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第二章 ーtea for you ー

第15話  理性に反する者について

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「どういったお客様を想定なさっていますか?……あ、そうですか。あと、ワンシーズンにディスプレイする衣類の数は……」

 夏樹はパスカルの依頼で、デザインミーティングの事前ヒアリングをしている。顧客の要望に応え、また、本番の打ち合わせがスムーズに進むように、相手に少しでもイメージを固めてもらうことが狙いだ。
 
 デザインや費用に関することのほか、店のコンセプト――商品のイメージ、ターゲットとする客層なども確認しておく。収納スペースを考慮することも必要だ。
 
 顧客には要望をまとめたアンケートをすでに送り、回答を得ている。
 だが、未記入や、曖昧な個所があるために、電話でその確認作業をしているのだ。

「いえ、今決めなくても……パスカルとの打ち合わせまでには、まだ時間がありますし、当日決めていただいても……はい。服が引き立つウィンドウということですが、何かご要望はありますか?……。いえ、あればということで……パスカルに提案させます」

 電話は長引く。多忙な相手のため、ようやくつかまえたときは六時を過ぎていた。
 すでに七時になろうとしている。

「はい。また、電話させていただきますので、よろしくお願いいたします」

 夏樹は受話器を置いた。

 このあと、確定事項と、未確定事項を分けてリストアップする。未確認事項は再度確認する。これだけ労力を注いでも、当日には振出しに戻るものもあるだろうが、打合せの効率はぐっと上がるはずだ。

「あとは、ミーティングに備えてスクラップブックを作っておくか」

 施工やインテリアの事例の写真を見せることで、顧客のイメージを引き出すことに役立つはずだ。

「いやー! 俺、頑張ったかも!」

 リストを眺めて心地よい達成感に浸る。

 オフィスには人がいなかった。他の所員は退社しているか、夕食をとりに出かけている。
 
 はずだった……が……。

「今のなに? 日本語?」

 振り返るとマリエットがいた。

「私も日本語覚えようかしら。夏樹は日本語でしか本音を言わないから」

 悦に入った自分を見られたことが気まずい。

「ねぇ。夏樹」

 マリエットが近づいてくる。

「なんでしょうか?」

 夏樹が丁寧に答える。

「エミールとフェルナンがまためているの」

「そうですか……」

 リストに目を向けたまま返事をする。

「あの二人は、もともとそりが合わないのよ」

「そうみたいですね」

 興味なさそうに振舞いながら、夏樹は聞き耳をたてている。
 マリエットの話は価値がある。聞き漏らしてはならない。
 彼女の話には、誇張や歪曲わいきょくがないからだ。
 
 人間関係などは、自分で判断することが必要だが、あらかじめ知っておくことも大切だ。
 実は、パスカルの人となりについても、事前に聞かされている。

 パスカル・モンタニエ
 年齢は二十代後半。温厚で理性的な性格。人に対しては常に公平な態度で接する。ストラスブール応用化学国立学院を卒業後、ガスパールのもとで働きはじめた。妻と二人暮らし。夫婦関係は良好。

 夏樹はパスカルの姿を思い浮かべた。
 
 フランス人としては平均的な体形に身なり。自然に伸びた金髪は、軽いウェーブを描き、眼鏡の奥から水色の瞳がのぞく。

 人柄に関する情報は確かに必要だが、経歴に関しては実際のところありがたい。
 フランスで建築士として働く者の多くは、バカロレアを取得したのちに、国の定めた教育機関で学位を取得している。夏樹のように、高校に行かずに建築士を目指すものに対して、不信感を抱く者がいたとしても不思議ではない。
 ピエールの件は逆恨みであり、迷惑でしかないが、それに同調した学生たちがいたことは、こういった事情もあるだろう。
 相手の経歴を知ることで、自分の心構えもできる。

「ま、フランス人だけじゃないけどな」

 夏樹は、日本の大学に通う頃、まるで不正入学をしたかのように自分を見る学生たちの視線を思い出した。入学試験の結果がすべてであるはずだが、それまでの経歴を重視する者も少なくはない。

