上 下
12 / 14
本編

11.木剣

しおりを挟む
 自分でも驚くほど充実した数か月を過ごした。

 開墾計画は順調すぎるといっても良い程だ。
 時には人と人が争ったり、壁にぶつかることもあったが、それもどうにか皆で乗り越えた。
 どれだけ疲労が蓄積しようとも、城へ帰り、ハミルトン様に労いの言葉を頂けば心が満たされ、それだけで意欲が漲った。

 そうしているうちに森を切り開いた地はついに農地へと変貌を遂げ、地元民も移民も関係なく領民の皆が協力し合い、忙しくしながらも胸をはり、充足感を覚えているような笑顔を浮かべていた。

 建物が増え、皆が寝所を得たし、治療所や倉庫の拡大に加え、簡易的ではあるものの、騎士の派出所も建てられた。

 全てが順調だ。
 戦場で血と敵意に塗れた日々も、兄に失望されて無力感に打ちひしがれた事も、遠い昔のように感じられるほどに、慌しくも晴れやかな生活を送っていた。
 元の生活に戻れるだろうか。そんな恐怖心さえ芽生えていた。

 大きく窪んだ地形の採石場の脇に立ち、遠目に村を眺めると、領民たちの活気がそのまま風に乗ってきたような爽快感を覚える。

「優しい村ですね。」

「そう思うか?」

 嬉々とした声に振り返ると、簡易的なテーブルで優雅にコーヒーを嗜むハミルトン様が自慢げに顎を上げていたので、自然と頬が弛んだ。異論は無いらしい。

「よそ者も変化も柔軟に受け入れ、病人も怪我人も関係なく支え合って生活しています。」

「怪我人というのは俺も含めか?」

「よそ者というのは私も含まれるので、お気になさらず。」

 相変わらず痛快な返しだな、とハミルトン様は歯を見せた。

「まぁ、確かに。俺も来たばかりの頃、あっという間に馴染んだよ。」

 それは性格に起因しているのではと思ったが、口には出さなかった。

「世界中がこの村のようであれば、戦争なんて起きないのでしょうね。」

「コミュニティが大きくなれば、それだけいろんな思想が入り乱れて、制御は難しくなる。この村が平和なのは、皆の意識が一致して自然と向き合っているからだろう。人間同士で争っている余裕はないからな。」

 自嘲気味に笑みをこぼしてカップを置き、森に視線を投げたハミルトン様。その眼差しに覚えがあった。
 風景画を描くキャンバスを前に見せるあの目だ。真っ直ぐでいて、どこか物悲しさを感じるあの表情。

 もしかするとハミルトン様は、本当のところ、森を開墾したくなかったのかもしれない。
 田舎の風景に合うから、とロバ車で移動するような御方だ。領民の為に村を発展させてはいるが、彼からしたら不本意だったのだろうか。

 不意に、空気を切り替えるように「クリスタル卿。」と呼ばれ、背筋を伸ばした。

「調査が終わる前に、連れて行って欲しい場所があるんだ。」

「ロバ車の御用意を致しましょうか?」

「いや、それでは行けない山道だ。車椅子を押して欲しい。」

「畏まりました。」

 採石場の下方に見える、どこかを指差しながら話し合っている調査員の面々に目を配り、まぁ席を外しても大丈夫かと頷いた。

 調査というのは、この採石場のことだ。
 今日は専門家を呼び、採石場の状態を調査しに来たのだ。

 最初、ハミルトン様が御一緒したいと申し出てくれた時、危険だからとお断りしたのだが、どうしても行きたい、道中険しくてもクリスタル卿がいればなんとかなるだろうと引き下がってもらえず、渋々御受けした。

 その為、本来は私も調査に同行する予定だったのだが、ダンとその他の騎士隊員、地理のある村人たちに任せ、こうしてハミルトン様と外で待機している。

 コーヒーカップを片づけるショーンさんを置いて、ハミルトン様が案内する先、ここに来た道と反対側の小道へと向かう。

 採石場から少し離れると、「ここだ。」とハミルトン様は森の奥を指差した。

 小道の脇に、きのこの生えた倒木と、それを見下ろすような、樹齢何百年であろう立派な大木が佇んでいる。
 その先には獣道すら無い。車椅子では難しいだろう。

「この先に進むのですか?」

「そうだ。そんなに遠くないから、抱えてくれるだろ?」

 にこりと両手をこちらに伸ばすハミルトン様に、心臓が大きく跳ねた。

 1度、横抱きにしてロバ車に乗せてから、荷台への昇降を手伝うことはすっかり定着していたが、それ以外でこのように要求されるのは珍しかった。

 要するに、破壊力が凄い。
 落ち着け、私の心臓。

 深呼吸を挟み、「失礼します。」といつも通りハミルトン様の背と膝裏に腕を回した。
 首に回された腕の重みが心地よく、気を抜いたら晩冬の雪のように溶けてしまいそうだ。

