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第二話 袋路の魔鏡館

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「幾つになっても、親は親だから。子供はいつだって、狂おしいぐらいに親に愛して欲しいし認めて欲しいし独り占めしたいじゃない?  親は子供を捨てられるけど、子供は親を捨てられないの」
「そ……ですかね?」

 昔はそういう気持ちがあったかもしれない。
 もう、そんな気持ちがあったことすら忘れてしまっていた。
 だけど、仕事で行き詰まった時に容易に辞める選択をしなかったのは、ぼろぼろになってまでも仕事にしがみついたのは、心のどこかで「両親が悲しむから」や「嫌われたくない」という考えがあったからかもしれない。

「そういう反応をするってことは、健全な家庭に育って健全に親離れできた証ね」

 返答に困って沈黙した僕の様子を良い方向に解釈した番場さんは、伸びてきた灰をポケットから取り出した携帯灰皿に綺麗な指先でトントンと落とした。
 煙草と携帯灰皿をセットで身につけているなんて、喫煙者の鑑だと思う。……いや、違う、番場さんは吸わないんだった。

「残念ながらここの子供たちはみんな、『実の父』って存在に飢えて乾いていたみたいだから……言い争いが白熱するのも無理ないわ」
「まさか、その最中に殺人事件でも起きたんじゃ……?」
「そう簡単に、人は人を殺せないものよ。第一、そんな事件があったらここは事故物件になるでしょ。無特記物件なんだから、特記すべきことはなにもないの」
「……現状をみると、特記すべきことだらけなんですけど」
「兄弟喧嘩くらい、どこの家でもするじゃない」
「喧嘩……で済ましていいんでしょうか」
「不動産業側としては、ただの喧嘩で済ましたいわね。値下げしなくていいから。でも、ここに幽霊がいるのは確かなのよね……」

 所長が倒れたときに記入していたボードを再び取り出して、番場さんはまた書類に何かメモしている。

「やっぱり、いるんですか……」
「里見くんの様子を見てたら分かるでしょ」

 番場さんはスマホのカメラで床の間の写真を撮る。
 撮った画像を爽やかに「ホラ」と見せてくれたけれど、そこに映っていたのは床の間の大鏡に映るスマホを掲げた番場さんと情けなく腰が引けている僕と……僕たちに纏わりつく、無数の黒い手たちだった。
 番場さんにも手たちは絡みついているけれど、特に僕は……黒い手たちに囲まれすぎて、原型がほとんど見えない。
 スマホを構えた番場さんと、僕の形をした黒い塊があるだけだ。

「っわあああぁぁ!?」

 あまりに衝撃的な写真を見て、思わずその場に尻餅をついてしまう。
 さっきまで慣れて油断していたから、余計に心臓を掴まれた。
 咄嗟に出した右手に、回収できていない鏡の破片が刺さる。

「痛っ!?」
「大丈夫? 気をつけないと」

 番場さんがいきなりそんなもの見せるからですよ! と言いたいのを必死に堪える。
 結構深く刺さったらしく、ボタボタと鮮血が滴って畳の上に落ちそうになるのを慌てて無傷の左手で受け止めた。
 物件を汚すわけにはいかない……っ!

「き、気をつけますから……その……」

 や、やっぱり所長と番場さんは似ている……!
 二人にとって幽霊は当たり前かもしれないけれど、僕にとってはまだまだ未知の世界で恐怖の対象でしかないのだ。
 不用意に見せないで欲しい。
 心の準備をさせて欲しい。
 切実に……。

「コレ、朝前さんが取り憑かれてるって思うでしょ?」
「違うんですか……?」
「この霊たちは、ここにはいないの」
「えっ?」

 そう言われて、辺りを見渡す。
 確かに、肉眼ではなにも見えない。
 ここにいるのは僕と番場さんだけだ。

「じゃあ、どこに……?」
「いるのは、鏡の中」
「中?」

 床の間の大鏡に再び目を向ける。
 当たり前に、僕と番場さんしか、映っていないはずなのに……。

「うっ……」

 鏡の中は、大量の黒い手で埋め尽くされてもう真っ黒だった。
 ジッと見ていると気分が悪くなってくる。
 早く目を逸らしたいのに、金縛りにあったかのように身体が動かない。
 助けを求めるように番場さんを見ると「切れた手を前に出して」と言われたので、震える指を鏡に向けて差し出した。
 必死で握っていたから出血は収まっていたけれど、痛みは続いている。
 だけど尻餅をついた僕を見下ろす番場さんの指示には逆らえなくて、しばらく血のついた指先を掲げ続けていたら……。

