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第13話 後見人
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オレンジ色の扉をアラムが勢いよく開ける。
「マイダタンサアカ!」
食器のカチャカチャという音が鳴りやみ、優し気な女性の声が聞こえてきた。
「リエカオ」
「リツ、ほら入って入って!」
ぐいぐいと手を引かれ、家の中に足を踏み入れる。
母親と思われる40代前半程の女性が、深い緑色の瞳を細め微笑んでいる。
アラムと同じやわらかな茶髪をゆるく編み込み、ハーフアップにしていた。
物腰の柔らかい、しかし凛とした佇まいは不思議と高貴な雰囲気を醸し出す。
「ヨマルパノハハノムラア、テシマメジハ」
「僕の母さんの、パルマだよ」
私も慌てて頭を下げ、名乗る。
「佐藤律と申します。この度は見ず知らずの私の後見人を引き受けて下さり、本当に感謝しております」
通訳したアラムが笑いながら私の肩を押し上げて、頭を上げさせる。パルマが優しく私に笑いかけている。
「そんな堅苦しくしないで、気軽にしていいよって。これから新しい家族になるんだから」
家族…見ず知らずの私を家族と言ってくれるのか。
私は驚きのあまり2人を凝視した。じわりと涙が浮き上がってくる。
「ありがとう…」
この世界に来てから涙腺が弱くなっているのだろうか。泣いてばかりの気がする。
そんな私の背中をパルマは優しく押し、床に敷いてある上質そうなアラベスク模様の絨毯の上に座らせる。絨毯は部屋の半分の大きさ程で、その上にはたくさんの美味しそうな料理が並んでいる。
「スマシイゲンカヲタナア」
「ほら、リツ食べよ!母さんの作る料理は最高だよ」
アラムが胡坐をかきながら目を輝かせる。
そして3人で食事を囲った。
久しぶりの暖かな家族団らんの雰囲気。日本を思い出す。
父と母、兄は元気にしているだろうか。今頃警察に失踪した事を相談しに行っているのではなかろうか。
「リツ、これ美味しいよ」
アラムの声に思考から引き戻される。
そうだ、今は温かいこの人たちとの食事を楽しもう。
勧められた肉を手に取る。この国の食事は基本的には手づかみが多いようだ。
ジルバーノの所ではナイフとフォークが出たりしたが、それも数回だった。
慌てて思い出したくない男の顔を頭から追い出す。美味しい食事がまずくなってしまう。
肉に齧り付く。じゅわりとした香ばしさと、香辛料のピリリとした刺激が食欲をそそる。不思議な後味もあるが、それがまたクセになる。
「おいしいです。凄くおいしい」
夢中で齧りつく。私の様子を嬉しそうに見てパルマは笑った。
別の一品を勧められ、それを見つめ数秒固まった。
奴隷船で食事のたびに見た、紫とオレンジ色のマーブル模様の葉野菜が入っていたのだ。
茹でた卵と一緒に和えてあり、色鮮やかなサラダのような仕上がりである。
あの拷問スープの味を思い出しながら、恐る恐る口へ運ぶ。
シャク、とした歯ごたえの後にくる衝撃的な味を覚悟したのだが。
はて、違う種類の葉野菜だったのか。首をかしげる。
あの独特な、春菊のクセを更に酷くした味ではないのだ。
「その鮮やかな葉はブージ。本当はすっごく変な味なんだけど卵と和えると美味しいんだ」
「前に食べた事あったけどその時は味が凄かったの…これは凄く美味しい!」
ブージと卵の和え物は定番料理らしい。きちんと下処理さえすれば美味しくなる葉野菜だという。
きっと船では奴隷に出す食事だからと、下処理もせずに作ったに違いない。
「パルマさんのお料理美味しいです」
久しぶりに幸せな時間を過ごした。
