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聖女の婚約破棄とその事情

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 王子との婚約破棄を告げられたホーリーは、どこか安堵してその宣告を受け止めた。

 ホーリーは、ヒジリを愛していた。
 それは激しい感情ではなかった。
だが、物心つく前から聖女として人々にかしずかれていたホーリーにとって、王子として周囲の人々にとりまかれているヒジリは、どこか自分に似た特別な男の子だった。

 二人は互いの孤独に惹かれあうように寄り添い、お互いを慕わしく思うようになった。
聖女としてあまやかされがちなホーリーを叱るのは、いつもヒジリだった。

 けれどホーリーが12歳の時、どうしようもない孤独に夜眠れなくなっていた彼女に大きなぬいぐるみを与え、それを自分だと思って一緒に寝ろと頬を赤くして言ってくれたのもヒジリだった。
 大人になったら自分と一緒に寝るのだから、それまでは寂しくてもぬいぐるみで我慢しろと言うヒジリを見て、ホーリーは大人になる日を楽しみにしていたのだ。

 そのヒジリと、もうすぐ結婚するはずだった。

 けれど、その夢が破れたことよりも、今のホーリーにとってはこれで人前に出ずにすむということのほうが嬉しかったのだ。
 王子であるヒジリと結婚することは、絶えず人目にさらされるということ。
事件の前までならホーリーは立派にその任を果たしただろう。
 けれど今のホーリーには、それは耐え難いほど辛い責務だった。

 今では、ホーリーは人の目が怖くて仕方なかった。
誰もが自分を見て、この服の下の肌を目にうかべている気がしてならなった。
裸の胸やむき出しの脚を、そしてその肌を見知らぬ男に触れられたことを、多くの人が知っている……、その事実がホーリーを追い詰めていた。

 誰もが、ホーリーを王子妃としてふさわしくないと責めている気がした。
汚れた娘よと嘲笑われている気がした。
なによりホーリー自身が、自分を汚れた者としてしかとられられなくなっていた。

 ホーリーは幼いころからずっと、この国と国に住む民のために祈ってきた。
すべての国民に平穏と豊穣がもたらせられるようにと。
それがホーリーの誇りであり、多くのものを持たない彼女が、王子であるヒジリの隣に立つために必須の自負だった。

 けれど今のホーリーは、もう国民のために祈ることはできなかった。
彼らの幸福を祈ろうとしても、あの日、自分を害しようとした男の様子が思い出され、祈ることができなかった。
 自分の尊厳を無理矢理へし折ろうとしていた男の手が、自分の体を這いずり回ったことを思い出してしまえば、憤りと悲しみで胸がふさがれ、誰かの幸福を祈る気持ちが失われてしまうのだ。
 まして、彼女が慈しんできた「国民」の中にはあの男のような存在がいるのだと思うと、これまでの自分の祈りすら撤回し、神へ怨嗟を送りたくなってしまうのだ。

 こんな自分は、いつも正しく国を思うヒジリにはふさわしくない。

 ホーリーは、いまやすべてを手放してしまいたかった。
懸命に国民のために祈りをささげてきた過去も、聖女として愛された日々も、ヒジリと手をとりあった喜びも。
この世のすべてを否定して、屋敷にこもってしまいたかった。

「婚約破棄、謹んでお受けいたします」

 ホーリーは、王の言葉を受けた証として一礼し、また面をさげた。
目の端に、王の隣に坐するヒジリの顔がうつった。
彼と会えるのも、今日が最後かもしれない。
そう思うと、今一度ヒジリの顔を見たくなったが、人々の視線の中で、いまいちど顔をあげる勇気がでなかった。

 ホーリーは頭をさげたまま、王がこの場から去る時を待っていた。
王が座を外した時、ホーリーもこの場から去ることができる。
そうすれば屋敷にとじこもり、人の目をさけられる。

 はやく、はやく家に帰りたい。
ホーリーは胸の重荷とともに、頭を下げ、この場をされる時がくるのを待ち望んでいた。

するとその時、ホーリーの目前へと足音が響き、彼女の細い肩に手が置かれた。

「ホーリー、顔をあげてくれ」

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