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第二章 恋よりも恋に近しい ~京都祇園祭「保昌山(ほうしょうやま)」より~
01 出会い
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時は平安。
京の夜。
平井保昌はため息をつきながら歩いていた。
「はあ……」
*
保昌は日中、宮中に参内し、任地についての陳情を終え、自邸へと帰るところであった。
ただ、宮中から出る寸前、保昌はある女官とすれちがった。
女官は、何か考え事をしていたらしく、持っていた檜扇を落とした。
「おっと」
一流の武人である保昌は、手をひるがえしてその檜扇が床に落ちる前に拾い上げ、女官の手元に戻した。
「ありがとうございます」
聞くと、歌を考えていたらしく、それでぼうっとしていたらしい。
「それにしても、檜扇を落ちる前に拾うなんて……凄い」
保昌が無言で一礼しているうちに、女官は去った。
ちょうどその時近くを通った別の女官に聞くと、彼女は和泉式部というらしかった。
*
この気持ちは何であろうか。
恋、というものだろうか。
初めて知る、気持ちだった。
「これは……恋? いやそれがしごときが和泉式部どのにそんな……そう……恋よりも恋に近しいと言うべきか」
そう言って保昌は己の心を誤魔化した。
源頼光と双璧と謳われた保昌が独り身でいるのは、武人であるゆえ、いつこの身果てるとも知れないからだ。
主、藤原道長が持ってくる縁談の話も断って来た。
「笛でも吹くか」
保昌は懐から笛を取り出して口にあてた。
「…………」
笛を吹き、心を落ち着かせる。
そのつもりでいた保昌の背後から、近づく者がいた。
当時、道長四天王として名を馳せた保昌である。
いかに物思いにふけり、笛を吹いているとはいえ、賊の気配を察していた。
「だが」
今は。
和泉式部に対する気持ちをどうとらえるか、どう考えるかの方が大事だ。
……気づくと保昌は自邸の前まで来ていた。
「おい」
「お、応!」
保昌がちらりと振り返ると、壮年の男がいた。
男は抜き身の刀を持って、立ち尽くしていた。
「おれを襲うつもりであったか、賊よ」
「滅相もない」
賊は釈明した。
最初こそ身ぐるみ剥いでやろうとしていたが、気が変わった、と。
「アンタ、凄え武人だ。隙が無えや」
袴垂と名乗った賊は、刀を納めた。
「おれも一端の賊だ。強いつもりだ。が……アンタにゃ形無しよ」
袴垂は踵を返して帰ろうとした。しかし保昌は引き留めた。
「ありゃ。やっぱ見逃してくれないので?」
「ちがう」
保昌は家に袴垂を招じ入れると、衣をいくつか持ってきた。
「持って行け」
「こりゃ、どういう風の吹き回しで?」
「おれはな、物思いにふけっていた。隙だらけだった。お前がやろうと思えば襲えた」
だからお前が盗れたはずのものとして受け取れ、と衣を差し出した。
きょとんとしていた袴垂は、やがて大声で笑い出した。
「こりゃ面白え! だがおれにも盗賊としての意地がある」
「そうか」
「いえいえ、ありがたく頂戴しやすが、その代わり」
何か、願いはないかと袴垂は言った。
京の夜。
平井保昌はため息をつきながら歩いていた。
「はあ……」
*
保昌は日中、宮中に参内し、任地についての陳情を終え、自邸へと帰るところであった。
ただ、宮中から出る寸前、保昌はある女官とすれちがった。
女官は、何か考え事をしていたらしく、持っていた檜扇を落とした。
「おっと」
一流の武人である保昌は、手をひるがえしてその檜扇が床に落ちる前に拾い上げ、女官の手元に戻した。
「ありがとうございます」
聞くと、歌を考えていたらしく、それでぼうっとしていたらしい。
「それにしても、檜扇を落ちる前に拾うなんて……凄い」
保昌が無言で一礼しているうちに、女官は去った。
ちょうどその時近くを通った別の女官に聞くと、彼女は和泉式部というらしかった。
*
この気持ちは何であろうか。
恋、というものだろうか。
初めて知る、気持ちだった。
「これは……恋? いやそれがしごときが和泉式部どのにそんな……そう……恋よりも恋に近しいと言うべきか」
そう言って保昌は己の心を誤魔化した。
源頼光と双璧と謳われた保昌が独り身でいるのは、武人であるゆえ、いつこの身果てるとも知れないからだ。
主、藤原道長が持ってくる縁談の話も断って来た。
「笛でも吹くか」
保昌は懐から笛を取り出して口にあてた。
「…………」
笛を吹き、心を落ち着かせる。
そのつもりでいた保昌の背後から、近づく者がいた。
当時、道長四天王として名を馳せた保昌である。
いかに物思いにふけり、笛を吹いているとはいえ、賊の気配を察していた。
「だが」
今は。
和泉式部に対する気持ちをどうとらえるか、どう考えるかの方が大事だ。
……気づくと保昌は自邸の前まで来ていた。
「おい」
「お、応!」
保昌がちらりと振り返ると、壮年の男がいた。
男は抜き身の刀を持って、立ち尽くしていた。
「おれを襲うつもりであったか、賊よ」
「滅相もない」
賊は釈明した。
最初こそ身ぐるみ剥いでやろうとしていたが、気が変わった、と。
「アンタ、凄え武人だ。隙が無えや」
袴垂と名乗った賊は、刀を納めた。
「おれも一端の賊だ。強いつもりだ。が……アンタにゃ形無しよ」
袴垂は踵を返して帰ろうとした。しかし保昌は引き留めた。
「ありゃ。やっぱ見逃してくれないので?」
「ちがう」
保昌は家に袴垂を招じ入れると、衣をいくつか持ってきた。
「持って行け」
「こりゃ、どういう風の吹き回しで?」
「おれはな、物思いにふけっていた。隙だらけだった。お前がやろうと思えば襲えた」
だからお前が盗れたはずのものとして受け取れ、と衣を差し出した。
きょとんとしていた袴垂は、やがて大声で笑い出した。
「こりゃ面白え! だがおれにも盗賊としての意地がある」
「そうか」
「いえいえ、ありがたく頂戴しやすが、その代わり」
何か、願いはないかと袴垂は言った。
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