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婚約破棄して、10年目の邂逅。……そもそもなんでこんな男と婚約してたんだ?
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とうとうと語る男に、周りは完全にひいている。
それでも先輩は気づかず、追い打ちをかけるように、下卑た笑いをうかべて言う。
「まぁ、でも君がまだ研究職にあってくれて嬉しいよ。君ももう34歳だろう?普通の女性ならもうとっくに結婚して子供を産んで……、研究職から退いているかもしれないのにね。君はまだミス・アイダなんだろう?」
たぶん、雑誌のインタビューでも読んだんだろう。
男は、私がまだ独身だというのをあてこすってきた。
「やだ、猪瀬講師ってば。会田教授は、プロフェッサー・アイダですよ。ミス・アイダじゃないですってば」
度重なる私への侮辱に、男の研究室の院生たちが申し訳なさそうに頭を下げつつ、フォローしてくれる。
彼女たちのせいじゃないのに、気を使わせて申し訳なくなる。
……なんていうか、あまりの男のくだらなさに、びっくりしすぎて反撃する気にもなれなかったんだ。
この男は変わっていないと思ったけど、前はもうちょっとまともだったと思ったんだけどな。
どっちにしても、こんな男が好きだったなんて。
むかしの私、見る目なさすぎでしょ。
「ええ、まだミス・アイダです。もちろんプロフェッサーでもありますけど。それにもうすぐミセスになるんです」
私は彼女たちを安心させるように笑みを浮かべ、こちらを心配そうに見ている婚約者に手を振った。
金の髪に、青い目の彼は、冷たくさえ見えるほど怜悧に整った顔の持ち主だ。
その目にうかぶ心配と安堵の色は、私を思う本物の愛情だってこと、今の私は心から信じられる。
私の今の婚約者であるランドルフ・モーガンも、著名な研究者だ。
彼がこの研究会に来ていることに気づいた研究者たちに囲まれて、その質問に丁寧に答えていた。
けれど常に私のことを意識してくれているんだろう、こちらの会話が聞こえたわけではないだろうが不穏な空気を感じ取ってか、さっきからちらちらと心配そうにこちらを見ていた。
「だいじょうぶだよ」と笑顔で伝えると、ほっとしたように青い目が和む。
その眼差しは愛情にあふれていて、私の心をほわんと暖かくする。
だいじょうぶ。
さっきはつい、昔を思い出して震えてしまったけど。
あなたみたいな極上の男に、めちゃくちゃ愛されている私が、こんな男に傷つけられるはずないでしょ。
「え、あれ。ランドルフ・モーガン?」
ぽかんとした男とは対照的に、院生ちゃんが「わぁ」と歓声をあげる。
「ご結婚なさるんですか?おめでとうございます!お相手は、あの人……、ってモーガン教授?やだ、雑誌の写真でも素敵って思っていたけど、実物はもっと素敵!そっか、あの方もアングレーズの教授ですもんね。同じ大学にお勤めなんですか?あんな素敵な人と同僚で、恋に落ちて、結婚って。あぁ、やっぱり憧れますー!」
女の子の高い声が、部屋に響く。
ちょっと恥ずかしい。
それにランドルフが素敵なのは外見じゃなくて、中身なんだけどね。
いや、見た目もかっこいいけどさ。
誰よりも努力家で、でも他人への敬意を失わない。愛情深く誠実で、貪欲に人も世界も愛する。
そんな彼だから、結婚なんて興味をもてなくなっていた私でさえ、ともに生きたいと思うようになったんだから。
まぁ、でも。祝福の言葉は、嬉しい。
私が、彼女たちの憧れる先達になれたのなら、それも嬉しい。
地味で、かわいげがなくっても。
男の人をたてようなんて思って我慢しなくても。
幸せは、手に入る。
だいたいね。
地味なのはともかく、かわいげなんて、心底好きな男と一緒にいたら、自分でも知らないようなかわいげが、ばんばん胸の中からわいてくるもんだ。
男の人をたてるなんて意識しなくても、尊敬できる相手なら、自然にたてられる。
というかランドルフの場合、たてる必要もないけどね。全方位的にできる男だし。
猪瀬先輩がごちゃごちゃ言っていた私へのさげすさみは、結局のところ彼自身への評価だったんだと、今の私は思う。
「ありがとう。うちの両親に挨拶するために、帰国したの。結婚なんてって思っていたけど、相手によるわね。今の私は、ほんとうに幸せよ」
ぼうぜんと私とランドルフを見比べる猪瀬先輩を見て、思った。
あぁ、ほんとうに。
こんなくだらない男と結婚しなくてよかった……!!
