塔の妃は死を選ぶ

daru

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 相変わらず王妃にだけ甘い顔を向ける王。そんな王に頬を染めて微笑む王妃。周囲を警戒する近衛騎士団。それに、とスヴェリオは露店のあちこちに配備されている私服の兵士たちが目に入る。そして、私服来てるならもっとバレにくくしろ、とも思う。

 環獣祭の時はここまで重警備ではなかった。環獣祭よりも会場が広いからだろうか。ここが王都ではない地だからだろうか。それとも大市の責任者であるリッシューニュ伯に万が一にも迷惑を掛けない為だろうか。スヴェリオの中で様々な疑問が浮かんだが、先ほどエイソンに探りを入れたところ無駄口叩くなと言われた為、疑問を解消する術が無かった。

 ニコの目に、ふて腐れたようにそっぽを向くスヴェリオが映る。そして、昨夜の宴の席でのスヴェリオの態度を思い出した。





 トードに訪れた王一行を歓迎する宴は、騎士たちの分も酒や料理が用意され、絶えずあちこちから笑い声が聞こえてくるような賑やかな宴だった。

 ニコはカルダの横から動かなかったが、そのカルダはアーウィン老人の息子であるロンドに終始絡まれており、ニコは笑顔を作るばかりだった。

 スヴェリオはというと、てっきりおいしいお酒と料理にスヴェリオははしゃぐものとニコは思っていたが、彼は酒もほどほどに、ニコの側の席から離れず1人静かに佇んでいた。

 何か気に入らないことでもあったのだろうかと、ニコは会場を見渡した。それで気が付いたのは、居心地が悪いのかもしれないということだった。

 普段スヴェリオがよく話すのは、いつも一緒にいるニコか、訓練やら態度やらで世話焼きを発揮しているエイソンくらいだ。
 ところがニコがカルダや挨拶に来る者を放ってスヴェリオとお喋りをするわけにはいかないし、エイソンはエイソンで、同性人気がすこぶる高く、常にごつごつした騎士や兵士たちに囲まれている。

 ニコの心配の種が一気に花を咲かせるまでに成長したのは、スヴェリオに1人の老人が接触したからだ。

「…お主。」

 アーウィン老人の厳格な声色に、カルダとエイソンにも緊張が走った。

 スヴェリオは続く言葉を待ったが、老人は威圧的な眼光を向けるばかりでなかなか切り出さない。痺れを切らしたスヴェリオが先に口を開いた。

「何かご用でしょうか、閣下。」

 敬語を使っただけでも、ニコには感動的な出来事だったが、驚きは続く。

 こほん、とアーウィン老人が咳払いを置いた。

「…その手袋を、見せてはもらえんかな?」

 は?というのを、スヴェリオは何とかこらえた。カルダとロンドは実際に口に出たが。エイソンなんかは間に割って入ろうと立ちあがった所だったが、ぴたりと動きを止めた。

「これ…ですか?」

 スヴェリオが、両手を軽く挙げて見せると、アーウィン老人は今度は咳払いを2度置いて、そうだ、と頷いた。
 疑問を抱きながらも、スヴェリオは素直に手袋を外して老人に差し出す。

