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第二十五話 魔王様、賭けに出る

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「よりによって魔王が女神に誓うだと? どういう了見だ!」

 立ち上がったラーイ国王が、苛立たしげに机を叩いた。

 ついにラーイ国王の、深海の瞳が崩れた。
 静かな腹芸の土俵から、こちらの土俵に引きずり出してやったのだ。
 海底から一気に浮上し、怒りの色に陽光を弾いた瞳を見て、サナトは内心だけでほくそ笑んだ。

 まだだ。
 にぃ、と吊り上がりそうになる口の端を、動かさないように保つ。

 魔族や魔物たちのように、最初から力で制しては今までと変わらない。そうでないことを示す必要があった。

「勘違いしないでもらいたい。これは挑発ではない。これまでのことを思えば、信用などしてもらえないことも分かっている。故に女神に誓うのだ」

 色めきたった彼らを、サナトは片手をあげて制止した。それから反対の手を胸に当て、出来るだけ真摯な態度を取る。

「口約束は無論、書簡にて誓約書を書いたところで貴殿らは安心できまい。それは我らが神の魔神に誓っても同じこと。女神アストライアは正義の女神だ。作法に則り女神に誓約を立てる。誓いを破ったその時は、女神の裁きを受けよう」

 ずしりとした感覚が体の中心に生じる。
 サナトは一瞬だけ、頭上に意識を割いた。聖結界の中にあるそれを確認すると、直ぐに目の前のラーイ国王へと戻す。

「これより私は命を賭して、誓いを守る。どうか信じてほしい」

 ここで応じてくれれば、それはそれでいい。

 だが――。


「ふざけるなよ、魔王。女神の裁きを受けるまでもないわ。我々が何故、貴様に交渉の場を設けたか、分かるか。魔王。貴様を倒すためだ」

 ラーイ国王の返答は、否だった。ギラギラとした怒りを燃やし、ラーイ国王がサナトに指先を向ける。

「やはり信じられぬか」
「当り前だ」

 サナトは息を吐きながら、確認する。

「私は書状にこう書いた筈だ。『私から提示する条件は以上である。この条件で魔界と和平を結ぶ気があるのなら、会談の場を設けてほしい』と。貴殿らはそれを反故にすると?」

「反故もなにも、最初から受ける気などないわ! そもそも貴様が死ねば百年の平和は約束される。境界線は今よりも人間側が大きくなる。魔界の外に住む魔物どもも弱体化するから簡単に討伐できる。いつ裏切るか分からない貴様と和平を結ぶより、確実なのだ!」

 サナトに向けていた指先を戻し、国王が手を頭上に掲げる。
 それを合図に、あちこちで騎士たちが剣を抜く金属音が鳴った。王たちが後ろに下がり、騎士たちが前に出る。魔法使いの魔力が、会談の場に渦巻き始めた。

 ――やはりこうなるか。

 味方はおらず武器もなく魔法も使えない。殺せと言わんばかりの状況の中に、憎しみの対象がのこのこ現れれば十中八九こうなるだろう。

 仕込みは全て済んでいる。
 ここからが正念場だ。

 サナト一人に対して、千はくだらない人間の軍勢。サナトは魔剣もなく魔法も使えないが、相手は武器を持ち、魔法使いもいる。
 ここに来る前に、体内で変換しておいた魔力で身体能力は強化してあるが、その魔力が尽きれば終わりである。

 中々に厳しい状況下ではあるが。

「賭け事は、こうでなくてはな」

 腰を落として小さく独りごちたサナトの声は、上げられたときの声と魔法の呪文に消された。


 ――どれくらいの時が経っただろう。
 地面には累々と騎士たちと、後方には魔力の尽きた治癒魔法使いが横たわっていた。動けずにいるもの、意識のないものなど様々だが、いずれの者たちもしばらくは動けない筈だ。

 騎士たちとの交戦は最初こそサナトが圧倒していたものの、途中でため込んでいた魔力が尽きてからはギリギリの劣勢を強いられた。

 だが、それでもなんとかしのぎ切った。

「消し飛べ!」
「雷よ!」
「竜の息吹!」

 魔法使いの放った魔法が、爆発で地面を砕き、雷で視界を染め、突風でサナトの体を吹き飛ばした。

「くぅっ」

 地面にクレーターを作るほどの魔法の衝撃に、ごろごろと転がる。何回か転がった後、クレーターの中で砂にまみれながら立ち上がった。

 口の中でじゃりじゃりと不快な砂を唾と共に吐き出す。地面に落ちたそれは、赤かった。
 血混じりの唾液は地面に吸収され、赤黒い染みを作るが、既にその染みは目立たない。なぜなら地面を染めているのはたった今サナトが吐いたものだけではないからだ。

 地面の至る所を染めているのは、サナトの血である。

 サナトが身に着けている黒いマントや衣服はあちこちが裂け、白い素肌が覗いていた。黒い色なため目立ちはしないが、布地がぐっしょりと血を吸っている。魔族特有の回復力から今でこそ傷口が塞がっているが、斬られた当初はそれなりの出血があった。

