上 下
15 / 39
破の章 覇者の胸中を知る者は誰(た)ぞ ──中国大返し──

15 長浜城攻防戦

しおりを挟む
 長浜城、城門前。
 福島正則が怒号と共に突進する。
 阿閉貞征あつじさだゆきはその予想外の速さにとする。
 そして悩んだ。
 今、目の前にいる騎馬武者姿のねねか、怒髪天の正則か。

「……くっ」

 思えば城主など、討ったところで手柄にならぬ。
 それに、留守居役の城将を討つならともかく、城主夫人など、どうせ
 それが、貞征の認識だった。
 そしてそれに従い、馬首を返して、正則と対峙する。

「しゃらくさい若造めが!」

 貞征の槍が繰り出される。
 正則もまた槍を繰り出し、二人の槍は激突する。

「死ね! 盗っ人野郎!」

「口ばかりが!」

 正則の槍がね、飛んでいく。
 貞征はしてやったりとほくそ笑む。
 が、その隙に正則は貞征の脇を通り抜け、そしてそのままねねのそばへとせ参じた。

「……孺子こぞうッ!」

 今度はとほぞを噛む貞征。
 だが、と思い直す。
 形勢が有利なことは、変わりない。
 よくよく考えれば、の城主夫人と、頭に血がのぼった若造が群れただけだ。
 このまま、揉み潰せばよいだけのこと。
 それが万一かなわなくとも、それはそれで、当初の予定通り、長浜城を奪取すれば良いだけのこと。

「かかれ!」

 阿閉貞征が麾下の兵に命を下す。
 突撃せよ、と。



 一方のねねは落ち着き払っていた。
 冷静に「市松、これを」と代わりの槍を渡して来たくらいに。
 福島正則としては頼もしい限りだが、もう少し心配してもらいたい気もする。
 この「おふくろさま」は、時に、いや常に豪胆で、大人しくしてほしい。
 そう思う正則が、うしろに下がってくれと言おうとした、その時だった。
 狼煙が上がった。
 これこそ、石田三成が、片桐且元らの「群れ」が、無事逃げおおせたと知らせる合図である。
 それを見たねねが言う。

「市松……いやさ正則」

「何でしょう、おふくろさま」

「思い切り、やってやりなさい」

「…………」

 正則は、ねねの前でなければ哄笑するところだった。
 わかっている。
 この「おふくろさま」は、わかっている。
 福島正則が今、一番欲しい言葉をわかっている。

「フ……」

 つい、軽い笑いが洩れた。
 だが気にしない。
 これからやることの面白さを考えれば、笑うしかない。

「ようし! おみゃあら! 出て来い!」

 ぎぎ、と長浜城の大手門が開き、中から福島隊が飛び出してくる。
 この福島隊は、実は片桐且元らが安全圏に到達するまでに何かあらば、それを援護するために、ずっと控えていたのだ。
 そして、その片桐且元の指揮する片桐隊が、老人や女子どもの弱者の「群れ」を守る盾ならば。
 この福島正則の率いる福島隊は、剣だ。
 これから未来へ、希望へと進むねねを守り、その道を切り開く、剣だ。

「思い切り行くぞ! その後はにせよ! 行け!」

 まず正則が単騎、正面突破を図る。
 そのきりのように鋭い攻撃は、阿閉軍に、穴を開けた。
 ついで、正則が開けた穴に、福島隊の連続攻撃が。

「おらあっ! この福島正則の渾身の攻めを受けて見ろおっ!」

「うっ」

「ぐわっ」

 正則がその猛将ぶりを遺憾なく発揮して、阿閉軍はどよめいた。
 どのどよめきの間にも、正則は進む。
 数多の将兵たちの中を。
 さながら、無人の野を行くように。

「おふくろさま! さ、早く!」

「ええ」

 ねねが進む。
 止めなければ。
 阿閉貞征は、一瞬、そう思ったが、すぐに考えを改めた。
 あの福島正則とねねが出ていってしまえば、長浜は空城。
 空城を拾ってしまう。
 これほど、楽なことはない。

