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依頼1ー熱気と闇を孕む商業国ナナガ
同じ微笑み同じ動作で
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「そっちはいいから、ハルをなんとかしてっ!してっ!」
アルフレッドの前に座るポルクスの制服を千鶴はくいと引っ張った。
「ハルさんを!? 何をどうすればいいんです?」
頼まれるとなんとかしてやりたいと思うところだが、ポルクスにやれる事などあるのか疑問だ。戦闘は手伝うどころか足手まといだし、ハルの傷は火傷と裂傷、穴を埋めるミソラの能力ではどうしようもない。
「僕に出来ることなら何でもしますけど、その前に今何がどうなってるんです? コハクさんは大丈夫なんですか?」
「問題ない。宿主の中に潜っているだけだ」
ホムラはちらりとポルクスへ視線をやってから、愛しげにそっとコハクを抱き直す。ホムラの言葉を聞いて、ポルクスはほっと胸を撫で下ろした。
「ああもう! もう! 宿主の中に糸の妖魔が入ってて、ハルがいいようにやられてキレちゃってるの! るの! ホムラは自由に燃やしまくるし、ハルはびりびり破るし、困ってるの! るの!」
千鶴のバタバタと駆け足のようにその場で手足を動かしての説明だが、分かるようで分からない。
ポルクスが状況を理解しようと首を捻っている間にも、チェルシーとハルの戦いは続いている。
ぶちっという音と共に、ハルは少女のふくらはぎの肉を喰い千切る。少女は悲鳴を上げて糸を飛ばしてくるが、散漫な狙いで放たれるそれはハルへ届く前に燃える。焔はハルも容赦なく焼くがそんなことは些細であった。空中に張られていた糸は全て燃やされ、チェルシーは地面を走り回ってハルの牙から逃げていた。
しかし、出血と追い詰められる恐怖から動きは鈍い。犬の本能のまま噛み付いては離れることを繰り返し、獲物が弱るのを虎視眈々と狙っていたハルは、勝負時が近づいたのを感じてにいっと笑った。あの細く白い喉にようやく牙を突き立てられる。
獲物を追い詰め狩る喜びに湧きながら、一度千切れかけなんとか癒着した足を酷使する。左へ軽く跳躍して獲物が反対へ逃げた所を全力で飛び掛かった。弱った獲物は反応出来ずに喉元を晒している。あと少しでこの牙が届く。
「駄目だっ! ハルさん!」
獲物の喉元から数十センチの距離で、聞いたことのある声にハルははっと我に返った。
「ガアウゥゥッ」
狙いが逸れ少女の直ぐ横をがちんとハルの顎が閉じた。地面に着地するも、また右前足が取れかけてバランスを崩し、勢いのままごろごろと転がった。最後に前転して青年の姿になり唖然と声のした方を見る。いつの間にか明るい金髪の青年がリルとアルフレッドの側に立っていた。
「ポルクスっ!? いやっ、なんというか、そのっ」
一方的にコハクの瞳の中へ逃げ出したことのばつの悪さに、ハルは今の状況も忘れて手足と尻尾をぱたぱたと振って口ごもった。考えなしに振ってしまった右手がまた取れかけて痛みに呻く。
チェルシーは降って沸いた幸運に喜んだ。ありったけの糸を練って伸ばす。
「無駄な足掻きを」
上下左右から包み込むように押し寄せる糸へホムラは冷笑を浮かべた。この好機に何をするかと思えば、身の程知らずな行動をとったものだ。暗闇を白く染める焔の閃光で、糸は全て灰と化す。闇夜が戻った時少女の姿はホムラの前にはなかった。流石に正面から来る愚行は犯さなかったかとホムラは小さく鼻を鳴らした。
目映い焔の光に夜目が効くハルと千鶴は一瞬視力を奪われる。
晴れた視界に映ったのは、千鶴をすり抜けたチェルシーの長い銀髪だった。ホムラへ向けた糸は捨て石、本命は……。