手に付着した油などを濡れ布巾で拭った後、食器の片づけなどを手伝う。お礼にそれらを洗おうと名乗り出たのだが、大丈夫だと遠慮された。
そういえば水などはどこから調達しているのだろう。パルマの様子を見ていると、遠慮された理由が分かったのと同時に衝撃を受ける。彼女が手をフワリと動かすと宙に水の塊が現れたのだ。
「アラム君、あれは?」
「母さんが自分で水を出したんだよ。そういえばリツの国では魔法はなかったよね」
何というファンタジー。おとぎ話の中だけだと思っていたものが目の前に。そういえば私が檻に入れられて運ばれた時もあの男が浮かせていたような。あの時は気が動転していて何も考えられなかったのだ。シャヌから貰った赤い封筒も空を飛ぶというし。この世界は魔法に頼っている生活をしているのかもしれない。私はもしかして家事も何も出来ないのではないだろうか…不安がよぎる。
ただ居候としているのは心苦しい。せっかく家族とさえ言ってくれたのだ、何か私にできることがないか探さなければ。
「リツ、歯を磨きに行こう」
アラムが別の部屋を指さす。洗面台だろうか。
大人が両手で抱えるほどの大きさの磁器製の平たい器の前に案内され、座らされる。日本のものとは異なり床に設置してあるようだ。器の底には小さな穴が開いていた。
「バリナの葉っぱ噛んで」
鳥籠の中でも度々与えられた肉厚の白い葉を渡される。ミントのような味がしたはずだ。これを毎食後噛まされた記憶があるのだが、まさかの歯磨きだったとは。
何の説明もないまま噛まされていたのでよく分かっていなかった。てっきり食後のデザートだと思っていた。だから飲み込んでいたのだが、それを見たシャヌが微妙な顔をしていた気がする。
言われるがまま口に含み噛む。ねっとりとした爽やかな液が口の中に溢れる。そう、こんな味だった。
噛んでいるうちに形を失い水分だけが残るのだ。
「そのあとこれに水入れて口ゆすいでね、この大きい器に吐き出していいから」
小さなカップを手渡され、首をかしげる。水は何処にあるのだろう。
「この赤い石触ってね」
平たい器の側面にある赤い石をアラムが触ると、器の上に水の塊が現れた。
驚き、うっかり口の中の液を飲み込みそうになり慌てる。
アラムは見本を見せるようカップをその水の塊に突っ込んだ。
そこから引き抜くと、カップの中には水がたぷんと揺れていた。まるで水道のようではないか。
魔法が使えない者も一定数いるらしく、その人たち向けに開発された道具だそうだ。
赤い石には魔法の元となる力が込められており、この石を専門に売っている店もあるらしい。
今までは未発達な世界だと思い込んでいたが、形は違えども文明は発達しているのだ。
今までの失礼な認識を改めた。
小さいながら浴室も存在した。アラムが言うには平民の家庭には通常浴槽はないのだが、母が貴族出身だったため浴槽のない生活に耐えられず設置したらしい。パルマの優雅な佇まいに納得した。
彼女は平民の男と恋に落ち、両親の反対を押し切り駆け落ちしたらしい。見た目の優しさとは違い情熱的な性格をしているようだ。その肝心の父親は病により亡くなってしまい、元々得意だった刺繍をした敷物や、服を作って生計を立てている。パルマは今まで働いたことが無く、両親は何度も戻って来いと言っていたようだが、パルマは頑なに戻らなかった。戻れば貴族の男性と結婚させられてしまうからだと苦笑した。それを聞いて私は更に何か手伝わなくてはと感じた。
寝室に案内される。大人が4人寝られるくらいの部屋に大きなベッドがみっちりと詰まっていた。
生活を心配したパルマの母親が贈った品らしい。一度解体して苦労してこの部屋に入れたという。
3人で川の字になって寝転ぶ。隣のアラムに私はこっそり伝えた。
「お願いがあるんだけど…私に手伝えることがあったら教えてほしいの」