「……むしろ、あの剣呑な若造と城主夫人には、行ってもらった方がよいか」

 貞征はあごに手をやってほくそ笑む。
 正則とねねがどこに行くつもりか知らんが、この近江はもはや明智の領地。
 どこへ行っても、敵だらけ。

「……よし」

 貞征は手ぶりで合図し、将兵を集結させた。
 そしてそのまま、城へ向かうよう促す。
 正則らを追うべきではという進言はあったが、そのようなこと、雇われの足軽らにやらせておけとどやしつけた。

「落ち武者狩り、拾い首は奴らの得意ぞ」

 そのような武士の風上に置けぬ振る舞いなど、足軽雑兵にやらせておけば良いのだ。

「では、行くぞ! 城は貰った!」

 ……阿閉貞征の判断は間違っていなかった。城取りという意味では。
 だが明智光秀の「これから」という意味では、貞征が最初に感じた「止めなければ」が合っていたことになるのだが、この時の彼には、それを知るよしも無い……。



 長浜城外。
 ねねと福島正則の二人は、阿閉貞征の軍勢を振り切り、横に琵琶湖を眺めながら、馬を走らせていた。
 もう周りには誰もおらず、今、騎乗している二人の姿しか見えない。

「あいつらは大丈夫かなぁ」

 正則はひとりごちる。
 あいつらとは、福島隊の武士や足軽たちである。
 彼らはすでに、彼女たちから離れ、それぞれの「目指す場所」へと散っていった。

「大丈夫でしょう」

 ねねは受け合う。
 福島隊の面々、つまり長浜城の戦闘要員たちは、事前に石田三成が選び依頼していた寺院のそれぞれに身をひそめることになっていた。
 三成は前身が寺の小坊主である。
 その伝手を使ったのだ。

「……ま、そりゃそうじゃが」

 正則は頬をく。
 あの生意気な三成の才を認めたくないが、ここは認めるしかない。
 だけど悔しい。
 そんな照れが、頬を掻かせた。

「しかしおふくろさま」

 正則はその伸ばしているひげをぶるぶると震わせる。

「阿閉の兵の大半は振り切ったが、野伏のぶせりやら足軽やらに追わせてきましょう。気を抜かないでいただきたい」

「……わかった」

 そうでなくとも、ここ近江は、今や敵地。
 明智あるいは明智に従う大名小名、地侍。
 数多あまたいるそれらをかわし、忍び、目指すはみやこ
 そここそが、敵、明智光秀の本拠地。
 そこに行けば、はっきりとわかるだろう。

「…………」

 最初は炎上する本能寺から逃げ出すことに必死だった。
 だが、逃げているうちに、人に話しているうちに。
 ねねの中で、本能寺の変の真相、とまではいかないが、その裏事情が見えかけて来ていた。

「それを確かめるため、京に」

 その道のりは、やがて中国より返してくるであろう、夫・秀吉の力となろう。
 そしてそうすることにより、大恩ある信長と帰蝶に、いくばくかなりとでも、報いるのだ。

「…………」

 ねねの手綱を握る手に、力がこもった。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

夜の終わりまで何マイル? ~ラウンド・ヘッズとキャヴァリアーズ、その戦い~

四谷軒
歴史・時代
【あらすじ】 オリヴァーは議員として王の暴政に反抗し、抵抗運動に身を投じたものの、国王軍に敗北してしまう。その敗北の直後、オリヴァーは、必ずや国王軍に負けないだけの軍を作り上げる、と決意する。オリヴァーには、同じ質の兵があれば、国王軍に負けないだけの自負があった。 ……のちに剛勇の人(Old Ironsides)として、そして国の守り人(Lord Protector)として名を上げる、とある男の物語。 【表紙画像・挿絵画像】 John Barker (1811-1886), Public domain, ウィキメディア・コモンズ経由で

待庵(たいあん)

四谷軒
歴史・時代
【あらすじ】 千宗易(後の利休)は、山崎の戦いに臨む羽柴秀吉から、二畳の茶室を作るよう命じられる。この時代、茶室は三畳半ぐらいが常識だった。それよりも狭い茶室を作れと言われ、宗易はいろいろと考える。そして、秀吉の弟・羽柴秀長や、秀吉の正室・ねねに会い、語り、宗易はやがて茶室について「作ったる」と明言する。言葉どおり完成した茶室で、宗易は茶を点て、客を待つ。やって来た客は……。 【表紙画像】 「ぐったりにゃんこのホームページ」様より

