紫に抱かれたくて

むらさ樹

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しばらくの間、あたしは“club-shion”の前で佇んでいた。

ついさっきまでは、ここにいただろう紫苑。
会いたいのに、なかなか会えない。

お金だったらいくらでも用意するのに。
どうして、あたしには会う事すらもできないの?

紫苑…………




「…………………!」

出入り口のドアに頭をつけてもたれていると、ふとどこからか人の話し声が聞こえてきた。


「…そんなんじゃ、いつまで経っても成長できないよ。
相手の心をいかに自分に向けるか、それを身に付けるのも僕たちホストの仕事なんだから」


「それはわかってますっ
ただ、今回はそうじゃなくて…」


だんだんと近付いて来る声に、あたしは胸がざわついた。

この声…間違いなく、煌と………紫苑だ!


お店の出入り口であるこのドアは、固く閉ざされているから違う。
恐らくスタッフ用の通用口が裏側にあり、きっとそこから聞こえてきたんだろう。

あたしは紫苑と煌の声のした方へと、歩いていった。



「彼女はおれなんかじゃなく、ずっと紫苑さんの為に来てくれていたんだ」

「だからって、君はそれでいいと思っているのかい?
それを自分の実力で、自分に向けたいって思わないのか?」

「それは…っ」

「そんなんじゃあ、いつまで経ってもヘルプ留まりだ。
ホストをやるなら、ビッグになる事を目指さないと…」

「………!」


あたしはお店の外観に沿って、歩いていた。
すると隣のビルとの間にある細い通路で、ちょうどはち合わせたのだ。

その声の主である、煌と紫苑に。


「………紫苑…っ!!」

辺りの街灯で映った、紫苑のいつもの明るい茶髪と紫色のスーツを照らした。

その隣にいる煌もいつもの白いスーツを着ているが、今のあたしにはまともに目に映っていない。

ただ諦めかけていたその時にようやく会えた紫苑への想いで、あたしは時が止まってしまったかのようにただ見つめていたの。


「愛さん!
ごめん、なかなかメール返せなくて…っ
でも、ちょうど良かった」

さっきの会話から、多分煌は紫苑をあたしに会わせようとお願いしていたんだと思う。

それがなかなか時間かかって、メールも返せなかった…て事なんだろう。


だけどそれを他人任せのように捉えた紫苑が、今のように煌に指導していたんだわ。


だけどあたしは、煌が促していたように紫苑に会いに来たのよ…っ!!

「……っ………っ」


紫苑と向かい合ったまま、何を言ったらいいかわからなくなってしまった。


えっ…と、会いたかった?
ううん、その前に、この前はありがとう?
そうだ、腕時計をしててって約束を守ってくれて嬉しい!かな…?

あー、でもあれは凛から聞いた情報だから、あたしが知ってたら変だし…っ


いっぺんにアレコレ言葉が頭に浮かんで、何からしゃべっていいのか整理できない!


そうしてあたしは口元をモゴモゴ動かしているだけになっていると、やがて紫苑の方から口を開いた。


「…こんばんは」

「あっ…こ んばんは…っ」


そうだ。
焦って言葉選びばっかりしてないで、まずはあいさつだ。


閉店後にお店にやってきたお客にも冷静に対応してきた紫苑に、あたしはちょっぴり恥ずかしくなった。

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