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2話
しおりを挟むヴィオラとアルフレッドが出会ったのはヴィオラが入学して一ヶ月が経った頃。場所はここ、図書室。きっかけは同時に同じ本を取ろうとした際、互いの指先が触れ合ってしまった時。慌てて手を引っ込めたヴィオラは相手の顔を見て固まった、緊張で。
「アルフレッド・ハウザー様…!」
「ん?君はヴィオラ・クライン嬢?」
「なぜ私の名を…」
ヴィオラは驚きを通り越して放心していた。見目麗しい令嬢達がこぞって熱を上げているアルフレッドが自分なんかを認知していたことに。物語でいうところのヒーローであるアルフレッドが、通行人Aでしかない自分の名を口にするなんて。身の程知らずなヴィオラは物語のようだと一瞬喜び、一瞬で底へと叩き落とされる。
「今年の首席入学者だ、君は有名だよ」
至極普通の理由で知っていた。ヴィオラは現実はそんなものか、と肩を落とす。アルフレッドは本を手に取るとすっと、ヴィオラに差し出してきた。
「クライン嬢が先に読むといい」
「え、良いんですか」
「ああ、俺は後でいいから」
ヴィオラが手に取ろうとした本はかなり古い推理小説。古本屋にも置いておらず、取り寄せも困難。しかし何の奇跡かここの図書館に入荷したという知らせを司書から聞いた時、歓喜した。そして今日読む予定の本を全て消化し満を持して借りにきたのである。別に読めるのなら何ヶ月でも待てたのだが、譲ってくれたのだからと厚意に甘えることにした。
ヴィオラはふと考えた。そう、目の前の男。これを読もうとしたということは自分と同じくらいマニアックな読書家なのでは、と。ヴィオラは趣味は1人で楽しむタイプの人間ではあったが、時折誰かと語らいたい、という欲求を抱くのだ。コミュ障一歩手前の癖に。この時のヴィオラは初対面の人間と相対した緊張と、とんでもない美丈夫の顔が目の前にある刺激で心拍数が上昇していたし口もカラカラに乾いていた。詰まるところ少しばかりハイになっていた、気が大きくなっていたのだ。だから普段なら絶対しない行動を取った。
「あの!」
如何にも人見知りなヴィオラが話しかけたことにアルフレッドは驚いた様子。だがすぐヴィオラに向き直り、アンバーの瞳がこちらを見つめた。見ていると吸い込まれてしまいそうな美しい琥珀。自分の少し暗い深緑の瞳と比べようもないほど、綺麗。見惚れていたせいで黙ったヴィオラをアルフレッドは怪訝そうに見ていた。それに焦ったヴィオラは。
「こ、この本お好きなんでしゅか!」
あ、終わった、とヴィオラは絶望する。どもった上に噛む。顔がカァ、と熱くなりアルフレッドに見られたくなくて顔を伏せた。まただ、昔お茶会に参加した時自分と同じ髪飾りの女の子に勇気を出して話しかけた時。今と同じように緊張のし過ぎで噛んでしまい、プッと相手に笑われた記憶が呼び覚まされた。あれ以来自分から進んで人に話しかけるのを控えるようになった、笑われるくらいなら1人でいい。今は幼馴染の手助けでそこそこ友人と呼べる存在はいるけど、それで満足していた。
こんな真似するんじゃなかった、そのまま立ち去れば恥をかかなかったのに。恥ずかしさでプルプルと肩が震えだす。どうしよう、このまま逃げるか、いや相手に失礼だ。身動きの取れなくなったヴィオラの耳にアルフレッドの低い声が届いた。
「ああ、そうだけど。クライン嬢もこのシリーズを読んでいるのか」
ヴィオラの失敗なんてなかったかのように、普通に返してきた。笑うでも憐れむことも馬鹿にすることもせずに。ヴィオラの肩の震えが、徐々に収まってきて、彼の顔をきちんと見れるまでになった。アルフレッドは時折見かける時と同じ、端正な顔に微笑を浮かべていた。そこには嘲りも何も浮かんでいない。
この人はヴィオラの失敗を揶揄うことをしない、それだけで自分の中の強張っていた何かが解けていくのを感じた。
「は、はい。何冊か集めているんですが古いため中々見つけられなくて」
「俺もだよ、残りも集めたいと思ってるんだけど…これ文体古いし読みづらくなかった?」
「最初は苦労したんですけど、中身が面白かったので…」
「同じだ、探偵の性格悪いし犯人も狂ってる奴しか居ないのに読了感がいいんだよ」
と、その後は周囲の迷惑にならない程度、と言っても利用者は殆どいない図書室内で共通の趣味に花を咲かせた。これがヴィオラとアルフレッドのファーストコンタクト。
それから時折、図書室で顔を合わせると話すようになった。ヴィオラは話しかけるのに人一倍勇気を要するが、一度話すようになれば打ち解けるのはそれほど難しくはない。そして仲良くなると徐々にはっきりとものを言うようになるのだ。あれだけ緊張していたアルフレッド相手にも例外ではない。いつしか「ハウザー様」から「先輩」に。アルフレッドも「クライン嬢」から「クライン」、「君」から「お前」に変わった。