「確かに、俺も大人げないけどさ。挨拶もろくにしなかったし」

 その頃のことを思うと、ピエールといざこざを起こしたときの胃のむかつきが蘇る。
 
 自分を認める人間とだけ付き合えばいい。
 そう考えるしかないだろう。
 
 パスカルの理性的な性格が夏樹にはありがたかった。彼は夏樹の経歴を知ってか知らずか、現在の仕事の質だけを評価してくれる。
 人種による差別もない。理性的であると同時に、合理的でもあるのだろう。
 
「フェルナンとパスカルは仕事のつながりが深いから、エミールの話はしばらく避けた方がいいかな?」

 パスカルは決して、トラブルに巻き込まれるようなタイプではないが、夏樹からの配慮も必要だろう。

「その方がいいと思うわ」

 マリエットは夏樹の勘の良さに感心しているようだ。

 受付に座っているマリエットに、様々な人間が話しかけていく。会話が楽しいので、食事に誘う者も少なくない。陽気で、それでいて事務的な態度を崩さない彼女は話しやすいのだろう。

 ひとつひとつの話は短くても、集まると立派なデータになる。
 その中でも夏樹に必要な事柄を、彼女はこうやって話しにくるのだ。

「あと、何か用がありますか?」

 できれば、このまま立ち去って欲しい。
 聞くだけ聞いておいて……自分は勝手な人間だと思う。
 合理的な人間ではあるかもしれないが、理性的とは言えない。

「うーん。今日、夕飯はどうするの?」

「別に……決めていませんよ」

「じゃあ、私、お弁当持ってきたの」

 マリエットがテーブルにランチボックスを乗せた。

「夏樹には、かわいいヤマトナデシコが日本で待っていると聞いたから、私もお弁当を作ってみたの」

 “夏樹にはかわいいヤマトナデシコの恋人がいる”誰が言い出したのか知らないが、いつの間にか、そういう話が広まっていた。

「お話の前半と後半がかみ合いませんよね?」

「いいじゃない」
 
 マリエットが笑った。

 中を見ると、サンドイッチが入っている。
 たまご、ハム、サーモン、トマトときゅうり……。
 色とりどりに並ぶ姿は、les quatreカトル saisonsセゾンの『今日のサンドイッチ』を思い出させる。
 日本を懐かしむ気持ちが、そっと忍び寄る。

 夏樹にとってマリエットは苦手な存在だが、“明るく聡明な女性”というのが彼女の一般的な評判だ。
 
 自分はマリエットに対してかたくな過ぎただろうか?
 夏樹は思う。彼女は美人だし、自分にいつもよくしてくれている。

「美味しそうですね。ごちそうになります」

 礼を言ってサンドイッチを口にする。

 “ぱくっ”

 が、……
 
 か、か、か、か、…………!!!

 辛い!! 辛い!! 口の中が燃えるようだ!

「すみません! 水を!」

 息も絶え絶えに言う。

「あら、お口に合わなかった?」

 口に合わないどころか、これは人間の食べるものではない。
 美しいのは見かけだけだった。
 
「いえ……」
 
 噴き出す汗を抑えながら、夏樹は必死に平静さを保とうとする。
 マリエットはここの正規の従業員だ。非礼があってはならない。

「ちょっと辛いみたいですけど、スモークサーモンのサンドイッチですよね?」

「ええ。タバスコを入れてみたの」

 なぜスモークサーモンのサンドイッチにタバスコを? わけがわからない!

「あ……の、味見とかはしないんですか?」

「えっ? 何それ?」

 マリエットは夏樹の様子を見て、きょとんとしている。

 ダメだ。この女。やっぱり。ダメだ! 俺の野生の勘は正しかった!
 理性なんて役には立たない!

 言葉にしたいのをじっとこらえる。
 
 もうだめだ!

 夏樹は水を求めて、事務所を飛び出した。




 翌日夏樹は、デザインミーティングの日程が一週間後に決まったことを、パスカルから告げられた。

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