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贄の男
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海都において、豪商の要人は護衛となる者を一人ないし複数人従えている。こと、砂漠の砂の数ほどに商売敵の恨みを買っているカームビズ商会では、腕が立つ者を商会員が直々に自らの配下へと勧誘することも珍しくはない。その為、カメリオの移籍は情報の共有の際も、事情を心得た小僧達にはすんなりと受け入れられた。
移籍に関する諸々の説明を受けつつも、応接机を挟んで一対一の対話のためか緊張で強張った面持ちのカメリオに、トゥルースは優しげに訊ねる。
「ここまでの話は、大丈夫か?」
「……大丈夫、です」
口ではそう答えるものの、何か訊ねたげなカメリオに目線で言葉を促せば、やや迷ったような瞳で彼はトゥルースに訊ねた。
「番頭……さんは、海都で、護衛はいなかったの……です?」
「居るにはいたが、今は商会長に付いている」
トゥルースの答えに、カメリオは気の毒そうに目を伏せた。不祥事の罰に護衛を取り上げられたとでも考えたのであろう。トゥルースは苦笑いを浮かべて、言葉を継いだ。
「俺が頼んだんだ。彼は新婚だったからな」
「そっか……」
「聞きたい事があれば、遠慮無く聞いてくれ」
ほっとした様子のカメリオに、トゥルースは表情が緩みそうになるのを抑える。これから伝えるのは、カメリオにとっては少なからず抵抗を感じるであろう内容だ。
「君には、今日から商会員名を名乗ってもらう。家族以外の前での君は、もうカメリオではないと理解してくれ」
「どういう、こと……です?」
理解し難い言葉に、カメリオは訝しげな眼差しをトゥルースに向ける。トゥルースはさもありなんと頷いて、両の掌を鳴らした。
「昔話だ。初代の商会長が水の女神と交わした約束の話をしよう」
トゥルースの言葉に、カメリオはぱちくりと目を瞬かせた。思いもよらない方向に飛んだ話に、呆気にとられた様子のカメリオに微笑みかけ、トゥルースは言葉を紡いだ。
――その昔、勤勉な商人であったカームビズは、夢枕に叡智を司る水の女神の姿を見た。水の女神はカームビズに朝焼けのように美しい玉を授け、こう告げた。
『お前の息子を私に捧げるならば、この玉が永遠の富をお前の一族に齎すことでしょう』
カームビズは水の女神が告げた言葉に慄き、頷くことしかできなかった。目が醒めたカームビズは、夢の中に見た玉をその手に握りしめていたことに再び慄いた。
女神のお告げに嘆き悲しんだのが、我が子を溺愛するカームビズの妻だ。一計を案じた妻は、息子と同じ日に生まれ同じ名を持つ少年を替え玉に仕立てた。まんまと騙された女神の遣いは、替え玉の魂を冥府へと連れ帰った。
「そんなのでごまかせるの……です?」
「女神の遣いは魂を匂いで判別するそうだ。名前と生まれた日が同じ者の魂の匂いは、よく似ているらしい」
しかし水の女神までは誤魔化せず、祭壇に祀った玉から放たれた雷により、隠れていたはずのカームビズの息子も命を落とした。
謀りへのさらなる裁きを恐れたカームビズと妻はその血を玉に捧げ、許しを請うた。その晩、やはりカームビズの夢枕に立った水の女神は、三つの条件を提示した。一つ、子々孫々の代まで水の女神を篤く敬い祀ること。二つ、一族の長が代替わりした際には、長とその妻の血を玉に捧げること。三つ、周囲に置く者の名は迎えに来た女神の遣いにも一嗅ぎで判別できるよう、魂に元より刻まれている名とは異なるものに変えること。これを違えれば、立処に一族は滅びると水の女神はカームビズに厳しく言い付け、カームビズはこれを深く胸に刻んだ。
「――という訳で、カームビズ商会では代々、商会員は別の名を名乗ることが義務付けられているんだ」
「水の女神の、言い付けだから……です?」
「そういうことになるな」
カメリオは理解はしたものの納得はいまいちしていないことを、眉間から隠さず頷いた。バハルクーヴ島では、海都のようには女神信仰が浸透していないらしい。