 足に力を入れ、サナトはぐらりと傾ぎそうな体を立て直す。上がった息はどうしようもなかったが、態度だけは平静を装った。

「残念だったな。魔法は効かんぞ」

 もしも魔法が効いていれば、効果は吹き飛ばされて地面に転がる程度では済まない。魔法をまともに食らってもこうして立っていられるのは効いていない証拠だった。

「馬鹿な! 聖結界の中では瘴気を魔力変換出来ない筈。なのに、なぜこちらの魔法が効かない!」

 僅かに残った護衛の騎士と、数人の魔法使いたちと共に後方に避難していたラーイ国王が怒鳴る。

 今さらの疑問ではあるが、致し方ないことだ。騎士たちが接近している間は味方も巻き込むため、大規模な魔法が解禁されたのは、サナトが騎士たちを叩きのめした後。つまりたった今だったのだ。

「ああ。魔力変換は出来ぬな。ただ」

 サナトは黒の上着のボタンを片手で外しつつ、反対の手をぼろぼろのマントの下へ手を入れる。マントの、かろうじて布地が大きく残っている部分から目当てのものを取り出すと、ばさりと音を立てて脱いだ。
 地面に投げ捨てたマントと上着の代わりに、下から現れたのは、細かい縦じま模様のつなぎである。
 マントから取り出した農帽をかぶり、軍手をはめる。

「殺されるのはごめんだからな。魔法を一切通さない服を着させてもらった。武装は禁じられていたが、防御についてはその限りではなかっただろう?」

 なにせもともとは勇者の防具にも使われるものなのだ。
 ワッペンに練り込まれた、女神アストライアの加護を受けた星屑の粉の効力は、サナトの瘴気を外に逃さない代わりに外からの魔法も通さなかった。
 もしも星屑の粉が甲冑や兜などの防具に使われていたなら、魔法だけでなく剣や槍などの物理攻撃も防げたのだが。いかんせん、つなぎと農帽ではそうはいかなかった。

 それにだ。正確には、魔法そのものは効かないが、魔法が起こす衝撃までは防げていない。このまま魔法で畳みかけられてしまえば、騎士たちに散々やられたサナトは殺される可能性が高かった。

 だから平然とした顔をして、効いていないふりをしているだけだった。

「そんなふざけた格好で……!」

 唸るようなラーイ国王の言葉に、サナトは首を傾げた。

「? 何を言うか。人間の農家の正装であろう。ふざけてなどおらん」

 ふざけた格好とは心外だ。
 最初からこの恰好で会談に臨んでもよかったのだが、オセに止められたのだ。まあ、手札を最初から晒すのはよろしくないだろうから仕方ないが、ふざけた格好呼ばわりは納得がいかない。

「ぐ、騎士たちも魔法も歯が立たないとなれば……」

 最初の冷静な態度は何処へやら。ラーイ国王の血走った目が、一点をとらえる。

「何をしている、勇者よ。魔王を倒せ!」

 ラーイ国王の視線の先には、戦いが始まってからずっと、腕組みをしたままピクリとも動かない勇者がいた。

「嫌だね」

 しかしながら渋い顔をした勇者が返したのは、素っ気ない一言である。

「なんだと!」
「相手が魔王とはいえ、だまし討ちみたいに攻撃ってのが気に入らねぇなぁってのもあるけどよ」

 腕組みをした勇者は、人差し指だけを立てて上を指さした。

「気づいてるか? 俺ら全員、魔王に嵌められてんだぜ?」

 サナトたちの遥か頭上には、天秤が浮いていた。
 女神アストライアが善悪をはかるために所持しているという、天秤である。

「なんだあれは」
「いつの間に」

 上を見て動揺する人間たちに、サナトは教えてやる。

「私が女神に誓うと言った時だ」

 聖結界を張れば、その空間は女神の領域となる。その聖結界の中での誓いは、女神そのものと交わす誓約と等しい。

「アストライアは正義の女神。その女神の聖結界の中で、私は誓いを立てた。その瞬間、女神の審判が始まる。審判の間は正義にもとる行為は禁忌だ」

 重要なのは、女神の聖結界内で誓約を立てる事。
 不利な状況を作ることで、サナトから手を出さず、人間側から攻撃させる事。

「真摯に和平を迫る相手、無抵抗の相手に対して一方的な攻撃。これを正義と言うか? 言わぬであろう。魔王の私でさえ分かることだ。悪を嫌う女神なら、どう判断するであろうな?」

 くくく、と喉の奥を鳴らすと何も持っていない手を広げて見せた。

「何よりも私はたった今、誓いを遂行して見せた。一方的な攻撃を受けても、誰一人殺しておらん。善悪を測る天秤は、人間の方が悪だと示しているぞ。この場では、魔王の私に正義があるというわけだ。よって、女神の加護を受けた勇者は動けぬ。動けば加護を失い、ただの男となり果てるからな」

 そう。地面を染めているのは全てサナトの血だ。サナトは騎士に傷一つ付けていない。流石に殴りはしたが、こちらは本気で殺されかけているのだ。そのくらいは許されるだろう。事実、天秤はサナトを悪とみなしていなかった。

 勇者が、がりがりと自分の頭をかいてからサナトに青い瞳を向ける。

「そういうこった。もし俺がこの場で魔王を攻撃すれば、その途端に女神の加護から外れてただの男に戻る。どうやったってこの場で勇者が魔王・・・・・を殺すのは不可能ってわけだ」

 苦い表情の勇者が、不可思議に光る青い瞳でサナトを見据えた。




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※女神アストライアはローマ神話とギリシア神話から引っ張り出していますが、作中では神話通りではありません。
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