「分かった、明日色々教えるね」
ありがとう、と囁きそれはやがて寝息に変わった。
熱を含んだ風が頬を撫で、ふと目を覚ました。太陽が頭を見せたのか、うっすらと外は明るくなりつつあった。台所の方からカチャカチャとした音が聞こえ、私は慌てて体を起こした。2人の姿が見えない。寝ぐせもそのままに、私は台所へ向かう。手伝うと豪語したすぐ次の日に寝坊してしまったのだ。
これでは熱意も伝わるまい。
「おはようございます!すみません寝坊しました」
「リツ、ウヨハオ」
パルマが微笑みながら私の寝ぐせを直した。とても恥ずかしい。
アラムが玄関からひょっこり顔を出す。
「おはよう、リツ。起こしに行こうと思ってたんだ。ナルハッマーム案内したっけ?」
「おはよう。ナル…何て?」
聞き取れなくて思わず聞き返す。彼は笑ってごめんと言い、玄関の外へ私を引っ張っていった。
少し離れた場所にオレンジ色の小屋があった。扉をあける。
「これだよ」
指さした先にはトイレがあった。なるほど先ほどの単語はトイレだったようだ。
「女の人は『ちょっとバリナの葉を摘みに行く』とかいう表現もするよ」
お花を摘みにという表現に似ている。異世界でもそういった事は誰かが考えるのだろうか。
「ありがとう、助かるわ」
「中に手を洗うところもあるから使ってね、僕は先に戻ってるよ」
そう言って彼は去っていった。外にあるトイレ、夜は少々怖いかもしれない。
夜は早めに済ませようと決意した。
結局朝ごはんの支度は手伝うことが出来なかった。
それを伝えると、パルマは気にしなくていいのにと笑った。
でも、そういうわけにはいかない。できることから手伝っていきたい。
アラムと一緒にお願いして、掃除をする事になった。
「掃除は魔法でできないからね。風を起こすことはできるけど操るのが難しいから余計に散らかっちゃうんだ」
木の枝を束ねた短めの箒を使い、床の掃き掃除をする。
アラムは絨毯を丸めながら端に寄せていた。絨毯の下は石の床が広がっていた。
後で拭き掃除もしようと思う。
「ワルクテッイニトゴシ」
パルマが敷物などを作る工房に出かけるようだ。
「イャシッラテッイ」
私もアラムの言葉を真似て手を振った。今のはよくある挨拶らしい。
少し汚れた布を雑巾代わりに、床をピカピカに磨き上げ私は満足げに頷いた。
「リツ、掃除うまいね。僕はいつも箒だけなんだ」
感心したように言われたが、私はまだ掃除くらいしか手伝えない。
「もっとパルマさんが楽になるように色々手伝いたいのだけれど…」
「リツ、そんなに焦らなくても大丈夫だよ」
心配そうな深い緑色の瞳に覗き込まれた。私は焦っているのだろうか。
「僕も最初は日本でどうしたら良いか分からなかったけど、ゆっくりで良いんだ」
頭をゆっくり撫でられる。
「リツは元気になってくれれば、それで良いんだよ」
「今まで辛い思いをたくさんしたんだもの。ゆっくりで良いんだよ」
アラムの優しい瞳にゆっくりと頷いた。
私はきっと自分の存在意義を求めていたのかもしれない。ここに居ても良いのだと、放り出されたくないと。パルマの為と言いながらも、結局は自分の為に。
そんな自分が嫌になる。何と自分勝手なのだろう。この世界に来てから自分の本質を嫌でも突きつけられているような気がする。傷つきたくない、勇気もない、自分勝手で、他者にばかり迷惑をかける存在。
私は落ち込んだ。
アラムはそんな私の背中を撫でながら、明るく励ます。
「じゃあさ、まずは母さんと直接喋れるように言葉を練習しよう!」
「今のリツは僕がいないと喋れない、でもきっと直接喋れたら世界は広がるんだ」
だいぶ年下の少年が酷く眩しく見える。この世界の住人は、皆イキイキと輝いている。
「私、頑張るよ。頑張って覚える。だから、お願いします先生」
