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第十九話 揺れる

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※後ろの方に地震の描写があります。大した描写ではありませんが、念のためお伝えします。




アルベルトは窮屈な正装に着替え、鏡に映る無表情を見てため息をついた。煌びやかな衣装は彼の美貌を引き立てているものの、最近動くように感じていた表情筋は相変わらず仕事を放棄していた。
今日はデビュタントボールが開かれる日であり、国中の15歳になった貴族令嬢たちが宮殿へやってくる。王族に連なる者としてアルベルトの出席も義務付けられていた。

「はぁ…警備に回りたい」

毎年大勢の女性とその父親たちに囲まれ辟易した記憶が蘇りアルベルトは頭を振った。
アルベルトの顔面に惹かれて群がった女性たちは、期待を胸に彼に近づくが対応の雑さに打ちひしがれ逃げ帰って行く。毎年挑む強者も一人居るが、アルベルトの苦手な部類の女性であった為それも苦痛である。
菓子に群がるアリのようだとメルヴィンは大笑いしているが、アルベルトとしては慣れない女性への対応で疲れ切ってしまう面倒な行事で出来れば辞退したいと願っていた。勿論メルヴィンに即却下されるが。

鬱々とした気持ちを振り払う様に、アルベルトは送られてきたばかりの真理衣からの手紙を開封した。
女性らしい丸みを帯びた文字をそっと撫でた彼の表情はほぼ動かないが、ほんの微かに纏う空気が緩んだ。

***

アルベルトさんへ

騎士団のお仕事お疲れ様です。教会の方も少したてこんでいます。この間炊き出しで、私が育てた野菜を使って貰えました。たくさんの人に美味しく食べてもらえると嬉しくなりますね。私やアメリアもこっそりひとくち食べてみたんですけど、凄く美味しくて我ながら良い仕事したなって思います。
あれから悠ちゃんの排泄物は撒かずにいました。でも野菜の成長が目に見えて違うのでまた撒きたくなってしまって、神官長に許可を貰って自分の畑にだけ撒く事になりました。でも皆んなには何を撒いているか内緒にしないといけないみたいです。やっぱり聖域だからイメージ大事なんですね。
隠れ家カフェ、面白そうですね。もしまた王都に行く事があったらご一緒したいです。

マリー

***

アルベルトは手紙を引き出しの中へ大切そうにそっと仕舞うと、デビュタントボールの会場へと向かった。


既にデビュタントの令嬢達は入場しており、アルベルトが広間に姿を現すとうっとりとした視線を彼へと向けた。
アルベルトが真理衣を自らエスコートしていたのを目撃していた令嬢から、彼の女性嫌いが治ったのではという噂が広がっていたのだ。その為期待に満ちた女性たちの視線が彼に集中する。
アルベルトはそんな視線を鬱陶しそうに無視すると、兄へ挨拶するため王が座る豪奢な椅子へと歩いて行った。

「王弟殿下ッ…はじめまして、私…ラブラドーク男爵家のフィーナと申します」

男爵家の令嬢がアルベルトの腕に触れ、彼を引き留めた。彼女は今日社交界デビューを迎えた令嬢である。周りが騒めき、二人に注目する中アルベルトは不快そうな視線を彼女へと向ける。
令嬢へ向け冷ややかな声音が落とされた。

「男爵家では、紹介もされていない異性の腕を掴み話しかけろ、と教育されているのか?」
「あっ…も、申し訳ございません…!どうしてもお声がけさせて頂きたくて…つい…申し訳ございません…」

貴族の礼儀として、爵位を持たない令嬢や婦人は、上位貴族の男性に自ら声を掛けてはいけないという決まりがあった。令嬢の父親が間に入り紹介してから話しかける手順を飛ばしてしまったフィーナに、まさか己の娘が無作法をするとは思わず彼女の父親も真っ青になっている。
周りからの嘲笑を受け、フィーナは堪らず会場を去りその父親も後を追った。
アルベルトは去って行った彼女を冷ややかに一瞥すると、何事も無かったかのようにメルヴィンの元へと向かった。

「噂は噂だったわね…取り付く島もないわ」

アルベルトに一目惚れしたフィーナをけしかけた、金髪碧眼の令嬢が呟く。噂の真偽を確かめる為だけにフィーナを唆しアルベルトへ声がけをさせた令嬢である。
彼女の名はリリアーヌ・シュヴァイツァー。侯爵家の一人娘であった。結婚適齢期の令嬢のなかで、彼女より爵位の高い家の令嬢はいなかった。
毒々しいまでの美貌を持ったリリアーヌは扇で口元を隠しながらアルベルトに熱い視線を向けていた。

「わたくしなら…アルベルト様に相応しいはずなのに」

女嫌いはカモフラージュであると気付いているリリアーヌであるが、女を寄せ付けないアルベルトに苦戦していた。それなりに王家との交流があるシュヴァイツァー家の令嬢といえど、本人に嫌がられたのでは手の打ちようが無い。真っ赤な唇を歪めたリリアーヌは掌を握りしめる。握り締めた扇がミシリと嫌な音を立てた。



