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第四章 風によせて
第14話 図書館とクリスマスマーケット
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二十四日の早朝、夏樹は帰国した。
まだ暗い朝の空港で、茉莉香は彼を出迎える。
「夏樹さん!」
「茉莉香ちゃん!」
二人は歩み寄ると、互いに見つめ合う。
久しぶりに会う夏樹は、以前よりも頼もしく男らしく見えた。
留学や仕事の苦労が彼を鍛え、成長させたのだろうか?
「どうかした?」
言葉も見つからないまま、見つめる茉莉香に夏樹が尋ねた。
「あ……ごめんなさい。こんなところで、寒いわよね」
ようやく我に返る。
「そうだね。移動しよう」
夏樹の宿泊先は、亘の部屋だ。電車を乗り継いでマンションにたどり着いた。
「荷物を預けてくるから待っていて!」
茉莉香をエントランスに残して、階段を駆け上がっていった。
「エレベーターが……」
言いかけてやめる。
すでに姿は見えない。
(荷物があるのに……。亘さんの部屋は最上階よ?)
夏樹はアッと今に間に戻ってきた。
(きちんと亘さんに挨拶してきたのかしら?)
一瞬、心配をするが、
「俺、行きたいところがあるんだ」
夏樹が楽しげに言うと、
「まぁ、どこかしら?」
これからの楽しみの前に、その憂いは消し飛んだ。
二人はオフィス街や官庁に隣接する公園へ向かう。
夏樹の目的は、公園内にある図書館だ。
図書館の一階にあるカフェで、二人は遅い朝食をとる。
窓際の席に座ると、公園の緑が美しい。
「ここ、安いんだよ。俺、ホット」
ホットコーヒー250円に、サンドイッチ300円は確かに安い。
「じゃあ、私も!」
二人で別々のサンドイッチを注文しては交換しあう。
朝早く家を出たため、きちんと食べていないせいだろうか?
平凡なサンドイッチが、とてもおいしく感じられた。
「夏樹さん、帰国したばかりで疲れてない?」
「俺? 平気だよ。それより、茉莉香ちゃんも朝早くから迎えに来て、大変だったんじゃない?」
「私も大丈夫よ」
茉莉香が笑う。
やがて二人は書架のある部屋へ向かう。
「いやー! こうね。日本語の本に囲まれたかったんだよ!」
夏樹の言葉があまりにも実感がこもっていたために、茉莉香がクスリと笑った。
「でも、本屋さんがあったでしょ?」
「ああ、いろいろと。ね。でも、図書館とはまた違うからな」
二人は本棚の間を一列になって歩き続けた。
もちろん話などはしない。
時々、夏樹が立ち止まって見上げた本を、茉莉香も見る。
それだけのことを何度も繰り返す。
それが楽しかった。
やがて、夏樹と茉莉香は、それぞれ本を一冊ずつ選ぶと、閲覧コーナーへ行って読み始めた。
互いに静かに本を読む。
沈黙の間に温かい空気が流れ、二人を満たしていく。
本に集中しながらも、互いに気遣い合う。
ふと、横を見ると、夏樹の端正な横顔がそこにあった。
自分たちは、今、隣に座り合っているのだ。
茉莉香は穏やかな幸せを感じていた。
図書館を出ると、二人は公園を散歩する。
ビルの谷間にある、緑豊かな公園だ。
「まぁ、薔薇が咲いているわ」
「うん。冬の薔薇だね」
茉莉香は、紅葉の季節にこの公園に遊びに来た時には、落ち葉を拾い、それを本に挟んで栞にしたことがある。
だが、銀杏の葉も落ち、木々は冬支度を始めている。
クリスマスは冬至の直後だ。
日の入りが早い。
いつの間にか、あたりが暗くなってきた。
公園を出て、どこかで食事でもと思うが、どこも一杯だった。
