絶砂の恋椿

ヤネコ

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知らない気持ち

11―3

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「おいで。話をしよう」
 カメリオを呼ぶ声は良く知った彼のそれだが、顔には霞が掛かっている。カメリオはそれが何故か悲しくて、声がする方に近寄った。どうやらここは彼の部屋のようだが、隣に座っても彼の顔に掛かった靄は取れない。
「顔が、よく見えないです」
 頬に触れる手の感触も、彼のものだというのに彼の顔だけが、やはり見えない。もっと近付いたら見えるだろうかと、彼の声がする方へ顔を近付ければ、カメリオの唇に彼の吐息が触れた。
「――口づけをすれば、きっと視えるようになるさ」
 彼のその言葉に、どうしてだか納得して瞳を閉じたところで――カメリオは目を覚ました。
「…………夢の中でまで、変なこと言わないでよ」
 夢から覚めたカメリオは、面映ゆさを誤魔化すように壁の向こうへ憎まれ口を叩く。誰に覗かれているというものでもないが、夢の中で自身が取った行動が恥ずかしかったのだろう。カメリオは、トゥルースと顔を合わせる前に日課を済ませてしまおうと、まだ薄暗い中で起き出した。
 まだ明けきれない朝の空気はひんやりと夜を残して、カメリオの頬を冷やす。駆ける速度に合わせて置き去りにする景色を目の端に感じながら、カメリオは慣れた道を駆ける。自身の息遣いだけが響く中で、カメリオは胸の内を日に日に占める不可解な感情と改めて向き合っていた。
(こんなの……俺が俺じゃないみたいだ)
 それと向き合う自分は、随分と弱虫だとカメリオは恥ずかしくなる。カメリオが名前を知るのを怖れているその感情は、トゥルースから向けられている眼差しの色とよく似たものだ。
 カメリオがもない臆病な様子を見せているからだろうか。とうとう夢の中まで流れ込んできたそれは、早く認めてしまえと懊悩するカメリオの胸ぐらを掴む。
(……番頭さんが俺には特別親切だってことくらい、わかってる)
 トゥルースはカメリオが砦から移籍して以降、日々自らが持つ知識を惜しみなく与えてくれている。何故このような親切を与えてくれるのかと、ある日のカメリオが訊ねれば、トゥルースはカメリオと過ごす時間が楽しいからだと笑った。
 カメリオも、トゥルースから学びを得る時間を楽しいと感じている。それは幼馴染みで親友のエリコやヤノと過ごす時間とはまた違う楽しさだと、カメリオは自覚しつつあった。トゥルースから折に触れて投げかけられる、困ってしまうような言葉も冗談で言っている訳ではないことは、カメリオも内心に理解している。
(でも――俺は、番頭さんと同じ気持ちには、なりたくない)
 しかし、カメリオの胸中で暴れるそれを認めることを、トゥルースから向けられる直向きな情熱に呼応した自らの情熱の火種を、カメリオの今や二つに分かれてしまった心の芯が拒んでいる。
 これまでのカメリオを形作ってきた無垢な正義感は、自身がトゥルースに想いを寄せることを、顔も知らない――しかし、確かに同情と義憤を感じた――カメリオと同じ境遇の赤子達への裏切りだと、苦く感じていた。
(番頭さんの親切には俺の仕事で返そう。それ以外は――それ以外の気持ちは、持っちゃだめだ)
 カメリオは自身の心を染めるその感情の、知ってしまった名前を押し潰すように否定した。
「ほら、眉間の皺を伸ばしなさいよ。朝からそんな顔しちゃべっぴんさんが台無しだよ、お前」
「……大きなお世話だよ」
 ちょいちょいと眉間に触れてくるファビオの手を鬱陶しそうに払いのけたヴァンダは、溜め息を一つ吐いた。
 朝から晩まで忙しいヴァンダと、夜更けまで酔客のお守りをしているファビオにとって、朝食代わりの香草茶を愛する者と共に喫するこの時間は心安らぐ時間だ。しかし、この日のヴァンダはファビオが指摘する通り、眉間に深い皺を拵えている。
 ファビオに突っ慳貪な態度を取るヴァンダも、これはただの八つ当たりだとは自覚している。昨日にカームビズ商会支部を訪ったヴァンダが自身の複雑な感情を一つ一つ解きほぐしていくうちに、彼女の胸にはずっしりと重いものが残った。それは不甲斐ないと自嘲する鼻息にも吹き飛んでくれず、ただ、ヴァンダがこれまで市場で働く者達の為にと積み上げてきたものが、文字通りこの島の生殺与奪の権を握るカームビズ商会の前にはたわいないものであると言い聞かせてくるかのようでもあった。