最初の紳士然とした振る舞いも今では消え失せ、やや粗雑なものに変わった。ヴィオラが怖がると思い気を遣っていたらしい。男性慣れしていないヴィオラの心臓はドキドキ、と高鳴って仕方なかった。アルフレッドはぶっきらぼうな物言いと裏腹に優しく、面倒見が良い。ヴィオラが言葉に詰まっても急かすことはせず、待っていてくれるし課題でつまずいたところがあると丁寧に教えてくれる。
こんな姿アルフレッドを慕う令嬢に見られたら大変なことになったが、図書室の外では徹底的に他人を装ったため、今までバレることはなかった。廊下ですれ違っても一瞬目を合わせるだけ。アルフレッドと少しとはいえ仲がいいとバレれば風当たりは強くなるし、彼の方もヴィオラのような地味な女子と話してる姿は見られたくないはずだ。だからヴィオラはこの関係だけで満足していた、淡い恋心を抱いても告白するなんて微塵も考えない。ただ、少しでも話せるだけで十分だった。
そんな日々も今日で終わる。学生という縛りが無くなればヴィオラとアルフレッドの繋がりは消える。元々住む世界が違うのだ、彼と知り合う前の日常に戻るだけ。この報われない想いを断ち切る勇気もない、どっち付かずのヴィオラを責めているかのように、アルフレッドは髪を手放そうとしない。この場から立ち去ることも出来ないのだ。かと言って無理に振り解くことは最初から考えていない。この2年間、アルフレッドがヴィオラに触れた事はなかった、髪にすら。互いに婚約者も居ないし、気をつけているとはいえ誰に見られているか分からない、と触れ合うことは徹底的に避けた。
今も、誰かが来ない保証はない。こんな場面見られたら誤解を生むのに。アルフレッドは気にする素振りすらない。自分ばかりドキドキして、一喜一憂するのが悔しい。が、常に冷静で感情を昂らせることのないアルフレッドの余裕を崩すことは土台無理な話。かといってこのままの状況が続くのは、好ましくない色んな意味で。
ならば、適当な理由をつけてヴィオラが出て行く、若しくはアルフレッドがパーティーに会場に戻るよう誘導すればいい。綺麗な女子に囲まれたアルフレッドは見たくない、彼が居なくなった後家に連絡を入れて迎えにきてもらおう、それがいい。
「先輩、パーティー会場戻ったらどうですか」
「クラインが戻るなら戻る」
「何でですか、先輩居ないと寂しがる人たくさん居ますよ」
「たくさんて?例えば誰?」
「…ブライバード公爵令嬢とか」
熱心にアルフレッドに求婚していた筆頭公爵家の長女。今日も彼女は凄かった、パーティー会場ではずっとアルフレッドにベッタリで周囲もそれを容認していたのだ。並んだ姿も家柄も釣り合っているから。
だがアルフレッドの端正な顔に嫌悪が滲む。自分が向けられたわけではないのに、ヒヤリとする。
「彼女か、何度も断っているのに諦めてくれなくてな」
「…そうですか」
「それに彼女のように傲慢さが隠せていない人は苦手だ、結婚はまずない」
確かに彼女は蝶よ花よと育てられ、とても我儘だ。美しくても、人生を共にするのは無理、というのも仕方がない。浅ましいヴィオラは結婚はまずない、という発言に心の中で喜んでしまった。他人の不幸を喜ぶなんて、何て醜いんだ。
醜いのなら醜いなりに、さっさと自らに引導を渡してしまおう。この不毛な恋情をいい加減断ち切ってしまえ。
「…ここで私と話すより、パーティー会場で綺麗な令嬢と話す方が有意義です。戻ってください」
「クラインさっきから怒ってないか?」
「怒ってませんよ」
「怒ってるだろ、さっきから戻れって。俺何か気に障ることしたか?」
アルフレッドは何も悪いことはしてない。ただ髪に触れただけ。誰が悪いかと言えば、自分の中の恋心を持て余し捨てることも出来ない、その上理不尽に八つ当たりをし、アルフレッドと距離を取ろうとしているヴィオラだ。
「別に先輩は何もしてません、私の問題なので。私のことは心配しなくても、放っておいて」
「無理に決まってるだろ」
言い切る前にアルフレッドの声で遮られる。
「クラインが戻るなら俺も戻るし、ここに残るなら俺も残る、これは決定事項」
真剣な瞳で言い切られた。こんな面倒な人間は放ってくれればいいのに、アルフレッドは決して置いていかない。諦めたいのに、優しくされたら諦められない。本当に。
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追記:ヒーローが物凄く気持ち悪いです。
今更ですが、閲覧の際はご注意ください。
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