絶砂の恋椿

ヤネコ

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カナートの激闘

3―5

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「君は、俺の命の恩人だ……ありがとう」
「いいよ。たまたま通り掛かっただけだし」
 襲撃により頬を腫らしたトゥルースは、同じく頬を腫らしたカメリオの両肩を両の手で労るように撫でた。真摯な感謝には満更でもないカメリオは、撫でられてややむずがるような表情は浮かべたものの、トゥルースを振り払うことはしなかった。
「改めて名乗ろう、俺の名前はトゥルース。君の名前を……教えてくれないか?」
「俺の名前はカメリオだけど……さっき、呼んでなかったっけ?」
 カメリオが危機に陥った際、トゥルースは咄嗟に彼の名を叫んだ。自分の事でもないのにあれ程までに肝が冷えたのは、いつ以来だっただろうか。
「すまん、昼間の風呂で君の友達が呼んでいるのを聞いていた」
「盗み聞きするなんて格好悪いね。まあ、お陰でさっきは助かったけど」
 カメリオの態度が幾らか軟化したのは、トゥルースの声掛けが功を奏したらしい。それでも即座に二者を――それも屈強な砦の男を――同時に制圧したカメリオの戦闘センスには図抜けたものがあるのだが、彼はそれを誇ろうともしない。
(容姿の美しさだけじゃない……こんな逸材が、この島に居たのか)
 バハルクーヴ島に来る前に閲覧した資料により、トゥルースはガイオを始めとする島の顔役の名前と外見的特徴は把握していたが、一般島民のカメリオのことは何も知らなかった。トゥルースの胸の内に、カメリオをもっと知りたいという欲の芽が育つ。
 だが、今はこの驚異的な強さを持つ美しき青年にばかり注目している時では無い。トゥルースは、改めて表情を引き締めると襲撃者たる砦の男達に視線を向けた。すると、彼の視線を待っていたかのように、カメリオと最後まで組み合っていた青年が言葉を発した。
「なあ! 今回の事は、俺のムシャクシャがなんもかんも悪いんだ。こいつらのことは、見逃してくれねえか!?」
「おい、アルミロ! おめえなに言ってんだよ!?」
「そうだぜ! 俺らぁ、全員でやったことじゃねえかよ!」
「……それにムシャクシャってならよお、俺だって同じ気持ちだぜ!」
「そうだ! お前ばっかり良い格好するんじゃねえぞ!」
 庇い合う青年達は、お互いへの固い友情で結ばれているようだ。海都で同じ光景を見ても陳腐な茶番にしか見えなかったであろうが、トゥルースにはこれが、芝居や同情を引くものではないことは理解できている。青年達は、腕力の割にはあまりにも純情であり、世間慣れしておらず、愚かであった。
「お前達にはもう、俺への害意が無いことはわかっているが……それは聞けない注文だな」
 彼らは、自身らが悍ましい策謀に組み込まれたことをいまいち理解できていないようだ。
「なんでだよ!? さっき、あんた言ったじゃねえか!」
「このままバラバラに帰られたんじゃ、俺はお前達を守りきれん。死にたくないなら、今夜は商会の宿舎に泊まってもらうぞ」
 この島でトゥルースを謀殺しようとしている存在を制圧できない限りは、彼らの安全は保証できない。そもそも、彼らは使い捨てにされようとしていたのだ。計画が頓挫し、明るみに出た以上は尚更その口を塞ぐべく行動に出る者が現れることは、充分に予想された。
「はあ……!?」
「俺達、殺されるのか……?」
「床に雑魚寝してもらうことになるが、朝食に美味いスープを馳走しよう」
 トゥルースの得意料理は、焼いた魚を挟んだパンのみだ。しかし、美味いスープの作り手には心当たりがあった。
「カメリオ。悪いが、彼らの護送を頼まれてはくれないか?」
「構わないよ。俺も、思いっきり蹴っちゃったしね」
 先の戦闘で蹴り抜かれた脛が痛むらしい青年に肩を貸しながら、カメリオはトゥルースの依頼を快諾する。相手は布で覆面をしており、多勢に無勢の勝負であったとは言え、同じ砦の仲間に痛烈な打撃を加えたことを、カメリオは反省しているらしい。やはり心根が優しい青年だと、トゥルースは眩しいものを見る心地でカメリオに微笑んだ。
「まったく……世話が焼けるお人でやすな」
 ――一方その頃、広場からの帰りにふらりと散歩に出かけたまま、いつまでも宿舎に帰ってこないトゥルースを、タルズは面倒くさいながらも律儀に探しに来ていた。妙な胸騒ぎがする夜だ。タルズはこんな時、自らの勘を信じることにしている。
「ここがこの島の心臓でやすか……旦さんなら、この辺りをうろついとるだろう」
 カナートに行き着いたタルズは、キョロキョロと辺りを見回す。夜目が利くギョロリと大きな目をしても、トゥルースの姿を観測することはできなかったが、タルズの目は視界の中におかしな挙動をとる中年の男を捉えた。
「あんた……その筒の中身、どうするつもりでやすか?」
 カナートには、高地に掘られた母井戸の他に地下水路に繋がる竪穴が掘られている。その竪穴に、男が持つ筒状の容器から何か細工が為されようとしたのを、タルズは鋭く見とがめた。男は覆面をしているが、身なりは悪くない。
「こ、これは……水の、青臭さを、取る薬だ」
「そうかえ……それなら、その中身、舐めてみなせえ」
「君、私を疑うと言う……うぐっ!」
 男は、それ以上言葉を発することができなかった。タルズから、喉輪を喰らわされているからだ。
「言い訳が小賢しいんでやすよ、あんたぁ」
 身の上を隠すつもりなら、せめて言葉遣いだけでも島民を真似るべきだ。タルズが偶然通りかかっていなければ、この男は舐めるのも躊躇されるような薬品をこの島の大動脈たる地下水路に投げ込むつもりであったのだろう。
「この島を預かるわしらが、絶対やっちゃなんねぇ分別もつかねえか……馬鹿野郎が」
 やがて、気を失った男の覆面を剥がして簡易な布手錠を拵えたタルズは、忌ま忌ましげに男の顔を見遣る。案の定、男はカームビズ商会の人間であった。
「ハァ……旦さんを回収する前に、面倒くせえ荷物を拾っちまったでやすな」
 男の襟を掴んで引き摺りながら、タルズは深い溜め息を漏らす。どうにも彼は、面倒事に巻き込まれ易い体質のようだ。これも、トゥルースという男の運命に付き合っているのだから、仕方が無いものではあるが。
 やがて、雲から姿を現した月明かりの中に、タルズはよく見知った人影を見つける。この時間のこの場所にしては、やけに大勢と連れ立つ様子はどう見ても厄介事の臭いしかしなかった。
「チッ、時間外労働にも限度がありやすぜ」
 半ば諦めに似た独り言を吐いて、タルズは事態の収拾を図るべく歩を速めた。
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