魔王様でも出来る、やさしい畑生活の始め方~レンタルした畑の持ち主は勇者一家でした~

遥彼方

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第五話 魔王様、畑をレンタルする

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「ここの旦那が急に仕事で単身赴任になっちまってよぉ。なんかよく分かんねぇんだけど、王都に呼びつけられたとかなんとかとか。あの旦那さん、昔は王宮勤めやってたらしいかんなぁ」

 ベスの指差した方向に広がる畑には、丸い球のような野菜がずらりと植えられていた。
 その左隣にはまだ小さくて若い葉の畑。
 右隣には少し背丈のある茎の真ん中に、緑のもこもこした塊を持つ野菜の畑があった。

「ま、とにかく奥さんと娘さんだけじゃ全部の畑はやれねぇって困ってたんだよ。あんたが借りてやりゃ、喜ぶぜ」

 ベスが色々と説明しているが、右から左に流れていく。

 サナトはベスの説明を殆ど聞いていなかった。
 目の前の光景に、説明どころではなくなってしまったのだ。

「あの丸い野菜はキャベッツ! あれはなんだろう? 柔らかそうな葉だな。んん? よく見るとギザギザがあるぞ。レンホウソか! ああっ、こっちはコロッコリーではないかっ」

 どれも『初めてさんでも大丈夫! 美味しい野菜の育て方』の本に載っていた野菜である。

 凄い。本物だ。
 本物が目の前に植わっているのだ。どうして平静でいられるだろう。

 居ても立っても居られなくなったサナトは、いそいそと畑の中へ足を踏み入れ、キャベッツのうねの前でしゃがみこんだ。

 うねは綺麗な直線状に細長く土を盛り上げてあり、やや広い間隔でキャベッツが植わっていた。
 写真や図などで知っていたが、うねもキャベッツなどの野菜も、全て目にするのははじめてだ。

「ああ、この丸くて大きな結球。素晴らしい。これはもしかして収穫時期なのか? さ、触ってもいいだろうか」

 ああ、なんて美しい結球なのだろう。
 色も写真で見るより鮮やかに感じる。魔王城の松明の灯りで見た写真は、もっとくすんだ色に見えていたのに。陽光の下だからだろうか。

「思ったよりも食い付きがすげぇな。ちょっと待てよ。一応、畑の主の許可貰ってから触れ」

 キャベッツに手を伸ばしかけたサナトは、ベスの言う通りに静止した。
 気分はお預けをくらった犬である。

 あああ、はやく触りたい。レンホウソウの葉も近くで見たいし、コロッコリーもどんな風になっているのか確かめたい。

 はやる気持ちと畑の主の気分を損ねては大変だという理性との、二つが心を分割する。辛うじて理性が勝った状態のサナトは、恨めしそうにベスを見やった。

「お~い! リベラさん!」

 ベスが手を挙げて、畑の真ん中で作業している背中へ声をかけた。

「あら。ベスさん」

 コロッコリーの陰から、ひょこっと顔を上げたのは若い女だった。シャツの上から薄手のジャケット、サイドにポケットの付いたパンツ。長靴を履いて、つばの広い花柄で、後ろに日よけの布がついた農帽をかぶっている。

「またギャンブルで負けたんですか? お金なら貸せませんよ?」

 リベラと呼ばれた女性は、農帽のつばを少し上げてにっこりと笑んだ。
 ふんわり、おっとりとした印象で、人間界の明るい日差しが似合う女性だった。

 それにしてもこの下僕《ベス》は日常的にギャンブルで負けているのか。しかもこのお嬢さんにまで金の無心をしているというのか。

 呆れたサナトは、視線を冷たいものに変えたが、本人はまったく気づいていないようだ。サナトの方を見向きもせずに薄っぺらい笑みを貼り付け、ベスがひらひらと手を振った。

「違う、違う。今日はそうじゃなくて」
「あら。違うんですか?」

 手を左右に振って否定するベスへ、リベラが小首を傾げた。

「ええーっとだな。畑を貸してほしいっていう魔……じゃない、人? がいてだなぁ」
「まあ」

 リベラの青い目と口が、さも驚いたというように開かれる。どうやらとても表情が豊かな女性のようだ。

「私はサナト・クマーラ。ぜひ、貴女の畑をお借りしたい」

 サナトは立ち上がり、丁寧に腰を折った。

 本来、魔王であるサナトは誰かに頭を下げることなどしない。しかし今のサナトにはリベラに対して礼をとることに抵抗はなかった。
 この素晴らしい野菜を作っている畑の持ち主を素直に尊敬していたし、今のサナトは魔王ではなくサナト個人である。ちなみに下僕ベスは別だ。