「う、うううううぅぅぅ……」

 
 鏡の中は、次第に霧が晴れるように綺麗になっていく。
 僕の傷口に、黒い手たちが吸い込まれる形で……。

「こ、これっ! だ、大丈夫なんですかっ!? 番場さん!!!」

 全身の震えが止まらない。
 何かが無理矢理、僕をこじ開けて入ってくる感覚がある。
 それは入った瞬間に消えていくから、詰まって破裂するようなことはないけれど、気持ち悪いことこの上ない。
 どう素人目で見ても、絶対に無事ではすまない気がするんですけど……っ!!


「大丈夫じゃないと思うわ」
「……へっ!?」

 鏡の外の世界は何も変わっていないけれど、鏡の中の様子は随分と変貌してしまった。
 真っ黒に塗りつぶされていた内部が、今ではすっかり普通の鏡みたいな顔をして僕たちを映し出している。

「眠っていた霊感が、波長の合う霊能者の近くにいて開花するっていうのはよくある話なの。心霊写真を撮ることで、一時的に霊を視覚化して『幽霊はいるかも』じゃなく『いる』という確信に変えたから、余計に進行したのね」
「し、進行……?」
「ああ、安心して。別に命に関わることじゃないから」

 口の端をキュッと結んで歯を見せずニコッと微笑む番場さん。
 そ、その笑顔は信用して良いんだろうか……。
 まだ腰が抜けて立てない僕は、それでもいつまでも座っているわけにはいかないと思いなんとか立ち上がろうとする。
 片膝を立てたところで、また畳とお友達になってしまった。
 掃除の行き届いていない畳はかなり埃っぽいから咳こんでしまうかと思ったけれど、不思議と何も感じない。まるで、五感を誰かに乗っ取られてしまったみたいだ。

「……あれ?」
「今、どんな気分かしら」
「ど、どんなって……?」
「里見くんから頼まれたのよ。まだ新人で経験が浅いから、どんどん取り憑かせて慣らして欲しいって」

 なんてことを頼むんだ所長は。

「ちゃんと事前に手を打っておけば、『取り憑かれる』ってそんなに大したことじゃないのよ? ホラ、テレビでも怪しげな霊能者の気合い一発で治るじゃない。乗っ取られなければ、取り憑かれるのは怖くないのよ」
「そ、そんなこと言われても……!」
「乗っ取られたら、すぐに助けてあげるから。ね、今はどんな感じ?」

 番場さんは残りわずかになった煙草を吸って、煙を口の中に溜めながら倒れ込んだ僕の肩に触れる。すると、一気に感覚が戻ってきた。
 

「ひっ……っ!?」

 頭が痛い。
 視界が回る。
 胸焼けがする。
 全身が痺れて、間接の節々が動かす度に悲鳴を上げている。
 これは……。

「た、体調不良です……」

 去年かかったインフルエンザとよく似ている。
 純粋な体調不良。
 それが、取り憑かれた感想だった。
 
「正気を保って喋っていられるなら、心配いらないわね」

 口の中に溜まった煙を吐き出しながら番場さんは言う。

「結構、しんどいんですけど……」
「大きく深呼吸して。できる?」

 気持ちを整えるために、目をつぶって大きく息を吸い込む。深呼吸のつもりが、すぐに肺や胸がいっぱいになって詰まってしまった。

「げほっ……! ごほっ…!!」
「一気に吸おうとしないで。少しずつでいいから」

 アドバイスを受けて、できるだけ細く長く息をする。
 何度か繰り返すうちに、次第に楽になってきた。
 痺れはとけて、身体も自分の思うとおりに動かせる。
 まだ頭がガンガンするけれど、立ち上がれそうだ。

