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十七 義隆

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 大内義隆は、夏の安芸の風情に詩情を覚えつつも、そろそろ山口に帰りたいと思いつつあった。

「これが……望郷の念というもの哉」

 末世の道者。
 そう称されることになる義隆だが、この時はまだ十七歳の若者である。
 学もあり、才もある。
 武門の生まれの嫡子として、兵法も学び、今やこうして一軍を率いて敵地、安芸へ来た。
 老臣・陶興房の補佐により、大過なくこれまでの戦いを過ごしてきた。

「しかし、飽いた」

 さすがに素直にそれを口にするのは躊躇われた。
 が、胸中から沸々と湧いてくる、帰郷への、山口への想いは募るばかり。

「京には赴いたことは無いが……山口こそ、にとって京よ」

 のちに、西の京とまで称せられるほど、山口は殷賑いんしんを極める。それはこの大内義隆の手腕というか、思い入れの為せる業である。

「父上のように厳島でもあれば、詩心でもくすぐられようが」

 安芸の山野は悠久であり、それはそれで良いのだが、やはり山口が……と沈思する義隆に、声がかかった。

「若」

「爺か」

 大内家重臣筆頭、陶興房である。興房は、義隆が長滞陣に飽いてきていることを察していた。主君であり、義隆の父である義興からは、合戦の現実を知らしめよと言われているので、敢えて派手な戦いは避けてきた。先の尼子軍の襲撃は、自衛という意味合いが強いので積極的に戦ったが、しょせんは添え物である。大内義隆の別動隊の目的は、飽くまで安芸武田家・佐東銀山城の攻略にあり、それを果たさねば、おいそれと周防山口、あるいは厳島へと戻ることは許されまい。

「…………」

 しかし、興房には、この頼りないながらも人は良く、たまさかに聡明なところがある義隆を気に入っており、不憫にも思えてきた。
 むろん、情だけでなく、これまでの状況を総合的に勘案して、興房はそろそろ潮時だと判断した。

「若」

「なんだ」

「そろそろ、陥としますか」

「何?」

 言っておいて愚問だなと義隆は笑った。この別動隊の目的は重々承知しているし、何よりも興房の視線が向いている先が、佐東銀山城だ。

「陥とせるのか?」

「……実は、尼子の輩、出雲へと退くそうです」

「なんと」

 牛尾幸清と亀井秀綱率いる尼子勢は、先の敗戦以降、戦いこそ挑んで来なかったものの、大内勢から一定の距離を置いた地点に陣を構え、無言の圧力をかけることだけはつづけていた。
 杉や問田が手勢を率いてその尼子の陣へ攻めかけると、抗戦することなしに撤退し、そしていつの間にか別の地点に陣を構えて大内勢への圧力に傾注するのだった。

「出雲からの援軍を待っているのではないか」

 そういう意見も出たが、興房はそれは無いと踏んでいた。
 伯耆一国をものにするのは、そう簡単にはいくまい。
 だから、なけなしの援軍が、牛尾と亀井なのだ。

「……大体、その無言の圧力とやらも、義興さまからすると、術中にあるのも知らず、大儀なことよ」

 興房はほくそ笑んだ。
 大内義隆と陶興房は、飽くまでも別動隊なのだ。
 本隊である、大内義興こそが本命。
 そして義興は、本命である、厳島を席巻しているのだ。

「……佐東銀山城については、陥とせれば良い、と。義興さまのねらいは厳島を押えることにあり、それを果たすための城攻めをせよ、との命じゃ」

 義隆はうなずく。彼にしても、大内家が明との交易で財を成すことが何よりも大事であることを知っている。
 だからこそ。
 明と山口。
 そして山口と堺。
 その中間点たる、そして海上交易の要衝である厳島。

「そこを押さえれば、こたびの戦は、勝ちじゃ」

 そう義興は、義隆と興房に告げていた。
 この合戦において、もっとも激戦が繰り広げられるであろう厳島を、己の本隊の攻略先としたところに、義興の親心があったのかもしれない。

「ありがたき心遣いなれど、若としても忸怩たるものがあるでしょう」

 老臣は老臣で親心を発揮しようとしていた。
 ここまで来れば、佐東銀山城を陥としても、文句は言われまい。
 義隆としては、実はさほどでもないのだが、それでも気遣いを無下にするようなことはしなかった。

「……ふむ。では、尼子の退き陣と共に、攻むるか、彼の城を」

「さよう」

 退き陣を確認してから、翌朝、払暁と共に総攻めでござる、と興房は告げた。
 義隆はしばし黙考していたが、勝てば勝ったで、山口へ帰ることができるかと思い、「興房に任せる」と答えるのだった。



 大永四年八月五日。
 かねてからの嵐の接近を知ったのか、尼子勢はついに退き陣を開始した。
 尼子の将兵は、安芸国人衆が待ってくれ待ってくれという叫びを、まるで聞こえないかのように荷駄をまとめ、最後に牛尾幸清は「進め」と低く言って、馬首を北へ――出雲へ向けた。悄然として。
 亀井秀綱は天を仰ぎ、尼子経久さま、お許しあれと涙を流して、幸清のあとを追ったという。
 一方で残された安芸国人衆は、もう終わりだと悲憤慷慨し、だが三々五々と、それぞれの領地へと足を向けた。
 こうなった以上、それぞれの領地に籠って、嵐――大内家という嵐が過ぎ去るのを待つしかないと、毛利元就が言い出したからである。
 むろん、反対する国人もいた。熊谷信直と香川光景は、主君たる武田光和を捨てることはできないと言い張った。だが、信直と光景以外の国人たちが次々と消えていき、とうとう残るは自分たちだけと悟った信直と光景は、いかにもそそくさとばかりに、その場から立ち去って行った……。

「哀れなるかな」

 呵々大笑するは、陶興房である。
 しょせん、安芸の国人どもは、尼子が来れば尼子に、大内が来れば大内にとなびく柳であると断じた。

「今宵の嵐のごとく、右に左にとなぶられるのが関の山……さて、若、皆の衆、その今宵の嵐が去ったのち、夜明け前に、総攻めじゃ」

 ぬかるまいぞ、と興房はきつく言いつけ、そしてよく休むようにと言いつけ、自身も寝所へと去っていった。

「柳か……」

 一人残った大内義隆はつぶやいた。

「だが、その柳を手折ろうとして、負けたのではなかったのかな? 彼の安芸武田が」

 大内とて、同じことが起こらぬという保証はない。
 義隆はそう思ったが、今さらそれを言ったところで詮無いことである。
 それに。

「負けたとしても……むしろ負ければ、帰れるかな、山口に」

 大内義興の配慮に、息子の義隆は感謝していたが、だが同時に、そのような出来心を生じさせていた。
 ――本気にならなくともいいのだ、と。
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