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王夫妻の一行が石造りの街道をゆっくりと下りて行くに連れて、だんだんと賑やかさが増していった。
道行く人は一行を見るなり左右に道を開けて頭を下げる。
ニコは堂々としていなければと自身に言い聞かせてどうにか真っ直ぐ前を向いていたが、今まで王が女性と馬に2人乗りをしているところなど見たことのない民が、王の愛馬に乗っている女性に奇異の目を向けるのは必然だった。
「わぁ!エルフだ!とってもきれいだから、きっとエルフのおひめさまだよね、母さん?」
「こら、指差さないのっ。」
声を弾ませてニコに人差し指を向ける女の子の腕を、母が焦って抑えた。
ニコはわずかに口元を緩め、エルフじゃないよという意を込めて女の子に手を振ったが、女の子はそれを真逆の意味で受け取り、余計に目を輝かせたことを、ニコは知るよしもない。
広場に面した酒場は、まだ正午前というにも関わらず客で賑わい、あちこちで大きな笑い声がしていた。そのテラス席で盛り上がる3人組の男女に近づく赤茶髪の男が1人。
「スヴェリオ!遅かったじゃねぇか!」
「朝からでかい声でうるさいよ…。」
スヴェリオは二日酔いでガンガンと響く頭を右手で抑えながら、声をかけてきた髭男の正面の席に、どかっと荒々しく腰を下ろした。
「朝って…もう昼前よ?」
髭男の隣に座る、くるくるの黒髪が印象的な女は呆れ顔で頬杖を付いた。スヴェリオの隣に座っている男はくるくる女の弟なのだが、ただただ大口を開けて笑っていた。
因みに、姉弟の名前はドーラとティテル、声のでかい髭男がスヴェリオと同郷でバーバリオという。バーバリオとドーラは夫婦だ。
「城勤めでも祭の日は休めんのか!」
「何度も言ってるだろ、バーバリオ。ほんとに勤めてるわけじゃない。」
「分かってる分かってる、失敗を取り戻すまでだろ?」
スヴェリオはがっはっはと豪快に笑うバーバリオを無視して、近くの店員にビールを注文した。
バーバリオの話す”失敗”というのは、城にネックレスを盗みに入った時の事を指している。
”森の源が取り付けられたネックレスを頂いてくる”と意気揚々に出発したスヴェリオを半分呆れて見送ったバーバリオは、手ぶらで帰って来たスヴェリオを見て、腹がよじれる程笑った。
その後、城で働くことにしたと聞いたものだから、バーバリオは可笑しくてたまらない。
スヴェリオは最初こそ失敗したわけじゃないと弁明したが、とはいえニコの話をする気も無いため、どう言われようがスルーすることにしたのだ。
「あ、王様だ!」
ティテルが広場の入り口を指差した。
手前で馬から降りていた王と王妃は横に並んで歩いていたが、周囲の人々が頭を下げて通る上、その動作や衣服の品の違いで、ティテルにもすぐに分かった。おまけに、人混みの中で護衛兵の1人が頭一つ抜けている。
「ねぇ、王様の隣に女の人が立ってるんだけど、誰だろう?」
首を傾げるティテルの声に、半ば呆れながらティテルの視線の方向に目を向けたバーバリオは、何言ってんだ、と言うつもりだった言葉を飲み込んだ。
アイローイ王カルダは国で1番の戦士であり、革新的な執政によって民の生活を豊かにした。たびたび庶民の場にも顔を出すということもあって、男女問わず人気があったが、女気が無いということも有名だった。
29歳という年齢でようやく敗戦国の美姫を妃に迎えたが、どうやらそれもよくない仲だという。
バーバリオもドーラも、そして最初に気がついたティテルも、王様の横にいる女性が誰なのか首を捻らせていた。
スヴェリオもあえて教えようなどと思っていなかったが、隣の席に走ってきた男客がこちらの席にも聞こえるような声量でバラしてしまった。
「おい、お前らも来い!王様が王妃様をお連れになったんだ!」