「流石はクリスマスだな。なんだって、みんなこう出かけたがるんだろう。パリじゃ家族と一緒に家で過ごすんだぜ」
「あら、私たちだってそうなのよ」
茉莉香の言葉に、夏樹が笑った。
二人は、いつまでも歩き続ける。
この時間がいつまでも続くかのように……。
やがて、前方にほんのりと明かりが灯り、人が集う気配が見えた。
「何かしら?」
「さあ? 行ってみよう」
夏樹は、今朝帰国したばかりだ。何の予定も立てていない。
今日は、それではどこにも行けないし、何をすることもできない。
二人は、ひとまず前方に進むことにした。
明るさは一層強くなり、人の賑わいも近くなる。
やがて、明るい光に包まれた一帯に、二人は足を踏み入れた。
「クリスマスマーケット!」
茉莉香が声をあげる。
「ああ」
夏樹があたりを見回しながらうなずく。
ここは、日本で最も古い公園の一つとして有名な場所だ。
クスノキ、ケヤキ、イチョウなどの大木がところどころに植えられ、春には桜の名所となる。テニスコートなどのスポーツ施設もある、憩いの場だ
だが、現在期間限定で、クリスマスマーケットが開催されている。
「へぇ。なかなかいいじゃん」
園内には、イルミネーションで飾られた屋台が並ぶ。オーナメント、シュトーレン、リース、軽食、ホットワインが売られている。
オーナメントは、トナカイ、天使、雪だるま……それぞれ工夫されたもので、二人は、ひとつひとつ見て歩く。
夏樹が、
「お腹空いたね。それに冷えてきた。ちょっと待ってて……」
と、言ったあと、
「ホットドックとホットワインを買ってきたよ!」
すぐに戻ってきた。
「あそこにベンチがある。座って食べよう!」
「ええ」
二人でベンチに並んで座る。
「いただきます。美味しそう! それに、ホットワインがいい香り」
オレンジとシナモンの香りが鼻をくすぐる。
はちみつで味付けしてあるので、甘く口当たりがよい。
「ホットワインは体が温まるわね」
ふと見ると、夏樹がごそごそと鞄を探っている。
「?」
茉莉香がそれを見守った。
夏樹が鞄から何か取り出し、手にしている。
(なにかしら?)
「ほらっ! 売店で売っていたよ!」
夏樹が茉莉香の顔の前にそれをつきつけた。
「ぬいぐるみ? まあ! トナカイね!」
トナカイは滑稽な顔をして笑っている。
「面白い顔だわ」
素直に“かわいい”とは言えない顔だ。
「とぼけた顔してるぜ!」
夏樹がふざけて、トナカイの頭に拳骨をくれようとする。
「だめ! かわいそうじゃない!」
茉莉香が抱きかかえながら庇うと、夏樹が面白そうに笑った。
「ひどいわ!」
「ごめん。ごめん。でも、からかいたくなる顔じゃない?」
「そうね!」
確かに滑稽な顔だ。
夏樹の気持ちもわからないでもない。
やがて、買い物や食事をしていた人たちの群れが、一つの方向へ向かって歩き始めた。
彼らは何処へ行こうというのか?
茉莉香は、それを眺めるともなく眺めた。
「あっちのステージで、なにかアトラクションをやるみたいだよ! 行ってみよう!」
「まぁ! そうだったのね。私たちも行きましょう!」
二人はステージへ向かう。
仮ごしらえの小さなものだ。
「満席かしら……」
「ほら! あそこ! ちょうど空いているよ!」
すでに観客は席についている。二人は頭を下げながら、彼らの前を通り、ようやく席についた。
「結構な人ね」
ぐるりと周りを見回す。
「ほら! 始まるよ!」
夏樹がステージを指さした。
陽気な音楽が流れ、人々の表情が期待に満ちたものに変わる。
これから何が起ころうとしているのか?
