塔の妃は死を選ぶ

daru

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 ”今日は護衛を連れて、ニコだけで忍んでおいで”

 心配そうに、けれど優しく、カルダがニコにそう言った。今朝のことだ。どうやら協議しなければならないことがあるらしいが、ニコはその内容までは聞かず、素直にはいと頷いた。

 そして今、言われた通りスヴェリオを連れて再び大市を見物に来ていた。公的に護衛を連れて行き交う人々が道を開けた昨日とは違い、服装も地味にして気楽に歩けるお忍び見物は、ありのままの大市の雰囲気を肌身で感じる。

「こんなに少人数で街に出るなんて初めてだから、なんだかわくわくするわ。」

「え、ホントに?」

「えぇ。フェリディルにいた時も、城から出たことがほとんどなかったもの。」

「へぇ。さすが箱入り。」

 じとりとニコの湿気じみた視線がスヴェリオに向けられた。スヴェリオはその視線を笑って躱し、周囲に目を向ける。昨日同様に私服を着た兵士があちこち配置されている様子を見て、ねぇ、と心の中で呟いた。

「ねぇ、あれは何のお店かしら。」

 ニコがある露店を指差した。いろいろな種類の植物の種のような粒粒が並んでいる。

「香辛料かな。」

「では、あれは?」

「染料。」

「あの少し先にある…骨?とかいろいろ並んでいるのは?」

「あぁ、あれ?黒魔術。」

 驚いた顔でスヴェリオの言葉を繰り返したニコに、スヴェリオは吹出して笑った。

「あっはっは、うそうそ。ダマルカに伝わる魔除けとか、そういう民芸品だよ。」

 ニコは笑うスヴェリオを尻目に、自然とその店に足が進んだ。人込みに慣れていないニコに人がぶつかりそうになり、スヴェリオが体を割り入れてガードした。ぶつかってきた男のフードの下からちらりと覗いたその視線に、どこか敵意を感じる。

「あ、ありがとう。」

「…あぁ。」

 スヴェリオはニコからのお礼に無意識に応えつつ、視線はフード男を追っていた。男は人込みの中を流れるように移動し、細い路地裏に消えていく。それを追っていった私服の兵が目に入る。

「スヴェリオ?」

 ニコの呼び声に返事をして、振り向くと、既に店に向かっていると思っていたニコが、未だにすぐ横にぴたりとくっついていた為、スヴェリオは面食らった。柄にもなく、胸の内で大きな太鼓が叩かれる。

「店、見ルンジャナカッタノ?」

「街に出る前に、絶対離れるなってあなたが言ったでしょう。」

「…ソウデスネ。」

 ニコはきょとんとするスヴェリオの腕を引っ張って、ダマルカの民芸品が並ぶ露店へと、今度こそ辿り着いた。

 遠目からは骨ばかりが目に入ったが、間近で見れば、アクセサリーや食器や動物を模った木彫り等、ごちゃごちゃとたくさんの商品が並び、ニコの目もあちこちに向けられた。

「すごい、なんだかカラフルね。」

「あんたからしたら珍しいかもな。フェリディルと比べたら海と山で対照的な文化だから。」

「スヴェリオは?懐かしい?」

 スヴェリオは肩を竦めて首を横に振って見せた。

「俺がダマルカにいたのはガキの頃だけだからな。こっちでの生活の方が長いから、大して思入れもない。」

 そう言ってスヴェリオは木彫りの狼を手に取り、まじまじと眺めた。

「そうなの。スヴェリオはどうしてアイローイに来たの?」

 一瞬、スヴェリオの顔に影が落ちたのを、ニコは見逃さなかった。スヴェリオはそれを振り払うようににかっと口角を上げる。

「な~に~?俺の話気になるの~?」

 しかしこの手の茶化しはニコには通じないのだ。

「えぇ、気になるわ。」

 ニコは純粋にそう言った。真っ直ぐ見つめてくるニコの瞳に、スヴェリオは困ったように木彫りを置いて、髪をくしゃくしゃにしてそっぽを向いた。

 そこで、ちらりとさっきの…かどうかは分からないが、同じフードを被った男が、ほんの一瞬目に入った。私服の兵士たちは気づいていないらしい。というか、とスヴェリオは内心呆れる。追って行った兵士はどうした。撒かれたのか、それとも…。

