塔の妃は死を選ぶ

daru

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 若草色の平原が広がる野道を、11頭の騎馬が隊列を成して歩いていた。1頭が先頭を歩き、その後ろは2列になっていた。道の先にはこじんまりとした村と、それを取り囲むかのような畑が見える。

 隊列の先頭を行くカルダは、すぅ、と胸いっぱいに空気を吸い込み、ゆっくり吐いた。いろいろな工房や食料品店などが並ぶ王都とは違い異臭はなく、とても清らかで澄んでいた。それを体内に巡らせるだけで過去の罪が全て洗い流されるような気にさえなった。

「ラウベル、あの村か?」

 カルダが声を掛けたのは、彼のすぐ左後ろを進む新任の近衛騎士隊長だ。エイソンより15歳若いラウベルだが、エイソンが退役したことで最年長組となり、その冷静さと思慮深さを買われて隊長にと指名された。

 エイソンの退役は戦時中の怪我や病といったわけではない。むしろ戦の中でその腕を大いに振るっていた。しかし国が一段落したこともあり、歳も歳ということで、前線から退き、本人の希望通り後世の育成に努めることとなった。
 因みに終戦後、エイソンの息子エイデンも騎士に叙任され、今現在この隊列の最後尾を背筋を伸ばして歩いている。

「はい、王様。間違いありません。」

 一行の目的は、ある薬草だった。それはエルフの奇薬と呼ばれ、王都で噂になっていた。傷によく効き、痛みも軽減するという優れもの。というのも、カルダはその噂をキートスから聞いただけで、実物をまだ見ていない。どうやら随分と希少で、滅多に市場に出回らない代物だというのだ。

 カルダは噂を丸呑みにしているわけではなかった。むしろエルフという存在すら不確かであるのに、名前からして 胡散臭いとさえ思っていた。
 それでも終戦したばかりのこの国は、多くの怪我人を抱えてる。一生痛む傷を負った者も少なくないだろう。

 もしそんな薬草が存在するならば、そのルーツを知り、国を挙げて栽培量を増やしたい。カルダは藁にもすがる思いで、噂を綿密に調査させた。そうして辿り着いたのがこの村だった。

 わざわざ王自らが行く場所ではないと家臣たちに止められたが、カルダとしては大いに興味を引かれた為、ぜひとも自分の足で確認したかったのだ。ついでに、毎日のように嫌な話題を振られる城から離れ、気分転換をしたいという思いもあった。



 遠くから見ても普通の小さな村にしか見えなかったが、実際に近づいて見ても、幻の妙薬を扱っているようには見えなかった。

 村は”井”の形をした木の柵で囲まれており、どこからでも入れそうではあったが、一行はとりあえず、申し訳程度に質素に佇む木の門をくぐった。

 たちまち村人たちから注目される。家の中に隠れたり、ひそひそ話を始めたり、若い男は驚いて逃げて行ったリした。

「もし、そこの。」

 カルダが声を掛けると、ひそひそと話をしていた2人の婦人が肩を竦ませた。

「村長はおられるか。」

 2人で顔を見合わせてなかなか答えない様子に、ラウベルの馬が1歩前に出る。背まで届く色素の薄い亜麻色の髪がさらりと揺れ、怪訝な顔をした2人の婦人は目鼻立ちの整ったその男に目を奪われた。

「御婦人方、王の御前にございます。」

 目をひん剥いた2人は途端に背筋を伸ばし、ぺこぺこと何度も頭を下げた。そして1人が村の奥に目を向ける。カルダもそちらを向けば、ちょうど、いかにも村長といった白髪の老人が向かってくるところだった。先ほど逃げた若い男がその横で村長の手を取っている。若者は逃げたのではなく村長を呼びに行ったのだ。

 一行は村長の前まで歩みを進める。

「そなたがこの村の村長か。余は、アイローイ王カルダ。故あってこの地に来た。少し話を訊きたいのだが良いだろうか。」

「これはこれは王様、ようこそいらっしゃいました。」

 老人は体の前で羽織物の左右の袖にそれぞれ逆の手の先を入れて1度頭を下げると、じっとカルダを見つめた後、眉尻を下げた。

「いつか、このような日が来ると思っておりました。」

 カルダには不可解な言葉だ。王がこのような田舎に来ることを予測していたというのか。呪いか占いの類か、それとも奇薬の噂が本当で、ついにバレたかと、そういう意味だろうか。

 カルダは何も応えなかったが、老人はなぜか全てを悟ったかのような顔で、ご案内致します、と踵を返して歩き始めた。
 カルダとラウベルは顔を見合わせ肩を竦めて見せ、何が何やら分からなかったが、とにかく老人について行くことにした。