「何が始まるのかしら? わくわくするわ」
やがて、トナカイの被り物をした役者が音楽に合わせて、踊り始めた。
「ぬいぐるみと同じ顔だわ!」
「このイベントのマスコットキャラかな?」
滑稽なトナカイのダンスに、観客たちに大喜びで歓声をあげる。
茉莉香と夏樹も声をたてて笑った。
ホットワインが体を温め、頬が赤く染まる。
賑やかな音楽が、頭の中でぐるぐると回るようだ。
この気持ちの高まりが、酔いのせいなのか、コミカルなダンスのためなのか、茉莉香にはわからなくなってきた。
陽気な出し物が終わると、入れ替わりに、バイオリン、ヴィオラ、チェロの弦楽四重奏団現れ、静かに演奏を始める。
白い天使の装いをした、幼い少年と少女が蝋燭を持って舞台袖から歩み入る。
『きよしこのよる』が奏でられ、天使たちが歌い始めた。
観客たちが、それに合わせて歌う。
茉莉香と夏樹も……。
茉莉香は子どものころのクリスマス会を思い出す。クラスメイトや家族と共に祝うクリスマス会。
なんの憂いも、不安もなかった頃のクリスマス。
ふと、寂しさがこみ上げる。
失われたクリスマス。
(嫌だわ……こんな席で……)
思い出を振り払おうと、横を見ると夏樹がいる
視線に気づいたのか、茉莉香を見つめ返した。
心から寂しさが消え、温かいものに満たされていく。
ほっとした気持ちで、ステージに視線を戻した。
蝋燭の明かりが人々を照らす。
茉莉香と夏樹も……。
やがて、『まきびとひつじを』を歌い、『もろびとこぞりて』へと続いた。
天使たちは、歌い終わると礼をし、観客たちの拍手が場内に鳴り響く。
四重奏団が『あらののはてに』のメロディーを奏で始めた。
音楽に促されるように、人々は席を立ち帰路に着き始める。
クリスマスの夜が終わろうとしていた。
一時間後、二人は、茉莉香の実家のすぐそばまで来ていた。
茉莉香は、年末年始を両親と過ごすために実家に戻っている。
「はしゃぎ過ぎちゃったわ。……でも、一日があっという間だった。空港に朝早く迎えに行って、図書館で静かに本を読んで、クリスマスマーケットに行って……」
「いっぺんにいろいろあったね」
夏樹が笑う。
「そう。いっぺんに……」
まるで夢のようだ。
昨日まで夏樹はいなかったのだ。
「茉、茉莉香ちゃん?」
夏樹がひどく慌てている。
茉莉香は、いつの間にか泣き出していたのだ。
大粒の涙が頬を伝っては落ちる。
「ごめんなさい。せっかく会えたのに。でも、年が明けたら、夏樹さんはまた……」
夏樹に会えない日々のことを思い出してしまった。
今、すぐ隣にいるのに……。
「茉莉香ちゃん……」
夏樹は、そっと茉莉香を抱き寄せると、そっと涙に唇を触れた。
茉莉香は驚いたが、身をまかせていた。
(ずっとこのままならいいのに……)
唇は、頬に、目元に、額に移動し、
茉莉香がじっと、それを受け止める。
……やがて唇に触れた。
茉莉香の涙が止まり、
小さく震えながら、笑顔を浮かべる。
二人はそのまま静かに抱き合った。
まだ暗い朝の空港で、茉莉香は彼を出迎える。
「夏樹さん!」
「茉莉香ちゃん!」
二人は歩み寄ると、互いに見つめ合う。
久しぶりに会う夏樹は、以前よりも頼もしく男らしく見えた。
留学や仕事の苦労が彼を鍛え、成長させたのだろうか?
「どうかした?」
言葉も見つからないまま、見つめる茉莉香に夏樹が尋ねた。
「あ……ごめんなさい。こんなところで、寒いわよね」
ようやく我に返る。
「そうだね。移動しよう」
夏樹の宿泊先は、亘の部屋だ。電車を乗り継いでマンションにたどり着いた。
「荷物を預けてくるから待っていて!」
茉莉香をエントランスに残して、階段を駆け上がっていった。
「エレベーターが……」
言いかけてやめる。
すでに姿は見えない。
(荷物があるのに……。亘さんの部屋は最上階よ?)
夏樹はアッと今に間に戻ってきた。
(きちんと亘さんに挨拶してきたのかしら?)
一瞬、心配をするが、
「俺、行きたいところがあるんだ」
夏樹が楽しげに言うと、
「まぁ、どこかしら?」
これからの楽しみの前に、その憂いは消し飛んだ。
二人はオフィス街や官庁に隣接する公園へ向かう。
夏樹の目的は、公園内にある図書館だ。
図書館の一階にあるカフェで、二人は遅い朝食をとる。
窓際の席に座ると、公園の緑が美しい。
「ここ、安いんだよ。俺、ホット」
ホットコーヒー250円に、サンドイッチ300円は確かに安い。
「じゃあ、私も!」
二人で別々のサンドイッチを注文しては交換しあう。
朝早く家を出たため、きちんと食べていないせいだろうか?