 力を込めて抱き寄せているのは、足元の悪い道なき道を進むからであって、決して役得だと喜んでいるわけではない。
 必死にそう言い聞かせながら、倒木を跨いだ。

 目的地は予想以上に近かった。
 森に足を踏み入れて、恐らく50メートルも進まない内に、「あそこだ。」とハミルトン様が指を差した。
 見ると、熊の巣穴のような洞。一瞬、身構えたが、「俺が子供の頃に掘ったんだ。」と誇らしげに言うので、用心しつつ歩み寄る。

 近くまで行くと、なるほど、動物の巣穴にしては浅かった。せいぜい子供が作るかまくら程の広さしかない。

 低い天井に頭を下げながら恐る恐る足を踏み入れ、「降ろしてくれ。」という指示に従う。マントの紐をほどき、上手い具合にハミルトン様の体を覆い、なるべく柔らかそうな場所に彼を降ろして自分も腰かけた。

 近くの地面には木剣が刺さっており、ふと手を伸ばすと、「それを取りに来たんだ。」とハミルトン様がはにかんだ。

「あ、触れても良い物ですか?」

「もちろん、取ってくれ。」

 遠慮なく抜くと、その木剣には精巧な細工が施されている事に気がつき、ハミルトン様が子供時代に使っていた物ではないかと直感した。
 よく見ると、刃の部分には荒々しく文字が彫られている。が、古く痛み、読みにくい。

「”西地の守護者、ここにあり。”そう書いてあるはずだ。たしか。」

 手を出されるままに、木剣を渡した。

「ハミルトン様が彫ったのですか?」

「そうだ。シューリス家の後継ぎとして、西の地はこの小さな田舎までも気を配るぞっていう、子供ならではの高慢ちきな宣誓だ。」

「いつ頃のお話ですか?」

「俺が13くらいの時かな。たぶん。俺とは真逆の謙虚な弟を引っ張って来て、ここに秘密基地を作ろうって穴を掘ったんだ。」

 やんちゃで自信家な兄と、それにくっついて歩く気弱な弟。想像するだけで微笑ましい。

「俺たちが泥まみれになって帰ったせいで母上が発狂してな、ネズミでも見たかのように悲鳴を上げたのを覚えてるよ。」

「ふっ……。」

 笑いが堪えきれず、急いで口を押さえた。下を向き、顔は隠したものの、誤魔化せている気はしない。

「なんだ、笑うなら堂々と笑えばいいだろ。」

「い、いえ……あまりに想像に容易く、くっ、失礼な事を。ふっ、くっ。」

「え?今の姿から想像なんてできないだろ?元気に走り回っていた頃だぞ?」

 笑いをこらえているせいで絞りだされる涙を指で拭った。

「いえ、想像つきます。快活にやんちゃをなさるハミルトン様は、戦場の旗手のように頼もしく先導し、弟様の道標となったでしょうから。」

 私だってそうだ。暗闇でもがいていたところに、光を差してもらった。彼は太陽そのものだ。
 困ったように、「照れることを言うな、卿は。」とはにかむ姿もキラキラ輝いて、胸の奥がじんわりと暖かくなる。

「いつか、またこの場所に来たいと思ってたんだ。でも、諦めていた。」

 確かに、この場所に車椅子で来ることは難しいだろう。

「クリスタル卿のお陰だ。ありがとう。」

 優しく目を細めるハミルトン様に、私は目を見開いた。

 頭の中で爽快な風が吹き抜け、塵ひとつ残さずに去って行った。

 ハミルトン様のお役に立てた。それがこの上なく幸福に感じた。思わず涙がこぼれそうになる。

「これくらいのこと、いつでもお申し付けください。」

「ははは、そうだよな。卿がいてくれるうちに、頼めることは頼んでおかないとな。」

 きっと、笑顔の裏に幾つもの忍苦を隠してきたのだろう。
 無意識の内に、固く拳を握っていた。

 なんでもしよう。彼の為なら命すらも惜しくない。私の全てを賭けて、彼の投光に報いたい。ハミルトン様の今後が、幸福で溢れるように。

 この時、私には帰るべき場所があるということを、すっかり考えていなかった。その為、待ちに待っていた筈だった兄からの手紙に、ショックを受けることになる。



しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?

gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。 そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて 「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」 もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね? 3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。 4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。 1章が書籍になりました。

【完結】殿下、自由にさせていただきます。

なか
恋愛
「出て行ってくれリルレット。王宮に君が住む必要はなくなった」  その言葉と同時に私の五年間に及ぶ初恋は終わりを告げた。  アルフレッド殿下の妃候補として選ばれ、心の底から喜んでいた私はもういない。  髪を綺麗だと言ってくれた口からは、私を貶める言葉しか出てこない。  見惚れてしまう程の笑みは、もう見せてもくれない。  私………貴方に嫌われた理由が分からないよ。  初夜を私一人だけにしたあの日から、貴方はどうして変わってしまったの?  恋心は砕かれた私は死さえ考えたが、過去に見知らぬ男性から渡された本をきっかけに騎士を目指す。  しかし、正騎士団は女人禁制。  故に私は男性と性別を偽って生きていく事を決めたのに……。  晴れて騎士となった私を待っていたのは、全てを見抜いて笑う副団長であった。     身分を明かせない私は、全てを知っている彼と秘密の恋をする事になる。    そして、騎士として王宮内で起きた変死事件やアルフレッドの奇行に大きく関わり、やがて王宮に蔓延る謎と対峙する。  これは、私の初恋が終わり。  僕として新たな人生を歩みだした話。  

甘すぎ旦那様の溺愛の理由(※ただし旦那様は、冷酷陛下です!?)

