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第一章 -リラの園の眠り姫ー
第16話 セイレーンの昼餐会-1
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夏樹は亘に紹介された建築事務所でアルバイトをしている。
今のところ、電話対応や、WordやExcelを使っての資料作り、打合せの同行など、直接建築と係わる仕事をしていない。
やや不満ではあるが、まだ二年生になったばかりだし、ここでも新米である。だが、彼の評判はなかなかよい。気難しい職人や、一緒に働くパートの女性たちの扱いが上手いのだ。
これを亘が見たら、
(二重人格)
と思うかもしれないが、夏樹に言わせれば“プロ意識”というものだ。
それに、les quatre saisonsでは会えなくなったが、日曜日は茉莉香と会うこともある。なかなか順調な毎日である。
この『樋渡建築事務所』は主に、住居用建物の設計を手掛けている。夫婦、あるいは家族連れが、新しい生活に期待を膨らませながら、設計の打ち合わせにやってくる。
以前、大工見習として働いていたとき、この事務所の設計で家族で過ごすリビングや子ども部屋が完成されていく様を見ている。モダンで機能的なデザインが好評なようだ。
だが、夏樹にはそこで営まれる家族の生活がイメージできなかったし、関心が持てなかった。それは、彼がそういった経験がなかったせいもあるし、生来のものもあるだろう。
それよりも、茉莉香から聞いた、由里の元外交官が住んでいたという家の話に興味があった。
プライベートとオフィシャルを兼ねた家。
客間では何か大切な事柄が決められたかもしれない。家族用の居間と合わせれば社交の場に変わる。それでいて、二階は家族の安息の場として、外部からの干渉をシャットアウトできる。
亘の書斎にも興味がある。
また、パリで見た数々の聖堂、自分のような信仰のないものであっても、厳粛な気持ちにさせられるあの空気。
巨大なスタジアム。熱狂した人々の期待、喜び、失望にあふれる場所。
夏樹は、その場所でなにか大きな価値のあることが行われて欲しいと思うのだ。個人的な快適さだけを追求するのは性に合わない。亘にこのバイトを紹介してもらったことはありがたいが、何かが違うような気がする。それでいて、何がしたいのかが、わからないのが現状だ。だが、亘から紹介された仕事だ。義務はきちんと果たそうと思う。
「樋渡さん。白川さんのアポとっておきましたよ」
「えっ? 頼んでなかったのに。助かるなぁ」
夏樹は、雇い主自身さえ気づかない要望を先読みして動く能力に長けている。
「できれば、もう少し働いてくれればねぇ」
「あー。すみません。今立て込んでいて。もう少し待っていただければ」
彼は例の “ばかばかしい案件” にとらわれていたのだ。
数日前、例の写真を将太に見せたところ、すぐにでも彼の母親に突きつけて説得すると言い出した。だが、男にしらばっくれられたら、余計に諦めさせるのが難しくなる。ここは、もっと逃げられないような確実な証拠を突きつけなくてはならない。
用心深く、周到にことを運ばなくてはならない。
仕事帰り、自宅まであと少しというとき、茉莉香からラインが来た。
“今週の日曜日なにか予定がありますか?”
“いんや”
返事を返す。
“由里さんが一緒にお食事しましょうって”
なぜ自分を誘うのかと考えていると、
“カメラマンさんが、ヨーロッパのいろいろな建築物の写真を見せてくれるんですって”
と続く。
由里が出す本に載せる写真を撮影するカメラマンだという。
“行くって返事しておいて”
“よかった”
ラインは終わった。
由里は、les quatre saisonsのオーナーだと聞いている。実は、亘も頭が上がらない相手だとも……その人がなぜ自分を呼ぶのだろうか?
