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知らない気持ち
11―5
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「番頭さん、これ以上俺のこと、特別扱いしないでください」
向かい合った机越しに、真剣な表情のカメリオから告げられた言葉は、トゥルースに少なからずの衝撃を与えた。
この日のカメリオは朝からどこか思い詰めた様子で、トゥルースもどうしたことかと気に掛けていた。一日の仕事も終わり、ようやく自室にて二人きりになったところでトゥルースが事情を訊ねれば、カメリオから返ってきたのは真っ向からの拒絶の言葉であった。
「今の言葉の、理由を聞いてもいいか?」
思わず聞き返した言葉は、トゥルース自身の耳にも狼狽を滲ませて聞こえた。これまでのカメリオはトゥルースが囁いた言葉にむずがる素振りは見せても、トゥルースの行いそのものを拒むことは無かった。日々の中で自身の想いが、カメリオから少しずつ受け入れられている――トゥルースはそのように認識していたが、思い違いであったのだろうか。
動揺するトゥルースの表情に、カメリオも思うところがあったのだろう。視線を膝の上で握りしめた拳に移したカメリオは、絞り出すような声でトゥルースの問いに答える。
「番頭さんは俺に、親切にしすぎです。これ以上……もらっても、返せないです」
「俺が持つもので、君が持つべきものを分けているだけだ。返す必要は無いさ」
「そういう特別扱い、やめてほしいです」
拒む言葉とは裏腹に、伏せた睫毛が悲しげに震える様はいじらしく、トゥルースはカメリオが肚の中に別の言葉を隠していることを悟った。なにかを堪えたような表情すら美しいと、トゥルースは見惚れる心地で言葉を紡ぐ。
「俺が君を特別扱いするのは、君を愛しく想っているからだよ」
「そんなこと……言わないで、ください」
以前なら性質が悪い冗談扱いしてきた言葉を、カメリオは正面から受け止めてくれているようだ。トゥルースは向かい合って座るカメリオの頬を、手の甲で慈しむように撫でる。そっと触れたというのに、まだ少年の幼い柔らかさが残る頬には、熱が籠もっているのが感じられた。
「すまない。君を悲しませたくはないのに、泣かせてしまっている」
「……泣いてないです、俺。そんな、弱虫じゃない」
カメリオの声は、涙を堪えているのか上擦っている。カメリオにとってトゥルースを遠ざけようとするその言葉は、強い感情の揺らぎを伴うものであるのだろう。トゥルースは改めて、その健気な姿を愛おしく思う。
「君の胸の中に湧くその悲しみを、俺にも汲み取らせてくれ」
カメリオが心の底からトゥルースを拒むのであれば、指の背に触れる睫毛の柔らかさを知ることなどできなかった。自惚れでなければ、カメリオもトゥルースを、憎からず想ってくれているのだろう。零れた滴の温かさは、言葉よりも真っ直ぐにトゥルースの心にカメリオの気持ちを伝えてくる。
「俺、これ以上……番頭さんのこと……想い、たくないです……」
やがて、カメリオは溢れた涙に引き摺られるように、言葉を零した。瑞々しい唇はトゥルースを拒む言葉を紡いでいるというのに、トゥルースの耳はカメリオの嗚咽一つ聞き漏らしたくないと感じている。
「君が涙を流しているのは、俺と――同じ気持ちでいてくれているからなんだな」
「同じ気持ち、だめです。俺、そんな風に想ったり、しませんから……」
カメリオは熱い眼差しで自分を見つめてくるトゥルースの瞳を、涙に潤んだ瞳で見つめ返した。
トゥルースへの想いを塞ぐと心に決めたというのに、あっけなく涙と共に吹き出してしまった気持ちに、カメリオは情けないような心地でいた。堪えようとして涙が溢れるのも、嗚咽混じりになる言葉も、まるでうんと小さな子供のようで、カメリオは自分をひどく弱虫に感じてしまう。
