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序の章 裏切られた明智光秀 ──本能寺の変──
05 逃避行、開始
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弥助のおかげで、明智軍の将兵の目は炎上する本能寺に集まり、ねねとまつは、逃げ惑う女房衆や下女といった雰囲気を出して、すんなりと寺の境内の裏門から脱出することができた。
その時、椿事として、信長の側近にして茶人、長谷川宗仁が転んで動けないところを、まつと共に肩を貸して逃がしてやった。
「これは……ねねどのではないか? こちらは、まつどの? おおきに、おおきに」
宗仁は二人に拝むようにして謝意を示した。
まつは、いい機会だから宗仁に匿ってもらおうとしたが、ねねはそれに異を唱えた。
「明智は京を制した。そこに、固まってわれらがいる。それはまずい」
実は宗仁もそう思っていたところで、さらに、彼は足を怪我しているので、二人の足手まといになると離脱を願い出た。
「何、この宗仁は京の町衆の出ぇや。蛇の道は蛇。わしひとりなら、いくらでも、隠れるところはおます」
宗仁は僧形の頭をつるりと撫でて、笑った。
*
ねねとまつは宗仁を、彼の教えられたとおり、小さな町家に連れ込んだ。そこは宗仁の隠れ家的な場所であり、家来もいるので、ここにいれば宗仁は安全だと言う。
そこでねねは秀吉宛の書状を書いて、宗仁に託した。
「ほンなら、善は急げや。明智の京の支配が完璧にならんうちに」
宗仁はすぐにその書状を家来に渡し、急ぎ備中高松へと向かわせてくれた。
「ほな、な」
ねねとまつは最低限の食料と路銀を宗仁から分け与えてもらい、先ほどの宗仁の家来から、京の町の大体の道筋を聞いた。
「行きましょう」
「ええ」
だが、ここからだ。
ねねとまつの、真の困難は、ここから始まる。
何せ、明智光秀は今、京を制している。
つまり、京は敵地。
しかも、光秀は近江坂本城という拠点を持っている。
ねねとまつ、ふたりが目指す、逃亡先である、近江に。
「ど……どうしよう……ねね、行き先、変えた方が……」
「変えた方がって、どこへ?」
「…………」
今。
宗仁の隠れ家を出たふたりは、京の町外れまで来ていた。
朝ぼらけの、人々の起き出す中、ここまで来られたのは僥倖といえる。
ちょうど薮があったので、そこで身を隠して、ひと息ついていたところだった。
「大和(今の奈良県)は、明智の寄騎、筒井順慶が居る。南は駄目だ」
「じゃ、じゃあ山崎を通って、摂津、大坂へと……」
「信孝さまか?」
当時、織田信長の三男、神戸信孝は、来たるべき四国征伐に備え、大坂にて兵力を糾合していた。その数、号して一万四千。
まつが言うのは、その信孝を頼って逃げれば、ということである。
「……駄目」
「なんで駄目!? 近江を、攻められる安土を目指すよりは、なんぼか……」
「大坂の信孝さまンところには、津田さまが居る。津田信澄さまが」
「あ……」
津田信澄。
信長の弟、信行の遺児。
信行は信長に二度も叛した男であるが、信長はその忘れ形見を粗略に扱うことはなかった。
どころか、一門衆として厚遇し、現在、四国征伐の信孝の副将ともいうべき地位に置いている。
そして。
信澄には、織田家一の将たる、明智光秀の娘と娶せている。
「信孝さまは大丈夫かもしれん。でも、津田さまは? 面従腹背で、その実、明智と通じておったら、何とする?」
ちなみに津田信澄は、石山本願寺退去後に築城された大坂城(羽柴秀吉による大坂城とは別物)の城主に据えられている。
つまり、神戸信孝にとっては大坂は駐屯地であり通過点だが、津田信澄にとっては拠点なのだ。
そうすると、津田信澄と明智光秀がもし繋がっていたとしたら、かなり危ないことになる。
「それは……」
