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第四部 陰謀の嵐

25 そして悲劇の幕が上がる

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「叔父上が死んだ?」

 清州城。
 昼下がり。
 織田信長はその一報を、妻の帰蝶の作った湯漬けを食べている最中に聞いた。
 急報あらば、いつ何時でもかまわず話すよう言ってあるためだ。

「木綿よ、たしかにそう伝えて来たのだな、六鹿椎左衛門が」

「さようにござりまする」

 木綿藤吉もめんとうきちは、那古野城の織田信光の家来、六鹿椎左衛門が駆けに駆けて来て、疲労困憊により倒れる前に、それを聞いた。
 信長は椀と箸を置いた。

「出る。すまぬ、濃よ。つづきはあとで食べる」

「かまいませぬ。ことが落ち着くまで、この清州にてお待ちしておりまする」

 濃とは、信長が帰蝶のことをから来た姫と呼んだことからの愛称である。
 帰蝶は、森可成もりよしなり佐々孫介さっさまごすけ(佐々成政の兄)、そして木綿を従えて那古野に発った信長を見送り、父である斎藤道三に書状を書いた。
 三河の足助あすけ方面から今川に圧力をかけてくれている礼と、織田信光急逝の連絡である。
 六鹿椎左衛門が言っている以上、信光については、と思われたからである。



 事の顛末は、こうだ。
 その日、織田信光は北の方(妻)から話がある旨申し出があった。
 ここ最近信光は、新しく居城となった那古野城の普請ふしん(工事)に熱心なため、北の方とは会う機会が無かった。
 そこを、北の方が強引に普請の現場にやって来て「ぜひ話を」と言うのである。

「……分かった、分かった。話は聞く。だがせめて城主の間へ行かせてくれ」

 信光としては、北の方から最近会えないことの恨み言から入るのだろうと思い、せめて人目を避けようとして、城主の間へと誘った。
 だが北の方はそれを拒否した。

「そう言って、いつもお逃げなさる。わたくしはかまいませぬ。ぜひ、ここで」

 その剣幕に、ついに信光が折れた。

「……そうまで言うなら。聞こう」

「では」

 北の方は実家である桜井松平家と東条松平家が、三河の下和田という土地をめぐって争っているという、実はこれまで何度も信光が聞かされていた話を語った。

「……それは聞いておる。それで、わしに何をしろと? 東条松平家の松平義春なら、信長と共に村木砦で負かしたぞ」

 この答えも何度も言っている。つまり信光としては、できることはもうないと考えていた。
 しかし、北の方はちがった。
 彼女は、とんでもないことを言い出した。

「この那古野の城ごと、今川に鞍替えして下され」

「おい、なんてことを言うんだ。滅多なことを言うものではない! だから城主の間へと……」

「ですから、東条松平家との下和田の話、今川義元どのがお裁き下さるのです! であれば……」

 北の方は錯乱気味に叫んでいる。
 信光は埒が明かないと思い、近くにいた侍に、北の方を連れて行くように命じた。
 その侍の名を、坂井孫八郎といった。
 孫八郎はおもむろに北の方に近づき……そしてそのまま北の方のそばを通り抜け……。

「おい、何をしている!」

 それは、信光の叫びか、あるいは普請にあたっていた工夫たちの叫びか分からない。
 いずれにしろ、北の方の周章狼狽ぶりに引きずられるように、さしもの信光も動揺しており、そこに隙があった。
 そこを――孫八郎に乗じられた。

「わが一族、坂井大膳の遺恨、覚えたか!」

 信光は斬られた。
 ちなみに坂井大膳は今川家に逃げおおせており、死んではいない。
 だが、のちに信長が調べさせたところによると……が孫八郎に、大膳は今川家にて冷遇されており、そしてまた、大膳は本当に信光を信友の養子にするように考えていて(清洲城の事件は信友の「暴走」とした)、それが実現していれば、孫八郎は今ごろ「清州城主にして尾張守護代・織田信光」の重臣となれたはずだった、と語ったという。



 信長は那古野城に着いて、すぐに北の方を拘束して、事情を聞いた。
 北の方はまだ錯乱しており、何を言っているのかよく分からなかったが、下手人は周囲の証言もあって、坂井孫八郎であることが分かった。

「追え、三左、孫介、木綿」

 信長のその命令に、森三左衛門可成と佐々孫介、木綿藤吉らは即座に出発した。
 孫八郎の行方は大体見当がついている。
 おそらくは、坂井大膳と同じく今川――三河方面である。
 木綿はかつて、針売りとして尾張、三河を渡り歩いた経験を活かして、孫八郎の逃走経路をいくつか割り出し、可成はそれに基づいて家来を分けて向かわせた。
 そして。

「あそこか」

 孫介が見つけた孫八郎に追いつくと、彼は木陰に隠れて、ぶるぶると震えていた。

「おい」

 可成が声をかけると、孫八郎は「うわあ」と叫んで、「おれは清州に」「重臣に」と口にして抜刀した。

「よせ」

 可成は信長に「追え」と言われており、「殺せ」と言われていないことを充分にわきまえていた。

「いえ、無理です、森さま」

 木綿は、孫八郎の目の様子が尋常ではないと告げた。
 まるで、一向一揆の先陣を切るような、血走った目だった。

「やむを得ん、やれ!」

 孫介の刀が走った。

「ぐ……」

 急所を突かれ、孫八郎はと倒れた。
 可成は合掌してから、孫八郎の体を起こす。
 顔を見る。
 それは、まるで何かにりつかれていたものが落ちたかのような……穏やかな顔であった。

「……どういうことだ?」

「おそらく……が、北の方さまも含めて、いたのでしょう」

 木綿はかつて、一向一揆に勧誘された農民が、次第に次第に阿修羅のごとき暴漢と化すのを見たことがあるという。

「一向宗に対して拙者は含むところはありませんが……いくら何でも、は無いと思いました」

 その一向宗の僧侶にしてからが、懸命に説法しているというだったのだろう。
 しかし、説法の結果、農民は極楽ではなく地獄の獄卒のような有り様へと変じたという。

にさせるという……拙者ごときには言うのもおこがましいですが、仏法というのはそもそも、そのように説法することを何百年、何千年もつづけてきた代物」

「その精髄とでもいうべきか、が孫八郎、北の方に……」

 そこまで言って、可成は口を閉じた。
 孫介、木綿も口を閉じた。
 今、そのが迫っているわけではない。
 その会話の導く先の「答え」が、分かり切っているが、そこから先は主・信長に委ねた方が良いと、皆、思ったからだ。
 可成はやり切れないように、十文字槍をひと振りしてから、言った。

「……帰るか」

 木綿は無言でうなずき、孫介は合掌した。
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