「何故、同じ気持ちではいけないんだ……?」
「俺が番頭さんと同じ気持ちになったら……子供達に、申し訳が立たないです」
それでも、カメリオは自分の決心を曲げたくはなかった。自分自身をひどく弱虫にする程に心を焦がすその想いが、トゥルースから向けられる想いと混じり合うことは、彼に見捨てられた者達を踏みにじるということだと、カメリオは感じていた。
「俺の子供達なら、今頃はそれぞれの母親と幸せに暮らしているだろう」
「そうだとしても、子供達が受け取るはずだった幸せ……俺が、横取りはできません」
トゥルースが我が子を見捨てる男だということを、知っていたというのに惹かれてしまった自分の心をも戒めるように、カメリオは言葉を継いだ。
「俺……番頭さんの親切には、仕事で返します。腕っ節で、返します」
自身の告げた言葉がトゥルースの想いを醒ますならば、それでも良いとカメリオは思う。応えてはいけない情熱を何時までもトゥルースに抱かせることもまた不誠実だと、初心な青年の心は判断したのだ。
「君は、どこまでも真っ直ぐで……清らかだな」
だが、トゥルースが呟いた言葉は、カメリオの予想とは真逆の熱を帯びていた。カメリオはトゥルースに嫌われるつもりの言葉が、彼の眼差しから熱を奪わなかったことをどこか嬉しいと思ってしまう自分の心を、やはり弱虫だと感じる。
「そんな風に見られても……俺、番頭さんと同じ気持ちには、絶対なりません」
涙を啜り上げながら、自身にも言い聞かせるようにカメリオは念を押す。トゥルースは少し残念そうに目を細めて、カメリオに希った。
「君が俺と同じ気持ちにはならなくても――この先も、君を想うことを許してくれるか?」
「……想われても、俺は、応えませんから」
「それでも良いんだ」
言いながら指先でカメリオの耳珠を撫でてくるトゥルースの腕を、カメリオは思い切り抓り上げる。トゥルースは痛みに呻いたが、顰めた顔はどこか嬉しそうだった。
「今日は授業どころではなかったな。明日また、仕切り直しとしよう」
「……だから、特別扱いするのはやめてくださいって――」
「君の決心は、俺から物を教わるくらいで折れるものなのか?」
トゥルースのあからさまな挑発に、カメリオは形の良い眉を寄せる。挑発だと理解していておいそれと引き下がる程、カメリオも成熟してはいなかった。
「上等、です。俺……絶対に折れませんから」
「良い返事だ。明日も、同じ時間に俺の部屋に来てくれ」
カメリオは手の甲で自らの目元を拭うと、ぺこりと会釈して席を立つ。トゥルースが目線で送ったおやすみの挨拶は、少しむくれたような表情で返してくれた。
何時もより音を立てて閉まる扉に紛れるように、トゥルースは忍び笑う。一頻り笑った所で、深く溜め息を吐いたトゥルースは、陶然と独り言ちた。
「どうしたらあのように、心根まで美しく育つのだろうな」
これまでのトゥルースは、恋の駆け引きとして想う想わぬの話をしてきた。他に恋の相手が居ると告げても、それでも構わないと胸に縋ってくる者を健気と感じた時もあった。だが、カメリオはこれまでの恋の相手とは根本から違った。
顔すら知らない子供達を慮って想いを捨てるなどと、瞳に涙を湛えながら告げるいじらしさを、トゥルースは愛しいと感じた。抱き締めたいと願った。
カメリオはその善良さ故に、トゥルースに子供達の父親として寄り添うことを望んでいるのだろうか。何れカメリオに訊ねてみたいと思うトゥルースであったが、彼自身の考えは異なるものだ。
「あの子達の幸せな暮らしには、俺など要らないんだがな……」
トゥルースは、自身の幼年時代を今も懐かしく思っている。それは、二人きり暮らしていた母と引き離された、少年時代の苦い日々の中に湧いた思慕が、かつての懐かしさをより引き立てているのかもしれない。トゥルースがカームビズ商会の嫡子と認められたあの日に喪われた、穏やかな日々はもう返らない。