「スヴェリオ?」

 ニコは先ほどと同じように近い距離で、今度はスヴェリオの袖を引っ張っている。スヴェリオは顔を隠すように片手で頭を抱えた。

「ニコ様…あんた、それ、やめてくれ…。」

 きょとんと首を傾げるニコ。指の隙間から見える純粋無垢なその表情は、スヴェリオの中の欲を掻き立てた。
 スヴェリオはそれを抑える為に、顔を隠したまま何度も深呼吸を繰り返さければならなかった。

 スヴェリオが、ふぅー、と最後に長く息を吐いてようやく顔を上げると、ニコが、大丈夫?、と覗き込む。スヴェリオはそのままニコを見つめて、今度は手を自身の口に充てた。

「んー…。」

「どうしたの?」

「…ニコ様、俺を信じる?」

 スヴェリオのその真剣な眼差しに、何かあるのだと感じ取ったニコも、きゅっと表情を引き締めた。

「もちろん、信じるわ。」

 ニコがそう言うや否やスヴェリオがニコを引き寄せて、その耳元に口を寄せた。

「さっきからあんたを付け狙ってる男がいる。」

「えっ。」

「尻尾を掴みたい。」

 ニコは固唾を飲みこんで小さく頷いた。

「どうすればいい?」

「ふり返らないで、俺についてきて。」

 ニコがこくりと頷いたのを確認して、スヴェリオはくるりとニコを反転させてその腰に手を充て、足早にその場から離れた。

 見て取れるように慌てる様子の私服兵たちに、スヴェリオはほくそ笑んだ。それじゃあバレバレだっての。一方フード男は動きに無駄が無い。よく訓練されているのが分かる。

 ニコを支えながら真っ直ぐ歩いていたスヴェリオは、急に直角に曲がり小道に入った。細い道を左に曲がり、右に曲がり、人の少ない裏道を進む。上下に分かれる階段を下に降り、真っ直ぐ行くと、先ほどの通りよりも一層賑やかな商人たちの取引所の前に出た。
 スヴェリオは速度を緩めずに人込みに紛れ、食糧品の露店が並ぶ通りに出ると、近くの店を見てるふりをして、周囲を静かに見渡した。

 ニコは胸に手を充てて肩で息をしていた。スヴェリオはそんなニコの背中をさする。

「もう少し頑張って。」

「はぁ、はぁ…えぇ。大丈夫。」

 スヴェリオは再びニコの耳元に口を寄せ、声を低くした。

「この先に酒場がある。今と同じ速さで歩いて、酒場とその隣の民家の小道に入って。」

「スヴェリオは?」

 縋るようにスヴェリオの服を掴んだニコ。スヴェリオはその手を取り、甲にキスを落とした。

「…あんたには指1本触れさせないから。」

 不安が無くなったわけではなかったが、ニコはスヴェリオの言葉に力強く頷いた。

 恐怖で足が竦みそうになる。心臓がカルダを前にした時とは違う暴れ方をする。それでもスヴェリオを信じて、言う通りに足を進めた。酒場を見つけ、人が1人通れる程度の小道に入った。

 ニコが突き当りに差し掛かったところで、ばっと目の前にフードを被った男が現れた。竦みあがったニコは声も出ない。

「姫様…。」

 フード男が口を開いた時、その男の頬にスヴェリオの拳が飛んだ。

 フード男はすぐに体制を立て直し、スヴェリオに殴りかかった。スヴェリオはフード男の右拳を払い、左拳を払い、右ローキックを左腕で防ぎながら右足でハイキックを喰らわせた。よろけたフード男の胸ぐらを掴み、その腹に2度、膝を入れる。そして、その男をニコの後ろに近づくもう1人に向かって投げつけた。ニコが短い悲鳴を上げて壁に背を付けた。

 スヴェリオはニコを自分の後ろに隠すように立ち、腰の剣を抜いてその剣先をフード男たちに向けた。

「あんたら何者だ。なぜこの人をつける?」

 片方のフード男が落ち着きはらった声で、やれやれと、倒れているもう1人の男を立たせた。その声に、ニコが目を見開く。

 男がフードに手を掛け、ゆっくりとそれを外した。

「いきなり護衛を撒いて何事かと思ったら、今度は人型の狼を飼い始めたのかい、ニコ?」

「叔父…様…。」

「え、オジサマ?」

 スヴェリオが素っ頓狂な声を上げる中、スヴェリオが殴った男もフードを取った。

「御無沙汰しております、姫様。」

「ユハネス…護衛、騎士団長…。」

 ハープナーの昔と変わらないその落ち着いた優しい声色に、ニコは揺れないように揺れないようにと、無意識にスヴェリオの袖を強く握りしめた。

 ハープナーがふわりと微笑む。

「ニコ、少し話をしないかい?」

 
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