塔の妃は死を選ぶ

daru

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 出陣前ということで朝の訓練も無く、スヴェリオはニコに許可を取ってバーバリオ宅へ来ていた。
 朝食を摂ったり摂らなかったりの忙しい生活をするバーバリオだったが、久しぶりに訪れた友人を快く迎え入れ、早朝だというのに、入れ替わりでドーラが出掛けて行った。

「大丈夫なのか抜け出してきて。城はかなり忙しいんじゃねぇのか?」

 バーバリオはドーラを見送り、先にダイニングに座っていたスヴェリオと向かい合う席に腰を降ろした。

「まぁ俺は王妃様専属の傭兵に過ぎないから。ドーラはどこ行ったんだ?」

「ククルのところだ。幼馴染みの。…街中で、ノウラにいたアイローイ人50人が殺されたと噂だろ。ククルの旦那も商売で行ってたから…。」

 あぁ、とそっけなく相槌をうつスヴェリオに、バーバリオは恐る恐る尋ねた。

「噂は本当なのか?」

「…ここだけの話だ。」

「分かってる。誰にも言わねぇ。」

 スヴェリオは軽く息を吐いた。

「俺も詳細を知らされてるわけじゃねぇけど、50人の首が飛んだのは本当だ。誰が死んだかまでは知らねぇ。」

「…そうか。でもやっぱり誰が死んだか分かってねぇのに、詳細な内容の噂が流れるってのは嫌な意図を感じるな。」

「全くだ。いかにもあの狡い男が考えそうなことさ。」

「狡い男?」

「なんでもねぇ。」

 目を吊り上げてそっぽをむくスヴェリオに、バーバリオは、荒れてんなぁ、と片眉を上げた。

「それよりも、お前らには何か被害はないか?」

「今のところはな。だが嫌な空気だ。オーブのおやっさんのとこにはフェリディル人が武器を買いに来たって言うし…。」

「護身用にか?」

「そう願いたいな。ただ…迷って、結局売らなかったらしいが…。」

 スヴェリオは顔をしかめた。気持ちは分からなくもないが、それは差別的な行為だ。
 前のスヴェリオであれば取るに足らない無関心ごとであっただろう。しかし今のスヴェリオから見れば、この人同士の溝がニコにとって良くないものであることは容易に想像がつく。

「このまま悪化すると…王妃様は大変になるんじゃねぇか?」

 深刻そうに息を呑むバーバリオに、スヴェリオはため息を吐いた。

「お前が気にすることじゃねぇよ、バーバリオ。お前は家族と工房の心配をしてろ。」

 びしっとスヴェリオが人差し指をバーバリオに向けた。

「いいか、間違っても変にフェリディル人を庇ったりするなよ。王妃様のこともだ。俺のことも。お前はお前のことだけを考えて行動しろ。今日はそれを言いに来たんだ。」

 バーバリオはぽかんと口を開けた。

「俺は城に戻るが、危ない事には絶対に首を突っ込むなよ。絶対だぞ。ふりじゃねぇぞ。」

 しつこく念を押すスヴェリオに、バーバリオは自然と頬が緩んだ。危ねぇことをするのはいつもお前の方だろうが。そう思うとがっはっはと声が出る。

 スヴェリオが不満そうに眉を潜めた。

「笑いごとじゃねぇよ。」

「…見ねぇうちに、大人になったな。」

 バーバリオが静かにそう言うと、スヴェリオは顎が外れたように大きく口を開け、目元の掘には真っ暗な影を落とした。

「くそ、バカにしてやがんな。人がせっかく心配してんのに…。」

 スヴェリオは舌打ちを鳴らして立ち上がる。

「もう行くのか?」

「必要なことは言ったからな。」

「何かあったら知らせろよ?」

 話を聞いていなかったのか?スヴェリオは呆れた。

「しばらく俺には関わるなって言ってんだよ。俺も城から出ねぇし。分かったな?」

 目を据えて念押すスヴェリオにバーバリオは返事をしなかったが、スヴェリオはそのまま、じゃーな、と一言置いてバーバリオ宅から出て行った。





 出陣の朝、カルダは装備を付けてもらう前に、王妃の部屋へと向かっていた。ニコの体調はずっと気がかりであったが、結局ニコを泣かせたあの日以来、顔を合わせていなかった。
 とはいえ戦に出るのだ。せめて挨拶くらいは、とカルダはようやく重い腰を上げたのだ。王妃様も王様のお体をご心配なされていましたよ。エイソンのそんな励ましも手伝った。