「王妃様って?」
「あれだろ、フェリディルの元王女の。」
「亡くなったんじゃなかったか?」
「そういう説もあるって話だろ。」
「へぇー。ま、俺たちには関係ねぇ話だな。」
「あーもー!呑気に喋ってないで早く来いって!この世の者とは思えないほどの美女なんだぞ!!!」
その訴えを皮切りに、隣の席の客たちは席を立ち、呼びに来た男を先頭に走って行ってしまった。
近くの席の男たちも何人かそろそろと後をつける。
それはスヴェリオたちの席も例外ではなく、ティテルが早速立ち上がっていた。
「ねぇ、聞いたでしょ、行こうよスヴェリオさん。」
「おいドーラ。お前の弟が盛ってんぞ。」
スヴェリオが呆れたように言うと、そんなんじゃない!とティテルが頬を赤らめた。
そんなスヴェリオの様子に違和感を覚えたのは、やはり1番付き合いの長いバーバリオだった。いつものスヴェリオだったら、美女を見に行こうと誘われたら嬉々としてついて行くはずだ。バーバリオはそう思ったが、単なる二日酔いの可能性も考えて、追及するのはやめておいた。
「もう…俺1人で行っちゃうからね。」
拗ねながらもさっきの男たちに続いて行ったティテルをしり目に、スヴェリオはジョッキのビールを飲み干した。
「あの子、いつになったら特定の恋人ができるのかしら。」
ドーラが呆れと心配半々で言うと、バーバリオが笑った。
「近くに悪い見本がいるからなぁ。がっはっは!」
悪い見本というのは言うまでもなくスヴェリオのことだ。実際、まだ18歳のティテルにとって、8歳上の姉と同い年であるスヴェリオは、兄に等しい存在だった。
バーバリオの嫌味に対し、スヴェリオは黙秘を貫いた。今に見てろよと心の中だけで言い返し、ちらりとティテルが向かった方向を見る。
遠目な上、人だかりができていてスヴェリオの目にニコの姿も王の姿も確認できないが、飛びぬけている頭が見えた。あの大きさは城で見た王の近衛兵だとすぐ分かる。ニコがちゃんと楽しめているのか気にはなるが、本当に楽しんでいたらそれはそれで面白くない。矛盾な思いがスヴェリオの腰を重くした。
「良い見本もいるのにねぇ?」
ドーラがバーバリオを見つめる。
「がっはっは!俺を見本にするなら、結婚は2年後だな!」
「それまでに相手が見つかればいいけど…。見つからなかったらスヴェリオのせいよ。あんたがあちこち変なとこ連れてくから。」
スヴェリオの顔の真ん前まで突き出されたドーラの人差し指を、スヴェリオがすかさず押し返す。
「まったく、ドーラは分かってねぇな。人気のロマンス小説ってのは、大体変なとこで出会うんだよ。」
「へぇ、例えば?」
「森の中の小人の家とか、いばらに囲まれた城の中とか、誰も知らない塔の上、とかな。」
「ふん、あんたなんか風車をお姫様と間違えて突っ込んで行けばいいわ。」
「魔法で風車に変えられたお姫様かも。」
飄々と笑うスヴェリオに、不満をぶつけるドーラ。がっはっはと笑いながらドーラを宥めるバーバリオ。この均衡状態はティテルが戻ってくるまで続いた。
速足で戻ってきたティテルは、興奮気味にスヴェリオの3杯目のジョッキを奪って飲み干した。
「おい、俺んだぞ。」
「はぁ~すごかったよ、王妃様。あんなに美しい人がこの世にいるなんて!」
赤い頬を手で押さえ、うっとりとするティテルを見て、残っていた3人は彼の結婚がまた遠のいたことを悟った。
「そんなことより俺のビールを注文して来い。」
「スヴェリオさん、武器屋のおやっさんがいつもの頼むって呼んでたよ。」
「もうそんな時間か?」
「とっくに始まってたけど。」
おっと、とスヴェリオは立ち上がり、手を合わせて指を交差させ、そのまま手の平を前方に向けて押し出した。それぞれの指が逆関節側に伸びて気持ちが良い。ポキポキと何本か骨が鳴った。