ねねとしては可能性を口にしたに過ぎないが、このあとすぐに、同様の疑念をいだいた信孝により、信澄は粛清されている。
そのため、本当に信澄が光秀に味方していたかどうかは、藪の中だ。
「わかったか? 南も西も駄目。東は……伊賀越えとか、女ふたりでできると思うか?」
「……でも、伊賀を越えれば、伊勢、尾張と」
「甘い」
実は、ねねも話していて、気づいた。
伊賀越えが成功したとしても、最悪の可能性が有り得ると。
「まつ……いや、わたしでもいい。まつとわたしが無事、伊勢の信雄さま(織田信雄、信長の次男)の許に逃げられた、としても……その間、光秀は行動を起こす」
「行動?」
いぶかしげなまつの視線。
ねねはその視線を撥ね返すような、勁い目をした。
「ねねとまつを、人質に取ったとして、秀吉と又左に従えと言ってくるぞ」
「そ、そんな無茶苦茶な」
「無茶苦茶だが、秀吉と又左には、わたしたちがいないから、『人質に取った』と言われれば、信ずるしかあるまい。いや、信じなくとも、確かめようと、足止めさせられる。そして、光秀が『次なる手』に出れば、立ち往生じゃ」
「次なる手」
「そう。次に……」
そこまで言って、ねねは口を閉じた。
まつも目配せで承知した、と応える。
藪の外。
馬蹄の轟きが聞こえた。
ねねとまつの居る藪を探そうと言うのではない。
光秀の行動は迅速だ。
その軍勢の向かう先は、北。
近江だ。
軍勢の去ったあと、ふた呼吸ほど待って、ねねは続きを話そうとして止められた。
「わかった、ねね……『次なる手』は、光秀は、秀吉どのと又左を……『明智に味方した』と、喧伝するわけじゃな」
「……そう。わたしたちが人質に、という話と相俟って、それは、秀吉と又左どのの周りの諸将の疑心暗鬼を生じ……最悪、始末される」
まつは瞑目した。
ねねはそのまつをかき抱いた。
秀吉はいい。
羽柴軍団の長というべき立場だ。
寝返り、と言われても、だからどうしたと言える。
だが、又左こと前田利家はどうだ。
柴田勝家の軍団の一部将だ。
勝家に二心ありと思われたら、即刻粛清されるかもしれない。
「……早く、北へ」
「……ええ」
北へ行けば、羽柴家の近江長浜があり、前田家の能登小丸山がある。
それに何より。
「……安土へ。おそらく、明智のあの軍勢、目指す先はそこ」
まつは黙ってうなずいた。
そして思った。明智光秀は、まず近江坂本城に至り、そこから、安土城を目指す。
ともすると、琵琶湖北岸、津田信澄の近江大溝城とも連携し、それは大がかりな襲撃となるだろう。
「だが、そこが付け目。大がかりだからこそ、時日がかかる」
ねねの狙いは、そのかかった「時日」の間に、明智勢より先に安土城に入る。
さすれば、留守居役に危急を知らせることができ、安土の「先」になる長浜とも、連絡が取れよう。
「何より、安土の留守居役は、あの蒲生賢秀どのじゃ」
蒲生賢秀。
名将・蒲生氏郷の父として知られる。
かつては六角家の臣であったが、織田の大軍の攻撃を受け、賢秀は寡兵ながらも居城・日野城に立てこもって抵抗した。
信長はその勇を惜しみ、賢秀に投降をうながした。
投降に応じた賢秀は、以後、信長に忠節を尽くし、常に信長に付き従うようになる。
やがて安土城を築き上げた信長は、賢秀にその留守居役を命じる。
つまりそれだけの信頼を、信長は賢秀に抱いていたのである。
「……つまり、安土に至れば、われらの勝ち、と」
まつは顔面に喜色を浮かべた。
一方のねねは黙って立ち上がった。
それは、行こう、という無言の意思表示であるが、もうひとつ意図がある。
「本当に明智は大がかりに安土に攻め寄せるのか。あるいは、蒲生賢秀どの。この方の意向は……」
その危惧を、気取られないためだ。
何しろ、この状況。
常とちがって、すぐ顔に出る。
「…………」
こうして、ねねとまつは、炎上する本能寺を脱して、運良く京の町を出ることに成功したものの、それから、さらに厳しい道行きを行くことになる。