平凡なサンドイッチが、とてもおいしく感じられた。
「夏樹さん、帰国したばかりで疲れてない?」
「俺? 平気だよ。それより、茉莉香ちゃんも朝早くから迎えに来て、大変だったんじゃない?」
「私も大丈夫よ」
茉莉香が笑う。
やがて二人は書架のある部屋へ向かう。
「いやー! こうね。日本語の本に囲まれたかったんだよ!」
夏樹の言葉があまりにも実感がこもっていたために、茉莉香がクスリと笑った。
「でも、本屋さんがあったでしょ?」
「ああ、いろいろと。ね。でも、図書館とはまた違うからな」
二人は本棚の間を一列になって歩き続けた。
もちろん話などはしない。
時々、夏樹が立ち止まって見上げた本を、茉莉香も見る。
それだけのことを何度も繰り返す。
それが楽しかった。
やがて、夏樹と茉莉香は、それぞれ本を一冊ずつ選ぶと、閲覧コーナーへ行って読み始めた。
互いに静かに本を読む。
沈黙の間に温かい空気が流れ、二人を満たしていく。
本に集中しながらも、互いに気遣い合う。
ふと、横を見ると、夏樹の端正な横顔がそこにあった。
自分たちは、今、隣に座り合っているのだ。
茉莉香は穏やかな幸せを感じていた。
図書館を出ると、二人は公園を散歩する。
ビルの谷間にある、緑豊かな公園だ。
「まぁ、薔薇が咲いているわ」
「うん。冬の薔薇だね」
茉莉香は、紅葉の季節にこの公園に遊びに来た時には、落ち葉を拾い、それを本に挟んで栞にしたことがある。
だが、銀杏の葉も落ち、木々は冬支度を始めている。
クリスマスは冬至の直後だ。
日の入りが早い。
いつの間にか、あたりが暗くなってきた。
公園を出て、どこかで食事でもと思うが、どこも一杯だった。
「流石はクリスマスだな。なんだって、みんなこう出かけたがるんだろう。パリじゃ家族と一緒に家で過ごすんだぜ」
「あら、私たちだってそうなのよ」
茉莉香の言葉に、夏樹が笑った。
二人は、いつまでも歩き続ける。
この時間がいつまでも続くかのように……。
やがて、前方にほんのりと明かりが灯り、人が集う気配が見えた。
「何かしら?」
「さあ? 行ってみよう」
夏樹は、今朝帰国したばかりだ。何の予定も立てていない。
今日は、それではどこにも行けないし、何をすることもできない。
二人は、ひとまず前方に進むことにした。
明るさは一層強くなり、人の賑わいも近くなる。
やがて、明るい光に包まれた一帯に、二人は足を踏み入れた。
「クリスマスマーケット!」
茉莉香が声をあげる。
「ああ」
夏樹があたりを見回しながらうなずく。
ここは、日本で最も古い公園の一つとして有名な場所だ。
クスノキ、ケヤキ、イチョウなどの大木がところどころに植えられ、春には桜の名所となる。テニスコートなどのスポーツ施設もある、憩いの場だ
だが、現在期間限定で、クリスマスマーケットが開催されている。
「へぇ。なかなかいいじゃん」
園内には、イルミネーションで飾られた屋台が並ぶ。オーナメント、シュトーレン、リース、軽食、ホットワインが売られている。
オーナメントは、トナカイ、天使、雪だるま……それぞれ工夫されたもので、二人は、ひとつひとつ見て歩く。
夏樹が、
「お腹空いたね。それに冷えてきた。ちょっと待ってて……」
と、言ったあと、
「ホットドックとホットワインを買ってきたよ!」
すぐに戻ってきた。
「あそこにベンチがある。座って食べよう!」
「ええ」
二人でベンチに並んで座る。
「いただきます。美味しそう! それに、ホットワインがいい香り」
オレンジとシナモンの香りが鼻をくすぐる。
はちみつで味付けしてあるので、甘く口当たりがよい。
「ホットワインは体が温まるわね」
ふと見ると、夏樹がごそごそと鞄を探っている。
「?」
茉莉香がそれを見守った。
夏樹が鞄から何か取り出し、手にしている。
(なにかしら?)
「ほらっ! 売店で売っていたよ!」
夏樹が茉莉香の顔の前にそれをつきつけた。
「ぬいぐるみ? まあ! トナカイね!」
トナカイは滑稽な顔をして笑っている。
「面白い顔だわ」
素直に“かわいい”とは言えない顔だ。
「とぼけた顔してるぜ!」
夏樹がふざけて、トナカイの頭に拳骨をくれようとする。
「だめ! かわいそうじゃない!」
茉莉香が抱きかかえながら庇うと、夏樹が面白そうに笑った。
「ひどいわ!」
「ごめん。ごめん。でも、からかいたくなる顔じゃない?」
「そうね!」
確かに滑稽な顔だ。
夏樹の気持ちもわからないでもない。
やがて、買い物や食事をしていた人たちの群れが、一つの方向へ向かって歩き始めた。
彼らは何処へ行こうというのか?