夕立悠理
恋愛
 伯爵令嬢ミレシアは、恐れ多すぎる婚約に震えていた。 父が結んできた婚約の相手は、なんと冷酷と謳われている隣国の皇帝陛下だったのだ。  何かやらかして、殺されてしまう未来しか見えない……。  不安に思いながらも、隣国へ嫁ぐミレシア。  そこで待っていたのは、麗しの冷酷皇帝陛下。  ぞっとするほど美しい顔で、彼はミレシアに言った。 「あなたをずっと待っていました」 「……え?」 「だって、下僕が主を待つのは当然でしょう?」  下僕。誰が、誰の。 「過去も未来も。永久に俺の主はあなただけ」 「!?!?!?!?!?!?」  そういって、本当にミレシアの前では冷酷どころか、甘すぎるふるまいをする皇帝ルクシナード。  果たして、ルクシナードがミレシアを溺愛する理由は――。

最愛の側妃だけを愛する旦那様、あなたの愛は要りません

abang
恋愛
私の旦那様は七人の側妃を持つ、巷でも噂の好色王。 後宮はいつでも女の戦いが絶えない。 安心して眠ることもできない後宮に、他の妃の所にばかり通う皇帝である夫。 「どうして、この人を愛していたのかしら?」 ずっと静観していた皇后の心は冷めてしまいう。 それなのに皇帝は急に皇后に興味を向けて……!? 「あの人に興味はありません。勝手になさい!」

旦那様の様子がおかしいのでそろそろ離婚を切り出されるみたいです。

バナナマヨネーズ
恋愛
 とある王国の北部を治める公爵夫婦は、すべての領民に愛されていた。  しかし、公爵夫人である、ギネヴィアは、旦那様であるアルトラーディの様子がおかしいことに気が付く。  最近、旦那様の様子がおかしい気がする……。  わたしの顔を見て、何か言いたそうにするけれど、結局何も言わない旦那様。  旦那様と結婚して十年の月日が経過したわ。  当時、十歳になったばかりの幼い旦那様と、見た目十歳くらいのわたし。  とある事情で荒れ果てた北部を治めることとなった旦那様を支える為、結婚と同時に北部へ住処を移した。    それから十年。  なるほど、とうとうその時が来たのね。  大丈夫よ。旦那様。ちゃんと離婚してあげますから、安心してください。  一人の女性を心から愛する旦那様(超絶妻ラブ)と幼い旦那様を立派な紳士へと育て上げた一人の女性(合法ロリ)の二人が紡ぐ、勘違いから始まり、運命的な恋に気が付き、真実の愛に至るまでの物語。 全36話

死ぬはずだった令嬢が乙女ゲームの舞台に突然参加するお話

みっしー
恋愛
 病弱な公爵令嬢のフィリアはある日今までにないほどの高熱にうなされて自分の前世を思い出す。そして今自分がいるのは大好きだった乙女ゲームの世界だと気づく。しかし…「藍色の髪、空色の瞳、真っ白な肌……まさかっ……!」なんと彼女が転生したのはヒロインでも悪役令嬢でもない、ゲーム開始前に死んでしまう攻略対象の王子の婚約者だったのだ。でも前世で長生きできなかった分今世では長生きしたい!そんな彼女が長生きを目指して乙女ゲームの舞台に突然参加するお話です。 *番外編も含め完結いたしました!感想はいつでもありがたく読ませていただきますのでお気軽に!

貴方といると、お茶が不味い

わらびもち
恋愛
貴方の婚約者は私。 なのに貴方は私との逢瀬に別の女性を同伴する。 王太子殿下の婚約者である令嬢を―――。

私を虐げて追い出した家族。その生殺与奪の権をどうやら私は握っているようです!

けろり
恋愛
両親とは違う肌の色を持って生まれた少女メラニー。彼女の受難は誕生の瞬間に始まりました。 うとまれ、嫌われ、憎まれ、笑われる。それがメラニーにとっての世界。 さらに祝福されて生まれてきた妹に両親の愛情の全ては注がれ、メラニーは孤立を深めていきます。 やがてお屋敷を追放されて生きるすべを失ったメラニー。 そんな彼女に手を差しのべたのは全くタイプの違う二人の男。 メラニーの選択は? 家族への断罪の時、メラニーのそばに立つ男は彼女にどんな影響を与えるのでしょうか。   全17話・2万字強で完結します。 残酷な描写も多少含まれます。

処理中です...