まだ母が生きていた頃、靴磨きを終えてアルフレッドがボロボロの安アパートの扉を開けると、いつもチェルシーとレイチェルは手を広げ笑顔で彼へ飛びついてきた。満面の笑みのレイチェル、後ろで微笑ましそうに自分たちを見る母、ふわりと微笑むチェルシー。あの時の笑顔と今のチェルシーの笑顔が重なる。
アルフレッドを切り裂くために手を伸ばすチェルシーが、同じ笑顔で同じ動作なことが悲しかった。
「さようなら、兄さん」
両手を広げて微笑み別れを告げるチェルシーへのアルフレッドの答えは銃声だった。
揺れるヘーゼルの瞳から透明な雫が溢れた。アルフレッドは銃を扱ったことのない素人だ。反動で狙いが外れたのもあるが、何よりも心が拒絶してしまった。
たとえもうアルフレッドの知っているチェルシーではないのだとしても、妹を殺すことは出来なかった。
「あああああっ! 兄さん、どうしてっ!?」
肩から上がった血飛沫に頬を点々と赤く染め、悲しそうにアルフレッドを責める。
そうして憐れな少女を演じながら、『……』はほくそ笑んだ。もうこの男は撃てないし、他の者は間に合わない。糸を伸ばさなくても届く距離なのだから。
誰よりもこの少女が愛した存在を喰えば、飛躍的に強くなれる。『……』の勝ちだ。
指先が少女の兄に届く。その数センチ手前で『……』はぎしりと表情を強張らせた。
止まった指先、糸も伸びない。完全なる停滞。頭へ響く声。
『そこまでよ、『……』。それ以上はこの子が望んでいない。そして、貴女も』
甘く漂う香気、黄褐色の光が眠るコハクから蛍火のように乱舞する。
「邪魔を、する、なあっ!」
チェルシーの顔から可憐な表情も微笑みも消える。目を血走らせ鬼のような顔で無理矢理に指先を動かした。
「させないっ!」
一瞬の停滞に動く猶予を貰い、ポルクスは無我夢中で横合いからチェルシーに体当たりした。予期せぬ不意打ちに彼女の指先が宙を掻く。
どうなっているのかは分からないが、この少女に男を殺させてはいけない。それだけは分かる。
ポルクスの体当たりでチェルシーが倒れるのと、彼女が黄褐色の光に包まれること、その光が彼女に触れるポルクスをも包むのは、ほぼ同時だった。
アルフレッドの前に座るポルクスの制服を千鶴はくいと引っ張った。
「ハルさんを!? 何をどうすればいいんです?」
頼まれるとなんとかしてやりたいと思うところだが、ポルクスにやれる事などあるのか疑問だ。戦闘は手伝うどころか足手まといだし、ハルの傷は火傷と裂傷、穴を埋めるミソラの能力ではどうしようもない。
「僕に出来ることなら何でもしますけど、その前に今何がどうなってるんです? コハクさんは大丈夫なんですか?」
「問題ない。宿主の中に潜っているだけだ」
ホムラはちらりとポルクスへ視線をやってから、愛しげにそっとコハクを抱き直す。ホムラの言葉を聞いて、ポルクスはほっと胸を撫で下ろした。
「ああもう! もう! 宿主の中に糸の妖魔が入ってて、ハルがいいようにやられてキレちゃってるの! るの! ホムラは自由に燃やしまくるし、ハルはびりびり破るし、困ってるの! るの!」
千鶴のバタバタと駆け足のようにその場で手足を動かしての説明だが、分かるようで分からない。
ポルクスが状況を理解しようと首を捻っている間にも、チェルシーとハルの戦いは続いている。
ぶちっという音と共に、ハルは少女のふくらはぎの肉を喰い千切る。少女は悲鳴を上げて糸を飛ばしてくるが、散漫な狙いで放たれるそれはハルへ届く前に燃える。焔はハルも容赦なく焼くがそんなことは些細であった。空中に張られていた糸は全て燃やされ、チェルシーは地面を走り回ってハルの牙から逃げていた。
しかし、出血と追い詰められる恐怖から動きは鈍い。犬の本能のまま噛み付いては離れることを繰り返し、獲物が弱るのを虎視眈々と狙っていたハルは、勝負時が近づいたのを感じてにいっと笑った。あの細く白い喉にようやく牙を突き立てられる。