「どうぞ。」

 するとアーウィン老人は恐る恐るそれを受け取り、目を輝かせ、ほおおお、と高い声が出た。その声にスヴェリオも、ニコもカルダも、息子のロンドでさえびくりと肩が竦んだ。

「これはどこで買ったのじゃ?」

「いえ、これは友人から貰った物です。」

 むむ、友人とな、と老人が険しい顔をする。

 そこでスヴェリオはピンときた。瞬時に笑顔の仮面を被る。

「えぇ、皮革工房を営んでいる友人が特別にと作ってくれました。」

「ではこの皮はお主の友人が鞣した物なのか?」

「その通りです閣下。ダマルカの村で細々と伝えられている製法で鞣してあります。」

「やはりダマルカか!」

「はい、閣下。」

 そんなやり取りに、周りが目を白黒させる。エイソンはそんな様子を見守りながら、静かに腰を下ろした。

 アーウィン老人の嵌めてみてもいいかという頼みも、スヴェリオは二つ返事で承諾した。

「この肌に吸い付くような皮質!独特な香り!」

「耐久力もありますし、耐水性も兼ね備えておりますよ、閣下。」

 老人の手が震える。

「ほ、欲しい…。」

 こらこら、と息子が口を挟んだ。

「父上、人の物を欲しがってはいけませんよ。リッシューニュ伯に頼まれたら断りにくいじゃないですか。」

 ねぇ?とスヴェリオに向けられたロンドの視線は、差し出せ、と物語っていた。
 スヴェリオは穏やかに微笑み、老人の手から手袋を取った。

「申し訳ありませんが、これはお譲りできません。」

 ロンドから笑顔が消えた。気にせずスヴェリオは続ける。

「王妃様をお守りする、この手を大事にするようにと、作ってくれた物なのです。」

 ニコを引き合いに出された上、アーウィン老人も感心したようにうんうんと頷き、ロンドに反論の余地はなかった。
 ですが、とスヴェリオはにやりと口角を上げた。

「大量生産できる物ではございませんが、口利きくらいはできますよ。閣下の為、ともなれば。」

 再び老人の目に光が宿る。

「ほ、本当か!」

 鼻息を荒くするアーウィン老人に、えぇ、えぇ、とニコニコ、いや、ニヤニヤ頷くスヴェリオ。

 驚くべき光景に唖然としながらも、ニコとカルダは胸を撫で下ろした。





「にやにやして、どうかしたのか?」

 カルダにそう言われ、ニコは両手で頬をぐいぐい押した。
 にやにやしていましたか?とニコが確認を取ると、カルダは、あぁ、と即頷いた。

「昨夜のことを思い出していました。」

 昨夜?とカルダが聞き返す。

「リッシューニュ伯は、革製品がお好きなのですね。」

 宴でのことか、とカルダも思い出した。

 実際、宴でのスヴェリオの変貌ぶりに1番驚いたのはカルダだったのかもしれない。というのも、スヴェリオがカルダに笑顔を見せる事は、たとえ作り笑顔だとしてもないからだ。口が弧を描いていることはあっても、睨み付けてくるその表情は笑顔とは呼べない。いつだって敵視されていた。

 スヴェリオは、とカルダが口を開く。

「窃盗の他に、詐欺の余罪もありそうだな。」

 ニコが吹出して笑った。

「ふふふ、そういえば、初めて会った時も商人だなどと、適当なことを言ってました。ふふ。」

 、そう聞いて、カルダの、前にスヴェリオに言葉の刃で刺された傷が、じくりと血が滲む。

 ”俺がニコ様を見つけた時、あの人は幽霊みたいだった。”

 今は笑っている。それがカルダの胸を満たす。この笑顔の為ならば、カルダはなんでもしようと思えた。

「ニコ、楽しいか?」

 急にカルダの甘く優しい視線を向けられ、ニコは視線を逸らしてはにかんだ。きゅっと、カルダの腕に絡まる手に力が入った。

「はい。とても。」

 そんな様子に、後ろから冷めた視線を送るスヴェリオ。昨夜既にエイソンにも、敬語を使えたのだな、などと言われ、同じく近衛騎士たちの笑いの的にされ、宴の話はお腹がいっぱいだった。

 敬語くらい、使おうと思えばいくらでも使える、とスヴェリオは思った。ただ、それを要求してくる者に使いたくないだけだ。

 今回、スヴェリオがこんなに大人しくしているのには訳がある。



 これは一向がトードに着く前の晩に泊まった宿での話だ。

 スヴェリオはエイソンに呼び出され、宿のロビーでカルダと対峙していた。
 座れ、とカルダが言っても座らないスヴェリオを、エイソンが肩を掴んで無理矢理座らせた。

「明日、トードに着く前に、お前に言っておくことがある。」

「…なんだ。」

「トードで世話になるリッシューニュ伯は、先代王の頃より仕えてきた重臣だ。各方面に顔が利き、その権力と王家の信頼は絶大だ。」

「だからなんだ。」

「その態度、改められないのなら、ニコの側には置けぬ。」

 スヴェリオの眉間にしわが寄る。

「お前がニコの側にいる事で、お前自身がニコの評判に関わるということをわきまえよ。」

 目を吊り上げるスヴェリオに構わず、カルダは続ける。

「もしお前のせいでニコに対するリッシューニュ伯の信頼を失った時は、ニコがなんと言おうが、余はお前を切り捨てる。」

 がた、とカルダは立ち上がると、その鋭い視線が一層冷気を帯びた。

「肝に銘じておけ。」

 そう言い捨てて、カルダはスヴェリオに背を向けて部屋に戻って行った。



 ふぅー、とスヴェリオは長く息を吐いた。王の思い通りに動くつもりは微塵もないが、これも全てニコ様の為だ。そう思えば納得できた。

 その後も、重警備の割に何の問題もなく、ニコとカルダの大市視察という名のデートは平和に終わった。
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