私の言葉にアラムはニッと笑い、任せとけと胸を叩いた。
「マイダタンサアカ!」
食器のカチャカチャという音が鳴りやみ、優し気な女性の声が聞こえてきた。
「リエカオ」
「リツ、ほら入って入って!」
ぐいぐいと手を引かれ、家の中に足を踏み入れる。
母親と思われる40代前半程の女性が、深い緑色の瞳を細め微笑んでいる。
アラムと同じやわらかな茶髪をゆるく編み込み、ハーフアップにしていた。
物腰の柔らかい、しかし凛とした佇まいは不思議と高貴な雰囲気を醸し出す。
「ヨマルパノハハノムラア、テシマメジハ」
「僕の母さんの、パルマだよ」
私も慌てて頭を下げ、名乗る。
「佐藤律と申します。この度は見ず知らずの私の後見人を引き受けて下さり、本当に感謝しております」
通訳したアラムが笑いながら私の肩を押し上げて、頭を上げさせる。パルマが優しく私に笑いかけている。
「そんな堅苦しくしないで、気軽にしていいよって。これから新しい家族になるんだから」
家族…見ず知らずの私を家族と言ってくれるのか。
私は驚きのあまり2人を凝視した。じわりと涙が浮き上がってくる。
「ありがとう…」
この世界に来てから涙腺が弱くなっているのだろうか。泣いてばかりの気がする。
そんな私の背中をパルマは優しく押し、床に敷いてある上質そうなアラベスク模様の絨毯の上に座らせる。絨毯は部屋の半分の大きさ程で、その上にはたくさんの美味しそうな料理が並んでいる。
「スマシイゲンカヲタナア」
「ほら、リツ食べよ!母さんの作る料理は最高だよ」
アラムが胡坐をかきながら目を輝かせる。
そして3人で食事を囲った。
久しぶりの暖かな家族団らんの雰囲気。日本を思い出す。
父と母、兄は元気にしているだろうか。今頃警察に失踪した事を相談しに行っているのではなかろうか。
「リツ、これ美味しいよ」
アラムの声に思考から引き戻される。
そうだ、今は温かいこの人たちとの食事を楽しもう。
勧められた肉を手に取る。この国の食事は基本的には手づかみが多いようだ。
ジルバーノの所ではナイフとフォークが出たりしたが、それも数回だった。
慌てて思い出したくない男の顔を頭から追い出す。美味しい食事がまずくなってしまう。
肉に齧り付く。じゅわりとした香ばしさと、香辛料のピリリとした刺激が食欲をそそる。不思議な後味もあるが、それがまたクセになる。
「おいしいです。凄くおいしい」
夢中で齧りつく。私の様子を嬉しそうに見てパルマは笑った。
別の一品を勧められ、それを見つめ数秒固まった。
奴隷船で食事のたびに見た、紫とオレンジ色のマーブル模様の葉野菜が入っていたのだ。
茹でた卵と一緒に和えてあり、色鮮やかなサラダのような仕上がりである。
あの拷問スープの味を思い出しながら、恐る恐る口へ運ぶ。
シャク、とした歯ごたえの後にくる衝撃的な味を覚悟したのだが。
はて、違う種類の葉野菜だったのか。首をかしげる。
あの独特な、春菊のクセを更に酷くした味ではないのだ。
「その鮮やかな葉はブージ。本当はすっごく変な味なんだけど卵と和えると美味しいんだ」
「前に食べた事あったけどその時は味が凄かったの…これは凄く美味しい!」
ブージと卵の和え物は定番料理らしい。きちんと下処理さえすれば美味しくなる葉野菜だという。
きっと船では奴隷に出す食事だからと、下処理もせずに作ったに違いない。
「パルマさんのお料理美味しいです」
久しぶりに幸せな時間を過ごした。
手に付着した油などを濡れ布巾で拭った後、食器の片づけなどを手伝う。お礼にそれらを洗おうと名乗り出たのだが、大丈夫だと遠慮された。
そういえば水などはどこから調達しているのだろう。パルマの様子を見ていると、遠慮された理由が分かったのと同時に衝撃を受ける。彼女が手をフワリと動かすと宙に水の塊が現れたのだ。