獲物を追い詰め狩る喜びに湧きながら、一度千切れかけなんとか癒着した足を酷使する。左へ軽く跳躍して獲物が反対へ逃げた所を全力で飛び掛かった。弱った獲物は反応出来ずに喉元を晒している。あと少しでこの牙が届く。
「駄目だっ! ハルさん!」
獲物の喉元から数十センチの距離で、聞いたことのある声にハルははっと我に返った。
「ガアウゥゥッ」
狙いが逸れ少女の直ぐ横をがちんとハルの顎が閉じた。地面に着地するも、また右前足が取れかけてバランスを崩し、勢いのままごろごろと転がった。最後に前転して青年の姿になり唖然と声のした方を見る。いつの間にか明るい金髪の青年がリルとアルフレッドの側に立っていた。
「ポルクスっ!? いやっ、なんというか、そのっ」
一方的にコハクの瞳の中へ逃げ出したことのばつの悪さに、ハルは今の状況も忘れて手足と尻尾をぱたぱたと振って口ごもった。考えなしに振ってしまった右手がまた取れかけて痛みに呻く。
チェルシーは降って沸いた幸運に喜んだ。ありったけの糸を練って伸ばす。
「無駄な足掻きを」
上下左右から包み込むように押し寄せる糸へホムラは冷笑を浮かべた。この好機に何をするかと思えば、身の程知らずな行動をとったものだ。暗闇を白く染める焔の閃光で、糸は全て灰と化す。闇夜が戻った時少女の姿はホムラの前にはなかった。流石に正面から来る愚行は犯さなかったかとホムラは小さく鼻を鳴らした。
目映い焔の光に夜目が効くハルと千鶴は一瞬視力を奪われる。
晴れた視界に映ったのは、千鶴をすり抜けたチェルシーの長い銀髪だった。ホムラへ向けた糸は捨て石、本命は……。
まだ母が生きていた頃、靴磨きを終えてアルフレッドがボロボロの安アパートの扉を開けると、いつもチェルシーとレイチェルは手を広げ笑顔で彼へ飛びついてきた。満面の笑みのレイチェル、後ろで微笑ましそうに自分たちを見る母、ふわりと微笑むチェルシー。あの時の笑顔と今のチェルシーの笑顔が重なる。
アルフレッドを切り裂くために手を伸ばすチェルシーが、同じ笑顔で同じ動作なことが悲しかった。
「さようなら、兄さん」
両手を広げて微笑み別れを告げるチェルシーへのアルフレッドの答えは銃声だった。
揺れるヘーゼルの瞳から透明な雫が溢れた。アルフレッドは銃を扱ったことのない素人だ。反動で狙いが外れたのもあるが、何よりも心が拒絶してしまった。
たとえもうアルフレッドの知っているチェルシーではないのだとしても、妹を殺すことは出来なかった。
「あああああっ! 兄さん、どうしてっ!?」
肩から上がった血飛沫に頬を点々と赤く染め、悲しそうにアルフレッドを責める。
そうして憐れな少女を演じながら、『……』はほくそ笑んだ。もうこの男は撃てないし、他の者は間に合わない。糸を伸ばさなくても届く距離なのだから。
誰よりもこの少女が愛した存在を喰えば、飛躍的に強くなれる。『……』の勝ちだ。
指先が少女の兄に届く。その数センチ手前で『……』はぎしりと表情を強張らせた。
止まった指先、糸も伸びない。完全なる停滞。頭へ響く声。
『そこまでよ、『……』。それ以上はこの子が望んでいない。そして、貴女も』
甘く漂う香気、黄褐色の光が眠るコハクから蛍火のように乱舞する。
「邪魔を、する、なあっ!」
チェルシーの顔から可憐な表情も微笑みも消える。目を血走らせ鬼のような顔で無理矢理に指先を動かした。
「させないっ!」
一瞬の停滞に動く猶予を貰い、ポルクスは無我夢中で横合いからチェルシーに体当たりした。予期せぬ不意打ちに彼女の指先が宙を掻く。
どうなっているのかは分からないが、この少女に男を殺させてはいけない。それだけは分かる。
ポルクスの体当たりでチェルシーが倒れるのと、彼女が黄褐色の光に包まれること、その光が彼女に触れるポルクスをも包むのは、ほぼ同時だった。
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