絶砂の恋椿

ヤネコ

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カナートの激闘

3―1

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 日はもはやとうに暮れているが、その一室から忙しない音が途切れることは無い。帳面を捲る音、書庫と部屋とを行き来する足音、ペンを走らせる音、頭を掻きむしる音、全てがごったとなり、灯りの下に吹き溜まっている。
「なあ、もう帰っていいか?」
「ダメだ、まだこの書類の島が残ってる」
 一人の商会員の泣き言に、隣の席で仕事を続ける同僚がぴしゃりと言いつける。反対側に座る商会員は、伸びをしながら濁った声で反応した。
「そもそも帰るったって、俺達の塒はここだろ……」
「ああ、夢も希望も無い」
「人手が足らんのだ。忙しさが我々の夢と希望と正気を奪う」
 カームビズ商会バハルクーヴ島支部――彼らは主に、バハルクーヴ島と海都の交易を管理しているのだが、他にも島民及び入出島者の管理記録の作成と更新、島内での犯罪行為に対しての科刑とその管理、島内の治水管理や商会が管理する農園に関する諸々等、兎角書類の山に追われる日々を送っている。
 両手の指の数には足らない人数の彼らでは、一日の仕事を捌く頃には日付けが変わっているのも常だ。
 事実上のこの島の総督であり、カームビズ商会バハルクーヴ島支部でのあらゆる業務の裁量権を持つ責任者が彼らのまとめ役となるはずなのだが、これも前任者からして居てもいなくても変わらないような典型的な『海都から左遷された手代』であったため、一番下っ端の小僧である彼らの負担は、責任者不在となる前も現在も変わらない。
 強いて変化と言うならば、激務に加えて腹立たしい奴の嫌味に耳を浸すという苦役を科せられずに済むようになったことと、責任者代理として決裁の判子を管理しているもう一人の左遷者手代が、やたらと責任者面をしだしたことくらいだろうか。
「今日も午前様か……どうせなら、酒場なんかに派手に遊びに行ってそうしたいもんだね」
「よせよ、我々など酒の肴に砦の筋肉達磨共から甚振られるのがオチだ」
 細腕を自認する彼らでは手が回らないため、済し崩し的に島内の治安維持は砦の親分ガイオとその子分たちに任せているが、彼らは荒事専門で事務仕事はてんでさっぱりな様子だ。その上、こちらの苦労も知らないで砂蟲からおめおめと逃げ回る軟弱者扱いをしてくる。相互不可侵が最も望ましい間柄だと、机に齧りつく小僧達は考えていた。
 元は海都の商学校を出た優秀な彼らではあるが、何れも後ろ楯を持たなかった。海都の本部で働くにしても、海都に程近い衛星都市の島の支部で働くにしても、海都で名を馳せる豪族の覚えや、親の地位が彼らの振り出しを決めるのだ。
「ミッケ! ここの計算、間違ってるぞ!」
「えっ? あ、はい! 直します!」
 そんな彼らの中で、一人だけ――前任者の死去により、これもまた済し崩し的に――現地採用されたのが、新米の小僧であるミッケだ。この際猫の手も借りたいと、この島に最近まで存在していた子供向けの学習塾で最年長だった少年を、小僧達が半ば強引に商会入りさせた形だ。
 当時のミッケは成人を数日後に控えており、成人後は父親の下で農業をやる予定であったのは、甚だ余談である。
(エリコ、なんで砦なんて行っちゃったんだろうなぁ……君は絶対、こっちの方が向いてるだろ)
 かつての恩師の一人息子でもあり、ミッケより一歳年少で同門のエリコは、利発な少年だった。頭は切れるし場を和ませるのも上手い彼を、ミッケは好ましく思っている。だが、親しく付き合っている連中が良くなかった。
 父親の命を奪った砂蟲のせいで母親までをも亡くし、自棄になったのだろうとミッケは推測している。砦育ちの者らしく、粗暴な言動が目立つ兄貴分に誘われたのか、鎚持ちなどに憧れて、こちらを白けた目で見てくる幼馴染に唆されたのか。
 ちなみにミッケは、エリコの悪友二人のことは苦手だ。垂れ目の大男ヤノも、吊り目の美男カメリオも、ミッケとは性が合わない雰囲気を全身から醸し出している。
「俺は贅沢は言わない。香を焚き染めたふかふかの羽根布団で、思いっきり半日でいいから眠りたい」
「どこの大豪族様だよ、贅沢が過ぎるぞ?」
 ちなみに、彼らは怒濤の二十一連勤の真っ只中だ。責任者不在かつ、管理者不在の現バハルクーヴ島支部において、労働環境の改善という言葉は蜃気楼に等しい。
 先輩小僧達の気持ちは切ないほどに理解できる妄想を背景に、ミッケは修正した書類に合格を貰うが、今度は自身が原因ではない――だからこそ、深刻な問題に直面してしまった。
(参ったな、あの人の承認がないとこの書類は完成しないぞ……)
 ほぼ、完成した書類は現在の責任者代理である手代が管理する判子を捺されなければ完成しないのだが、肝心の判子の主が居ない。
 ミッケが困り果てているところで、手代の不在をいい事に小僧の一人が声を荒らげた。
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