「アラム君、あれは?」
「母さんが自分で水を出したんだよ。そういえばリツの国では魔法はなかったよね」
何というファンタジー。おとぎ話の中だけだと思っていたものが目の前に。そういえば私が檻に入れられて運ばれた時もあの男が浮かせていたような。あの時は気が動転していて何も考えられなかったのだ。シャヌから貰った赤い封筒も空を飛ぶというし。この世界は魔法に頼っている生活をしているのかもしれない。私はもしかして家事も何も出来ないのではないだろうか…不安がよぎる。
ただ居候としているのは心苦しい。せっかく家族とさえ言ってくれたのだ、何か私にできることがないか探さなければ。
「リツ、歯を磨きに行こう」
アラムが別の部屋を指さす。洗面台だろうか。
大人が両手で抱えるほどの大きさの磁器製の平たい器の前に案内され、座らされる。日本のものとは異なり床に設置してあるようだ。器の底には小さな穴が開いていた。
「バリナの葉っぱ噛んで」
鳥籠の中でも度々与えられた肉厚の白い葉を渡される。ミントのような味がしたはずだ。これを毎食後噛まされた記憶があるのだが、まさかの歯磨きだったとは。
何の説明もないまま噛まされていたのでよく分かっていなかった。てっきり食後のデザートだと思っていた。だから飲み込んでいたのだが、それを見たシャヌが微妙な顔をしていた気がする。
言われるがまま口に含み噛む。ねっとりとした爽やかな液が口の中に溢れる。そう、こんな味だった。
噛んでいるうちに形を失い水分だけが残るのだ。
「そのあとこれに水入れて口ゆすいでね、この大きい器に吐き出していいから」
小さなカップを手渡され、首をかしげる。水は何処にあるのだろう。
「この赤い石触ってね」
平たい器の側面にある赤い石をアラムが触ると、器の上に水の塊が現れた。
驚き、うっかり口の中の液を飲み込みそうになり慌てる。
アラムは見本を見せるようカップをその水の塊に突っ込んだ。
そこから引き抜くと、カップの中には水がたぷんと揺れていた。まるで水道のようではないか。
魔法が使えない者も一定数いるらしく、その人たち向けに開発された道具だそうだ。
赤い石には魔法の元となる力が込められており、この石を専門に売っている店もあるらしい。
今までは未発達な世界だと思い込んでいたが、形は違えども文明は発達しているのだ。
今までの失礼な認識を改めた。
小さいながら浴室も存在した。アラムが言うには平民の家庭には通常浴槽はないのだが、母が貴族出身だったため浴槽のない生活に耐えられず設置したらしい。パルマの優雅な佇まいに納得した。
彼女は平民の男と恋に落ち、両親の反対を押し切り駆け落ちしたらしい。見た目の優しさとは違い情熱的な性格をしているようだ。その肝心の父親は病により亡くなってしまい、元々得意だった刺繍をした敷物や、服を作って生計を立てている。パルマは今まで働いたことが無く、両親は何度も戻って来いと言っていたようだが、パルマは頑なに戻らなかった。戻れば貴族の男性と結婚させられてしまうからだと苦笑した。それを聞いて私は更に何か手伝わなくてはと感じた。
寝室に案内される。大人が4人寝られるくらいの部屋に大きなベッドがみっちりと詰まっていた。
生活を心配したパルマの母親が贈った品らしい。一度解体して苦労してこの部屋に入れたという。
3人で川の字になって寝転ぶ。隣のアラムに私はこっそり伝えた。
「お願いがあるんだけど…私に手伝えることがあったら教えてほしいの」
「分かった、明日色々教えるね」
ありがとう、と囁きそれはやがて寝息に変わった。
