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しおりを挟む入浴を済ませてネグリジェでベッドに転がり込んだニコは、1週間前に借りた本"ダマルカの文化史"をパラパラと開いた。
すでに一通り読み終えてはいたが、何度目を通しても面白いと感じた。その理由は、ニコ自身もなんとなく分かっていた。
聞けば、スヴェリオはダマルカ出身だという。ニコは本を読みながら、スヴェリオがどのように暮らしてきたのか想像していた。
時間潰しではなく、興味を持って読んでいるから、何度も開いてしまうのだろう。
「服も、脱いで、靴も、脱いで、酒はどうした、杯が空だ…。」
ニコは、あの時スヴェリオが歌っていた歌が耳に残り、時々口ずさむようになった。
スヴェリオが使用人として現れてから、ニコは彼の話を聞くことが毎日の楽しみになり、自然と笑うことも増えた。
使用人の間でも、王妃様がどこか明るくなったと話題になったが、それがカルダに伝わるのは、もっと後の話になる。
とにかく、目に入るもの全てが色鮮やかに見えるほど浮かれたニコに、王の来訪は身体に稲妻が走るほどの衝撃を与えた。
「王様のおなりでございます。」
例の側近の声にニコは飛び起き、急いで扉に向かった。
自分がネグリジェ姿だということも忘れて扉を開けると、キートスがすぐにハッとして目を反らした。キートスの反応を見て、ようやくニコもはしたない姿であることに気がついた。
「お前は外で待っていろ。」
カルダはそうキートスに言い付けると、キートスから何やら木箱を取り上げ、自分だけ部屋に入って扉を閉め、有無を言わさずニコの肩に自身の上着を羽織らせた。
「すまない。寝るところだったか?」
「い、いえ、少し本を読んでから、と。こんな格好で申し訳ありません。」
ニコは開けた鎖骨を隠すように手を当てた。男を誘惑するには充分魅惑的な格好に、カルダも目のやりどころに困り、さっそく本題を切り出すことにした。
「先日話した祭具の件だが、完成したので1度見てもらいたくてな。」
カルダはつかつかと遠慮なく部屋を進み、部屋中央にあるテーブルに木箱を置いた。
細かい模様が刻まれ、美しく装飾が施された木箱だ。
ニコはその高価そうな木箱を見つめ、そんなニコをカルダは見つめた。
互いに箱が開けられるを待ち、変な間が生まれる。
その空気に先に耐えきれなくなったのは、カルダだった。
「…開けてみてくれないか。」
「あっ、申し訳ありません。」
自分が開けるのを待っていたのかと気づいたニコは、彼が気を悪くしたのではないかと焦り、青い顔で箱の前に座ってその蓋を開けた。
中には、銀細工で縁取られたサファイアに、ふわふわの真っ白なフェザーを取り付けられた髪飾り。
その上品な美しい羽に、自然とニコの手が伸びた。
「とても…綺麗です。」
「急がせた甲斐があったな。どれ、貸してみなさい。」
カルダはニコの反応に満足気に頷き、髪飾りを手に取ると、ニコのすぐ横に片膝を付き、髪飾りをニコの髪に充ててみた。
斜めにしたり、逆さにしたり。ニコにはカルダが何をしたいのか皆目見当も付かない。
その距離の近さにニコの心臓はバクバクと暴れ、変な汗が吹き出た。
カルダの眉間にしわが寄るのを見ると、訳も分からず血の気が引いた。
「これは…どうやって付けるんだ?」
「………え?」
間の抜けた言葉に、一瞬ニコの頭が真っ白になる。
おそらく、スヴェリオの影響だろう。そうでなければ、両親の仇であり恐怖の対象であるカルダを前に 、ニコが笑うなんてことはあり得なかった。
「ふ、ふふっ…。」
小さく洩らした声に、珍しくカルダが鋭い目を大きく見開いた。黄金の瞳が、優しく細められたグレーの瞳を捉える。
ニコの笑みは瞬時に消えた。
黄金の視線から逃れるように俯き、消え入りそうな声で呟く。
「申し訳、ありません…。」
カルダは驚いただけであって怒りなど微塵も感じていなかったが、俯くニコにはしばらく続いた沈黙の意味が分からなかった。
「…初めて見たな。」
ようやくぽつりと発したカルダの穏やかな声色に、ニコは恐る恐る視線を上げる。
