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幸せは、思いがけず突然やってくる。……いやほんと、予想以上の展開だよ!?

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 抹茶オレを飲み終えて、缶を捨てる。
タイミングよく、電車が到着した。
電車の中も、ガラガラだ。

 伏見稲荷の初詣といえば、人だらけなのを覚悟していたのに、意外なものだ。
あるいは、この時間が空いているだけなのだろうか。

 空いている席に座って、スマホのニュースを何気なくチェックする。
と、隣に大柄な男が座ってきた。

 席は広く空いているのに、知り合いでもない人間のすぐ側に座るというのは、なんらかの意図があるものだ。

 ナンパか変質者か酔っ払いか。
警戒心もあらわに隣の男を横目で見て、どきりとした。

 金髪に、碧眼。
絵に描いたような外国人、それも見たこともないようなイケメンがこちらを見て微笑んでいる。

「スミマセン」

 男は、私と視線があうと、カタコトの日本語で話しかけてきた。

「フシーミイナリ? ディス トレイン?」

「イエス」

 うなずくと、男は嬉しそうに笑う。
目尻に楽し気な皺がうかぶ。
 すると完璧がゆえに近づきがたい整った顔に、親しみやすさが出る。
人生を楽しんでいるのだと、見る人に思わせる顔だ。

「サンクス」

 白い歯を見せて笑って言うと、男は手に持った分厚いガイドブックに目を落とした。
それ以上話しかけてくる様子もないので、ほっとする。

 一人旅の外国人は、話し好きの人間も多い。
一人旅の途中、旅先で出会った人とすこし話をするのは楽しいというのは私にも覚えがある。
他の言語ならともかく、英語はそれなりに話せるから、多少の会話なら付き合うのも構わない。

 けれど彼の行先が伏見稲荷と私と同じだったので、できれば会話したくなかった。
電車に乗っている数分ならともかく、一緒にお詣りにいきましょう、などという展開は遠慮したい。

 スマホのニュースを軽くチェックして、バッグにしまう。

 代わりに取り出したのは、小説本。
金融がらみのミステリで、最近イギリスで流行しているらしい。
 ずっと会計の仕事をしていたので、会計がらみや金融がらみの小説が好きだという私の好みを知っているロンドン在中の幼馴染が勧めてくれた作者の本だ。

 私の好みを熟知している彼女のおすすめだけあって、この作者の本はとても面白い。
丁寧な取材に基づく綿密なトリックはもちろん、登場人物たちのキャラクターもたっていて、シリーズものの主人公の男と、友人でワトソン役の男のやりとりも絶妙だ。
それに世界観があたたかく、読後感がいい。
日本語の翻訳本は、シリーズ第一作が年末に出版されたところだけど、きっと日本でも人気がでると思う。

 もちろん、私は日本語訳版も買った。
昨年は暇にまかせて原書を読んでいたけれど、日本語で読むほうがラクだし、話に集中できる。
どんな翻訳がされているかも気になった。

 下手な翻訳だったらいやだと思っていたのだけれど、それは懸念だったようだ。
原作の色を損なわないように、日本語としてもよみやすく翻訳されていた。
おかげで、小説の世界がより色鮮やかに楽しめる。

 小説を楽しんでいると、窓の外が急に明るくなった。
地下を走っていた電車が、地上へと出たのだ。
地上に出るとあと数駅で、伏見稲荷の最寄りの駅につく。

 家を出たときは暗かったのに、もうこんなに明るくなっているんだ。

 白んだ空を見て、ほぅとため息をつく。
そして、ふと視線に気づいた。

 視線のほうへ顔を向けると、さきほどの男が私を凝視している。
いぶかしげな眼を向けると、男は白い顔を赤くしてもごもごと『なんでもない』という。
 先ほどまでは片言の日本語で話しかけてきていたのに、急に英語で話し始めた彼を不思議に思いつつ、軽くうなずいて視線を本に戻した。

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