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第六部 梟雄の死

33 再会か、邂逅か

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 弘治二年四月。
 後世、長良川の戦いと伝えられる、「一色いっしき義龍范可よしたつはんかの大軍と、斎藤道三入道利政さいとうどうさんにゅうどうとしまさの寡兵の激突が、今、ここに始まろうとしている。
 最初に動いたのは道三で、四月十八日、彼は留守居役の竹中半兵衛に城を託し、鶴山という山に布陣した。
 これに反応して、義龍は明智城へと向けていた兵を返した。
 向かう先は、長良川南岸。
 きっとやって来るにちがいない、尾張の織田信長の援軍を見越しての動きである。
 すると、少数であるが、南方からものすごい勢いで駆けてくる武者たちがいる、との情報が入った。
 それはかつて、今川義元が義龍に言い残した言葉どおりの動きであった。

「さすがは海道一の弓取り、今川義元どの。どおりよ」

 義龍はこの頃には、すっかり義元に心服し切っていた。
 義元は美濃を発つにあたり、義龍に細々とした指示を下し、必要に応じて書簡や使いのやり取りをする、と確約してくれた。
 そして義龍は義元の言葉どおりに行動し、弟たちを始末し、今こうして、「父」道三を追い詰めている。

「……どれ、その武者たちは、おそらく信長の斥候ものみか、それとも使いか」

 放っておいても良いが。
 そう思った義龍だが、何かの気まぐれか、自ら一隊を率いてその武者たちの捕捉に向かった。

「……長井道利ながいみちとしの叔父といい、安藤守就あんどうもりなりといい、最近、予のことをめている節がある。ここはひとつ、予もということを示すか」

 それは、義元の言うことを金科玉条として、彼らに言うことに耳を傾けない義龍に原因があるのだが、誰もそれを指摘する者がいなかったのが、義龍の不幸である。
 いずれにせよ、義龍はその巨体に似合わず素早い馬さばきで、謎の武者たちを追った。
 そして謎の武者たちはわりとあっさりと、義龍の目に捉えられた。

「……ふむ。先を急ぐあまり、周りに目がいっていないと見える。どれ」

 義龍が弓矢をかまえて、容赦なく、先頭を行く緋色の甲冑の武者の首を狙った。

「……ッ」

 緋色の武者は矢に気づくと、振り向きざまに抜刀した。
 だがその刀の前に、最後尾を行く大柄の武者の十文字槍が一閃した。

「この三左さんざ、一生の不覚。ここまで敵を気取られぬとは」

 三左さんざ――森三左衛門可成もりさんざえもんよしなりが、叩き落とした矢を馬に踏ませながら振り向く。

「……そこの! ようもこのお方に対して矢を! わが十文字槍を馳走してくれるわ!」

「……じゃと?」

 六尺五寸の巨体を誇る義龍だが、それをに言われることを嫌った。
 義龍は激怒した。

「ようも言ってくれたわ! 覚悟せい! この一色義龍范可に対して、ようもさような口をいて!」

「……義龍?」

 これは緋色の甲冑の武者の反応である。
 武者は、驚きに目を見開き、そして面頬を取った。

「……あ、兄上……ですか?」

「……ほお?」

 義龍もまた驚きに怒りを忘れ、緋色の武者――帰蝶を見た。

「……これはこれは、わが妹女性にょしょうではないか」

!?」

「……何だ、知らんのか。尾張の奴らは話に疎いな」

 義龍は嘲笑する。そして語った。
 自分の真の父親が、かつての美濃国主・土岐頼芸ときよりなりであったこと。
 そして母親である深芳野みよしのは、足利家名門・一色家の血を引いていたこと。