「ちょっと、良くなりました……」
「そうでしょうね。もともと、体内に結界を張ってたから治りが早いの」
「これは、除霊したってことになるんでしょうか?」
「除霊? そんな大それたことじゃないわ。ただ単に、取り憑かれて消えただけ」
「じゃあ、さっきの黒い手たちは……?」

 ヨロヨロと立ち上がって床の間の鏡を見ると、きれいになったはずの鏡はまたどす黒く変色していた。 

「ひえぇぇ……」
「幽霊たちが鏡を通り抜けるって話は覚えてる?  時には通路のように、時には隠し扉のように、時にはねぐらとして……。さっき話した親族会議の時に、鏡の中の霊たちは叩き割られる前にこの大鏡に避難したみたい。この鏡自体になにかあるわけじゃないけど……これだけの量を蓄えてたら、そりゃ禍々しくなるわよね。自由に出入りできなくなるぐらいには」

 気のせいかもしれないけれど、幽霊たちも僕のことを認識したのか「また取り憑きたい」とでも言うように鏡の中からバンバン叩いている。
 そのせいで、鏡はグラグラ揺れていて今にも倒れそうだ。

「この鏡……このまま割った方がいいんじゃないですか? 子供さんたちのためにも……」
「割っても、同じよ。この中にいるのは、別にここの当主の子供たちってわけじゃない。醜悪な争いに引き寄せられて、当主の毒に当てられて、鏡の中に閉じこめられた哀れな浮遊霊たちなの」
「そうなんですか……」
「でも同情しちゃダメよ」

 しそうになってしまった……。

「さっき痛い目にあったのに、よく同情できるわね」
「でもさっきは、僕が先にちょっかいだしたみたいなものですし……」

 と、いうか番場さんの言うとおりにしただけなんですけどね。

「優しいのね、朝前さんは」
「いえ、そんな……」
「でも、相手は選ばないといけないわ。無作為な優しさは時として自分の首を締めるだけだし、相手の為にもならないもの」

 痛いところを突かれてしまった……。分かってるんだけど、なかなか改善できない。

「幽霊たちは、生者の穴から体の中に入ってくるの」
「穴?」
「身体の穴、よ。それは精神的な意味だったり、身体的な意味だったり。今回はわかりやすく傷をつけたから、そこから入ってきたの。やっぱり、実際に体験するのが一番だと思ってね。幽霊たちにとっては日常茶飯事だから、別に気にすることはないわ」
「た、体験……ですか」

 今日だけで何度も不思議現象を経験してしまった。
 これが不動産屋の業務内容なのだろうか……少々いきすぎてやしないだろうか?
 すっかり流されてしまって何も言い返せずにいると、番場さんは、鞄の中から大きな黒い布を取り出して床の間の大鏡の上に被せる。
 それはどうやって鞄の中に収まっていたのかと思うほどの大きさで、大鏡をすっぽり包み込んでしまった。

「これで、出入り口を塞いだことになるの。幽霊の通行手段としてはもう使えないわ。この中の霊たちに罪はないけれど……人間の醜い部分に惹かれてこの館に集まったということは、生前の行いも伺い知れるわね」
「はぁ……」
「なんの関係もない朝前さんにも躊躇い無く取り憑こうとしたのも良くないわ。もしもあそこで躊躇うようなら、まだ情状酌量の余地があったのに」
「あの鏡の霊たちは、どうするんですか?」
「十分に反省させた後、しかるべきタイミングで天界へかえすわ」

 番場さんは頼もしい。
 こりゃ、僕が同行する必要なんてなかったんじゃないかな。
 僕なんかいなくても、番場さんだけで立派に調査ができるじゃないか。

「……朝前さん、さっきからずっと私と里見くんの関係を聞きたそうにしてたわよね」
「えっ」
「なんでも顔に出過ぎよ」

 すっかり勢いのなくなった短い煙草を、再び携帯灰皿に押しつけながら言う。

「私は、里見くんの師匠なの」



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