確かに写真には興味があるが、うかうか行っていいものだろうか? 夏樹には由里の思惑がわからなかった。
日曜日由里の家に行ったとき、夏樹の不安はいくらか解消された。見慣れた顔が揃っていたからだ。亘に未希、久美子に荒木もいる。
「はじめまして」
夏樹が由里に挨拶をする。
「はじめまして。一度お会いしたかったのよ」
少しあからさまなくらいに、自分が見られていることを夏樹は感じた。まるで面接のようである。
夏樹は緊張を強いられずにはいられなかった。
今のところ、電話対応や、WordやExcelを使っての資料作り、打合せの同行など、直接建築と係わる仕事をしていない。
やや不満ではあるが、まだ二年生になったばかりだし、ここでも新米である。だが、彼の評判はなかなかよい。気難しい職人や、一緒に働くパートの女性たちの扱いが上手いのだ。
これを亘が見たら、
(二重人格)
と思うかもしれないが、夏樹に言わせれば“プロ意識”というものだ。
それに、les quatre saisonsでは会えなくなったが、日曜日は茉莉香と会うこともある。なかなか順調な毎日である。
この『樋渡建築事務所』は主に、住居用建物の設計を手掛けている。夫婦、あるいは家族連れが、新しい生活に期待を膨らませながら、設計の打ち合わせにやってくる。
以前、大工見習として働いていたとき、この事務所の設計で家族で過ごすリビングや子ども部屋が完成されていく様を見ている。モダンで機能的なデザインが好評なようだ。
だが、夏樹にはそこで営まれる家族の生活がイメージできなかったし、関心が持てなかった。それは、彼がそういった経験がなかったせいもあるし、生来のものもあるだろう。
それよりも、茉莉香から聞いた、由里の元外交官が住んでいたという家の話に興味があった。
プライベートとオフィシャルを兼ねた家。
客間では何か大切な事柄が決められたかもしれない。家族用の居間と合わせれば社交の場に変わる。それでいて、二階は家族の安息の場として、外部からの干渉をシャットアウトできる。
亘の書斎にも興味がある。
また、パリで見た数々の聖堂、自分のような信仰のないものであっても、厳粛な気持ちにさせられるあの空気。
巨大なスタジアム。熱狂した人々の期待、喜び、失望にあふれる場所。
夏樹は、その場所でなにか大きな価値のあることが行われて欲しいと思うのだ。個人的な快適さだけを追求するのは性に合わない。亘にこのバイトを紹介してもらったことはありがたいが、何かが違うような気がする。それでいて、何がしたいのかが、わからないのが現状だ。だが、亘から紹介された仕事だ。義務はきちんと果たそうと思う。
「樋渡さん。白川さんのアポとっておきましたよ」
「えっ? 頼んでなかったのに。助かるなぁ」
夏樹は、雇い主自身さえ気づかない要望を先読みして動く能力に長けている。
「できれば、もう少し働いてくれればねぇ」
「あー。すみません。今立て込んでいて。もう少し待っていただければ」
彼は例の “ばかばかしい案件” にとらわれていたのだ。
数日前、例の写真を将太に見せたところ、すぐにでも彼の母親に突きつけて説得すると言い出した。だが、男にしらばっくれられたら、余計に諦めさせるのが難しくなる。ここは、もっと逃げられないような確実な証拠を突きつけなくてはならない。
用心深く、周到にことを運ばなくてはならない。
仕事帰り、自宅まであと少しというとき、茉莉香からラインが来た。
“今週の日曜日なにか予定がありますか?”
“いんや”
返事を返す。
“由里さんが一緒にお食事しましょうって”
なぜ自分を誘うのかと考えていると、
“カメラマンさんが、ヨーロッパのいろいろな建築物の写真を見せてくれるんですって”
と続く。
由里が出す本に載せる写真を撮影するカメラマンだという。
“行くって返事しておいて”
“よかった”
ラインは終わった。
由里は、les quatre saisonsのオーナーだと聞いている。実は、亘も頭が上がらない相手だとも……その人がなぜ自分を呼ぶのだろうか?
確かに写真には興味があるが、うかうか行っていいものだろうか? 夏樹には由里の思惑がわからなかった。
日曜日由里の家に行ったとき、夏樹の不安はいくらか解消された。見慣れた顔が揃っていたからだ。亘に未希、久美子に荒木もいる。
「はじめまして」
夏樹が由里に挨拶をする。
「はじめまして。一度お会いしたかったのよ」
少しあからさまなくらいに、自分が見られていることを夏樹は感じた。まるで面接のようである。
夏樹は緊張を強いられずにはいられなかった。
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