茉莉香は、それを眺めるともなく眺めた。
「あっちのステージで、なにかアトラクションをやるみたいだよ! 行ってみよう!」
「まぁ! そうだったのね。私たちも行きましょう!」
二人はステージへ向かう。
仮ごしらえの小さなものだ。
「満席かしら……」
「ほら! あそこ! ちょうど空いているよ!」
すでに観客は席についている。二人は頭を下げながら、彼らの前を通り、ようやく席についた。
「結構な人ね」
ぐるりと周りを見回す。
「ほら! 始まるよ!」
夏樹がステージを指さした。
陽気な音楽が流れ、人々の表情が期待に満ちたものに変わる。
これから何が起ころうとしているのか?
「何が始まるのかしら? わくわくするわ」
やがて、トナカイの被り物をした役者が音楽に合わせて、踊り始めた。
「ぬいぐるみと同じ顔だわ!」
「このイベントのマスコットキャラかな?」
滑稽なトナカイのダンスに、観客たちに大喜びで歓声をあげる。
茉莉香と夏樹も声をたてて笑った。
ホットワインが体を温め、頬が赤く染まる。
賑やかな音楽が、頭の中でぐるぐると回るようだ。
この気持ちの高まりが、酔いのせいなのか、コミカルなダンスのためなのか、茉莉香にはわからなくなってきた。
陽気な出し物が終わると、入れ替わりに、バイオリン、ヴィオラ、チェロの弦楽四重奏団現れ、静かに演奏を始める。
白い天使の装いをした、幼い少年と少女が蝋燭を持って舞台袖から歩み入る。
『きよしこのよる』が奏でられ、天使たちが歌い始めた。
観客たちが、それに合わせて歌う。
茉莉香と夏樹も……。
茉莉香は子どものころのクリスマス会を思い出す。クラスメイトや家族と共に祝うクリスマス会。
なんの憂いも、不安もなかった頃のクリスマス。
ふと、寂しさがこみ上げる。
失われたクリスマス。
(嫌だわ……こんな席で……)
思い出を振り払おうと、横を見ると夏樹がいる
視線に気づいたのか、茉莉香を見つめ返した。
心から寂しさが消え、温かいものに満たされていく。
ほっとした気持ちで、ステージに視線を戻した。
蝋燭の明かりが人々を照らす。
茉莉香と夏樹も……。
やがて、『まきびとひつじを』を歌い、『もろびとこぞりて』へと続いた。
天使たちは、歌い終わると礼をし、観客たちの拍手が場内に鳴り響く。
四重奏団が『あらののはてに』のメロディーを奏で始めた。
音楽に促されるように、人々は席を立ち帰路に着き始める。
クリスマスの夜が終わろうとしていた。
一時間後、二人は、茉莉香の実家のすぐそばまで来ていた。
茉莉香は、年末年始を両親と過ごすために実家に戻っている。
「はしゃぎ過ぎちゃったわ。……でも、一日があっという間だった。空港に朝早く迎えに行って、図書館で静かに本を読んで、クリスマスマーケットに行って……」
「いっぺんにいろいろあったね」
夏樹が笑う。
「そう。いっぺんに……」
まるで夢のようだ。
昨日まで夏樹はいなかったのだ。
「茉、茉莉香ちゃん?」
夏樹がひどく慌てている。
茉莉香は、いつの間にか泣き出していたのだ。
大粒の涙が頬を伝っては落ちる。
「ごめんなさい。せっかく会えたのに。でも、年が明けたら、夏樹さんはまた……」
夏樹に会えない日々のことを思い出してしまった。
今、すぐ隣にいるのに……。
「茉莉香ちゃん……」
夏樹は、そっと茉莉香を抱き寄せると、そっと涙に唇を触れた。
茉莉香は驚いたが、身をまかせていた。
(ずっとこのままならいいのに……)
唇は、頬に、目元に、額に移動し、
茉莉香がじっと、それを受け止める。
……やがて唇に触れた。
茉莉香の涙が止まり、
小さく震えながら、笑顔を浮かべる。
二人はそのまま静かに抱き合った。
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