熱を含んだ風が頬を撫で、ふと目を覚ました。太陽が頭を見せたのか、うっすらと外は明るくなりつつあった。台所の方からカチャカチャとした音が聞こえ、私は慌てて体を起こした。2人の姿が見えない。寝ぐせもそのままに、私は台所へ向かう。手伝うと豪語したすぐ次の日に寝坊してしまったのだ。
これでは熱意も伝わるまい。
「おはようございます!すみません寝坊しました」
「リツ、ウヨハオ」
パルマが微笑みながら私の寝ぐせを直した。とても恥ずかしい。
アラムが玄関からひょっこり顔を出す。
「おはよう、リツ。起こしに行こうと思ってたんだ。ナルハッマーム案内したっけ?」
「おはよう。ナル…何て?」
聞き取れなくて思わず聞き返す。彼は笑ってごめんと言い、玄関の外へ私を引っ張っていった。
少し離れた場所にオレンジ色の小屋があった。扉をあける。
「これだよ」
指さした先にはトイレがあった。なるほど先ほどの単語はトイレだったようだ。
「女の人は『ちょっとバリナの葉を摘みに行く』とかいう表現もするよ」
お花を摘みにという表現に似ている。異世界でもそういった事は誰かが考えるのだろうか。
「ありがとう、助かるわ」
「中に手を洗うところもあるから使ってね、僕は先に戻ってるよ」
そう言って彼は去っていった。外にあるトイレ、夜は少々怖いかもしれない。
夜は早めに済ませようと決意した。
結局朝ごはんの支度は手伝うことが出来なかった。
それを伝えると、パルマは気にしなくていいのにと笑った。
でも、そういうわけにはいかない。できることから手伝っていきたい。
アラムと一緒にお願いして、掃除をする事になった。
「掃除は魔法でできないからね。風を起こすことはできるけど操るのが難しいから余計に散らかっちゃうんだ」
木の枝を束ねた短めの箒を使い、床の掃き掃除をする。
アラムは絨毯を丸めながら端に寄せていた。絨毯の下は石の床が広がっていた。
後で拭き掃除もしようと思う。
「ワルクテッイニトゴシ」
パルマが敷物などを作る工房に出かけるようだ。
「イャシッラテッイ」
私もアラムの言葉を真似て手を振った。今のはよくある挨拶らしい。
少し汚れた布を雑巾代わりに、床をピカピカに磨き上げ私は満足げに頷いた。
「リツ、掃除うまいね。僕はいつも箒だけなんだ」
感心したように言われたが、私はまだ掃除くらいしか手伝えない。
「もっとパルマさんが楽になるように色々手伝いたいのだけれど…」
「リツ、そんなに焦らなくても大丈夫だよ」
心配そうな深い緑色の瞳に覗き込まれた。私は焦っているのだろうか。
「僕も最初は日本でどうしたら良いか分からなかったけど、ゆっくりで良いんだ」
頭をゆっくり撫でられる。
「リツは元気になってくれれば、それで良いんだよ」
「今まで辛い思いをたくさんしたんだもの。ゆっくりで良いんだよ」
アラムの優しい瞳にゆっくりと頷いた。
私はきっと自分の存在意義を求めていたのかもしれない。ここに居ても良いのだと、放り出されたくないと。パルマの為と言いながらも、結局は自分の為に。
そんな自分が嫌になる。何と自分勝手なのだろう。この世界に来てから自分の本質を嫌でも突きつけられているような気がする。傷つきたくない、勇気もない、自分勝手で、他者にばかり迷惑をかける存在。
私は落ち込んだ。
アラムはそんな私の背中を撫でながら、明るく励ます。
「じゃあさ、まずは母さんと直接喋れるように言葉を練習しよう!」
「今のリツは僕がいないと喋れない、でもきっと直接喋れたら世界は広がるんだ」
だいぶ年下の少年が酷く眩しく見える。この世界の住人は、皆イキイキと輝いている。
「私、頑張るよ。頑張って覚える。だから、お願いします先生」
私の言葉にアラムはニッと笑い、任せとけと胸を叩いた。
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