アルベルトは男爵令嬢に触れられた腕を不快げに見下ろした。
彼女に触れさせた時は不快感など無かったはずだが、と彼は此処にはいない真理衣の事を思い浮かべる。
メルヴィンの前に来るとアルベルトは礼をして挨拶した。

「陛下にご挨拶申し上げます」
「やあ、アルベルト。先ほどは皆んなの注目をたっぷり集めていたな!」

メルヴィンは愉快げにニマニマと人の悪い笑顔を浮かべた。

「少し冷た過ぎるのではなくて?貴方もう33歳なのですよ…このまま婚約者すら決まらなかったらどうするというの?」

メルヴィンの隣の椅子に座っている王妃ルイーゼがアルベルトへ向け苦言を呈した。ルイーゼのふわふわとした金の髪はシャンデリアに煌めき、紫色の瞳が困った子供を見るようにアルベルトへ向けられる。
彼女はメルヴィンとアルベルトの幼馴染であり、幼い頃は共に庭で転げ回った仲であった。

「ルイーゼ心配するな!我が弟にもようやく良い縁が転がってきたんだ」
「あら、そうでしたの?何処のどなた?わたくしの知っている方かしら」

アルベルトが口を開くよりも先にメルヴィンがルイーゼに嬉しそうにそう言った。ルイーゼも嬉しそうに目尻を下げる。

「陛下、マリーとはそんな仲では無いと申し上げましたが」

アルベルトは慌てたようにメルヴィンにそう言った。

「あれー?俺は一言も彼女の事だとは言っていないが…なぁアルベルト~?」
「マリーといえば…伯爵家の三女かしら?…でもまだ10歳だったような…」
「いやいや違うんだよルイーゼ!それが神官見習いの子なんだ」

メルヴィンの言葉にアルベルトはギョッとする。何故マリーが神官見習いだと知っているのか、とアルベルトが問いただす前にメルヴィンが悪びれもなく調べたと宣った。
これにアルベルトは思わず頭を抱える。

「勝手に調べないで下さい…」

ルイーゼがアルベルトへふんわりと微笑みかけた。

「わたくしも是非会いたいわ。未来の妹ですもの」
「いや…ですから彼女の事は別に………顔見せは終わりましたので部屋に戻ります…」

面倒になったアルベルトはそそくさと会場を後にした。

「…私何か変な事言ってしまったかしら?」
「可愛い弟はな、無自覚の恋に落ちているんだ」
「あら、自分で気が付いていないの…どんな子かしら…気になるわ」
「アルベルト曰く一児の母らしい…しかし調べた時には夫らしき者の姿は無かったから問題なさそうだ。役所の届けにも特に夫君について記されていなかったしな」

メルヴィンは知らない。
アルベルトは真理衣が異世界から来た事を知り、彼女は夫と引き離されたと思っている事を。

アルベルトは知らない。
真理衣が既に離婚しており、役所の書類を代筆したヨシュアがそれを聞いている事を。そして不要な情報と判断され報告が成されなかった事を。


*****


ある日の朝、悠にミルクを与えた真理衣は満腹で眠る悠のあどけない寝顔を眺めていた。真理衣の腹が空腹を訴えきゅるきゅる鳴く。

「朝ごはんまであと少し…お腹減ったよ悠ちゃーん」

悠のむにむに動く可愛らしい口を見ていた真理衣は、一瞬眩暈かと思う揺れを感じた。棚の上の物がカタカタと音を立てる。
最初は微かな縦揺れであったが、徐々に横にも揺れ始めクローゼットがミシミシと音を立て揺れた。
嫌な予感がした真理衣は悠を抱き上げ指輪に姿見を収納すると一目散に部屋の外へと飛び出す。
塔の螺旋階段を降りている最中にも揺れは大きく激しくなり、真理衣は立っていられず階段の途中で座り込んだ。
ミシミシと塔の石が軋む音や他の神官たちの狼狽える声、物が壊れる音が聞こえ、真理衣の心臓は早鐘を打つように激しく鼓動し冷や汗がこめかみを伝う。母親の不安が伝わってか、悠も泣き出し真理衣の不安は益々増した。

「どうしたら…あ!」

真理衣は指輪から《虹色魔石の王笏》を出現させると、階段に突き立てた。真理衣が教会や人々を守るイメージをすると、彼女を中心として半透明の金色に輝く球体が拡がり塔をと教会全体をのみ込んだ。そしてコルンの街を覆い尽くしていく。球体が拡がると同時に地面の揺れが遮断され、真理衣はほっと一息つくと泣きじゃくる悠に微笑みかけた。

《虹色魔石の王笏》が守護する範囲外の土地は揺れ続け、人々は建物から逃げ出すと頭を守るようにして地面にしゃがみ込んだ。多くの建物が倒壊し、それに巻き込まれた民が怪我を負った。

この日エルトニアを襲った地震による死傷者は3000人にも及んだ。
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