琥珀の夢は甘く香る ~アンバーの魔女と瞳に眠る妖魔の物語~

遥彼方

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依頼1ー熱気と闇を孕む商業国ナナガ

飢えて飢えて

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 幼い頃からチェルシーはずっと飢えていた。

 お腹一杯食べられた事などあっただろうか。空腹を水で誤魔化し、表通りから流れてくる匂いにお腹を鳴らした。
 物欲しそうに見てしまって、綺麗な格好をした大人に殴られたこともある。顔を腫らして泣いて帰ったらお母さんが飴を買ってくれた。口の中でころころと転がる飴は、甘く丸くて嬉しくなった。

 お父さんもお母さんも死んでしまって、余計に食べられなくなった。兄さんは家に殆ど帰らないで働くようになり、チェルシーは妹のレイチェルと一緒に内職しながら待った。兄さんは私たちにあまり外へ出ちゃ駄目だといつも言っていたから、内職が終わったら二人であや取りをしながら待つ。
 そこら辺で拾ってきたヒモを輪っかにしただけのおもちゃだ。何の変鉄もないヒモが様々なものに姿を変える。それがチェルシーは面白く、キラキラして見えた。

 兄さんが帰って来たとき、僅かに手に入った食べ物を買って戻る。分け合って食べるのが楽しみで楽しみで、凄く美味しかった。レイチェルと一緒に顔を寄せ合ってクスクス笑って食べた。兄さんは私たちを嬉しそうに見ながら食べていた。その笑顔が好きで今も心に焼き付いている。

 兄さんが急に色々買って帰るようになった。家も変わったし、着るものも綺麗になって、お腹一杯食べられるようになった。見たことがなかったような食事が、兄さんが買ってきた綺麗な食器に並ぶ。
 なったけど、なんだか物足りなかった。テーブルに着いて、一人分ずつちゃんと食器に並んだ食事。色とりどりのそれらはとてもいい匂いがして、硬くてボソボソのパンよりも、野菜くずがちょっとしか入ってないスープよりもずっと美味しいものだと思う。でも、どうしてかチェルシーは、皆で分けあったご飯のほうが好きだった。

 ある日を境に兄さんの雰囲気が変わった。時々、前みたいに一つだけお土産を買ってきて分けて食べた。露店に売っている串ものや揚げパン、焼き菓子、果物や中には飴もあった。以前と同じ分け合うご飯。しかしどうしてか何かが違う。

 何かが薄く感じる。弾力が足りない気がする。瑞々しさがない。チェルシーが求めているのはもっと濃厚で噛み応えがあって、滴るほどの汁気のある何か。

 お腹が空いて、背中の皮とくっつくんじゃないかと思う。空っぽの胃は始終痛みを訴え、紛らわせるための水やお茶は余計に空腹を際立たせる。

 どうしてこんなにお腹が空くのか。どうして食べても飲んでも収まらないのか。

 ある日兄さんが一緒に連れてきた少女はリルと言った。少しつんとした印象のある彼女だったが話せば同じような年頃の女の子、チェルシーもレイチェルもすぐに打ち解けた。

 兄さんの張りつめた雰囲気が和らいだけれど、別の事で悩むようになった。心配になってレイチェルと二人で兄さんの後をつけると、女の人と揉めていた。
 あの女の人たちは嫌い、レイチェルが聞いたことのないような暗い声で呟いた。

 リルが家に来なくなった。落ち込む兄さんをレイチェルと二人で励ました。兄さんは強い人だ。きっと大丈夫。

 学校の帰りにリルを見かけて声をかけようとしたら、先約がいた。身なりのいい男たちが次々と彼女に猫なで声を出して擦り寄っていた。明らかに迷惑そうな彼女に構わず、男たちは美辞麗句を並べていく。
 リルはそんな男たちを適当にあしらって行ってしまった。なんとなく気分が良くなくて、男たちを睨んでいたチェルシーに男の一人が気付いた。

 にやにやと嫌な笑顔、馴れ馴れしく乱暴に腕を掴まれた瞬間、チェルシーの心に不思議な感覚が芽生えた。

 美味しそう……と。
 にやけた顔も不快、リルに馴れ馴れしく近付くのも許せない。だけど、ああ、この腹を裂いて中身を取り出してしまえば同じことだ。外身が不快でもきっと中身は変わらない。

 暗くて狭い路地に誘い込んで男の腹を裂き、中身を口にした時、思った。

 求めていたのは、これだったのだと。

※※※※

「これがこの子の罪?」
 チェルシーの意識の一端に触れたコハクは自らの疑問を呟く。

 確かに人を喰うのは罪だが、本人は罪だと思っていない。周りが罪だと認識したから妖魔が生まれたのだろうが、ならどうやって普通の少女が大の男を殺して喰ったのか。
 最初の犠牲者を喰う前に、罪が生まれていただろうか? 生まれていたなら、何処で?

 もう一度糸を介して意識へ触れにいくと、微かにノイズが交じる場所がある。宿主の記憶の一部を改竄している者がいる、そいつは人ではあり得ない。

 分離する様子のない宿主と妖魔、これは妖魔に完全に喰われているからだけではないのか。

「ホムラ、私はもう少し深く潜るわ。後は任せていいわね?」
「私が守るのはコハクのみ」
 ホムラのいらえは素っ気ないものだ。

「それでいい。ハルと千鶴の事は信じてるから」
 ふわりと微笑んでコハクはもう一度糸へ触れた。力が抜けたコハクの体をホムラが受け止める。

 糸は誘う。深く深く。意識の底へ。
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