あの時、私と婚約破棄してくれてありがとう、先輩。
泣きまくったけど、がんばったあの時の私、ありがとう。
おかげでいま、最上級に幸せだわ。
先輩はしどろもどろになにか口走っているけど、正直にいえばこの人にはもう興味なかった。
嫌味のひとつも言う気にならない。
私はたっぷり祝福してくれた院生ちゃんたちに笑顔でお礼をいうと、ランドルフのほうへ歩いていく。
「そこそこ」の幸せは努力しても我慢しても手に入れ損ねたけど、極上の幸せは簡単に手に入った。
人生って不思議で、素敵だ。
私が隣にたつと、嬉しそうに笑顔を向けるランドルフに笑顔を返し、周囲の研究者に挨拶をする。
隣によりそって立つランドルフのぬくもりを感じながら、先ほどの研究会についての議論を交わす。
あの時から懸命に生きて築いてきた居場所は、ここにある。
またたくまに、猪瀬先輩との邂逅は頭の片隅に消えていった。
昔のことなど、もはやどうでもよかった。
あの日の道は、いまここにいる場所に、私を連れてきてくれた。
そして、これから進む道は、ランドルフとともにあるのだから。
それでも先輩は気づかず、追い打ちをかけるように、下卑た笑いをうかべて言う。
「まぁ、でも君がまだ研究職にあってくれて嬉しいよ。君ももう34歳だろう?普通の女性ならもうとっくに結婚して子供を産んで……、研究職から退いているかもしれないのにね。君はまだミス・アイダなんだろう?」
たぶん、雑誌のインタビューでも読んだんだろう。
男は、私がまだ独身だというのをあてこすってきた。
「やだ、猪瀬講師ってば。会田教授は、プロフェッサー・アイダですよ。ミス・アイダじゃないですってば」
度重なる私への侮辱に、男の研究室の院生たちが申し訳なさそうに頭を下げつつ、フォローしてくれる。
彼女たちのせいじゃないのに、気を使わせて申し訳なくなる。
……なんていうか、あまりの男のくだらなさに、びっくりしすぎて反撃する気にもなれなかったんだ。
この男は変わっていないと思ったけど、前はもうちょっとまともだったと思ったんだけどな。
どっちにしても、こんな男が好きだったなんて。
むかしの私、見る目なさすぎでしょ。
「ええ、まだミス・アイダです。もちろんプロフェッサーでもありますけど。それにもうすぐミセスになるんです」
私は彼女たちを安心させるように笑みを浮かべ、こちらを心配そうに見ている婚約者に手を振った。
金の髪に、青い目の彼は、冷たくさえ見えるほど怜悧に整った顔の持ち主だ。
その目にうかぶ心配と安堵の色は、私を思う本物の愛情だってこと、今の私は心から信じられる。
私の今の婚約者であるランドルフ・モーガンも、著名な研究者だ。
彼がこの研究会に来ていることに気づいた研究者たちに囲まれて、その質問に丁寧に答えていた。
けれど常に私のことを意識してくれているんだろう、こちらの会話が聞こえたわけではないだろうが不穏な空気を感じ取ってか、さっきからちらちらと心配そうにこちらを見ていた。
「だいじょうぶだよ」と笑顔で伝えると、ほっとしたように青い目が和む。
その眼差しは愛情にあふれていて、私の心をほわんと暖かくする。
だいじょうぶ。
さっきはつい、昔を思い出して震えてしまったけど。
あなたみたいな極上の男に、めちゃくちゃ愛されている私が、こんな男に傷つけられるはずないでしょ。
「え、あれ。ランドルフ・モーガン?」
ぽかんとした男とは対照的に、院生ちゃんが「わぁ」と歓声をあげる。
「ご結婚なさるんですか?おめでとうございます!お相手は、あの人……、ってモーガン教授?やだ、雑誌の写真でも素敵って思っていたけど、実物はもっと素敵!そっか、あの方もアングレーズの教授ですもんね。同じ大学にお勤めなんですか?あんな素敵な人と同僚で、恋に落ちて、結婚って。あぁ、やっぱり憧れますー!」
女の子の高い声が、部屋に響く。
ちょっと恥ずかしい。
それにランドルフが素敵なのは外見じゃなくて、中身なんだけどね。
いや、見た目もかっこいいけどさ。
誰よりも努力家で、でも他人への敬意を失わない。愛情深く誠実で、貪欲に人も世界も愛する。
そんな彼だから、結婚なんて興味をもてなくなっていた私でさえ、ともに生きたいと思うようになったんだから。
まぁ、でも。祝福の言葉は、嬉しい。
私が、彼女たちの憧れる先達になれたのなら、それも嬉しい。
地味で、かわいげがなくっても。
男の人をたてようなんて思って我慢しなくても。
幸せは、手に入る。
だいたいね。
地味なのはともかく、かわいげなんて、心底好きな男と一緒にいたら、自分でも知らないようなかわいげが、ばんばん胸の中からわいてくるもんだ。
男の人をたてるなんて意識しなくても、尊敬できる相手なら、自然にたてられる。
というかランドルフの場合、たてる必要もないけどね。全方位的にできる男だし。
猪瀬先輩がごちゃごちゃ言っていた私へのさげすさみは、結局のところ彼自身への評価だったんだと、今の私は思う。
「ありがとう。うちの両親に挨拶するために、帰国したの。結婚なんてって思っていたけど、相手によるわね。今の私は、ほんとうに幸せよ」
ぼうぜんと私とランドルフを見比べる猪瀬先輩を見て、思った。
あぁ、ほんとうに。
こんなくだらない男と結婚しなくてよかった……!!
あの時、私と婚約破棄してくれてありがとう、先輩。
泣きまくったけど、がんばったあの時の私、ありがとう。
おかげでいま、最上級に幸せだわ。
先輩はしどろもどろになにか口走っているけど、正直にいえばこの人にはもう興味なかった。
嫌味のひとつも言う気にならない。
私はたっぷり祝福してくれた院生ちゃんたちに笑顔でお礼をいうと、ランドルフのほうへ歩いていく。
「そこそこ」の幸せは努力しても我慢しても手に入れ損ねたけど、極上の幸せは簡単に手に入った。
人生って不思議で、素敵だ。
私が隣にたつと、嬉しそうに笑顔を向けるランドルフに笑顔を返し、周囲の研究者に挨拶をする。
隣によりそって立つランドルフのぬくもりを感じながら、先ほどの研究会についての議論を交わす。
あの時から懸命に生きて築いてきた居場所は、ここにある。
またたくまに、猪瀬先輩との邂逅は頭の片隅に消えていった。
昔のことなど、もはやどうでもよかった。
あの日の道は、いまここにいる場所に、私を連れてきてくれた。
そして、これから進む道は、ランドルフとともにあるのだから。
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