「俺個人としては、公に名乗る名と元の名を使い分けることで――例えば、商会員の成り済ましを暴くといった効果もあると考えている」
トゥルースが付け加えた言葉に、カメリオはようやく納得がいったようだ。
「俺の商会員名は、なんていうの……です?」
「君には、マリウスと名乗ってもらう」
「わかった……です」
おそらくは、商会入りを機会に言葉遣いを改めたつもりなのだろう。先程からおかしな話し方をするカメリオに、トゥルースは提案した。
「丁寧に話そうとするのはいい心掛けだが、どうせなら格好良く話してみたくないか?」
「どうしたら……格好良く話せる、ます?」
トゥルースの提案にカメリオは恥ずかしげに眉間を顰め、トゥルースに訊ね返した。カメリオとしても、やはりこの言葉遣いには違和感があったらしい。
「俺が教えよう。格好良い話し方も立ち居振る舞いも、全て君に与えてやる」
見初めた者への染めたがりの悪癖を自覚しながら、トゥルースは頭の片隅にカメリオの特訓カリキュラムを組み立てていた。
さて、執務室では以前のような殺気立った雰囲気は消えたものの、小僧達が忙しく机に向かっている。
「あちらの様子が気になるか? ミッケ」
「えっ……いや、はい」
仕事中だというのに気も漫ろな様子のミッケを、先輩の小僧がからかう。此度のカメリオの移籍は、ミッケからすれば寝耳に水の話であった。
「はは。初めての後輩があの美貌なら、気にもなるだろうな」
「いやあの、そういうわけじゃ――」
先輩の小僧の決め付けをミッケが否定しかけたところで、彼を挟んで反対側の席に座る小僧が話に割り込んできた。
「ところで、彼は賢そうな面構えをしていたな。ひょっとしたら算術も得意なんじゃないか?」
「えっ?」
「いや、砦に居たなら脳味噌まで筋肉だろう。だが、書類整理なら或いは――」
どうにかしてカメリオを戦力に組み込もうと思案する小僧達に、ミッケが言葉を掛けあぐねていたところで、ズバイルの咳払いが響いた。
「彼は、我々の小間使いじゃないぞ」
私語を咎められると身構えていた小僧達は、筋肉嫌いなズバイルの意外な言葉に顔を見合わせた。
「なに、軽い冗談さ。本気で扱き使うつもりはないぞ?」
「お前も仕事に集中しろよ、ミッケ」
「あっ、はい」
小僧達は応接室の方に旋毛が惹かれる心地を味わいつつも、黙って机上の書類との格闘を再開した。
移籍に関する諸々の説明を受けつつも、応接机を挟んで一対一の対話のためか緊張で強張った面持ちのカメリオに、トゥルースは優しげに訊ねる。
「ここまでの話は、大丈夫か?」
「……大丈夫、です」
口ではそう答えるものの、何か訊ねたげなカメリオに目線で言葉を促せば、やや迷ったような瞳で彼はトゥルースに訊ねた。
「番頭……さんは、海都で、護衛はいなかったの……です?」
「居るにはいたが、今は商会長に付いている」
トゥルースの答えに、カメリオは気の毒そうに目を伏せた。不祥事の罰に護衛を取り上げられたとでも考えたのであろう。トゥルースは苦笑いを浮かべて、言葉を継いだ。
「俺が頼んだんだ。彼は新婚だったからな」
「そっか……」
「聞きたい事があれば、遠慮無く聞いてくれ」
ほっとした様子のカメリオに、トゥルースは表情が緩みそうになるのを抑える。これから伝えるのは、カメリオにとっては少なからず抵抗を感じるであろう内容だ。
「君には、今日から商会員名を名乗ってもらう。家族以外の前での君は、もうカメリオではないと理解してくれ」
「どういう、こと……です?」
理解し難い言葉に、カメリオは訝しげな眼差しをトゥルースに向ける。トゥルースはさもありなんと頷いて、両の掌を鳴らした。
「昔話だ。初代の商会長が水の女神と交わした約束の話をしよう」
トゥルースの言葉に、カメリオはぱちくりと目を瞬かせた。思いもよらない方向に飛んだ話に、呆気にとられた様子のカメリオに微笑みかけ、トゥルースは言葉を紡いだ。
――その昔、勤勉な商人であったカームビズは、夢枕に叡智を司る水の女神の姿を見た。水の女神はカームビズに朝焼けのように美しい玉を授け、こう告げた。