「……以上により、予と帰蝶、貴様の間に兄妹きょうだいえにしなど、無かった! それゆえ、妹と言うたのじゃ!」

「…………」

 帰蝶が馬上、無言のままでいると、それを見て義龍はさらに、図に乗った。

「どうした? 頭が高い! 予は足利幕府名門、三管領四職さんかんれいししきの家柄、一色家の連枝なるぞ! 控えい! 控えおろう!」

「…………」

 帰蝶は沈黙を保っている。
 森可成は歯噛みし、明智十兵衛は沈痛な面持ちになり、木綿藤吉は何と声をかけてよいものかとおろおろとしている。
 義龍はその様子を見て、率いて来た将兵に目配せで待機を命じながら、ゆっくりと馬を進めた。
 このいつも取り澄ました顔をしていた妹を、否、妹奴を、もう少しからかってやろう。
 今や得意絶頂の義龍は、その嘲りの表情をさらに強めた。

「……どぉうした? お前のその、あの父男に似た顔が気に入らなかった……だが、今やその顔もできなくなったよぉうだなぁ?」

「……らぬ」

「あ?」

 わざとらしく片手を耳にあてる義龍。
 どうせ泣き言か何かだろう。
 せいぜいえてみせろ、負け犬。
 そう思った義龍の耳に、とんでもない言葉が飛び込んで来た。

「……くだらぬ! そう申し上げました! いや、言ってやりました!」

「……何だと?」

「おみゃあの言うことやること、みんな、くだらぬ! そう言うたのが、わからんのきゃあ! この!」

「……なっ、なっ」

 帰蝶が決然として顔を上げる。
 まなじりを決する、という言葉がある。
 目を大きく見開いて、覚悟を表すという意味だ。
 今、まさに、帰蝶はその表情をしていた。

「何だお前その言葉は帰蝶! 尾張弁かそれは!」

うるしゃあうるさい! 黙れ、この!」

 十兵衛は手を打った。このおひいさま、やるわい、と。
 木綿は腹を抱えて笑った。いいぞ、もっとやれ、と。
 可成だけは渋い顔をした。このお方、殿信長に似てきた、と。
 そして帰蝶は止まらない。

「……大体、土岐頼芸さまが父というのなら、土岐と名乗れば良い! それをぃ? おおかた、一色の方がからだろうが! そんななぁ、相手の方が大きいからそっちの餅をくれというわらしと何ら変わらぬ! この餓鬼がきがぁ!」

「が、餓鬼……」

 だんだん、義龍の顔が青ざめていく。
 義龍麾下の将兵たちはどうしようかと戸惑ったが、義龍の八つ当たりを恐れて、沈黙を守った。

「……もういいもういい、おみゃあは一色でいい! その代わり、はこっちがもらうぞ!」

「も、貰うとは」

「そんなんのも判らんのきゃあ? そんなんだからおみゃあは一色なんだ! 何だ出来星の一色が! 一色、何だというんだ! もうおみゃあは一色でいい! 斎藤家から縁切りじゃ!」

「い、一色ごとき……」

 父・道三が必死に国盗りした美濃の守護代・斎藤家を盗るというのなら判る。だが、単に血がつながっているからという理由で一色と名乗ることの、何とくだらないことか。
 帰蝶はそう言い切った。
 義龍はわなわなと震え、押し黙った。

「……行きましょう」

 ようやく冷静になった帰蝶はそう告げると、馬首をめぐらして、駆け出した。十兵衛、木綿、可成らも後につづいた。

 ……遠ざかっていく帰蝶たち。
 その背を見ているうちに、義龍はふとあることを思い出した。
 義龍が再び嘲りの表情を浮かべ、叫ぶ。

「よーく判った、帰蝶! ならばせいぜい斎藤と名乗るがよい! あの男と……だがなぁ!」

 一瞬、帰蝶がびくっと震えたように見えた。

「……せいぜい、あの男と話すが良い! 自分は何者ですか、とな!」

 義龍の哄笑が木霊こだまする中、それでも帰蝶らは速度を落とさず、一路、道三のもとへと向かった。
 そこで帰蝶を待ち受ける真実が何なのかはまだ判らない……。
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