絶砂の恋椿

ヤネコ

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功労者たち

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 タルズが不在の間、カームビズ商会バハルクーヴ島支部の朝食の仕度は、各自が持ち回りで担当することとなった。初日にトゥルースがやや焦げた玉子――教えるカメリオが焼いたお手本も、こんがりと焼き色がついている――を挟んだパンを振る舞ったことから、小僧達も料理魂に火が付いた形だ。
 この日、ズバイルが振る舞ったスープは、中の具たちが指先に乗るほどの立方体として器に鎮座している。テーブルに着いた者達は、几帳面な仕事に感心して具を咀嚼した。
「トゥルース様、農場のグラート殿が面会を求めていますがいかがいたしますか?」
 朝食後、団欒が仕事の話に切り替わった所で、ズバイルがトゥルースに訊ねた。カームビズ商会が管理する農場のまとめ役であるグラートとトゥルースが顔を合わせたのは、先の会合きりだ。
「会おう。面会希望日はいつだって?」
「本日以降であれば、トゥルース様のご都合が良い時間で構わないとのことです。しかしながら――場所は、農場まで来てほしいと」
「なるほど。それなら、早速今日向かうとするか」
 トゥルースは了承しつつ、カメリオに目配せをする。カメリオは頷くと、自身が把握しているトゥルースの本日の予定を伝えた。どうやら、他の予定にも障らないようだ。
「――君は、農場区域に行ったことはあるかい?」
 農場区域はバハルクーヴ島南部、カナートに程近い場所に位置している。砂にまみれた道を徒歩で向かいながら、トゥルースはカメリオに訊ねた。
「はい。今朝も通りがかりました」
「そうか。それなら、何を作っているかも知っているか?」
「いえ……木が囲んでいるから、何を作っているかはよくわからないです」
 日課である走り込み中に見える風景としては、カメリオの目には防砂林が映るばかりなので、その内訳までは判らない。とりあえず、市場で売られている野菜が作られているのだろうとまでは、漠然と把握している状態だ。
「せっかくの機会だ。実際に見て、知っていこうじゃないか」
「わかりました」
 品目名だけなら書庫に保管している書面を読めばわかるのだろうが、生産の現場を見ることで初めて理解できるものもあるだろう。トゥルースも内心、此度の農場訪問は楽しみにしている。
「俺も地面に植わった野菜を見るのは初めてでな。――さて、どんな具合に生えているものだろうな」
「!」
 トゥルースの言葉にカメリオは未知への具体的な好奇心を擽られたのか、ぱっと表情を輝かせた。仄かに染まった頬に、トゥルースは微笑ましい心地を覚える。
「楽しみ、ですね」
「ああ。そうだな」
 農場に近づくにつれ、水の流れる音が大きくなってきた。カナートから枝分かれした地下水路からは、水車が水を汲み上げている。そこから用水路を流れる水が農地を潤すおかげで、乾期であっても作物を育てることができるのだ。農地の周りには背丈の高い樹木が防砂のためにぐるりと植えられており、島の中でも一際緑が多い場所であることをその色彩で伝えてくる。
「カームビズ商会のトゥルースだ。グラートに繋いでくれ」
「へ、へえ……ただいま!」
 木陰で涼んでいた農夫に遣いを頼めば、程なくして農夫はグラートを連れてきた。相変わらず、貼り付けたような笑顔を浮かべた中年は、深々とトゥルースに頭を下げた。
「あぁ……トゥルース様、ようこそお越しくださいました」
「久しいな、グラート」
 挨拶を交わすトゥルースの後ろで、カメリオは会釈をするのみに留めた。今にも本題に入りたそうなグラートの様子に、話の腰を折ってはならないと判断したからだ。
「早速ではありますが、農場の様子をご覧いただけますでしょうか?」
「ああ。案内を頼む」
 話が早いのは良いことだ、とトゥルースはグラートの言葉に頷いた。カメリオはというと、早速地面に植えられた野菜を見物できることに、わくわくとした気配を強めている。
「えぇ……まずは、麦畑をご案内します」
 グラートに連れられるまま、トゥルースとカメリオは小道を進む。作付けされたばかりの麦畑からは、緑の匂いに混じって饐えた臭いがする。トゥルースは思わず鼻声で、グラートに訊ねた。
「……これは、肥料の臭いか?」
「ええ。肥料に鶏糞を使用しているので、その臭いでしょう」
 さらりと応えるグラートは、臭いにも慣れたものなのだろう。麦畑で作業をしている農夫たちも、トゥルースのように顔を顰める者は居ない。トゥルースは、自身と同じ思いを抱えているであろうカメリオを振り返った。
「マリウス。臭いは大丈夫か?」
「砂蟲のはらわたの臭いに比べたら……平気、です」
「……なるほど。あれは、そんなに強烈なのか」
 それでも柳眉を顰めたカメリオに、トゥルースは幾らか溜飲を下げる。グラートはちらりとカメリオの顔を見遣ると、トゥルースに訊ねた。
「あのぅ……彼は、砦の者ですか?」
「元、だがな。今は商会に移籍した身だ――マリウス」
 トゥルースはカメリオに耳打ちして、挨拶を促す。カメリオは以前にトゥルースが教えた挨拶を、緊張した面持ちで口にした。
「……初めまして、グラートさん。マリウスと申します」
「グラートです。君は、綺麗な話し方をしますねぇ」
「え……と、番頭さんに、話し方を教えてもらいました」
 カメリオの返事に、グラートは笑みを深くして頷いた。先程までの張り付いたような微笑みとは違う温かさに、トゥルースもおやとその表情を眺める。
「学ぶ事は、君の人生を豊かにしてくれます。これからも精進してくださいね」
 カメリオの肩をポン、と叩いたグラートは、トゥルースに改めて会釈して歩き出した。どうやら、次の畑へ案内してくれるらしい。
 グラートの背中が少し離れたところで、トゥルースは小声でカメリオに耳打ちした。
「良い挨拶だったぞ」
「……ありがとう、ございます」
 褒められて照れているらしいカメリオに、トゥルースは脂下がる心地を覚える。話し方が一通り身に付いたら、今度は海都式の礼法も教えようかとトゥルースが考えているところで、カメリオが声を潜めて告げた。
「番頭さん、誰か……ついてきます」
 何者かの気配を察知したらしいカメリオに、トゥルースは首を横に振った。農場に入ってから増えた気配なら、自ずと正体は絞られるからだ。
「お前たち、俺に何か用か?」
 トゥルースのよく通る声は、尾行つけてきた者たちの臆病な心に響いたらしく、慌てふためいた返事が返ってきた。
「お、俺らぁ……その……」
「グラートさんが、無体されとらんか……」
「し、心配でよぅ……」
 案の定、気配の正体は農場で働く者たちであった。そのうちの一人は、トゥルースが遣いに走らせた農夫だ。
「慕われているようだな、グラート」
「いやはや……なんとも」
 困ったようなグラートの笑顔は、幾らか人間臭いはにかみを纏っているようであった。
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