年明けこそ鬼笑う ―東寺合戦始末記― ~足利尊氏、その最後の戦い~

四谷軒
歴史・時代
【あらすじ】 南北朝時代、南朝の宰相、そして軍師ともいうべき、准后(じゅごう)・北畠親房、死す。 その兇報と共に、親房の臨終の言葉として、まことしやかに「その一言」が伝わってきた。 「年明けこそ鬼笑う」――と。 親房の最期の言葉は何を意味するのか―― 楠木正成、新田義貞、高師直、足利直義といった英傑たちが死し、時代は次世代へと向かう最中、ひとり生き残った足利尊氏は、北畠親房の最期の機略に、どう対するのか。 【登場人物】 北畠親房:南朝の宰相にして軍師。故人。 足利尊氏:北朝の征夷大将軍、足利幕府初代将軍。 足利義詮:尊氏の三男、北朝・足利幕府二代将軍。長兄夭折、次兄が庶子のため、嫡子となる。 足利基氏:尊氏の四男、北朝・初代関東公方。通称・鎌倉公方だが、防衛のため入間川に陣を構える。 足利直冬:尊氏の次男。庶子のため、尊氏の弟・直義の養子となる。南朝に与し、京へ攻め入る。 楠木正儀:楠木正成の三男、南朝の軍事指導者。直冬に連動して、京へ攻め入る。 【表紙画像】 「きまぐれアフター」様より

幕末短編集 ~生にあがく人たち~

四谷軒
歴史・時代
【あらすじ】 (第一章 真新しい靴がステップ ~竜馬、寺田屋にて遭難す~) 慶応2年1月23日(1866年3月9日)深夜2時、坂本竜馬とその護衛の三吉慎蔵は、寺田屋に投宿していたが、そこを伏見奉行の捕り方に襲撃される。 辛くも寺田屋の外へと逃れる竜馬と慎蔵だったが、竜馬が負傷により動けなくなり、慎蔵は決死の覚悟で伏見薩摩藩邸へと走る。 慎蔵は薩摩藩邸の手前まで来たところで、捕り方に追いつかれてしまう。 その時、藩邸から、ひとりの男が歩み出て来た。 中村半次郎という男が。 (第二章 王政復古の大号令、その陰に――) 慶応3年11月15日。中岡慎太郎は近江屋にいた坂本竜馬を訪ね、そこで刺客に襲われた。世にいう近江屋事件である。竜馬は死んでしまったが、慎太郎は2日間、生き延びることができた。それは刺客の過ち(ミステイク)だったかもしれない。なぜなら、慎太郎はその死の前に言葉を遺すことができたから――岩倉具視という、不世出の謀略家に。 (第三章 見上げれば降るかもしれない) 幕末、そして戊辰戦争──東北・北越の諸藩は、維新という荒波に抗うべく、奥羽越列藩同盟を結成。 その同盟の中に、八戸藩という小藩があった。藩主の名は南部信順(なんぶのぶゆき)。薩摩藩主・島津重豪(しまづしげひで)の息子である。 八戸藩南部家は後継ぎに恵まれず、そのため、信順は婿養子として南部家に入った。それゆえに──八戸藩は同盟から敵視されていた。 四方八方が八戸藩を敵視して来るこの難局。信順はどう乗り切るのか。 【表紙画像】 「きまぐれアフター」様より

平安短編集 ~説話集より~

四谷軒
歴史・時代
【あらすじ】 (第一章 夏が燻る ~ 源宛(みなもとのあつる)と平良文(たいらのよしふみ)と合戰(あひたたか)ふ語 ―「今昔物語集巻二十五第三」より― ~) 時は平安、坂東(ばんどう)――武蔵野がまだ未開の荒野であった時代、二人の兵(つわもの)がいた。 一人は、源宛(みなもとのあつる)。 一人は、平良文(たいらのよしふみ)。 二人の領地は接しており、郎等(ろうとう)たちの争いは絶えなかった。 ある夏の日。 燻ぶる郎等たちに押され、宛(あつる)と良文(よしふみ)は相見(まみ)える。 しかし――二人は、合戦(かっせん)ではなく、兵(つわもの)として合戦(あいたたか)う。 二人の対決は、坂東の地に、人と人との仲をつなぐ。 そしてその仲は――世代を越え、時代を越えて、語り継がれる。 (第二章 恋よりも恋に近しい ~京都祇園祭「保昌山(ほうしょうやま)」より~) 平安時代、御堂関白こと藤原道長が生きていた時代、道長四天王の一人、平井保昌はある想いを抱き、悩んでいた。宮中で見かけた和泉式部のことが気になって仕方なかったのだ。保昌は式部に「恋よりも恋に近しい」という文を書いた。そして、保昌以外の人たちは、保昌のために動き出す――「恋よりも恋に近しい」を成就させるために。 【表紙画像】 「ぐったりにゃんこのホームページ」様より