 カルダがぴたりと足を止めれば、後ろに付いていた2人の近衛も同じく足を止めた。

「エイソン…余は、なんと言えばいい。」

「…出立する、と。」

 じろりと金色の瞳がエイソンを射抜く。

「他に気の利くセリフはないのか?」

「出陣を前に、気の利くセリフなどありますか。」

 それはそうだ。何をどう言おうが心配をかけるし、寂しい想いをさせることも必至だ。
 カルダは黙って前に向き直り、また歩みを進めた。

 王妃の部屋の前には近衛騎士の1人が立っていた。
 スヴェリオではないのか、とカルダは少し安心した。あの男の言葉は痛い。とはいえ、会うたびいないとは護衛としていかがなものかとも思う。

 王様、と扉前の近衛が一層背筋を伸ばした。

「王妃はいるか。」

「はい、今しがた朝食が運ばれたところです。」

 近衛騎士が扉をノックしようと片手を持ち上げると、ノック音ではなく、キャッと短い悲鳴が聞こえた。次いでガタガタと何かが倒れる音や食器の割れる音など派手に鳴り響いた。

 いち早く動いたのはカルダだった。異常な物音が聞こえるやいなや目の前にいる近衛騎士を押しのけて部屋に飛び込む。そこには倒れたダイニングテーブルと、その傍らに倒れるニコ、そのニコにおぼつかない手つきでナイフを向ける女の使用人の姿があった。

 女はカルダの姿に怯えた表情を見せつつも、人が発したとは思えない、空気を切り裂くような叫び声を上げてナイフを振り上げた。カルダは床に散らばった食器も気にせず一気に踏み込み、腰の剣を抜く。

 ニコは反射的に腹を庇うように身を捩り、眉間にしわができるほど固く目を閉じた。

 次の瞬間、どさりという鈍い音と共に女は膝を付いた。その女の上半身がニコの足元に倒れ込む。ニコはもう1度悲鳴を上げて、身体を引きずるように後ろへ後ずさった。身体を小さくまとめ、ガタガタと体の震えが止まらない。

「ニコ!」

 カルダがニコのすぐ前に駆け寄り、膝を付く。ニコの無事を確かめるようにその顔を両手で包み、急ぎ頭の先からつま先まで一通り目を通す。

「無事か?」

 揺れる金色の瞳の中で、ニコはぽろぽろと涙を流し、唇を震わせた。

「カルダ…様…。」

 震える身体を温めるように、カルダはニコをその胸に抱きとめた。そこへ肝を冷やしたエイソンが跪く。

「王様、王妃様、ご無事ですか?」

「…怪我はないようだ。」

 それを聞いて、近衛一同はほっと安堵した。

 エイソンが部下の1人に人を呼ぶように言いつけ、もう1人の部下は女の遺体を仰向けに返し、その顔や手足、ポケット等を念入りに調べる。

「その女、何者だ。」

「ただの使用人のようです。戦闘訓練を受けたような跡も見当たりません。」

 私怨だというのか。カルダのニコを抱く腕に力が入った。

「あ、の…わた、し………。」

 カルダは、息を浅くして声を震わせるニコを優しく抱き上げる。エイソンに部屋を片付けておくようにと言いつけ、遺体がニコの目に入ることのないように、自身の部屋へと運ぶ。
 広いベッドの上にそっと降ろすと、カルダは再びニコを腕に閉じ込め、そっと背を撫でた。

「ニコ、話は落ち着いてからでいい。まずはゆっくりと呼吸をしなさい。」

 ニコはカルダの胸に顔を埋め、言われた通り、呼吸を整えることに集中した。カルダの暖かい手に安心感は覚えるものの、恐怖で硬直した体中の筋肉はなかなか戻らなかった。

「あの…私が……。」

 カルダは優しく、優しく、繰り返し背を撫でた。

「私の、せいで……彼が…亡くなったと………。」

「…彼、というのは?」

 ニコはカルダの胸に埋まったままの頭を左右に振った。そうか、とカルダは静かに応える。

「すぐにあの者の身元と事情は調べられる。誰にせよ、そなたのせい、ということは無いだろう。」

「でも…私………。」

 カルダは安心させるようによりニコの身体を自身の身体に引き寄せ、熱を分けた。

「絶対にないから、安心しなさい。」

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