「野心や謀など知らず――幸せに生きて欲しいと願うのは、俺の我が儘か」
自嘲するように呟いた言葉は、天井に蟠る闇に混じり合い、溶けた。
向かい合った机越しに、真剣な表情のカメリオから告げられた言葉は、トゥルースに少なからずの衝撃を与えた。
この日のカメリオは朝からどこか思い詰めた様子で、トゥルースもどうしたことかと気に掛けていた。一日の仕事も終わり、ようやく自室にて二人きりになったところでトゥルースが事情を訊ねれば、カメリオから返ってきたのは真っ向からの拒絶の言葉であった。
「今の言葉の、理由を聞いてもいいか?」
思わず聞き返した言葉は、トゥルース自身の耳にも狼狽を滲ませて聞こえた。これまでのカメリオはトゥルースが囁いた言葉にむずがる素振りは見せても、トゥルースの行いそのものを拒むことは無かった。日々の中で自身の想いが、カメリオから少しずつ受け入れられている――トゥルースはそのように認識していたが、思い違いであったのだろうか。
動揺するトゥルースの表情に、カメリオも思うところがあったのだろう。視線を膝の上で握りしめた拳に移したカメリオは、絞り出すような声でトゥルースの問いに答える。
「番頭さんは俺に、親切にしすぎです。これ以上……もらっても、返せないです」
「俺が持つもので、君が持つべきものを分けているだけだ。返す必要は無いさ」
「そういう特別扱い、やめてほしいです」
拒む言葉とは裏腹に、伏せた睫毛が悲しげに震える様はいじらしく、トゥルースはカメリオが肚の中に別の言葉を隠していることを悟った。なにかを堪えたような表情すら美しいと、トゥルースは見惚れる心地で言葉を紡ぐ。
「俺が君を特別扱いするのは、君を愛しく想っているからだよ」
「そんなこと……言わないで、ください」
以前なら性質が悪い冗談扱いしてきた言葉を、カメリオは正面から受け止めてくれているようだ。トゥルースは向かい合って座るカメリオの頬を、手の甲で慈しむように撫でる。そっと触れたというのに、まだ少年の幼い柔らかさが残る頬には、熱が籠もっているのが感じられた。
「すまない。君を悲しませたくはないのに、泣かせてしまっている」
「……泣いてないです、俺。そんな、弱虫じゃない」
カメリオの声は、涙を堪えているのか上擦っている。カメリオにとってトゥルースを遠ざけようとするその言葉は、強い感情の揺らぎを伴うものであるのだろう。トゥルースは改めて、その健気な姿を愛おしく思う。
「君の胸の中に湧くその悲しみを、俺にも汲み取らせてくれ」
カメリオが心の底からトゥルースを拒むのであれば、指の背に触れる睫毛の柔らかさを知ることなどできなかった。自惚れでなければ、カメリオもトゥルースを、憎からず想ってくれているのだろう。零れた滴の温かさは、言葉よりも真っ直ぐにトゥルースの心にカメリオの気持ちを伝えてくる。
「俺、これ以上……番頭さんのこと……想い、たくないです……」
やがて、カメリオは溢れた涙に引き摺られるように、言葉を零した。瑞々しい唇はトゥルースを拒む言葉を紡いでいるというのに、トゥルースの耳はカメリオの嗚咽一つ聞き漏らしたくないと感じている。
「君が涙を流しているのは、俺と――同じ気持ちでいてくれているからなんだな」
「同じ気持ち、だめです。俺、そんな風に想ったり、しませんから……」
カメリオは熱い眼差しで自分を見つめてくるトゥルースの瞳を、涙に潤んだ瞳で見つめ返した。
トゥルースへの想いを塞ぐと心に決めたというのに、あっけなく涙と共に吹き出してしまった気持ちに、カメリオは情けないような心地でいた。堪えようとして涙が溢れるのも、嗚咽混じりになる言葉も、まるでうんと小さな子供のようで、カメリオは自分をひどく弱虫に感じてしまう。
「何故、同じ気持ちではいけないんだ……?」
「俺が番頭さんと同じ気持ちになったら……子供達に、申し訳が立たないです」
