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破の章 覇者の胸中を知る者は誰(た)ぞ ──中国大返し──

24 そして手番はこの者に

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 ずず、と。
 宗仁そうにんの隠れ家の茶室で、ねねは茶をすすった。
 このところ、胃腸の具合が良くない彼女にとっては、あたたかいお茶が、非常にありがたかった。

「宗仁どの」

「は、はい」

 宗仁は茶碗を取り落としそうになった。

「委細は、先ほど話したとおりです。信長さまは信忠さまを将軍に、と考えておられた。信忠さまが斯波家家督を得ていたからに。一方で明智光秀。これは老齢にて、隠居をと考えておられた。おそらく、その辺が光秀に、光秀は『明智を潰される』と思ったのでしょう」

「は、はい」

 われながら、芸の無い返事だと宗仁は思った。
 そういえば、さっきも同じ言葉を発している。

「……話は戻りますが、それで光秀は謀叛へと踏み切り、宿

「…………」

 織田家当主の常宿の一番である妙覚寺には、当然、事実上の当主である信長がいるはず。
 なら、である本能寺には。

「信忠さまがいるはず、と光秀は読みました。信長さまの思い描いた未来、その中心には信忠さまがいる。

 敵は本能寺にありと叫んだ光秀。
 それは、織田信忠を討つ、という意思表示だった。
 それがまさか織田信長がいるとは思っていなかったであろう。
 ただ、信長は二番目に討つ目論見だったので、信長が妙覚寺に宿していたとしても、運命は変わらなかったかもしれない。
 実際、光秀は妙覚寺にいた信忠を攻めた。
 戦場は妙覚寺から二条御新造(誠仁親王さねひとしんのうの御所)へと移ったが、信忠もついにはたおれた。
 なお、この戦いにおいて、「妙覚寺をやった(信忠を討った)」と叫ぶ足軽がいたが、どうやら虚報、あるいは本能寺の織田勢の意気をくじくためのものらしい。



「……というのが、わたしの想像、あるいは妄想です。いずれにせよ、信長さま、信忠さま共に討たれたことにより、織田家は死命を制せられた。ひるがえって、光秀はどうする?」

「ど、どうするて」

 宗仁はうめく。
 そしておののいた。
 織田家を倒すと決めた光秀。
 だが、自身が織田家という背景があって存立していたことを知っていた。
 おのれの後ろ盾が無いことには、明智は、立ち行かない。
 そこで。

「今さら……織田家の一族の誰かを立てることは、できない……」

 織田家を追い詰めた以上、光秀はもう、織田家の公子(信雄や信孝)を立てられない。一方で、丹羽長秀は信孝を立てられるし、何より羽柴秀吉は養子・秀勝が信長の子だ。

「さりとて今さらともの公方(足利義昭のこと)は立てられない。他ならぬ、光秀自身も、鞆の公方をからに」

 信長による義昭追放時、光秀は織田家の臣としての道を選ぶ。
 つまり、光秀は義昭追放の共犯者だ。

「それに、鞆の公方は毛利の。擁したところで、怨みを晴らし、毛利の掣肘せいちゅうを加えられ、光秀にはいいことなしや」

 そこで、平島公方である。
 平島公方は長宗我部元親の庇護下。元親は、光秀の腹心・斎藤利三の妹を妻としている。

「……いわゆる、道がついた、という奴か」

 織田の、信忠を将軍にという動き。
 期を同じくして、老齢である光秀を隠居させようという動き。
 それはなるべく内密に、そして柔らかに実施されるつもりであったろう。
 だから、信忠を将軍にという話は信忠本人は知っていたが、光秀を隠居にという話は内密にされた。
 特に、光秀から兵を取り上げる話は、下手に聞かれては、抵抗される。
 いや、実際、抵抗された。
 光秀に、
 信長は、そして帰蝶もまさかこんなかたちで抵抗されるとは思っていなかったろう。
 なぜなら、それは老齢の光秀のことをおもんぱかってのことである。
 直談判ぐらいはあるだろうと思っていたが、それでも、二人でこんこんとさとせば、納得を得られると考えていたのではないか。

「ふざけるんや、ない」

 一方の光秀。
 兵権を取り上げられ、林秀貞や佐久間信盛のように「追放」されると知り、明智は地獄だと、はらわたが煮えくり返った。
 ひるがえって織田家は、信忠を将軍に据えるという天国である。
 そこへ信長自身からの京への召喚。
 光秀は考えた。
 これを機に、信忠を討つ。信長を討つ。
 幸い、信忠と信長は、明智の兵をつもりでいるから、兵を持っていない。

「好機や」

 織田を倒したあとのことは、少し考えた。
 何か後ろ盾が無ければ、明智は守れん。
 では、何が。
 足利義昭は一度捨てたから却下だ。
 なら、ちがう足利にすればいい。
 そう、配下の斎藤利三の縁者・長宗我部が押さえている、平島公方の足利に。

「せや、これなら、いける」

 光秀はほくそ笑んだことだろう。



「ではおふくろさま、どうするので?」

 福島正則は飽くまでも実際家だ。
 織田と明智をめぐる思慮と陰謀について、一定の興味を示したが、それは「一定の」であって、のめり込むほどではない。
 正則は、おのが槍の向かう先を知りたい。
 藤堂高虎はそれを見て、今この瞬間においてはそれは正しいが、この乱世、正則がでは危ういな、と思った。

「率直に言えば、どうもできません」

 高虎は茶を噴き出しそうになった。
 今少し、明智のどこそこを当たってみろとか、言えないのか。

「……引き続き、京にて情勢を探るのがせいぜい。というか、ここからはでしょう、が」

 場があたたまってきた。
 やる。
 あの人。
 ねねがそういう相手は、ひとりしかいない。

「できるだけ明智の動静をうかがい、逐一報告すること。そして、明智が兵を率いて向かったら、それについていって探ること。ついに明智がとなったら、もとへ向かうこと。わかりますね?」

「は……はい!」

 思わず子どもの頃に帰って、素直な返事をする正則。
 だが高虎は不審がった。
 あの人の許へ向かうと言っているが、それは一体いつのことだろう。

「高虎、わかりませんか」

 高虎だけでなく宗仁もわからないという手ぶりをした。

「平島公方が出ようが出まいが、いずれにせよ、明智は西に動く。迎える、あるいは引きずり出すために。そこを叩くのです」

「い、いや、それはわかりますが、近江や京にいる明智が大坂へ行くのと、備中高松から大坂へ行くのでは、わけがちがいまする」

「そうですか」

 ねねは不思議そうな表情をした。

「でも、わけがちがうと知っていても、のがです」



「佐吉ィ!」

 播州姫路城に、文字通り転がり込んだ羽柴秀吉は、まず、求める若者にむしゃぶりついた。

「ねねは! ねねは何といって寄越した! 言うてみい言うてみい!」

 備中高松から駆けに駆け、その距離万里に匹敵すると黒田官兵衛はこぼし、崩れ落ちそうになっている。
 だというのに、この男は。
 まるで、今から遊びをしようという童子のように。
 んで。
 ねて。

「佐吉ィ! 言え言えい! はよう!」

 佐吉と呼ばれた石田三成は、こうなることを知っていたのか、澄ました表情と口調で「では申し上げます」と答えたものだった。
 この時追いついた羽柴秀長は血相変えて「人払い人払い!」と怒鳴り、ぐったりする将兵らを連れて、「飯!」と叫んで、そのままくりやへと向かった。
 さりげなく場に残った官兵衛は周囲を警戒しつつも、三成の報告のにあずかることにした。
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