「それじゃ、行きますかぁ。」
道行く人は一行を見るなり左右に道を開けて頭を下げる。
ニコは堂々としていなければと自身に言い聞かせてどうにか真っ直ぐ前を向いていたが、今まで王が女性と馬に2人乗りをしているところなど見たことのない民が、王の愛馬に乗っている女性に奇異の目を向けるのは必然だった。
「わぁ!エルフだ!とってもきれいだから、きっとエルフのおひめさまだよね、母さん?」
「こら、指差さないのっ。」
声を弾ませてニコに人差し指を向ける女の子の腕を、母が焦って抑えた。
ニコはわずかに口元を緩め、エルフじゃないよという意を込めて女の子に手を振ったが、女の子はそれを真逆の意味で受け取り、余計に目を輝かせたことを、ニコは知るよしもない。
広場に面した酒場は、まだ正午前というにも関わらず客で賑わい、あちこちで大きな笑い声がしていた。そのテラス席で盛り上がる3人組の男女に近づく赤茶髪の男が1人。
「スヴェリオ!遅かったじゃねぇか!」
「朝からでかい声でうるさいよ…。」
スヴェリオは二日酔いでガンガンと響く頭を右手で抑えながら、声をかけてきた髭男の正面の席に、どかっと荒々しく腰を下ろした。
「朝って…もう昼前よ?」
髭男の隣に座る、くるくるの黒髪が印象的な女は呆れ顔で頬杖を付いた。スヴェリオの隣に座っている男はくるくる女の弟なのだが、ただただ大口を開けて笑っていた。
因みに、姉弟の名前はドーラとティテル、声のでかい髭男がスヴェリオと同郷でバーバリオという。バーバリオとドーラは夫婦だ。
「城勤めでも祭の日は休めんのか!」
「何度も言ってるだろ、バーバリオ。ほんとに勤めてるわけじゃない。」
「分かってる分かってる、失敗を取り戻すまでだろ?」
スヴェリオはがっはっはと豪快に笑うバーバリオを無視して、近くの店員にビールを注文した。
バーバリオの話す”失敗”というのは、城にネックレスを盗みに入った時の事を指している。
”森の源が取り付けられたネックレスを頂いてくる”と意気揚々に出発したスヴェリオを半分呆れて見送ったバーバリオは、手ぶらで帰って来たスヴェリオを見て、腹がよじれる程笑った。
その後、城で働くことにしたと聞いたものだから、バーバリオは可笑しくてたまらない。
スヴェリオは最初こそ失敗したわけじゃないと弁明したが、とはいえニコの話をする気も無いため、どう言われようがスルーすることにしたのだ。
「あ、王様だ!」
ティテルが広場の入り口を指差した。
手前で馬から降りていた王と王妃は横に並んで歩いていたが、周囲の人々が頭を下げて通る上、その動作や衣服の品の違いで、ティテルにもすぐに分かった。おまけに、人混みの中で護衛兵の1人が頭一つ抜けている。
「ねぇ、王様の隣に女の人が立ってるんだけど、誰だろう?」
首を傾げるティテルの声に、半ば呆れながらティテルの視線の方向に目を向けたバーバリオは、何言ってんだ、と言うつもりだった言葉を飲み込んだ。
アイローイ王カルダは国で1番の戦士であり、革新的な執政によって民の生活を豊かにした。たびたび庶民の場にも顔を出すということもあって、男女問わず人気があったが、女気が無いということも有名だった。
29歳という年齢でようやく敗戦国の美姫を妃に迎えたが、どうやらそれもよくない仲だという。
バーバリオもドーラも、そして最初に気がついたティテルも、王様の横にいる女性が誰なのか首を捻らせていた。
スヴェリオもあえて教えようなどと思っていなかったが、隣の席に走ってきた男客がこちらの席にも聞こえるような声量でバラしてしまった。
「おい、お前らも来い!王様が王妃様をお連れになったんだ!」
「王妃様って?」
「あれだろ、フェリディルの元王女の。」
「亡くなったんじゃなかったか?」
「そういう説もあるって話だろ。」