 老人のペースに合わせて馬もゆっくりと進む。そして目的地らしい村の最奥にあった1軒の小さな家の前に来る。他の家同様に古びた石レンガで、三角屋根がのっかている。

 老人が木の戸を鳴らすと、はーい、と元気の良い子供の声が聞こえる。戸を開けて出てきたのもやはり子供だった。金色の髪は緩いくせ毛で、同じ色の瞳は少し吊っている。歳は5歳程だろうか。手には子供用の剣を持ち、老人越しにぽかんと騎馬隊を見つめていた。

 カルダが無意識に馬を降りると、近衛騎士隊もそれに倣う。

 カルダは1歩2歩と少年に近づき、きょとんと見上げてくるその顔をまじまじと見つめた。
 こんな偶然があるだろうか、とカルダは無精ひげの生えた顎を撫でる。世継ぎ問題で後妻を娶るようにと進言してくる家臣たちから逃げてきて、自分の子供時代にそっくりな子供と出会うとは。

 カルダは元々、世継ぎに血縁は重要視していなかった。ニコがいなければ結婚するつもりもなかったし、優秀な子を見つけ教育すればいいと思っていたが、家臣たちがそれに納得するはずもなく、日々縁談話を持ち込まれた。
 しかし、ここまでそっくりならば家臣たちも納得するのではないか。カルダは相手の許可も取っていないのに、そんな都合の良い事を考える。

「カルゼラ、スヴェリオさんはいるか?」

 老人の言葉に、カルダの眉間にしわが寄った。

「畑です。今から剣の稽古をする予定で。」

 それを聞くと老人は若い男に、呼んできなさい、と指示を出し、王一行には中に入って待っていてくだされ、と告げた。カルゼラと呼ばれた少年がどうぞと、カルダを中におずおず促す。

「ラウベルだけ来い。あとは外で待て。」

 はっ、と近衛騎士の息が揃う。

 家の中は外観よりも小奇麗にしてあった。入って左にはキッチンがあり、右には小上がりになった生活スペースがある。その奥には書棚や小物が並んでいた。

「どうぞこちらへお腰かけ下さい。」

 カルダは言われた通り、小上がりに腰を掛け、ラウベルはその側に立った。。カルゼラが書棚の前からぼろぼろの木の丸椅子を持ってきて、老人を座らせる。

「スヴェリオ、と聞こえたが。」

 ようやくカルダが口を開いた。

「はい。女神様の従者だった者です。」

 女神様?とカルダが首をひねる。自分にそっくりなカルゼラが目に入り、鼓動がだんだんと速まるのを感じる。

「数年前、この村に雷が落ちました。大火事になりましたが、それも何とか収まりました。しかし多くの怪我人が出ました。そんな時でした、女神様がいらっしゃったのは。女神様は身重でありながら、懸命に怪我人の看病をしてくださり、更にはエルフに薬草になる株を貰ったと言って、薬草畑を作ってくださったのです。その薬草が本当によく怪我に効くのです。」

 エルフの奇薬。カルダは確信した。そして沸々と、別の期待まで湧き上がってきた。

「では、その子は。」

「はい。女神様の御子です。」

 その女神の名は、とカルダが訊こうとした時、バンッ、と勢いよく木の戸が開いた。そこに飛び込んで来た人物に、カルダもラウベルも目を見張った。

「…スヴェリオ。」

 カルダがそう呟くのと、ラウベルが剣を抜くのは同時だった。
 ラウベルが大きく一歩踏み出し、下から切り上げるように剣を振る。これにスヴェリオは頭の上から剣を振りおろして受け、キィンッ!と甲高い金属音が部屋に響いた。きゃあとカルゼラが体を小さくする。
 ギチギチと剣を交えたまま動かない両者に、カルダが制止をかける。

「やめよ!」

 ラウベルが大人しく剣を下げると、スヴェリオも腕を降ろした。

 カルダが立ち上がる。

「スヴェリオ、説明する機会をやる。」

 もしかしてニコも一緒なのか、とは既に期待を膨らませているせいで、恐ろしくて口に出せなかった。

 もったいぶるようにスヴェリオが深く息を吐いた。

「…村長、悪いが出て行ってくれ。カルゼラ、お前も外で遊んで来い。」

 カルゼラは恐る恐るスヴェリオの前に立つ。

「スヴェリオ…。」

 心配そうに見上げるカルゼラに、スヴェリオは、大丈夫だからと頭にぽんと手を乗せた。
 カルダがラウベルに視線を送り、顎をしゃくる。ラウベルはこくりと頷き、カルゼラに歩み寄った。

「我々は外で待っていましょう。何の遊びでも付き合いますよ。」

 カルゼラが再びスヴェリオを見上げると、スヴェリオもこくりと頷いて見せた。カルゼラは肩を落としておずおずと外に向かった。その後ろにラウベルが続く。
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