連戦 ~新田義貞の鎌倉攻め~

四谷軒
歴史・時代
【あらすじ】 鎌倉幕府末期。上野(こうずけ)新田荘の御家人・新田義貞は、後醍醐天皇や「悪党」楠木正成の起こした幕府への叛乱(元弘の乱)に対する多大な戦費の要求に反発し、幕府からの使者を斬る。 幕府は新田討伐を決意し、執権北条家の一門の桜田貞国に三万の軍を与えて出兵し、一方で義貞もこれに反抗して挙兵した。 義貞は挙兵時こそ百五十騎であったが、鎌倉へ向けて進軍するうちに、馳せ参じる将兵らを加え、七千もの兵を擁するようになった。 そして――ついに武蔵小手指原にて、入間川をはさんで、新田義貞と桜田貞国は対峙し、激突する。 【登場人物】 新田義貞:上野(こうずけ)の御家人 脇屋義助:義貞の弟にして腹心 桜田貞国:幕府執権北条家の一門 足利高氏:源氏名門・足利家当主、のちの尊氏 足利千寿王:高氏の嫡子、のちの義詮 高師直:足利家執事 紀五左衛門:足利家嫡子、千寿王(のちの足利義詮)の補佐役 楠木正成:河内の「悪党」(秩序に従わぬ者の意) 河越高重:武蔵野の名族・河越氏の当主にして、武蔵七党を率いる 大多和義勝:相模の名族・三浦氏の一門 【参考資料】 「埼玉の歴史ものがたり」(埼玉県社会科教育研究会/編)

織田家の人々 ~太陽と月~

四谷軒
歴史・時代
【あらすじ】 (第一章 太陽の音を忘れない ~神戸信孝一代記~) 神戸信孝は織田信長の三男として知られる。彼は、庶子でありながら、嫡出である信忠・信雄についだ格付けを得るまでにのし上がっていた。 その最たるものが四国征伐であり、信孝はその将として、今、まさに四国への渡海を目前としており、その成功は約束されていた――本能寺の変が、起こるまでは。 (第二章 月を飛ぶ蝶のように ~有楽~) 織田有楽、あるいは織田有楽斎として知られる人物は、織田信長の弟として生まれた。信行という兄の死を知り、信忠という甥と死に別れ、そして淀君という姪の最期を……晩年に京にしつらえた茶室、如庵にて有楽は何を想い、感じるのか。それはさながら月を飛ぶ蝶のような、己の生涯か。 【表紙画像】 歌川国芳, Public domain, ウィキメディア・コモンズ経由で

嵐神(バアル)こそわが救い ~シチリア、パノルムスに吹きすさぶ嵐~

四谷軒
歴史・時代
【あらすじ】 紀元前251年、シチリア島は第一次ポエニ戦争、すなわちローマとカルタゴの戦場となっていた。 そのシチリア島のパノルムス(現在のパレルモ)において、共和政ローマ執政官(コンスル)メテッルスと、カルタゴの将軍ハスドルバルが対峙する。 ハスドルバルは、カルタゴ自慢の戦象部隊を率いており、メテッルスはこれにどう対抗するのか……。 【登場人物】 メテッルス:ローマの執政官(コンスル) ファルト:その副官。 カトゥルス、アルビヌス:ファルトと同様に、メテッルスの幕僚。 アルキメデス:シチリア島の自由都市シラクサの学者。 ハスドルバル:カルタゴの将軍。戦象を操る。ハンニバルの兄弟のハズドルバルとは別人。 【表紙画像】 「きまぐれアフター」様より

処理中です...