絶砂の恋椿

ヤネコ

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病の功名

13―5

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「商会でニームの実が必要なんでしたら……私の店なんかを通さなくたっていいでしょうに」
「他でもない君の、ニームの実を扱う伎倆ごと――俺は欲しいんだ」
 欲深いまでにあけすけなトゥルースの言葉は、アガスターシェの強張っていた口元を緩めさせた。
「……絶対に連れて行ってくださいね。私の故郷へ」
 洟を啜って泣き顔のような笑みを浮かべたアガスターシェは、トゥルースの要望に応える選択をした。故郷を追われたアガスターシェの悲しみは、彼女以外の者には推し量ることしかできない。しかしトゥルースの提案は、アガスターシェの胸にわだかまる悲しみの原因となった件の品を、再び取り扱わせるだけの力を持っていたようだ。
 仔細は後日改めて契約書を交わした上で詰める旨を取り決めたところで、トゥルースとカメリオはアガスターシェの家を後にした。
「香草屋のおばさん――アガスターシェさんの件、どうやって解決するんですか?」
 その日の晩、トゥルースは数日ぶりに自室でのカメリオへの授業を再開した。何時ものようにカメリオの質問から始まる講義の時間を設ければ、早速とばかりにカメリオはトゥルースに疑問をぶつけてきた。
「マリウス。君ならどう行動する?」
 興味深げな笑顔でトゥルースから訊ねられ、カメリオは拳に顎を乗せて考える。ふと浮かんだ『殴り込み』という単語を頭の中で打ち消す程度には、カメリオも成長していた。
「うん……と、アガスターシェさんが無事に帰省できるように、タウィルタラの偉い人……豪族にお願いします」
「良い考えだ。では、相手に頼み事をする時に必要なものは何かな?」
「真剣な、気持ち……だと思います」
 真剣な顔で答えるカメリオの素直な性格を、トゥルースは好ましく思う。だが、世間の人間はカメリオが考えるようには善良ではないのだ。
「真剣な気持ちを相手のここに届けるためには、まずは相手に受け取るを感じさせないとな」
 言いながら、トゥルースはカメリオの胸元を裏拳で軽く叩く。旨味、とトゥルースの言葉を繰り返したカメリオは、眉間に浅く皺を寄せた。
「それは……タウィルタラの豪族の興味を引くものが要るってことですか?」
「ああ。その通りだ」
 トゥルースが頷いたのに、カメリオは表情を得意そうな微笑に変える。その愛らしさに脂下がる心地を覚えながら、トゥルースは自らが持つ情報網から得た、タウィルタラ島の現状をカメリオに解説した。
「タウィルタラ島の豪族――メシュアル一家は、彼等の一族の決まり事に則って二年前に頭領が親から子へと代替わりしたんだが、隠居したはずの先代が現頭領と対立関係にあるんだ」
「対立関係って……親子なのに、ですか?」
「ああ。現頭領のメシュアルは海都への進出を狙っているようだが、先代は反対していてな。そこから仲が拗れたようだ」
 カメリオは以前にトゥルースから聞いた豪族という集団の性質を思い出し、メシュアルの野心を理解した。豪族にとって海都への進出が力試しなら、代替わりしたばかりの頭領が挑戦したいと考えるのは自然なことだ。
「いくら先代の頭領に反対されても、力を持ってるのは今の頭領なんじゃないですか?」
「頭領は代替わりしたが家来は先代の頃のままだからな。古参の家来たちの多くは、未だに先代に従っているらしい」
 島外のトゥルースが把握しているほどの、家来をも分断する頭領親子の不仲となれば、タウィルタラ島で暮らす島民への影響は小さいものではないだろう。他所の事ながら傍迷惑な話だ、とカメリオは心の中で溜め息を吐いた。
「今のタウィルタラ島は頭が二つに分かれてるような感じなんですね」
「そうだ。だからこそ、こちらもを働きやすいんだ」
 トゥルースは意地が悪い笑みを浮かべたまま、カメリオを見据えた。カメリオは新たな出題の予感に、ぐっと表情を引き締める。
「マリウス。アガスターシェがこれまでタウィルタラ島に帰りかねていた、そもそもの原因はなんだと考える?」
「ううん……アガスターシェさんの家族への、周りからの酷い扱いのせいですよね?」
 でも、と少し遠慮がちに付け加えたカメリオは、複雑そうに言葉を継ぐ。