「へぇー。ま、俺たちには関係ねぇ話だな。」
「あーもー!呑気に喋ってないで早く来いって!この世の者とは思えないほどの美女なんだぞ!!!」
その訴えを皮切りに、隣の席の客たちは席を立ち、呼びに来た男を先頭に走って行ってしまった。
近くの席の男たちも何人かそろそろと後をつける。
それはスヴェリオたちの席も例外ではなく、ティテルが早速立ち上がっていた。
「ねぇ、聞いたでしょ、行こうよスヴェリオさん。」
「おいドーラ。お前の弟が盛ってんぞ。」
スヴェリオが呆れたように言うと、そんなんじゃない!とティテルが頬を赤らめた。
そんなスヴェリオの様子に違和感を覚えたのは、やはり1番付き合いの長いバーバリオだった。いつものスヴェリオだったら、美女を見に行こうと誘われたら嬉々としてついて行くはずだ。バーバリオはそう思ったが、単なる二日酔いの可能性も考えて、追及するのはやめておいた。
「もう…俺1人で行っちゃうからね。」
拗ねながらもさっきの男たちに続いて行ったティテルをしり目に、スヴェリオはジョッキのビールを飲み干した。
「あの子、いつになったら特定の恋人ができるのかしら。」
ドーラが呆れと心配半々で言うと、バーバリオが笑った。
「近くに悪い見本がいるからなぁ。がっはっは!」
悪い見本というのは言うまでもなくスヴェリオのことだ。実際、まだ18歳のティテルにとって、8歳上の姉と同い年であるスヴェリオは、兄に等しい存在だった。
バーバリオの嫌味に対し、スヴェリオは黙秘を貫いた。今に見てろよと心の中だけで言い返し、ちらりとティテルが向かった方向を見る。
遠目な上、人だかりができていてスヴェリオの目にニコの姿も王の姿も確認できないが、飛びぬけている頭が見えた。あの大きさは城で見た王の近衛兵だとすぐ分かる。ニコがちゃんと楽しめているのか気にはなるが、本当に楽しんでいたらそれはそれで面白くない。矛盾な思いがスヴェリオの腰を重くした。
「良い見本もいるのにねぇ?」
ドーラがバーバリオを見つめる。
「がっはっは!俺を見本にするなら、結婚は2年後だな!」
「それまでに相手が見つかればいいけど…。見つからなかったらスヴェリオのせいよ。あんたがあちこち変なとこ連れてくから。」
スヴェリオの顔の真ん前まで突き出されたドーラの人差し指を、スヴェリオがすかさず押し返す。
「まったく、ドーラは分かってねぇな。人気のロマンス小説ってのは、大体変なとこで出会うんだよ。」
「へぇ、例えば?」
「森の中の小人の家とか、いばらに囲まれた城の中とか、誰も知らない塔の上、とかな。」
「ふん、あんたなんか風車をお姫様と間違えて突っ込んで行けばいいわ。」
「魔法で風車に変えられたお姫様かも。」
飄々と笑うスヴェリオに、不満をぶつけるドーラ。がっはっはと笑いながらドーラを宥めるバーバリオ。この均衡状態はティテルが戻ってくるまで続いた。
速足で戻ってきたティテルは、興奮気味にスヴェリオの3杯目のジョッキを奪って飲み干した。
「おい、俺んだぞ。」
「はぁ~すごかったよ、王妃様。あんなに美しい人がこの世にいるなんて!」
赤い頬を手で押さえ、うっとりとするティテルを見て、残っていた3人は彼の結婚がまた遠のいたことを悟った。
「そんなことより俺のビールを注文して来い。」
「スヴェリオさん、武器屋のおやっさんがいつもの頼むって呼んでたよ。」
「もうそんな時間か?」
「とっくに始まってたけど。」
おっと、とスヴェリオは立ち上がり、手を合わせて指を交差させ、そのまま手の平を前方に向けて押し出した。それぞれの指が逆関節側に伸びて気持ちが良い。ポキポキと何本か骨が鳴った。
「それじゃ、行きますかぁ。」
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