特に、ねね。
その近江行きがかなったとしても、安土は。長浜は。
後世のわれわれは知っている。
そのふたつの城の運命を……。
その時、椿事として、信長の側近にして茶人、長谷川宗仁が転んで動けないところを、まつと共に肩を貸して逃がしてやった。
「これは……ねねどのではないか? こちらは、まつどの? おおきに、おおきに」
宗仁は二人に拝むようにして謝意を示した。
まつは、いい機会だから宗仁に匿ってもらおうとしたが、ねねはそれに異を唱えた。
「明智は京を制した。そこに、固まってわれらがいる。それはまずい」
実は宗仁もそう思っていたところで、さらに、彼は足を怪我しているので、二人の足手まといになると離脱を願い出た。
「何、この宗仁は京の町衆の出ぇや。蛇の道は蛇。わしひとりなら、いくらでも、隠れるところはおます」
宗仁は僧形の頭をつるりと撫でて、笑った。
*
ねねとまつは宗仁を、彼の教えられたとおり、小さな町家に連れ込んだ。そこは宗仁の隠れ家的な場所であり、家来もいるので、ここにいれば宗仁は安全だと言う。
そこでねねは秀吉宛の書状を書いて、宗仁に託した。
「ほンなら、善は急げや。明智の京の支配が完璧にならんうちに」
宗仁はすぐにその書状を家来に渡し、急ぎ備中高松へと向かわせてくれた。
「ほな、な」
ねねとまつは最低限の食料と路銀を宗仁から分け与えてもらい、先ほどの宗仁の家来から、京の町の大体の道筋を聞いた。
「行きましょう」
「ええ」
だが、ここからだ。
ねねとまつの、真の困難は、ここから始まる。
何せ、明智光秀は今、京を制している。
つまり、京は敵地。
しかも、光秀は近江坂本城という拠点を持っている。
ねねとまつ、ふたりが目指す、逃亡先である、近江に。
「ど……どうしよう……ねね、行き先、変えた方が……」
「変えた方がって、どこへ?」
「…………」
今。
宗仁の隠れ家を出たふたりは、京の町外れまで来ていた。
朝ぼらけの、人々の起き出す中、ここまで来られたのは僥倖といえる。
ちょうど薮があったので、そこで身を隠して、ひと息ついていたところだった。
「大和(今の奈良県)は、明智の寄騎、筒井順慶が居る。南は駄目だ」
「じゃ、じゃあ山崎を通って、摂津、大坂へと……」
「信孝さまか?」
当時、織田信長の三男、神戸信孝は、来たるべき四国征伐に備え、大坂にて兵力を糾合していた。その数、号して一万四千。
まつが言うのは、その信孝を頼って逃げれば、ということである。
「……駄目」
「なんで駄目!? 近江を、攻められる安土を目指すよりは、なんぼか……」
「大坂の信孝さまンところには、津田さまが居る。津田信澄さまが」
「あ……」
津田信澄。
信長の弟、信行の遺児。
信行は信長に二度も叛した男であるが、信長はその忘れ形見を粗略に扱うことはなかった。
どころか、一門衆として厚遇し、現在、四国征伐の信孝の副将ともいうべき地位に置いている。
そして。
信澄には、織田家一の将たる、明智光秀の娘と娶せている。
「信孝さまは大丈夫かもしれん。でも、津田さまは? 面従腹背で、その実、明智と通じておったら、何とする?」
ちなみに津田信澄は、石山本願寺退去後に築城された大坂城(羽柴秀吉による大坂城とは別物)の城主に据えられている。
つまり、神戸信孝にとっては大坂は駐屯地であり通過点だが、津田信澄にとっては拠点なのだ。
そうすると、津田信澄と明智光秀がもし繋がっていたとしたら、かなり危ないことになる。
「それは……」
ねねとしては可能性を口にしたに過ぎないが、このあとすぐに、同様の疑念をいだいた信孝により、信澄は粛清されている。
そのため、本当に信澄が光秀に味方していたかどうかは、藪の中だ。
「わかったか? 南も西も駄目。東は……伊賀越えとか、女ふたりでできると思うか?」
「……でも、伊賀を越えれば、伊勢、尾張と」