「昨日のこと、まだ引き摺っているのかい?」
 そんなヴァンダの胸の内を読んだかのように、ファビオはヴァンダをして余計なお世話な言葉を重ねる。だが、ヴァンダもファビオの言葉は、ヴァンダが胸の内に抱える負担を分け合うべく紡がれた言葉であることは理解していた。
「……あたいたちは、商会の世話にならないと立ち行かないって思い知らされたからね」
「そりゃあ……まあ、どうしてもね。うちらは貧乏だもの」
 ファビオの言葉は身も蓋もないが、事実バハルクーヴ島は貧しい島だ。市場の在り方も、稼ぎを得るというよりはお互いの生活を補い合うようなもので、金銭的な豊かさを指標とするのであれば、皆等しく乏しいと言える。唇を噛み締めたヴァンダの手を、先に払われた手ともう片方の手で包み込むように握ったファビオは、丸っこい目を瞬かせながらヴァンダを慰める言葉を継いだ。
「でもだよ、お前。みんな貧乏でも商いをやってる人の中で、あぶれる人が居ないようにやってこれたのはお前の差配のお陰じゃないか」
「あんた……」
 恐妻家ではあるが愛妻家でもあるファビオは、ヴァンダの日々の仕事ぶりを尊敬している。慰めの言葉は、確かな賞賛の言葉でもあった。唇を噛み締めていたヴァンダにも、笑顔が戻ると思われたが、
「――そもそも商会に頼るハメになったのは、あんたが客のツケ払い癖を野放しにしたからじゃないか」
「ま、まあねえ。そうねえ……そうでもあるけどね」
 突然痛いところを突かれたファビオは、瞬きの速度を速めた。本来であれば、雨期に訪れる物好きな旅行者達同様にこの島の市場に貨幣を循環させる存在である傭兵達は、ファビオが甘やかすのを良いことに、酒場以外の店でも当たり前のように顔と名前、或いは脅しを担保に市場の店がもたらす糧を食い潰すばかりでいるのだ。
「わかってるよ。あんたが放り出したら、連中はいよいよ行くところが無いってことくらい」
「うん……本当ね、ツケ払いのことはね、どうにかさせたいんだけども」
 幼い頃から傭兵達に慣れ親しんできたこともあり、ファビオは人一倍彼等に同情的な性質であることはヴァンダも理解している。だが改めて、けじめが必要だとヴァンダは先の一件から実感していた。
「……そういや、あの番頭は見舞金は取っ捕まった連中の刑期から出すって言ってたね」
「ああ。商会の小僧さんもそんなことを言ってたっけ」
 ヴァンダは、ふと自身の脳裏に走った閃きが、商会の模倣であることに酸い物を食べたような顔をした。商会から金銭的な世話を受けて情けないような気持ちになっているのに、今度は市場運営の遣り方まで借りるのか。そもそも、何故今までこの方法を思いつきもしなかったのかと、ヴァンダの胸に居座る重いものが問いかけてくる。
 と、そこへファビオが良いことを思いついた、と朗らかな声で呟いてヴァンダに問いかけた。
「それならお前、こうしようか。商会のやったみたいにさ、傭兵連中にはツケ払いの代わりにその店の手伝いをさせよう」
「でも――それじゃ、まるで商会のやり方のまねっこじゃないかい?」
 自身と同じ事を思いついたファビオに、ヴァンダは内心の葛藤を訊ねる。するとファビオは、丸い目を細めて笑った。
「良いやり方があるならまねっこしたっていいじゃないか。市場の人たちにだって元ネタがある方がすんなり話が通るよ」
「あんたって人は……ほんと、ちゃっかりしてるよ」
 あっけらかんと言ってのけるファビオに、ヴァンダは呆れたように笑った。同じ事を考えていながらも、ヴァンダがそれを口に出せずに居たのは、胸の中にわだかまるものに怯えていたからだ。それは自尊心かもしれないし、見栄かもしれない。だが、ファビオの言葉を聞いたからだろうか。ヴァンダの胸の中に居座っていたそれは、ずいぶんとちっぽけなものに変わっていた。
「それじゃ、近いうちにみんなに相談して話を詰めていこうかね」
 やれやれと言葉を継いだヴァンダの眉間は、知らず穏やかななだらかさを取り戻していた。
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