
「角内」
「はっ」
「今、わしの軍で一の武者はおぬしじゃ。一騎打ちを命ずる」
「安んじてお任せあれ」
角内が金棒をひとつ振って、馬を進める。
「われこそは柴田角内! 斎藤家一の武者なり!」
「応!」
甚右衛門と角内が近づき、一度だけかちりと刀と金棒を軽く打ち合う。
「参る!」
「来い!」
……長良川の戦いが、最高潮を迎える。
斎藤道三より京・山崎屋への書状を携えた明智十兵衛が、明智の城に駆けつけるべく、疾駆している頃。
道三は長良川北岸への移動を完了し、南岸に陣を構える一色義龍と対峙した。
あまりにも迅速な移動に、かえって道三の年来の家臣である柴田角内ですら、「もう少々、お待ちになられては」と進言したくらいである。
「不要だ」
道三はにべもなかった。
「さようなことをおっしゃられずに……尾張の織田さまが援軍を……」
「だからだ」
「だから、とは」
「角内よ、長い付き合いのお前だから言うが、今、織田の信長どのを待っていて時間を費やしては、かえって信長どのが進退窮まることになる。わしにはそう思えるのだ」
「…………」
「あの今川義元のこと、きっと何かを策している。尾張に何かが起こる。それでは遅い。今、この時。この時こそ決める。それに信長どのが間に合わなければ、是非もなし。だから……」
角内はあとで思った。
この時の道三は冴えわたっていた、と。
そして覚悟を決めていた、とも。
「だから……われらだけで決めようぞ、このいくさ。何、われらだけで勝てばよいのよ」
*
斎藤道三の進軍のそのあまりの速さに、一色義龍もまたたじろいだ。
しかし、義龍の兵が一万七千五百に比して、道三は二千七百である。
その事実が、義龍に驕りを与える。
「フン、所詮は寡兵よ。小勢よ。竹腰道鎮!」
「はっ!」
「五千の兵を預ける! 先陣を命ずる! 彼奴の首を取れ!」
「先陣、うけたまわって候」
道鎮は麾下五千の兵に円陣を組ませ、そのまま長良川を渡った。
「敵・道三は二千七百! こちらは五千! 倍する兵で押さば勝つ! 押せよ者ども!」
一方、迎え撃つ道三は「こらえよ」と逸《はや》る兵を抑えて、敢えて道鎮の渡河を待った。
「ああいう敵はな」
道三はかたわらに控えた柴田角内に言った。
「ああいう敵はな……やらせるだけやらして……川を渡らせたところを討つのが最上よ」
そのとき、道三はむかし、川を渡ってくる大軍を撃破した戦友の名を思い出したのか、「のう、多治比どの」とつぶやいた。
角内としてはわけがわからないが、古くからの家来としては、厳かに沈黙を守った。
そうこうするうちに、道鎮が渡河を終えて、道三に襲いかかって来た。
「国盗りの奸雄! 覚悟!」
「……角内」
「はい」
道鎮の素槍を、角内の金棒が弾く。
「うぬっ」
「……おおかた、義龍にでも、わしの首を取れと言われたか? そこが浅はかだな」
道三の背後の茂みから、わらわらと将兵が飛び出してくる。
「……こっ、これは」
「あほうが! 狙いが分かっていれば、こういうこともできるわ!」
いつの間にか道三も槍を取ってかまえている。
道三の槍。
それは、遠い間合いの一文銭の穴を狙って穿てるという、驚異の武芸である。
「……参れ!」
「……く、くそっ、こうなったら、囲め、囲めえっ」
道鎮もまた、将兵を呼び寄せて、道三を囲もうとする。
だが、道三の方が素早かった。
「かかれッ! こやつは浮足立っておるッ! 討てッ! 討てッ! 討てえッ!」
道三自らが、槍をしごいて道鎮に突撃する。
それを見た角内らも、喊声を上げて突撃する。
「……ひっ! むっ、迎え撃て、迎え撃て!」
いつの間にか攻守が逆転している。
このあたりの呼吸は、さすがに歴戦の猛者、斎藤道三である。
道三の突撃はすさまじく、竹腰道鎮の兵の円陣を真一文字に切り裂いて、逃げる道鎮に追いすがり、その首を上げることに成功した。
*
「五千の兵が……二千七百の兵に……敗れるだと!?」
一色義龍は動揺した。
こんなことは、今川義元の言葉には無い。
大兵力にて圧し潰せば、勝てる。
義元は、そう言った。
だからこそ、西美濃三人衆をはじめとする、大名小名らを集めた。国人土豪に声をかけた。
「……くそっ、なんだこれは。ちがうぞ。義元どのの言葉に無いッ」
指の爪を噛む義龍を見て、安藤守就あたりは、やはり仕える相手を間違えたか、と思ったぐらいだった。
だが義龍は改めて義元の言葉を反芻する。
「……いや、大兵力にて圧し潰す。これよ、これをまだやり切っておらぬ」
義龍は軍配を掲げ、全軍を進めるよう命じた。
「全軍、渡河せよ! 五千などと出し惜しみしたのが間違いだった! 全軍を以て、彼奴を討つ!」
竹腰道鎮の五千は敗れたが、まだ一万二千余の兵力が控えている。
義龍は自ら陣頭に立ち、その全軍を渡河させた。
渡河を終えると、すぐに襲いかかろうとする道三軍を警戒したのか、義龍はひとりの武者を進み出させた。
武者は叫んだ。
「われこそは一色義龍が臣、長屋甚右衛門! いくさの作法により、一騎打ちを所望!」
「……義龍め、味な真似を」
道三は「時間稼ぎか」とつぶやき、「それも、今川義元の入れ知恵か」と微苦笑した。
そして隣に立つ柴田角内に言った。
「角内」
「はっ」
「今、わしの軍で一の武者はおぬしじゃ。一騎打ちを命ずる」
「安んじてお任せあれ」
角内が金棒をひとつ振って、馬を進める。
「われこそは柴田角内! 斎藤家一の武者なり!」
「応!」
甚右衛門と角内が近づき、一度だけかちりと刀と金棒を軽く打ち合う。
「参る!」
「来い!」
……長良川の戦いが、最高潮を迎える。
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