「…何を、でしょうか?」
「王妃の笑顔だ。」
再び2人の視線が交わる。しかし今度はニコも逸らさなかった。ニコにとっても、カルダが自分に微笑みかけてくれるのは初めてのことだったのだ。
カルダは手に持っていた髪飾りをそっと箱に戻した。
「当日はちゃんと使用人達にやってもらいなさい。余からも伝えておこう。」
そう言うとカルダは静かに立ち上がり、扉に向かった。
扉を開いてから、夜分に失礼した、と言い残し部屋を後にした。
「王妃様はお喜びになりましたか?」
部屋から出てきたカルダに、さっそくキートスが詰め寄る。実はずっと扉の前で聞き耳を立てていたのだが、夫婦揃って静かに話すものだから、ほとんど聞こえずにもどかしい思いをしていたのだ。
「綺麗だと言ってくれた。」
それだけ言ってすたすた歩き出すカルダに、キートスも慌てて付いていく。
「あのですね、あなたは王様なのですから贈り物を褒めてくれるのは当たり前なのですよ。本当に喜んでいたかどうかはその目で見定めないと!」
カルダはニコの笑顔を思い出す。
長い睫が目にかかり、ぷっくりと膨らんだ唇が、美しい弧を描いた。一瞬ではあったが、恐れでも恨みでもなく、優しい色でふわりと微笑んだ。それが、ほんの少しだけだが、カルダの心を軽くした。
「王、聞いていますか?!」
カルダからの返答は無く、キートスは首を傾げた。いつもなら、大丈夫だと言っているだろ、うるさい奴だな、くらい言われるはずなのにと思ったのだ。ところが少し待ってみてもそんな憎まれ口は飛んでこない。
「…あの…何か良いことでもあったのですか?」
恐る恐る聞いてみてもやはり返答は無く、キートスは1人でもやもやを抱えるはめになった。
翌日、ニコは朝から悩んでいた。
スヴェリオが朝食を運んで来ると、待ってましたと言わんばかりにスヴェリオの手を取り部屋の中へ引き入れた。
「なんだなんだ、積極的だなぁ。」
ニコはニヤニヤするスヴェリオを無視して、ベッドの下から男物の上着を取り出した。
「…なんてとこから出すんだよ。」
「仕方なかったの。タンスは着替えの時に使用人も開けるし、ベッドの上だとベッドメイキングされる時に見つかってしまうし…。」
えんじ色の緩い作りをしたベストだが、その布地の美しさで高貴な者の衣服だと、恐らく王の物だろうとスヴェリオはすぐに気がついた。そして、そのことでニコが動揺しているのも面白くない。
「昨夜王様がいらして、この上着を借りたまま返し損ねてしまったの。」
「へぇ~、上着を借りるような格好だったんだ。」
にやけ顔のスヴェリオの思わぬ切り口に、ニコの頬が熱くなる。
「真面目に聞いてちょうだい。」
「はいはい。」
「この上着を返さないといけないのだけれど、どう返したらいいか困っているの。」
「俺が預かるよ。洗濯係に渡せばそのまま持ち主の元へ帰るだろ。」
「でも…お礼を言えなかったの…。」
珍しくうじうじするニコに、スヴェリオはますます面白くなくなり、拗ねたようにため息をついた。
「礼なんて言う必要あるか?1年ほったらかしにしてた奴が、民への好感度を上げる為の祭りで使う装具を届けに来ただけだろ。」
「え、なんで知ってるの?」
「朝から使用人の間で噂になってるよ。お妃様のタンスに王様からの贈り物があったって。」
「そ、そう…。」
「礼を言いたいって、自分で王様の元に訪ねる度胸があるのか?」
「そんなこと…できるわけないわ…。」
「だろ?自分で行かないなら次会うのは祭りの当日だろうよ。その時までそれを持っているつもりか?そうじゃないなら使用人に届けさせるしかないだろ。どうせ、服の1枚大したことないから忘れてったのさ。」
「それは……………そうかも。」
ニコがゆっくり頷くと、スヴェリオも満足そうに頷く。ニコの手から男物のベストを奪ってソファに軽く投げると、パンッと両手を合わせた。
「さ、朝食にしましょう王妃様。」
ニコはスヴェリオの言う通り席につき、カルダの服のことも彼に任せることにした。
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