絶砂の恋椿

ヤネコ

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君の名はマリウス・前

5―1

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 新たな部下となる、カームビズ商会バハルクーヴ島支部の小僧達との対話で、トゥルースは彼等に掛かる、異様なまでの負荷に気付いた。海都の本部で確認した、過去に提出された報告書の内容と脳裏に照らし合わせても、明らかに仕事量が多いのだ。
「どういうことだ? ダーゲル」
「どういうこともなにも……報告書に纏める段階で余分を省いたまでです」
 結論から言えば、今は亡き手代とその補佐を務めていたダーゲルは、小僧達に本部へ報告していない業務を、多数押し付けていたのだ。そこには、憂さ晴らしや伝達の誤り、職務的怠慢がヘドロのように堆積していた。そして不幸なことに、小僧達はそれらを完遂するだけの処理能力を持ち合わせていたため、この異様な状況を人手不足によるものと以外には認識しなかったようだ。
「彼等の仕事を正しく差配し、管理するのがお前の役目だろう。部下を潰す気か」
「おや、それを貴方様が仰いますか。私めをこのような場所に監禁している貴方様が」
 状況の確認ついでに、トゥルースから人道的な介抱――簡易な傷の手当てと朝食パンの提供――を受けたダーゲルは、開き直っていた。査問までは生き存えることができるであろうという、姑息な計算から来る態度であった。
「お前との会話は、家畜の糞を顔に塗り付けられたような心地になるな」
「それはそれは、温うて結構でございますな」
 トゥルースは返事をせずに、地下室を後にした。ダーゲルを拘束する椅子を腹立ち紛れに蹴り倒さない程度には、トゥルースは大人のようだ。
 直ちに着手すべき課題が、一時に二つ迫ってきた。一つはクーロシュ一家が放った悪意ある者の確保、もう一つはバハルクーヴ島支部における職場環境の改善である。これらを為さないことには、トゥルースが砦の男達に誓った目標である海都とバハルクーヴ島を結ぶ安全な航路の開通を果たすこともままならない。どちらも、悠長には取り組めない。こうしている間にもクーロシュ一家の手の者は新たな島民を巻き込んでいるかもしれないし、小僧達の心身の健康も捨て置けない。
「いいや、俺は遣り果せてみせるさ」
 脳裏に浮かぶ『手が足りない』という言葉を、トゥルースは口に出した言葉で打ち消した。今頃は、カメリオに託した言伝も砦の親分ガイオに届いていることだろう。アルミロ達には、当分は盛り場には近寄らず、砦の男達と集団行動をするように言って聞かせてある。クーロシュ一家の手の者を確保するまでの応急処置ではあるが、身内の結束が固い砦の男達のことだ。きっと鉄壁の筋肉と拳とで、仲間を魔手から遠ざけてくれることだろう。
「さて……まずは各々の、実際に担当している業務の確認だな」
 この過酷な状況を哀れに思った水の女神が、空から秘書を遣わせてくれないかしらなどと愚にもつかないことを考えながら、トゥルースは執務室へと足を踏み入れた。
 ちょうどその頃、カメリオ達はガイオのもとへと詰め掛けていた。カメリオが口を開けばアルミロ達が勝手に補足のつもりで騒ぎ出すので、ガイオはカメリオのみ自室に招き入れて、話を聞いた。
「――要するに、余所者があの番頭を狙ってアルミロらを駒に使いやがったってか」
「うん。そいつをとっちめるための話し合いを、島の顔役達としたいんだって」
「日程はいつだって?」
「明後日の昼に来てくれって言ってたよ」
 かの番頭が島に来て事態が好転するかと思えば、いきなり厄介なことになったようだ。ガイオは苦虫を噛み潰したような顔であごひげを扱く。
「伝言ご苦労。おめえは仕事に戻りな」
 ぺこりと頭を下げて退室するカメリオの足音が遠ざかったのを確認して、ガイオは強かに枕を殴りつけた。
「余所者野郎が、よくもうちのじゃりどもに悪さしやがったな……!?」
 しかし、ガイオは此度の件では自分がトゥルースに頭を下げるべきだと理解していた。嵌められたとは言え、害意を以て島の責任者であるトゥルースにアルミロ達が危害を加えたのは、紛れもない事実であるからだ。だが、気に入らなかった。謂わば、余所者同士の殴り合いの道具に、息子同然に可愛がっている青年達が利用されたのだ。全身から沸き立つ怒りを、ガイオは枕にぶつけることで宥めたのであった。
「うおっ……」
 だが、筋肉達磨であるガイオの渾身の拳を喰らって、くたびれた枕が無事でいられるはずがない。端が破れ、中身が覗いている。ガイオの野太い指では繕い物など当然できるはずがないので、砦からは離れて暮らしている娘を頼る外なかった。
「ったく……都会モンは汚え喧嘩をしやがる」
 娘から叱られることを想像したせいか、幾分冷静さが戻った声で、ガイオはぽつりと独り言ちた。
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