絶砂の恋椿

ヤネコ

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選別と和合

10―2

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 タルズが倉庫島からバハルクーヴ島へ帰還したのは、月明かりが真上に出た頃であった。冴え冴えとした空気の中に浮かぶ月に照らされて独り砂船を繰るのは、タルズとしても好ましい時間だ。
 大体の雑事は器用に熟すタルズであるが、気を許したわけでもない相手に連日愛想良く振る舞うというのは、なかなか気詰まりするものだ。空から降り注ぐ凍ったように静かな輝きが、タルズには心地良かった。
「苦労を掛けたな、タルズ。よく無事に帰ってきてくれた」
「おかえりなさい」
 しかし、夜中だというのに自身を船着き場にて出迎えたトゥルースとカメリオの姿には、タルズも呆れ半分の懐かしさを憶えた。
「こんな夜中に、わざわざ船着き場くんだりまで出迎えてくれんでも良かったんでやすがね」
「なに、見送りをしたからには出迎えたいからな」
 タルズの軽口に何時もの調子で返すトゥルースの隣には、カメリオが眠たげに瞼を瞬かせながら侍っている。
「坊主も眠てえだろうに、ご苦労でやしたな」
「ううん……タルズさんこそ、夜中までお疲れ様でした」
 眠気を隠すように表情を引き締めたカメリオに、タルズはははあと笑った。言葉遣いは日に日に海都臭くなってはいくが、何処かあどけなさが残るカメリオの振る舞いがタルズは嫌いではない。
「明日はたんと朝寝させてもらいやすぜ」
「ああ。そうしてくれ」
 倉庫島での寝床の方が余程上等な、宿舎の古ぼけた寝具が懐かしく感じる程度には、タルズもこの島に根を張っていたらしい。自身の仕事がトゥルースを助けることでバハルクーヴ島の助けとなるならば、苦労も多少は報われようと、タルズは息を吐いた。
 明けて翌日。星の巡り暦では愛の日であるこの日は、女神信仰が強い海都では休日と定められている。カームビズ商会バハルクーヴ島支部もまた、ここ最近はようやく休業日としての面目を取り戻しており、執務室はがらんとしている。
(ここまでは順調か――存外に、彼等も純な性質なのかもしれないな)
 一方でトゥルースは自室にて、自らがまとめた苦役刑囚の記録を読み返していた。療養所――現在は試験的に負傷した傭兵のみを患者として収容しているが――開設に伴い、トゥルースが制定した苦役刑囚同士が互いを評価する方法は上手く機能しているようだ。元は故郷を弾き出された者である彼等も、周囲からより良く見られたいという願望は少なからず持ち合わせている。
 傭兵時代の彼等であれば、避けていた苦労を買って出ることで周囲から向けられ得る尊敬の眼差しの快さを刷り込み、高く評価されることへの欲求――名誉欲を苦役刑囚達に植え付けることは、彼等の稼働性を高めるには欠かせない課程だ。
「番頭さん、起きてますか?」
 そこへ、部屋の外からカメリオの声が聞こえた。どうやら彼の朝の日課を終えて帰ってきたらしい。自室内ということもあり、起き抜けのまま仕事に掛かっていたトゥルースだが、自身が思っていたより長い時間を没頭していたようだ。
「ああ。起きているとも」
「朝ご飯を持ってきました。まだ、食べてないですよね?」
 カメリオの声は、どこか呆れ気味だ。おそらくはトゥルースの室内での様子も、察していることだろう。そう言えばまだ朝食も摂っていなかったなと、トゥルースは自らの不摂生をやや反省するように口許に笑みを浮かべた。
「それは助かるな。入ってきてくれ」
「失礼します」
 トゥルースが声で招き入れれば、程なくしてパンが盛られた皿と湯気が立つ香草茶とを盆に載せたカメリオが入室してきた。机の上に置かれた書類を片付けるうちに、卵を揚げ焼きした香ばしい香りがトゥルースの鼻腔を擽る。
「君の手作りか?」
「……パンだけじゃ味気無いと思って」
「ありがとう。嬉しいよ」
 どうやら作りたてらしい、揚げ焼きした卵を挟んだパンにトゥルースが手を伸ばせば、カメリオはさっと皿を取り上げた。どうしたことかとトゥルースがカメリオの顔を見遣れば、カメリオは不服を表情から隠さずにいる。
「書類を読むのを止めたら、食べさせてあげます」
 机上の書類を朝食が載った盆を置く分の場所は片付けたものの、読んでいる書類を置いたままにしていたのがカメリオは不服だったらしい。確かに、せっかくカメリオが手作りの朝食を食べさせてくれるというのに横着をするのは良くないなと、トゥルースは書類を脇に片付けて口を開けた。
「なにを、しているんですか……?」
「食べさせてくれるんだろう?」
「…………食べてる時は、もう仕事はしないでください」
 照れたようなむくれ顔でトゥルースの口許にパンを差し出してくるカメリオの様を目で楽しみながら、トゥルースは温め直されたらしい芳ばしいパンにかぶりつく。大人げない言葉遊びなのは、当然トゥルースも自覚している。だが、言質は取ったのだ。揶揄いに素直に応じてくれるカメリオが、トゥルースにはたまらなく可愛らしく感じられた。
「美味い」
「……ちょっと焦げてますけど」
「君が食べさせてくれるなら、丸焦げだろうが俺には美味いよ」
 憎まれ口に軽口を返せば、カメリオはぷいとトゥルースとは反対側を向いてしまった。どうやら、口説かれたと思ってくれたようだ。普段の仕事中であればこんな悪ふざけは控えるが、カメリオは食事中くらいは休めと言っているのだ。それならば、こちらも休みらしい態度で応じても良いだろうと、トゥルースは笑みを深める。
「次の愛の日には、俺が君に朝食を馳走しよう」
「……俺は、こんな風には食べませんから」
「それは残念だ」
 にやけた顔のまま肩をすくめるトゥルースの口に、カメリオはぐいぐいとパンを突っ込んできた。もう喋るなということらしい。トゥルースもおとなしく、遅い朝食を堪能した。
 パンと共に供された香草茶の爽やかな味わいにトゥルースが一息吐いたところで、カメリオはぽつりと口を利いた。
「海都に居る時も、休みの日まで仕事をしていたんですか?」
「そうだな。あっちでは顔繋ぎやら何やらで、休日の方が却って気疲れしたものさ」
 トゥルースとしては、かつてのように足場固めや商売敵の追い落としに費やす時間よりも、この島の未来に繋がる仕事をしている今の方が余程楽しいのだが、カメリオは日々仕事に感けているトゥルースの姿が心配であったのだろう。
「心配を掛けているのはすまない。だが、俺はこうしているのが楽しくてな」
「書類を読むのが……ですか?」
「ここに記録された者達がいずれバハルクーヴ島を支える一員になると思うと、わくわくしてこないか?」
 トゥルースは苦役刑囚との対話にカメリオも同行させていることもあり、自室にて保管している苦役刑囚の記録内容については秘匿はしていない。それもあってか、カメリオは考えを巡らすように下唇に指を添えてから、トゥルースにこくりと頷いてみせた。
「……わくわく、します」
「そうだろう。尤も、末永く共に在ることができる者ばかりではないだろうがな」
 どういうことかと首を傾げるカメリオに、トゥルースは楽しげに言葉を継いだ。
「全ては、彼等の選択次第ということさ」
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