「はじめまして。リベラ・グラディウスです。まあ、嬉しい。畑を借りて下さるんですか?」

 今サナトのいるキャベッツの隣、コロッコリーの畑にいるリベラが満面の笑みになった。
 笑うと、はちみつ色の金髪と相まって花が咲いたような、降り注ぐ日差しがさらに明るくなったような錯覚がする。

「見ての通り、女手だけでは回らなくて困ってたんです」
 リベラの青い瞳が、自身の立っている畑と辺りに広がる畑へと向けられていった。

 確かにこれだけの土地だと、大変かもしれない。
 サナトはリベラの視線を追って、畑を見渡した。

 キャベッツが植わっている畑だけでも一ヘクトくらいはあるだろう。一ヘクトは、辺の長さが一メルの正方形の面積かける百倍。ちなみにサナトの身長は一・七四メルである。人間であるベスとほぼ同じだ。

 レンホウソ、キャベッツ、コロッコリーの三つの畑が並ぶ奥側にも畑らしき土地が広がっている。しかしそちらには野菜の代わりに雑草が茂っていた。

 じっと雑草の茂る畑へと視線を注いでいるサナトの様子に、リベラの瞳が曇った。

「だらしのないことになってしまっているでしょう? 母と二人では手前の三つの畑で精一杯になってしまっていて」

 雑草が伸び放題になっている畑の現状を語り、リベラが眉尻を下げた。サナトは耕作放棄された畑から、そんなリベラへと視線を移し、また畑へ戻した。

 あぜで仕切られた畑は手前の畑と同じくらいの大きさのものが三つ。かなりの広さだ。これならたくさんの野菜を植えられるだろう。

「素晴らしい!」
「はい?」
 胸の前で右拳を握り声を張ったサナトへ、リベラが疑問符を浮かべる。

「ふふふ。その分、私が借りられるということだろう」

 低く笑うサナトを、ベスが薄気味悪そうに見ているのが視界の端に入っていた。が、サナトの意識はそんなものにない。
 耕作放棄地があるお陰で、これだけの土地を借りて畑仕事が出来るのだ。考えただけでわくわくする。

 リベラが大きな瞳をぱちぱちと瞬きさせた。
 それからにこりと笑う。

「そう。そうですよね。ふふ。サナトさんみたいな人に借りて貰えて畑も喜びます」
「そうか。畑が喜ぶのか。それではしっかりと管理して野菜を作らねばな」
「はい。ところで、何の野菜を作られるのですか?」
「む……」

 問われて、サナトは考え込んだ。
 何の野菜を作るのか。そこは全く考えていなかった。

 やはり、ダイコだろうか。あの可愛らしい芽をまた見ることが出来るのはとても楽しみだ。同時にまた枯らしてしまったらどうしようと不安でもある。

「あー、リベラさんよぉ。サナトは農業のことには全くの素人なんだよ。最初は初心者でも出来そうな野菜の方がいいと思うぜ」
「まあ。そうなんですか」

 腕組みをしてうんうんと唸り始めたサナトの代わりに、ベスが助け船を出した。
 なかなかによく出来た下僕である。

「なら、ガジャ芋とかどうでしょう。ちょうど植え付けの時期ですし栽培方法も難しくありませんよ」
「ああ、いいんじゃねぇ?」

 ガジャ芋、という単語を拾ったサナトは目を煌めかせた。

「ガジャ芋とな。『初めてさんでも大丈夫! 美味しい野菜の育て方』にも載っておった!」

 土の中に丸い芋がゴロゴロ出来ると書いてあった。掘り出す時のことを考えると想像するだけで楽しそうだ。

 リベラがクスクスと肩を震わせる。

「サナトさんって面白いしゃべり方するんですね」
「変か?」
 浮ついていた気分から一転して、サナトは不安になった。

 怪しまれて、畑の貸し出しを渋られてしまったらどうしようと内心でうろたえる。

「ちょっとだけ。なんだか騎士様とか貴族の方みたいです」

 そう言うリベラには疑いも怪しむ様子も何も見えなかった。サナトの杞憂など関係なかったようで、ほっと息を吐く。

「よろしくお願いしますね、サナトさん」
「うむ。こちらこそ、よろしく頼む……いや、お願いする」

 差し出された、自分よりも小さな手をサナトは握った。
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