「アガスターシェさんのお父さんは、罰を受けて命まで落としてるのに……」
「アガスターシェの父親が受けた罰は重すぎたんだ。その後の――彼と家族が周囲から受けた処遇を、正当化するほどにな」
 重過ぎとも言えるその処罰を受けたことで、アガスターシェの父親の罪は雪がれていなければならないというのは、カメリオの正義感に基づく考えだ。しかし、処罰を受けたアガスターシェの一家は周囲から追い打ちのような仕打ちを受け、挙げ句故郷を追われた。トゥルースの言葉の通り、重すぎる罰が遡ってアガスターシェの父親の罪を重くしたということなのだろう。
 そして、アガスターシェの父親が受けた重すぎる処罰の背景には、彼の商売敵と金銭で唆された豪族の家来たちの存在があった。
「アガスターシェさんのお父さんのことを陥れた人たちが、また嫌がらせをしてくるかもしれませんよね」
「彼らはアガスターシェの兄からを燃やされてもいるからな。皮算用がご破算になったのを、今も恨んでいる可能性は否定できないな」
 タウィルタラ島のニームの林を燃やすことで、アガスターシェの兄は父親を陥れその商売を横取りした相手に覿面な復讐を果たしたが、その方法は新たな恨みを生むものでもあった。
 カメリオは、復讐が生む恨みの連鎖への歯痒さを感じるとともに、恨みの矛先がアガスターシェに全て向かいかねないことに、やり切れないもどかしさを感じていた。
「起きたことを無かったことにはできなくても……これ以上、アガスターシェさんに悲しい思いはさせたくないです」
 言いながら、カメリオは悲しげに瞳を伏せる。しかし二十年にも満たない過去の出来事は、海都のように人の出入りが激しい土地でなければ、そこで暮らす人の記憶からはなかなか薄れないものだ。
「それなら、アガスターシェにちょっかいを出す気も無くなるほどの衝撃を、彼らに与えるまでだな」
「……殴り込みでもかけるつもりですか?」
「似たようなものさ」
 トゥルースの何時にも増して人が悪い笑みに対して、カメリオは不思議と頼もしさを覚えた。しかし、具体的な方法はまだ教えてくれなそうな様子のトゥルースに、カメリオはその代わりとばかりに気になっていたことを訊ねた。
「ところで、番頭さんってタウィルタラの豪族とも知り合いなんですか?」
「いいや。面識は無いな」
「それならどうして、タウィルタラ島の事情をそんなに知ってるんですか?」
 不思議そうにしながらもトゥルースが与えた情報を疑わないカメリオに、トゥルースはそろそろ人を疑うことも教えるべきかと苦笑する。尤も、これらの情報はトゥルースがバハルクーヴ島に来る直前に仕入れたものなので、鮮度は悪いが確かな情報だ。
「個人的な付き合いは無いが、彼らもカームビズ商会の顧客だからな。丁寧に接客を行ってくれる者たちのお陰で、情報が入ってくるんだ」
「タウィルタラ島にもカームビズ商会の人が居るんですね……」
「ああ。本格的に動き出す前に、また新しい情報を流してもらうよ」
 この大陸の島々にカームビズ商会の手が伸びていることを改めて実感した様子のカメリオに、トゥルースはくすりと笑う。自身が所属する勢力の大きさに酔うことも無く、どこか恐れてすらいるカメリオの様子を、トゥルースは好ましく感じていた。
「もう直してくれたの! 助かるわぁ!」
「やっぱり頼りになるわねぇ!」
 明くる日のこと。所変わってタウィルタラ島では、豪族の屋敷で働く下女たちが使い込まれた工具を携えた青年に、黄色い歓声を浴びせていた。
「旧文明時代に作られたモンなんで、どうしてもすぐ砂が詰まるんスよね」
 下女たちの黄色い声に、爽やかにはにかむ青年の傍らでは、カームビズ商会の取扱商品である給水装置が淀み無く稼動している。青年はこの島で、給水装置の保守作業を担当しているようだ。
「そうなのねぇ、でもナージー君がいつもすぐ駆け付けてくれるから安心だわぁ」
「へへっ、おねえさんたちの頼みなら真夜中だって駆けつけるっスよ」
 下女たちのナージーを囲んでの頼もしいの大合唱は、次第に好青年であるナージーと威張り散らしてばかりの豪族の家来たちとの比較へと変わる。
 謙遜しながらもナージーは耳聡く、商会にとって益となるであろう噂話を拾い集めていた。
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