それでも、カメリオは自分の決心を曲げたくはなかった。自分自身をひどく弱虫にする程に心を焦がすその想いが、トゥルースから向けられる想いと混じり合うことは、彼に見捨てられた者達を踏みにじるということだと、カメリオは感じていた。
「俺の子供達なら、今頃はそれぞれの母親と幸せに暮らしているだろう」
「そうだとしても、子供達が受け取るはずだった幸せ……俺が、横取りはできません」
トゥルースが我が子を見捨てる男だということを、知っていたというのに惹かれてしまった自分の心をも戒めるように、カメリオは言葉を継いだ。
「俺……番頭さんの親切には、仕事で返します。腕っ節で、返します」
自身の告げた言葉がトゥルースの想いを醒ますならば、それでも良いとカメリオは思う。応えてはいけない情熱を何時までもトゥルースに抱かせることもまた不誠実だと、初心な青年の心は判断したのだ。
「君は、どこまでも真っ直ぐで……清らかだな」
だが、トゥルースが呟いた言葉は、カメリオの予想とは真逆の熱を帯びていた。カメリオはトゥルースに嫌われるつもりの言葉が、彼の眼差しから熱を奪わなかったことをどこか嬉しいと思ってしまう自分の心を、やはり弱虫だと感じる。
「そんな風に見られても……俺、番頭さんと同じ気持ちには、絶対なりません」
涙を啜り上げながら、自身にも言い聞かせるようにカメリオは念を押す。トゥルースは少し残念そうに目を細めて、カメリオに希った。
「君が俺と同じ気持ちにはならなくても――この先も、君を想うことを許してくれるか?」
「……想われても、俺は、応えませんから」
「それでも良いんだ」
言いながら指先でカメリオの耳珠を撫でてくるトゥルースの腕を、カメリオは思い切り抓り上げる。トゥルースは痛みに呻いたが、顰めた顔はどこか嬉しそうだった。
「今日は授業どころではなかったな。明日また、仕切り直しとしよう」
「……だから、特別扱いするのはやめてくださいって――」
「君の決心は、俺から物を教わるくらいで折れるものなのか?」
トゥルースのあからさまな挑発に、カメリオは形の良い眉を寄せる。挑発だと理解していておいそれと引き下がる程、カメリオも成熟してはいなかった。
「上等、です。俺……絶対に折れませんから」
「良い返事だ。明日も、同じ時間に俺の部屋に来てくれ」
カメリオは手の甲で自らの目元を拭うと、ぺこりと会釈して席を立つ。トゥルースが目線で送ったおやすみの挨拶は、少しむくれたような表情で返してくれた。
何時もより音を立てて閉まる扉に紛れるように、トゥルースは忍び笑う。一頻り笑った所で、深く溜め息を吐いたトゥルースは、陶然と独り言ちた。
「どうしたらあのように、心根まで美しく育つのだろうな」
これまでのトゥルースは、恋の駆け引きとして想う想わぬの話をしてきた。他に恋の相手が居ると告げても、それでも構わないと胸に縋ってくる者を健気と感じた時もあった。だが、カメリオはこれまでの恋の相手とは根本から違った。
顔すら知らない子供達を慮って想いを捨てるなどと、瞳に涙を湛えながら告げるいじらしさを、トゥルースは愛しいと感じた。抱き締めたいと願った。
カメリオはその善良さ故に、トゥルースに子供達の父親として寄り添うことを望んでいるのだろうか。何れカメリオに訊ねてみたいと思うトゥルースであったが、彼自身の考えは異なるものだ。
「あの子達の幸せな暮らしには、俺など要らないんだがな……」
トゥルースは、自身の幼年時代を今も懐かしく思っている。それは、二人きり暮らしていた母と引き離された、少年時代の苦い日々の中に湧いた思慕が、かつての懐かしさをより引き立てているのかもしれない。トゥルースがカームビズ商会の嫡子と認められたあの日に喪われた、穏やかな日々はもう返らない。
「野心や謀など知らず――幸せに生きて欲しいと願うのは、俺の我が儘か」
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