塔の妃は死を選ぶ

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 ペリュグリスがニコの護衛騎士の一員になった頃の話だ。

 ペリュグリスは休みを貰うと、しばしば街へ出掛けていた。体力作りの為に馬にも乗らず、街の裏路地を城との近道にして往復していたのだ。

 その日も街で食事をし、仕事でもないのに街のあちこちを見回っていた。

 少年に会ったのは、その帰り道だった。人よりもネズミや猫とよく出くわすような薄暗い路地裏で、服とも呼べないようなぼろぼろの布を纏った少年が石壁に寄りかかり、座り込んでいる。

 治安が良く、こんなに豊かな街でも飢える子供がいるのだな、とペリュグリスは胸を痛めた。

「おい、大丈夫か?腹が空いてるのか?」

 少年は、返事の代わりに力無い視線を送った。

 ペリュグリスは手に持った袋からドライフルーツの混ざったパンを取り出した。同僚に頼まれた土産であったが、ペリュグリスに迷いは無い。

 手の平程の大きさのあるドライフルーツパンを丸々少年に差し出すと、少年は荒々しく奪い取り、勢い良くかぶりついた。

「喉を詰まらせるぞ。ゆっくり食べろ。」

 ペリュグリスはそう言って、その場を去ろうとしたが、突然少年が鼻水をすすって泣き出したのを見てぎょっとした。

「お、おいどうした?喉に詰まったのか?」

 少年はぼろぼろの袖で涙を拭った。

「…誰もっ…オレの話をっ…信じてくれないっ…!」

 子供の相手をすることに慣れていないペリュグリスはおろおろとすることしかできない。

「おっとうも、おっかあもっ…大変なのにっ!」

「あ、と…何かあったのか?」

「村が襲われたんだ!…ぅくっ…弟と、オレだけっ…別の村まで逃げて…。オレ…助けてっほしくてっ…ここまで来たのに…!」

「襲われたというのはいつのことだ?どこの村だ?」

「…あんた…信じてくれんの…?」

 ペリュグリスは真剣な眼差しを少年に向けて、しっかりと頷いた。

「当然だ。私は王様に仕える騎士だ。村が襲われているなんて事態を見過ごすわけにはいかない。」

「王様に…?」

 またしっかりと頷く。
 そんなペリュグリスを見て、少年はごしごしと目を擦り、涙を止めた。

「西の…国境近くの…。もう…何日も経っちゃったけど…。」

 こんな子供がそんなに遠くから来たのか、とペリュグリスは衝撃を覚えたが、次の言葉に、なぜ誰も少年の話を信じなかったのかが分かった。

「クァンザ族が、来たんだ。あいつら…あいつらが突然っ!」

 目に涙を溜めながら悔しそうに憤る少年が嘘をついているようには見えなかった。しかし、クァンザ族が村を襲うなどという話はペリュグリスも聞いたことが無かった。村どころか、小さい被害さえ滅多に聞かない。

 それというのもクァンザ族の住む火山方面、いわゆるフェリディルの北西部は、フェリディル王が絶対の信頼を寄せる王弟ハープナーが守護する土地なのだ。

 ハープナーは20歳という若さで、王弟でありながら辺境の地である北西部の守護を自ら買って出るような勇敢な人物だった。それと同時に切れ者でもある彼は、次々とクァンザ族への対策を施行し、その被害件数を瞬く間に減少させるという功績を上げた。

 だからといって城を建てたり豪遊したりということもなく、立派な兵舎を建てて、そこで仲間である騎士達と共に生活していたという謙虚さまで持ち合わせ、騎士達からはもちろん、民からも大変な人気があった。

 もちろんペリュグリスも崇拝者の1人である。

 だからこそ少年の言うことに、何か誤解があるに違いないと思った。

「信じて…くれる…?」

「…剣に誓って、調査すると誓う。」

 涙を溜める少年の目から、雫が1粒きらりと落ちた。

「あり、がと…!」



 城に戻ったペリュグリスはさっそく同僚に話したが、1人として真面目に受け取る者はいなかった。

「そりゃお前、同情煽って小間使いにでもしてもらおうしてたんだろ、はっはっはっはっは!」

 そう聞いてペリュグリスは、なるほどその可能性もあるかと考えたが、調査することを剣に誓った事もあり、簡単に手を引くわけにはいかなかった。
 何よりも、尊敬するハープナーの悪い噂の火種になりうるものを放置しておくことはできなかった。