「甘い」
実は、ねねも話していて、気づいた。
伊賀越えが成功したとしても、最悪の可能性が有り得ると。
「まつ……いや、わたしでもいい。まつとわたしが無事、伊勢の信雄さま(織田信雄、信長の次男)の許に逃げられた、としても……その間、光秀は行動を起こす」
「行動?」
いぶかしげなまつの視線。
ねねはその視線を撥ね返すような、勁い目をした。
「ねねとまつを、人質に取ったとして、秀吉と又左に従えと言ってくるぞ」
「そ、そんな無茶苦茶な」
「無茶苦茶だが、秀吉と又左には、わたしたちがいないから、『人質に取った』と言われれば、信ずるしかあるまい。いや、信じなくとも、確かめようと、足止めさせられる。そして、光秀が『次なる手』に出れば、立ち往生じゃ」
「次なる手」
「そう。次に……」
そこまで言って、ねねは口を閉じた。
まつも目配せで承知した、と応える。
藪の外。
馬蹄の轟きが聞こえた。
ねねとまつの居る藪を探そうと言うのではない。
光秀の行動は迅速だ。
その軍勢の向かう先は、北。
近江だ。
軍勢の去ったあと、ふた呼吸ほど待って、ねねは続きを話そうとして止められた。
「わかった、ねね……『次なる手』は、光秀は、秀吉どのと又左を……『明智に味方した』と、喧伝するわけじゃな」
「……そう。わたしたちが人質に、という話と相俟って、それは、秀吉と又左どのの周りの諸将の疑心暗鬼を生じ……最悪、始末される」
まつは瞑目した。
ねねはそのまつをかき抱いた。
秀吉はいい。
羽柴軍団の長というべき立場だ。
寝返り、と言われても、だからどうしたと言える。
だが、又左こと前田利家はどうだ。
柴田勝家の軍団の一部将だ。
勝家に二心ありと思われたら、即刻粛清されるかもしれない。
「……早く、北へ」
「……ええ」
北へ行けば、羽柴家の近江長浜があり、前田家の能登小丸山がある。
それに何より。
「……安土へ。おそらく、明智のあの軍勢、目指す先はそこ」
まつは黙ってうなずいた。
そして思った。明智光秀は、まず近江坂本城に至り、そこから、安土城を目指す。
ともすると、琵琶湖北岸、津田信澄の近江大溝城とも連携し、それは大がかりな襲撃となるだろう。
「だが、そこが付け目。大がかりだからこそ、時日がかかる」
ねねの狙いは、そのかかった「時日」の間に、明智勢より先に安土城に入る。
さすれば、留守居役に危急を知らせることができ、安土の「先」になる長浜とも、連絡が取れよう。
「何より、安土の留守居役は、あの蒲生賢秀どのじゃ」
蒲生賢秀。
名将・蒲生氏郷の父として知られる。
かつては六角家の臣であったが、織田の大軍の攻撃を受け、賢秀は寡兵ながらも居城・日野城に立てこもって抵抗した。
信長はその勇を惜しみ、賢秀に投降をうながした。
投降に応じた賢秀は、以後、信長に忠節を尽くし、常に信長に付き従うようになる。
やがて安土城を築き上げた信長は、賢秀にその留守居役を命じる。
つまりそれだけの信頼を、信長は賢秀に抱いていたのである。
「……つまり、安土に至れば、われらの勝ち、と」
まつは顔面に喜色を浮かべた。
一方のねねは黙って立ち上がった。
それは、行こう、という無言の意思表示であるが、もうひとつ意図がある。
「本当に明智は大がかりに安土に攻め寄せるのか。あるいは、蒲生賢秀どの。この方の意向は……」
その危惧を、気取られないためだ。
何しろ、この状況。
常とちがって、すぐ顔に出る。
「…………」
こうして、ねねとまつは、炎上する本能寺を脱して、運良く京の町を出ることに成功したものの、それから、さらに厳しい道行きを行くことになる。
特に、ねね。
その近江行きがかなったとしても、安土は。長浜は。
後世のわれわれは知っている。
そのふたつの城の運命を……。
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