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その駅は、婚約破棄された不幸な令嬢を招き食らう

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「ウェッド……、あなた、どうしてここにいるの?」

 ヴェロニカの手をとったのは、先ほどヴェロニカに婚約破棄を告げたウェッドだった。
ウェッドは、必死で走ってきたのだろう、いつもきれいに撫でつけている髪を乱し、はぁはぁと息を切らせながら、ヴェロニカを抱きしめた。

「ごめん!俺が馬鹿だった!……あの時、ヴェロニカがしてないと訴えていた言葉が、どうしても嘘だとは思えなくて、アイリーンを問い詰めたんだ。そしたら、あの女が自白したよ。ヴェロニカがしたといった嫌がらせは、すべて君を貶め、俺に婚約破棄させるための狂言だったって!」

「……そう」

 ヴェロニカは、困惑した。
 先ほどはヴェロニカの言い分をまったく聞こうともしなかったうウェッドが、こんなに急に意見を変えるなんて、おかしくないだろうか。
 けれど、ヴェロニカはほんとうにアイリーンに嫌がらせなどしていない。
だから、真実をウェッドが知ることも、自分をだましたアイリーンを捨てることも、当たり前のことではないのか……?

 ヴェロニカを抱きしめるウェッドの体が熱い。
襟元のタイも緩められ、ジャケットもどこかに脱いできたのだろう。
シャツごしのウェッドの体はすこし汗ばんでいて、それはヴェロニカを追いかけてきてくれたからなのだ。

 ヴェロニカは、ふっと笑った。
さっきまでの絶望的な気分が、嘘のように晴れる。

 そうだ。
正式な婚約者で、彼の妻になるべく努力し、愛してきた自分が、身分違いの女に婚約者を取られるなんて、あってはならない。
 したたかな女に罠にかけられ、婚約者やその妹に、いつわりの罪を糾弾されるなど、あってはならないのだ。

「許してくれるのか……?」

 ウェッドは、懇願するようにヴェロニカを見る。
その目に映るヴェロニカは、以前のような少女ではない。
彼に愛されるにふさわしいひとりの女なのだ。

「仕方ないから、許してあげます」

 ほんとうは、まだ胸が痛む。
慕っていた婚約者が、他の女を愛していると言ったこと、自分との婚約を破棄したこと、その女のいいなりになって、自分をいつわりの罪で糾弾したことは、ヴェロニカの心に血を流した。

 けれど、ここは鷹揚なところを見せるべきだろう。
結婚生活は長いのだ。
この件で、彼に強い立場を得るのも悪くない。

 ウェッドは嬉しそうに笑い、ヴェロニカに手を差し伸べた。
ヴェロニカは、その手を嫣然と笑ってとり、






-----------------------------ぐしゃ




  
 悲鳴をあげる間もなかった。
ウェッドだとヴェロニカが思った「もの」は、ヴェロニカの手をひき、線路へと歩ませた。
それは、ウェッドではなかった。
それは、人間ですらなかった。
ヴェロニカを死に招くためにつくられた、ただの影だったのだ。

 大きな音を立てて駅に近づいてきていた蒸気機関車に、ヴェロニカは最期まで気づかなかった。
蒸気機関車も、ひとりの令嬢をひいたことに気づかなかった。

 駅にいたレディたちは、それを静かに見ていた。
そして、にこやかに笑みを交わした。

 またひとり、彼女たちの仲間が増えたのだ。
今日命を落とした令嬢が、彼女たちの「仲間」になるまで、49日かかる。
その日が楽しみだ。

 微笑みあって、レディたちは姿を消した。
また新たに、正当な婚約者に、理不尽に婚約破棄された令嬢がこの駅に誘いこまれるまで。



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