 ペリュグリスは最も信頼を寄せていた護衛騎士団の団長に話すことにした。すると、団長は同僚たちのように笑い飛ばすことなく真剣に聞いてくれた。その上、ハープナーが主導する北西部の騎士団に架けあい、情報提供をしてくれるという。

 安心したペリュグリスは少年に知らせようと思ったが、街に下りてもあの少年に会うことは2度となかった。



 しばらく経ったころ、ペリュグリスはふと少年の件を思い出し、再び団長に話を聞きに行った。

「以前お話した、クァンザ族の件はどうなったでしょうか?」

「ハープナー様の騎士団に情報提供したと言っただろ。」

「あ、はい。しかし、その後どうなったのか気になりまして…。」

「その後のことはハープナー様が処理なさったのだから、無事解決していらっしゃることだろう。」

「そう、ですよね。」

 ペリュグリスの歯切れの悪い態度に、団長は見るからに怪訝な顔をした。

「まさか貴様、ハープナー様を疑っているのか?」

「まっ、まさか!違います!」

「では何が不満だ?」

「不満などありません!ただ…少年があまりにも哀れだったもので…誤解は解けたのだろうかと気になっただけです。」

 ふむ、と団長はペリュグリスを品定めするような視線を送る。

「少年の行方は知らぬゆえ、誤解が解けたかは分からんが、北西部の事はハープナー様が調査してくださっていることだろう。」

「…はい。」

 ペリュグリスはそれ以上は口を閉ざし、団長の元を後にした。

 ハープナーのことを疑っていはいない。団長の事も信頼している。それでもペリュグリスの心にはわだかまりが残った。
 あの少年の話は、何か誤解があるのだと思っていたが、ペリュグリスの胸の内は不安の色でざわついていた。



 嫌な予感を感じたペリュグリスは、1週間の休暇申請を出した。北西部の状況を自分の目で確かめる為だ。
 まさか少年の話が丸ごと真実などということはないと思い込んでいたペリュグリスは、旅人のふりをして訪れた村で聞いた話に驚愕した。
 確かに村が丸ごとクァンザ族に襲われ、逃げてきた村人がいるというのだ。

 その村が襲われた日、知らせを受けたハープナーの騎士団が駆け付けた時には、すでに村は崩壊していたらしい。それでもクァンザ族を追い払い、家を失った者たちに援助をしてくれている、とハープナーの騎士団は村人から感謝されいた。
 ペリュグリスが違和感を覚えたのは、その話が王都にまで届いていないということだ。



 ペリュグリスが敬愛するハープナーの真意をさぐるべく彼の元へ訪れると、ハープナーは随分と疲れている様子だったが、快くペリュグリスを歓迎してくれた。

「はるばる王都ノウラからよく来たな、ペリュグリス殿。」

「突然の謁見をお許し頂き、ありがとうございます、ハープナー王弟殿下。」

「…村を見てきたと聞いた。村が襲われたという話は悲惨であっただろう。」

「はい。…殿下も相当ご尽力されていると伺いました。」

「いや、当然のことだ。何より村が襲われるなど、私の責任に他ならん。家族や住処を失った村民たちにはいくら償っても償いきれぬ。」

 頭を抱えてため息を吐くハープナーから、本当に心を痛めている様子が見てとれる。

「そんな…殿下のせいではありません。…しかし、なぜ王様に知らせないのですか?村人たちも、何もしてくれない王様に不満を募らせておりました。恐れながら申し上げます。すぐにでも知らせて、救援を求めるべきではないでしょうか?」

「そうしたいところなのだが…身内びいきと言われてしまうかもしれないが、ニコの為にも、なるべく大事にしたくないのだ。」 

「姫様の為、ですか?」

「そうだ。」






 
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