『お前の息子を私に捧げるならば、この玉が永遠の富をお前の一族に齎すことでしょう』
カームビズは水の女神が告げた言葉に慄き、頷くことしかできなかった。目が醒めたカームビズは、夢の中に見た玉をその手に握りしめていたことに再び慄いた。
女神のお告げに嘆き悲しんだのが、我が子を溺愛するカームビズの妻だ。一計を案じた妻は、息子と同じ日に生まれ同じ名を持つ少年を替え玉に仕立てた。まんまと騙された女神の遣いは、替え玉の魂を冥府へと連れ帰った。
「そんなのでごまかせるの……です?」
「女神の遣いは魂を匂いで判別するそうだ。名前と生まれた日が同じ者の魂の匂いは、よく似ているらしい」
しかし水の女神までは誤魔化せず、祭壇に祀った玉から放たれた雷により、隠れていたはずのカームビズの息子も命を落とした。
謀りへのさらなる裁きを恐れたカームビズと妻はその血を玉に捧げ、許しを請うた。その晩、やはりカームビズの夢枕に立った水の女神は、三つの条件を提示した。一つ、子々孫々の代まで水の女神を篤く敬い祀ること。二つ、一族の長が代替わりした際には、長とその妻の血を玉に捧げること。三つ、周囲に置く者の名は迎えに来た女神の遣いにも一嗅ぎで判別できるよう、魂に元より刻まれている名とは異なるものに変えること。これを違えれば、立処に一族は滅びると水の女神はカームビズに厳しく言い付け、カームビズはこれを深く胸に刻んだ。
「――という訳で、カームビズ商会では代々、商会員は別の名を名乗ることが義務付けられているんだ」
「水の女神の、言い付けだから……です?」
「そういうことになるな」
カメリオは理解はしたものの納得はいまいちしていないことを、眉間から隠さず頷いた。バハルクーヴ島では、海都のようには女神信仰が浸透していないらしい。
「俺個人としては、公に名乗る名と元の名を使い分けることで――例えば、商会員の成り済ましを暴くといった効果もあると考えている」
トゥルースが付け加えた言葉に、カメリオはようやく納得がいったようだ。
「俺の商会員名は、なんていうの……です?」
「君には、マリウスと名乗ってもらう」
「わかった……です」
おそらくは、商会入りを機会に言葉遣いを改めたつもりなのだろう。先程からおかしな話し方をするカメリオに、トゥルースは提案した。
「丁寧に話そうとするのはいい心掛けだが、どうせなら格好良く話してみたくないか?」
「どうしたら……格好良く話せる、ます?」
トゥルースの提案にカメリオは恥ずかしげに眉間を顰め、トゥルースに訊ね返した。カメリオとしても、やはりこの言葉遣いには違和感があったらしい。
「俺が教えよう。格好良い話し方も立ち居振る舞いも、全て君に与えてやる」
見初めた者への染めたがりの悪癖を自覚しながら、トゥルースは頭の片隅にカメリオの特訓カリキュラムを組み立てていた。
さて、執務室では以前のような殺気立った雰囲気は消えたものの、小僧達が忙しく机に向かっている。
「あちらの様子が気になるか? ミッケ」
「えっ……いや、はい」
仕事中だというのに気も漫ろな様子のミッケを、先輩の小僧がからかう。此度のカメリオの移籍は、ミッケからすれば寝耳に水の話であった。
「はは。初めての後輩があの美貌なら、気にもなるだろうな」
「いやあの、そういうわけじゃ――」
先輩の小僧の決め付けをミッケが否定しかけたところで、彼を挟んで反対側の席に座る小僧が話に割り込んできた。
「ところで、彼は賢そうな面構えをしていたな。ひょっとしたら算術も得意なんじゃないか?」
「えっ?」
「いや、砦に居たなら脳味噌まで筋肉だろう。だが、書類整理なら或いは――」
どうにかしてカメリオを戦力に組み込もうと思案する小僧達に、ミッケが言葉を掛けあぐねていたところで、ズバイルの咳払いが響いた。
「彼は、我々の小間使いじゃないぞ」
私語を咎められると身構えていた小僧達は、筋肉嫌いなズバイルの意外な言葉に顔を見合わせた。
「なに、軽い冗談さ。本気で扱き使うつもりはないぞ?」
「お前も仕事に集中しろよ、ミッケ」
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